第9話 王種

 正直言って、俺は運命というやつをを呪いたい。


 なぜ、いま俺はここにいるのだ。なぜ、車から飛び出した。そして、なぜこいつと睨み合っている? 俺は一体なんて畏れ多いことを。


 やばいやばいやばい……!


- …いかん。パニックに囚われるな! ネガティブな思考が何も生み出さないことを俺は知っているじゃないか!


 今はそんなことをしている場合ではない。敵は視線の中にとらえている奴。ほら見ろ、人を超越しても普通のおじさんでしかない。少女漫画に出てくるような美男に変化もしていない。そもそもこいつは若返ってもいない!


「ふむ。本当に興味深いな」


 奴が発した言葉からは、何か値踏みされているような感じを受ける。そう言えば同じような状況がつい数時間前にもあった。俺の魂が濁っているからとか、なんとか。


 魂の色について、かつて散々里で馬鹿にされてきたこと。俺にはわからないが、他人とは明らかに異なる異色の魂らしい。里にはそれが見える奴が少なからず存在し、その中で最も異質なガキが標的にされる。どこにでもあること、だがその事実は人の人生を大きく狂わせることもある悲しいこと。


 気づけば、いつの間にか男の横に澄田香住が寄り添っている。唇まわりには流血の跡が見え、体にも十分な力が入っていない感じだ。髪の毛は乱れ、服装にも一部破れやこげ跡が残っている。それでも、自分の足でしっかりと立っている。

 倒された時のものか、顔にも傷が見られる。それでも、この短時間で電撃のショックから回復したことを驚くべきなのか、それでも化け物にダメージを与えられたことを喜ぶべきか。


 その澄田香住であるが、男を見上げるように覗き込む表情はこれまでと違いだらしなく目も焦点が合っていない。それ以上に、こういう喩えが正しいかどうかはあるだろうが、まるで恋する少女そのものに見えるではないか。このしがない中年親父(?)がそこまでの崇拝対象ということなんだろうか。


「主様…」


「我が妃よ。苦労を掛けたな」

「『宝玉』はそこの車の中に」


「うむ。だが、見当たらぬようだが」

「中の子供がそれですが、何やら封印が施されているようで」


「ほう、そちらも面白いな」


「それに、もうお気づきでしょうが、車には邪魔な仕掛けが施されているようです」

「そのようだな。『宝玉』が見えないのもそのためか」


「いえ、直接見ても最初はわかりませんでした」

「だからこその、宝ということか」


 そう言うと男は俺から視線を外し、澄田香住を抱きしめてかなり強引な口づけをする。それを受け、香住は女性らしい雰囲気を盛大に振りまきながら、まるでむさぼりつく様に吸い付いている。かなりエロティックな動きだが、そう言わせぬ儀式のような振る舞いにも見えなくはない。


 ある意味隙をさらしている状態とも言え、普通だったならば攻撃のチャンスなんだろうが、俺はこの突然の光景に目的を一瞬忘れいた。更に付け加えるとすれば、視線が切れているにもかかわらず、未だその男からの俺に向かう圧力を感じ取り、第六感が警告を鳴らしていたこともある。隙だらけなはずなのに隙がない。達人との立ち会いを想像させる空気が場を覆っていたとしか言いようはなかった。


 行為は1分ほども続いただろうか。あるいは俺の勘違いで、ほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。ただ、俺の時間間隔を失わさせるだけのインパクトがある光景だったのは間違いない。

 そして、俺以外のここにいる兵士やスタッフたちも同じ状況に置かれていると考えた方が良いだろう。そう、誰も身動きできないでいる。この奇妙な光景に見とれてしまったのだ。


 濃厚なキスを終えると、澄田香住は再び優雅な振る舞いで俺の方を向いた。同じく男も軽く首をひねり、再び俺と視線をまみえる。そういえば、いつの間にか香住の顔に生まれていた傷跡はすっかりと消え去っていたようだ。先ほどの行為にどういう意味があるのかは知らないが、香住の状態が改善したのは明らかである。治癒的な効果があるのだろうが、こんな効果を生み出す能力など来たことも見たこともない。漫画や小説の中の治癒魔法でもあるまいし。


