第7話 待伏

 廊下に出ると、案の定すっかり惨状は片づけられている。だが、ほのかに漂う血と汚物の匂いは、消毒液のきつい香りでも消し切れていない。俺の方はと言えば、左腕が満足に動かせなさそうなのに加えて、どうやら右足も気づかないうちに負傷していたみたいだ。筋肉系の損傷だろうが、これからの戦いを考えると相当のハンデを背負うのは間違いない。


 だが、俺の闘志がもちろんそんな程度で怯むはずもない。俺は昔から理不尽な目にばっかりあってきた。この世界は俺に優しくなかった。だからこそ、それに抵抗し続けていた。すなわち、抵抗することこそが即ち俺のこの最低な世界に生きるための存在意義アイデンティティー


 じじいと斉木が、以前から何に対処しようと準備を進めているのかについて概要を聞いた。だが、俺自身現段階では十分に理解できていない。さすがに話が突飛過ぎるので。全てを信じろと言われても納得できない。

 だた一つ自信を持って言えるのは、いずれ俺を巻き込んだことの落とし前は付けるということ。それは、じじいたちに対してもだし、俺をこんな目にあわせたあの女に対しても。加えて、絶対に生き続けなければならない俺の生存を脅かす存在を放置できないという気持ちが最も強い。俺は生きなければならないのだ。


- 俺を舐めるとどうなるか、骨の髄まで教え込んでやる!


 考えを巡らせることで、気力は再び充実してきた。この闘争心こそは俺を動かす基礎となるエネルギー。この調子ならきっと戦える。


 この時、力ある人が見れば灰色にくすんでいるはずの芦田の魂に、仄かな輝きが灯るのを見付けられたかもしれない。


 1階に上がると、30畳以上ありそうな広めのリビングに大勢のメンバーが集まってる。ざっと見渡して15名くらいか。斉木は、携帯を使いながら忙しそうに様々な指示を送っている。そして、じじいは椅子の上に立ちながら、机の上に広げられた地図を睨んでいる。時折、別のスタッフと議論を繰り広げたりもしている。

 幼女がこうした場所にいて、しかも中心的な立ち位置にいることが、そんなに簡単に受け入れられるものなのだろうか。俺にはこの状況をそう簡単に呑み込めないのだが、俺以外は容易に受け入れているらしい。何故だ!?


 何人かは部屋に入る俺の方をチラ見したのに気付く。しかし、人ごみは俺にとって最大の敵。電車にも乗らずにスクーターを足代わりにするのは、人との距離を置くため。必要だからここに来たが、長居したい場所ではない。加えて、異物を見る視線。まあ、黒ずくめの特殊スーツを身に着けた奴が入ってくれば、ごくごく当たり前の反応ではあるのだが。


『あれが、闇兎…』


 そんな声がどこからともなく聞こえる。兎で悪いか! とは俺も答えない。だがそんな雰囲気も一瞬にして変わる。


「小僧! この近くに丁度良い場所がある。大きめの森林公園じゃ」


 その言葉は俺に向けられたもの。そして、携帯による指示を終えたらしき斉木が続ける。


「既に、閉園の指示は終了。あと20分で無人状態になります。灯光器は設置済み。すぐに狙撃隊も配置予定。敵の侵入ルートも想定済み。『獣人』は高速道路を疾走中で、Mシステムデータから想定される到着予想時間は約45分後」


 斉木の事務的な最低限の言葉は、俺だけじゃなく周囲にいるすべての人間への指示であろう。しかし、Mシステムって警察のマル秘データじゃないのか。よくもまあ、自由に使いこなしているもんだ。


「時間がない。わしらもすぐに移動するぞ!」


 号令がかかれば動きは早い。スタッフは一気に準備を進め、俺を微妙に回避しながら部屋から出ていく。よく訓練されていると見た。そして、俺から回避する必要がないというのは大変に助かる。

 斉木もスタッフと共に出ていった。すれ違う瞬間、少しだけ俺に向けてほほ笑む。相変わらず爽やか奴。そこが俺にとって最も気にくわない部分でもある。


 そして、下の方から何かが俺の右手に触れる。


「おい! 何を!」

「わしなら大丈夫じゃ。もう、何度も触れているじゃろうに」


 じじいが俺の右手を掴んでいる。馬鹿な。俺に触れればただではすまない。それはこの手袋の上からでも同じの筈なのだが、なぜか平然とした幼女の姿を見ると、えも言われぬ感覚が俺の中に広がった。

