第8話 野獣

「やはり一筋縄ではいかんものじゃな」


 俺には、現状のじじいの落ち着きぶりの根拠がわからない。先ほどからこちらの攻撃は全く通用せず、野獣だけはなんとか『鬼霞』のおやじが食い止めているものの、もう一人の女はそれ以上の化け物の可能性があるというのに。

 少なくともこの野獣、俺と相対した時にはまだ本調子ではなかったようだ。あの時よりもやばい状況をイメージすると、正直少しげんなりする。もちろん、だからといって俺の闘志が如何ほども薄れる訳ではないが。


「そのようですね」


 答える斉木はまだ落ち着いている。そして、じじいの余裕の一端もすぐに分かることになった。遠方から銃声が聞こえた瞬間、野獣が瞬時に痺れたように立ち尽くす。パルスの様な青白い光が一瞬見える。スタンガンか的な何か!?

 その瞬時の隙を見逃すはずもなく、『鬼霞』のおやじが一気に切り込んだ。さすがに防御に徹していないなければ止めきれない様で、妖しい青色に輝く大剣は野獣の首筋から胸あたりまで深く食い込む。当然普通の人間であれば、致命傷となるレベル。飛び散る血の色は人間と同じ濃い赤。青い刀身が妖しい紫色に染まる。


「やったか!?」


 このタイミングでの俺の言葉は、多くの場合フラグになるのであろう。だが、『犬神』といえどもあれだけの傷を負えば行動不能になるのが普通。仮にそこまで行かなくとも、戦闘能力は大きく低下するのが一般的な見立てと言えよう。


 ところが、一方で別行動で車に近づく女と言えば、一切野獣の方を振り向く素振りすら見せない状況で、同じテンポの歩みを変えようとすらしない。あたかも野獣が使い捨ての道具の様な扱いに見えてくるが、逆に言えば野獣を必要としないという女の自信の表れとも言える。


「もう一度!」


 間髪を入れず、三度目のクナイが『狐火』により投擲される。今度は時間差でかつ数も多い。見習いの誰かも同時に投げたようだが、先ほどより距離が短いにも係らず今回もその全てが爆発することない。更に、女の両手には投擲されたクナイが左右にそれぞれ一つずつ受け止められている。退魔師たちの息をのむ声が聞こえてくるようだ。

 わざわざ言及するまでもなく、一般的な社長夫人にそのようなことが出来る筈もない。やはり、相手はとんでもない化け物に変わってしまったと再考する。


「こんな武器、何の痛痒も感じないわね。馬鹿らしい」


 その瞬間、俺たちの乗る車を取り囲んでいた見習い退魔師の二人が、衝撃を受けて吹き飛んだ。女が瞬時に受け止めたクナイを投げ返したのだろうが、投げる姿も飛来したクナイも俺にも全く見えなかった。しかも、見習いと言えどそれなりの訓練を積んだ退魔師である。それが反応できないスピード。俺自身、誰がやられたかすらもわからない。


 吹き飛ばされた人間が当たった衝撃で、車も大きく揺れる。揺れの衝撃以上に、結果は凄惨だ。間違いなく今やられた二人は生きてはいない。右側の後部席ドアのガラスには、べっとりと血糊と脳漿がこびりついている。

 小さな悲鳴のようなものが聞こえた。が、これはこれ以上の戦いを拒否したいという叫びではないか。退魔師たちは、俺のような特殊なスーツを着ていない。もちろん体術的な自信があってのことだろうし、それがあっても命をつなげるのかはわからないが。


「抜けん!!」

「グウゥオォ!」


 声に代弁されるように、『鬼霞』のおやじも方も余裕がなかった。大剣が野獣の体に食い込み抜けなくなっている。すなわち、野獣はまだ精気と肉体強度を失っていないということ。格好悪いともいえるが、おやじは武器を人質にとられている状況である。単純な力比べに持ち込まれれば、野獣の方が随分有利になる。余裕をもっていられる状況にはない。