「そこのお前。中途半端だな。なぜそうなった?」


 やや高い目のトーンで放たれた男の言葉に、俺は即座に反応できずにいた。とは言えど、いつまでも無言でいるのも失礼だろう。数秒の逡巡の後に、勇気よりも意地により言葉をひねり出す。


「その…、あんたが何を言っているのか、俺には全然わからねぇな」

「ほぅ」


「おそらくは、『神道』の系列かと」


 香住さんは、なかなかに物知りなようで。その説明を聞き、男は再び問いかけてきた。


「つまり、古くからのまじない師か。では、なぜ『宝玉』に封印を施した?」


「だから、あんたらの話はさっきから俺にはさっぱりわからねぇ。そんなことより、ここに来たということは俺たちと今から戦うんだよな!?」

「うむ。威勢が良いな。答えるつもりはないと。だが、力の差は十分理解できているだろうに。恐怖を受け入れるのも勇気の一つだとは思わぬか」


「生憎、勇気なんて御大層なもんは持ち合わせてねぇよ。これは意地だ!」


「私は、妃と『宝玉』を持ちかえればそれでよいのだ。さあ、『宝玉』を渡せ」

「ご丁寧にありがとうさん。だが、それは承服しかねる提案だ。それだけは、どんなことをしても認められねぇ!」


「そうか、ではやむを得ないか。むやみな殺生はしたくなかったが」


- 一瞬で五人をぶち殺した奴が言うセリフか?


「今のうちに、せいぜい調子こいてろ!」


 俺と男の位置関係は、直線距離で約20mほど。二人を結ぶ直線の俺よりやや後方右手にじじいらが乗るベンツ。車の周りには、機を失っているのかか、戦意を喪失しているのか、倒れ込んでいる見習い退魔師が六人と、いくつかの死体。そして、男から見て斜め後ろには、網の下に倒れている二人の退魔師と、地面に突き刺さっている大剣。そう、俺は車から出てきて以来、周囲の状況把握に最大限の注意を払ってきた。


 俺は力強く地面を蹴り出すと、男に向けて真っ直ぐにダッシュする。この距離では俺の攻撃は届かないか、仮に届いても大したダメージは与えられないのだ。もちろん、午前中に受けた負傷の影響は間違いなく残っている。程度も決して軽くはない。特に、脇腹あたりは相当に痛む。しかし、精神を深く沈めて感覚を弱めれば耐えられない訳じゃない。普通の人間でも極限を超えて集中できれば、痛みすら感じなくなるというじゃないか。


 俺の突進を見て、男は軽く笑った。当然だろう。武器の一つも持たないただの男が走りながら近づいてくるだけなのだ。『特異種』などと呼ばれるような人類を超越するような化け物からすれば、人が感じる蟻の一刺しほどにも怖さを感じないだろう。だが、そこに強い武器を持つ二人が加わればどうだろうな!?


 男は俺に向かって右腕を上げ、その掌をこちらに向ける。全体的に仄かに輝いていた男の体の内、右手の輝きが一気に強まった。


- 攻撃だ! これは避けなければやばい!


 先ほど、一瞬で五人の頭を吹き飛ばした攻撃が脳裏に浮かぶ。一体何が飛んでくるのかもわからない。ただ、それを受ければ俺の命など一発で終わりだろうことはわかる。それは直感のなせる技。俺が里でかつて『兎野郎』と呼ばれていた理由。命をつなぎとめるギリギリの危機回避能力。


 足の痛みなど気にしていられない。気配のみで俺は三発の連射された何かを、ギリギリ掻い潜りながらさらに男に近づく。だが、男の意識をこちらに集中させただけで目的の半分は達せられた。そう、網の下で機会を伺っていた二人が立ちあがったのだから。