 もちろん、俺に触れられる存在が全くいない訳じゃないが、それらとも距離を置いてきた俺としてはえも言えない感情が爆発しそうになる。


「それ、時間がないといったじゃろう。一緒に行くぞ」


「ああ…、わかった」


 幼子に手を引かれる黒いスーツに身を包む大人。誰も見ていないからいいものの、こんな姿を知られたくもない。だが、それでも容易に小さな手を放すことが出来ずにいた。全くもって恥ずかしいことこの上ない!


 門の外では、黒塗りのメルセデス・ベンツSE600が待っていた。どうみても純正ではなく、十分に改造が施されていそうなセダン。他にも数台のオフロード車が、順番に出発していく。中に乗っているスタッフたちはいつの間に着替えたのか、俺と似た感じの濃いブラウンの特殊スーツに変わっていた。斉木が用意したものだろう。


 要するに、こういった事態を想定していたんじゃないか。一体、あいつはどこまで知っていたのか。だが、おかげで俺の特異さが目立たなくなるのは個人的に助かる。


「一緒に乗るぞ」

「わかった。だが、俺のスクーターはちゃんと持って帰ってくれよな」


 横に立っていた斉木に依頼したもののその願いは軽くいなされ、じじいに促され俺はベンツの後部座席に乗り込む。前には、運転手と斉木。房総半島にある別荘地であり、山中ということもあってこの屋敷の敷地は広い。おかげで、周囲には他の住人の気配は感じることなく済んでいる。とは言え、この車の行列が目立つのは間違いないだろう。


「腰原、出せ」


 じじいの命に従い、運転手は無言でエンジンをかける。この重低音は、どんな改造によるものだろうか。ただ、音に即した振動は車の安心感を囁いているようだ。あたかも装甲車に乗り込むような落ち着きがそこにはある。


「じいさん。今回の作戦を教えてくれ」

「お前はわしと一緒にいるだけでよい。まあ、餌ということかのぅ」


「それで、あんたたちの準備している戦力は?」

「今、わしが準備できる最大戦力を投入しておる。それに『御社おやしろ』の力はわしよりもお主の方が良く知っているじゃろうに」


「『鬼霞』のおっさんは知っているが、もう一人の奴は知らん。だが、二人で本当に対処できるとは思えない。抑え込むことならできるかもしれんが、捕縛となると」

「そのあたりは既に専用の武器を開発しておる。いきなりの実践というのが少々気がかりではあるが、それは今考えても仕方あるまい」


「『狐火』さんですよ。それに命雫めいだしょう方々も複数人来られています」


 斉木がもう一人の名前を伝えてきた。そして、俺が昔組み込まれた組織の名前も出てきたようだ。だが、それは戦える人選ではない。俺は斉木にすかさず返す。


「修復師らに戦いなどできないのは、お前も知っていると思っていたが」

「もちろん、それは我々のフォローにだよ。兄さん」

「まあ、上手く行けばという程度には理解しておく」


 俺たちが囮になり、退魔師の二人が俺たちを守り、その上で何らかの兵器を使って捕縛する。要するにそういうことなのだろう。『犬神』だけならともかく、あの女も来るに違いないという確信がある。その時に、一体どれだけの効果を期待できるかは怪しいものだ。だが、逃げたとしても追いかけてくるのは間違いない。なら、自分たちの有利な場所を作り上げて最大戦力にて叩くのは、戦いにおける常道だろう。


 わずか10分強で、森林公園に車はそのまま乗り入れていく。普通であれば車が走ることなど許されていないであろう道を、我が物顔で複数台のオフロード車が進んでいく。この後始末は一体誰が付けるのだろうか。まだ園外に出ていない一般利用者もいるだろうに。


 兎に角、この規模での作戦はじじいだけの力ではなく、おそらくは国、しかも自衛隊あたりが噛んでいるのは間違いないだろう。そして、情報隠ぺいが確実になされるということか。国家を敵に回さなくていいことを考えると、斉木とじじいが繋がっていたことは俺にとって僥倖なんだろうが、これまで全く知らされていなかったというのはやはり口惜しい。