 同時並行的に再び遠方から銃声が聞こえる。だが、それは地面に暖着して小さな火花とともに土煙を巻き上げた。おそらくは女を狙ったものだろうが、不意のそれすら避けるのか、あるいはすり抜けるのか。


「この化け物が!」


 声を上げたのは、若さゆえであろう。それまで無言で構えていた20歳そこそこの男の見習い退魔師が、かつて澄田香住だったものに向かって刀を振り上げ、走り込みながら切りかかる。

 その動きや速度、傍目に見れば優れた身体能力と言える。ただ現状を冷静に分析すれば、作戦も何もない蛮勇に過ぎない。そして、周囲からの制止の声は彼まで届かない。すなわち、彼の恐れを抱いた精神状況が生み出した錯乱の結果。


「まあ、野蛮な掛け声。でも、私に向かってくる気概だけは褒めてあげる」


 そう言うと、女は近づいてくる男を正面から見据え、視線を合わせる。刹那、たったそれだけのことで男性の速度が急激にダウンし、続いてその場にひれ伏すように崩れ落ちる。何が起こったのかはわからないが、これが斉木の言っていた威圧の力だろう。

 さすがに『狐火』は耐えているようだが、残っている見習い退魔師たちは今にも逃げ出しそうな雰囲気になっていた。俺が知る里の人間は、こうした圧力には強いはずだったと思ったが。


 そもそも、里を締めるお館様の威圧力は俺も少年時代散々味わったが、二度と味わいくないと誓うほどのものだった。もちろん子供時代の感想なので、今では感じ方が違うかもしれないが。

 だが、それと比べてあの女の方には強いオーラや覇気を出しているようには俺には感じられない。


「あら、残念。もうおしまいかしら」

「光輝!? 早く逃げて!」


 仲間からの悲痛な叫び声を無視するように、女は膝を付き屈している青年のところに近づく。青年は、逃げようとしているのだろうが体が動かないため、小刻みに震えているだけ。そこに横やりが入る。


「いい加減に舐めるのは止めてほしいな。俺がこれしきで終わりと思ったか!」


 とは『狐火』の怒り。スーツのどこに隠していたのか、長い金属製の棒を手に持っている。身長のより長いそれは、おそらく伸縮性の機構が組み込まれているものなのだろう。棒術ということか。そして、この武器も祝福を受けたもののはず。魔剣に倣えば「魔棒」となるのかもしれないが、俺はこの武器の呼称までは知らない。


 一連の戦いを見ると、なぜ連携を取った攻撃が行われないのか、俺からすればまったくもって理解できない。戦いは、複雑な詰将棋のようなもの。もちろん相手の力を分かったうえでのことになるが、戦略は個人の戦力よりも重要である。

 ただ、『御社』の究極的な目標は人の位階を上げること。すなわち、個人的な能力の向上なのだから、怪異の討伐はそのついでに過ぎないという問題を抱えている。要するに、個人プレイヤーを進んで育成している訳だ。その悪癖が現状を生み出している。全くもって馬鹿らしい。


 確かに、『狐火』の攻撃は通用したのだろう。そこにいる魔性の女がその攻撃を避けたのだ。銃弾やクナイとは明らかに異なる反応。この戦いを、斉木とじじいは黙って見守っている。この攻撃のどこに今までと異なる脅威があるのか。


 向こう側では再び銃声が響き、野獣が大きな唸り声を上げた。やはり、スタンガンのような威力を持つ電磁パルスの銃弾を受ければ、数秒とはいえ行動不能に陥っているようだ。銃のみでは倒すことは望めないが、それがけん制で使えるとなると『鬼霞』のおやじの地力が生きてくる。


「じいさん。あの野獣はあんたの息子だよな。それに…、大丈夫なのか?」

「構わん!」


 その声に含まれた胆力が、じじいの決意を示していた。確かに、もう人間に戻ることはあるまい。助手席では、一連の動きを見ていた斉木が、携帯を取り出しどこかと連絡を始めている。そろそろ斉木の詰将棋が動き出すということなのだろう。