「祐樹! よくやった!」


 そう、『鬼霞』のおやじが声を出した時には、既に剣筋が男の後ろから届くところに来ていた。そして、『狐火』が女に対して同じく打ち掛かる。二人は大剣を避雷針代わりに使い電撃を避け、機を伺っていたのだ。不意を付けた。そう思ったこともありました。


 だが、男は『鬼霞』の親父の振るった剣を受け止めなかったのだ。そう、受け止める必要が無かったというべきか。剣はその頑丈さゆえに折れることはなかったが、単純に弾き返されてしまう。そして、男は身じろぎひとつしていない。


「だが、これならどうだ!」


 俺の最大でかつ、最も効果的な攻撃。鎖分銅形状に成形した魂を右手から放つ。男は、それを明らかに見た上で、今度は左腕で受け止めようとした。ほぼ同時に右手から再び強い光が放たれる。

 俺の攻撃は間違いなく当たった。その上で、男の攻撃が衝撃により軸線を逸らせて俺には当たらない。そう、男は俺の攻撃によろめいたのだ。逆に言えば、最大の攻撃でも大したダメージを与えられなかったのでもあるが。良く見れば着ている服にも少し綻びが生じている。


 さらに、その態勢が崩れたところにおやじの打込みが続く。チャンスとばかりに、俺も再び精神力を込めて攻撃する。ここで、少しでも削れなければ勝負にもならないのだから。


「お前! 中途半端ではあるが、『王種』か?」


 そんな中、男が戦いの最中だというのに口を開いてきた。


「だから、しらねぇって言ってるだろ!」


 片手では無理だと思った俺は、この攻撃を両手で交互に行うことに変更。ただし、これは俺の精神力をがっつりと削ってくれる。特に今回は相当の力を込めているのだから、早々連発できるものではない。


 男は少し後ずさりして、その後『鬼霞』の親父の放った大剣を右腕で受け止めると、気合と共にへし折った。やはり邪魔ではあったらしい。だが、最大5cmはあった剣を腕だけでへし折ったのだ。どんな力をしているのか。もちろんその間も俺は攻撃を続けており、男へも多少のダメージ蓄積は確かにあるように見える。


 俺の攻撃は、肉体ではなく魂に直接行うもの。もちろん、魂の傷は肉体に跳ね返るが、直接的に肉体を攻撃できる訳じゃない。要するに生き物限定の力である。だが、今俺が感じ取っている感触が尋常ではない。普通、魂とは綿菓子の様にふわふわとした柔らかい存在である。だが、俺が打ちつけた男のそれは岩石のように硬い。もっと正しく言えば魂の密度が高い。イメージとしては巨大な岩石に鞭を打ち付けている気分? そう考えると疲れそうだからやめる。


 その時、俺の攻撃を受けていた男が突然笑い始めた。


「は、はは、はははっ…。面白い! 面白いじゃないか」

「俺は全然面白くねぇ!」


 男が笑ったからと言って、攻撃を止めることなどない。いや、正確に言えば攻撃を止めた時の反撃の余地を与えたくないだけである。おやじの剣はぶち折られた。『狐火』は女を抑制するだけで精一杯。効果的だと思えた電流を流すネットも効かなかった。銃は最初から効果がない。


 ここで攻めから守りに回ってどうしようというのだ。


「愉快だ! こんなに愉快な気分になったのは久しぶりだ!」

「主様…」


「これが天啓による戦いなのだな。『宝玉』を賭けた真の『王』を決める戦いということか」


「そんなもんじゃねぇ!」


 上空から大きな音が聞こえてくる。これは、ヘリの音。おそらく、斉木が手配したのだろう。もう日も暮れており、コブラやアパッチのような攻撃ヘリなのかどうかはわからない。ただ、こうした事態も想定していたのは間違いないだろう。


 とばれば、俺たちは離れた方が利口である。さすがに銃撃には巻き込まれたくはない。おそらく退魔師の二人もそれは理解したのだろう。

 そこで俺は連射の利かない大技を一発ぶち込んだ。とはいっても魂の形が違うだけだが、鞭状だったそれを一気に太くする。その瞬間、俺の右半身から一気に力が抜けそうになるがそこは気合と意地でカバー。