 要するに、傭兵である『御社』を捨て駒に使い、未知の相手の実力を把握したのだろう。斉木の嫌らしさがよくわかる。


「まずは作戦コードAで、『獣人』を拘束!」


 その言葉と共に、複数の場所から連続的な射撃音。そして、野獣が苦しそうな声を上げて地面にうずくまる。『鬼霞』のおやじは、ようやく剣を自分の制御下に取り戻し、一旦標的から距離を取った。さすがにこのような銃撃のさ中に剣撃を差し込むのは難しいと感じたか。


 数十発の銃撃の後、別の発射音が聞こえると『獣人』を覆うようにネットが撃ち込まれた。しかも、そのネットは『獣人』を地面に抑え込むと同時に、高電圧により継続的な衝撃を与えている。


「こいつは、象程度だと死んでしまうかもしれないくらいやばいヤツだからな。とくと味わいやがれ!」


 兵士の一人が、おそらくは麻酔銃と思しき銃弾を至近距離から複数撃ち込んだ。っこの一連の流れ、まったく見事な手際である。


 さすがに、これには女もたじろぐだろうと思ったが、こちらも『狐火』との戦闘でそれどころではないようである。『狐火』が一方的に押しているというよりは、連続的な攻撃により相手を困らせているという状況に過ぎない。このまま一人で制圧できるような状況ではない。また、この女に銃撃は効かなかったのも事実。斉木はどのような手を講じようとするのか。


 しかし、この戦いに加わったのは先ほど『獣人』と戦っていた『鬼霞』のおやじである。休む暇もなく、加勢に駆けつけてくる。この状況では、いくら女の能力が高くとも制圧は時間の問題であろう。少なくとも二対一になった瞬間、女の口元から笑みが消えた。そして、もう一人の参加を待っていたように屈していた若者が仲間により救出される。


「これで終わると思うか?」


 じじいが、誰にという感じではなくふと問いかけた。それに即座に斉木が反応する。


「わかりません。この先があるとすれば、私たちにとっては貴重な情報収集のチャンスですが、同時に壊滅の危機に陥る可能性もあると考えます」

「どういう意味だ!?」


 俺がその意味を問いただす。


「彼らが『王種』と呼んでいる『特異種』が現れたらの話だよ、兄さん」


「それは、あの女が崇拝していた上司ボスか? 人でないモノに変えたという」

「うん。カリフォルニアのケースでは、それが出てきて有利だった戦況が一気に覆されたらしい」


「じゃあ今回も助けに来ると?」

「それも、十分にある話じゃな」


 じじいが、そう言って問答を閉める。過去の戦闘データ等も収集・分析したうえでの先ほどの『獣人』制圧ということか。だが、すなわちこの先は未知の世界ということでもある。


 野獣は、戦闘用スーツに特殊なゴーグルをつけた兵士たちに囲まれ、確保されようとしている。少なくとも、もう暴れていないようだ。一方の女のほうは、一流の退魔師二人からの執拗な攻撃をそれでもかわし続けている。


「お主の魂は、さすがに密度が高い」


 とは、『鬼霞』のおやじの言葉。戦闘中に話しかけるなよ。だが、確かおやじは『眼』であったはず。すなわち、魂の色や形が見える。位階により見え方が変わるとは聞いているが、その能力を持たない俺には違いは全く分からない。