「ぶち飛びやがれ!」


 その攻撃は、確かに男と女には同時に届いた。二人は、それを耐えるよりも距離を取る選択をする。もちろん、攻撃を加えている俺には見えず、感触だけ。だが、敵である二人には良く見えているらしい。ボクシングでも言われるが、空振りの方が疲れがたまるという。俺の攻撃も全く同じ。この振り出した力をどうするればいいというのか。


 そしてヘリは一気に低空でホバリングしながら狙いを定めているのだろう。風が強い。だが、俺はコントロールに全精力を投入しないといけない。それでも、敵を引き離したことは大きい。ヘリから猛烈な音と衝撃が聞こえる。それと同時に地面から土煙が立ちのぼる。男は香住をかばうようにヘリに向かい、機銃から掃射される銃弾をまともに受けているようだ。さらには銃撃はネットに捉えられたままの『獣人』にも容赦なく降り注いでいる。


 しかし、男の服が千切れ飛ぶものの体に生じた傷は瞬時に治っていく。俺にはそう見えた。更には銃弾をものとのせず、左手を上げて光を膨らませる。


 俺には先ほどより大きな光が見えた。その直後、突然機銃の攻撃が止み、ヘリがおかしな挙動を示した。


「駄目だ! 墜落する! 気を付けろ!」


 とは、『鬼霞』のおやじの怒声。30~40mは離れていた筈なのに、一気に落とされる。奴の攻撃距離は俺とは比べ物にならない。そして、俺はもう攻撃できるような気力が残っていないのである。『鬼霞』のおやじも主力武器は折られてしまい、『狐火』の一人でこの場を支えられるとは思えない。


 ただ、男も疲れたような感じはある。というのも、もう体が輝いていないのだ。さすがに、無限の体力と生命力をを誇っているという訳ではなさそうだ。


 ヘリは芝生広場とは少し離れた森の中に墜落し、大きな爆発音を上げて炎上した。それに気を取られたつもりはなかったが、振り返ると男はいつの間にか澄田香住を連れてじじいと斉木が乗る車のところに近づきつつあった。


「止まれ!」


 俺は叫ぶが、もちろんそんなもので止まる筈もない。『狐火』と『鬼霞』の親父が阻止しようと動くが、今度は香住一人に二人が足止めを食らう。周囲からの攻撃はない。というよりも、それが全く無駄であると誰もが感じてしまったのだろう。


 男は一人でゆっくりと車に近づいていくが、1mほど手前で突如歩みを止めた。服装は既にすたずたの状態で敗残兵のような状況。だが、存在感は最初ほどではないにしても大きいままである。そして背後では戦い続けている三人の音と息遣いが響いている。


「なるほど。『宝玉』の今の所持者は貴様か。薄いが繋がりが見える」


 そう言いながら、男は俺の方を再び見た。だが、その問いかけに応えられるだけの情報お俺は持ち合わせていない。結果、何も答えることが出来ない。


「なら、せいぜいこの『宝玉』をしっかりと守るが良い。これから世界中より20人の『王種』がこれを奪いに来る。半端なお前だが、結びつきができたのには何か理由もあろう」


 そう言うと車から再び離れ、女の傍らに向かった。その異様さに退魔師たちの動きも止まる。


「今は、お前に預けるとしよう。だが、私は再びそれを奪いに来る。それまで、しかと守ることだな」


 そう言い残し、二人歩いて去っていくのを、俺たちは誰も止めることができなかった。




「終わった、、、のか?」


 その言葉を最初に吐いたのは『狐火』だった。二人が視界から消えてから数分が経過していた。遠方では消防車のサイレン音が聞こえる。


- この惨状の処理はどうするんだろう


 俺は言葉を発するよりも、今後行われるであろう隠ぺい工作のことを心配していた。

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