「くっ! ここまで厄介だとは、人間風情のくせに!」


 余裕の態度であった澄田香住の口から、初めてネガティブなな言動がこぼれる。


「その人間風情に追い詰められるお前たちは、いったい何様かな!?」


 とは、『狐火』の言葉。戦況が有利になったことで、余裕が出てきたようだ。


「仕方がないわね。口惜しいけど、今回は一旦引くとするわ」

「逃がすと思っているのか!?」


「作戦コードB、『特異種』捕獲開始!」


 周囲のどこからか、マイクによる号令がかかる。そして、大型の発射音に続いて、先ほどの『獣人』を捕獲したのとは大きさの異なる巨大なネットが広がりつつ飛来した。


「俺たちまで巻き込むつもりか!!」


 『狐火』の怒りの叫びだが、確実に捕獲しようと考えればこうなるのは当然かもしれない。あとは、このネットを女がすり抜けないことを祈る。

 足止めのために犠牲になる『鬼霞』と『狐火』だが、前者は比較的落ち着いているようにも見える。態度を見る限り、作戦を事前に知らされていたのかもしれない。


「これしき、破れぬと思わぬのか!」


 しかし、網が触れるや否や女は『獣人』と同じように地面に張り付けられてしまう。局所的な放電現象がみられるのは、先ほどのケースと同じ。電撃は効果があるようだ。


「…里で準備した、…祝福を受けた…ネットだからな…」


 なぜか同じようにネットでつい付けられながら、爽やかな顔で説明する『鬼霞』のおやじではあるが、その横では『狐火』がなんだか苦しそうにぴくぴくと痙攣しているようにも見える。どうしてあんたは大丈夫なんだ!? 


 ネットの周囲には、森から出てきた兵士たちが集まり、同じく麻酔銃を構える。


「お前ら! 決して許さん!」


 女のほうはまだ意識があるようだ。唇に血をにじませながらも、いまだ顔をこちらに向けている。『獣人』よりも相当にしぶとい。だが、じじいと斉木が予測した何かが現れるとすると今しかないだろうと、注意を周囲に巡らせる。


- どこからくる?


「主様…」


 それが現れたことに、誰も気づかなかった。いや俺は気づいたが、あまりに自然な出現に、そう空気のような登場に誰もが違和感を抱かなかった。俺が見た奴は、そのまま空間に出現したのだ。霧が集まり、人の形を作り上げるように。


 直後、ネットの周りで女に銃を向けていた五名の隊員が、同時に吹き飛ばされた。俺にも何が起こったかがわからない。なぜ、同時に兵士の頭が吹き飛ばされるのか。奴が一体何をしたのか。

 そして、あまりにも無造作に電流が流れるネットに手をかけると、一気に引きはがす。いや、引き裂いたのだ。


「私のきさきをこのような目に合わせたのは、お前たちか!」


 決して大きな声ではない。またドスの利いた声でもなかった。それどころか、その声を発した男は、スーツ姿の中年サラリーマンにしか見えず、むしろくたびれた風貌が特徴とすら言える威厳のない姿態。だが、その姿は圧倒的な存在感を誇っていたのは、鈍感な俺にもさすがに理解できた。その姿は、ほのかに輝いているようにも見える。


- こいつはやばい!! これが何なのかすらわからない!


 目の前では、運転手の腰原が首を後ろにもたれかけて気を失っている。じじいと斉木は大丈夫のようだが、見習い退魔師たちも、その場に崩れ落ちるように座り込んでいる。おそらく周辺の森に潜んでいる兵士たちも大きな影響を受けているだろう。


 電撃を食らった二人の退魔師の状況はわからないが、ただ俺は動くことができる。


 そう考えたとき、体が自然に動きだしていた。一瞬で車のドアを開閉し、外に飛び出し一回転。そのまま奴の方向を睨み付ける。そして目が合う。


「ほう、面白い」


 その言葉は俺に向けたものと考えるのは、少々自慢が過ぎるというべきだろうか。ただ、俺は全く面白くはない。だが誰もが動けない中で、俺だけが戦えるのならば、やるしかないというだけだ。

 だが、俺と同時に動いた兵士が一人いたようだ。睨み合いのさ中、銃撃音が鳴る。それは、勇気を振り絞っての一発だったのか、あるいは畏れ故の不意の一発だったのか。


 しかし、発射された銃弾は、あろうことか現れた男がその方向を見ることもなく素手で掴み取る。そして、足元にポトリと落ちる弾丸。視線は相変わらず俺に固定されたまま。なんだ、この非現実的な状況は!?


「まったく、無粋なものよ」


 おいおい、まったく人間業じゃない。こいつのことを神とでも信じたほうが簡単じゃないか。もはや、首筋がチリチリどころかバクバクと脈動している。冷汗が背筋を伝う。この男に勝てるイメージが全く湧かない。

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