「着いたぞ」


 俺の思いとは別に、車は広い芝生広場の中央に停まった。そこに停車したのは俺たちの乗る車のみ。他のオフロード車は別の場所に配置した様である。既に現地にいた者たちと共に、素早く配置についていく。あっという間に、芝生広場を囲む森の中に消えていき、その存在感すらが感じられなくなる。


- これはひょっとすると、相当の錬度かもしれない


 俺の脳裏に浮かぶのは、かつてビデオで見た映画に登場していた海兵隊などの特殊部隊であるが、もちろん日本にも似たものは存在するだろう。時には、国民にも開かされないようなものも。


「わしらはこのまま車の中で待機じゃ」


 車の周囲に10名に届かない数が走り寄り、この車を背に取り囲んだ。この服装、間違いなく御社のメンバー。それも退魔師のグループである『破魔』。見る限り、見習いが相当含まれている。それぞれの手には刀や鎖鎌など、忍者を思い出させるような様な武器が握られている。


- 相変わらず、アナクロなことで


 正面にいた、もっとも体格の良い僧兵風の男が振り返り、俺を見付けてにやりと笑う。『鬼霞』のおやじ、昔と全く変わっていない。俺には退魔師の素質が全くなかったにもかかわらず、しつこく勧誘してきた奴。そのせいで、俺がどれだけひどい目にあったかを分かっているのか!

 もう一人、おそらくこいつが『狐火』と呼ばれる奴であろうが、おやじの動きを見て俺の方に注意を向ける。酷薄な、そして知らない顔だ。だが、俺を見る目には下げ済みにも似た感情が透けて見える。紺のビジネススーツ姿というのも退魔師としては珍しい服装だが、都会で仕事をする上では必要なのかもしれない。


『この兎野郎が!』


 車のドア越しなので、はっきりと聞き取れた訳ではないが、おそらくそう呟いたのだろう。『兎野郎』、そう言ってかつて俺は里でいじめられてきたのだから。正規の退魔師はこの二人で、それ以外はまだ見習い。だが、年齢としては俺と大して変わらない奴から、高校生程度に見える奴まで幅広い。女性も数人混じっている。

 この時代に、全くよくもこんなブラックな組織で働こうと考えたものである。俺にはその気持ちはさっぱり分からないが、蓼食う虫も好き好きと言うし、何か分からない喜びでもあるんだろう。


「来るぞ!」


 周囲で大きな声が響いた。予想時間より早い。まだ15分やそこらの余裕があると思っていたが、あの野獣、いてもたってもいられなかったらしい。今回に関して言えばメインディッシュは俺じゃないだろうが、それでもこの熱い愛情表現には反吐が出そうだ。


 周囲は夕闇に包まれ始めており、複数の灯光器がこの芝生広場を煌々と照らしている。遠くの方で電源供給用の発電機の音が響くが、それ以外がしんとして却って不気味な感じがする。周囲で守護についてる御社のメンバーにも、間違いなく緊張が走った。気配を感じたのだろう。


「うわっ!」

「『獣人』だ!」


 芝生広場を取り囲む森の中で悲鳴に近い叫び声が聞こえる。すると、いきなり俺たちのいる目の前に、待ち伏せていた兵士が頭から突っ込んできた。野獣に単純に投げつけられただけなのだろうが、おそらく100mは飛ばされた。もちろん、体は妙な方向にねじ曲がっている。即死にちがいない。誘い込むという作戦は脆くも崩れたということだろう。俺の握る拳に力が入る。


「慌てるな。多少の犠牲は最初から覚悟の上じゃ」


 そう言いながら、じじいは俺の握りしめた拳の上にそっと小さくて柔らかい手を載せる。俺を見る眼は、いつにも増して柔和だ。


 その刹那、大きな爆発音が聞こえる。地雷、あるいは何らかの爆発性の武器。人間なら容易に殺傷できる性能。だが、それがどれだけの威力を持っていたのかは分からないが、想定していたほどの効果は得られなかった。


 俺たちの車の前方、約20mに突如として女性を方に担いだ野獣が現れる。一気に跳躍してきたようだが、その体に傷らしいものは見えない。『破魔』のメンバーに走る緊張感がありありと分かる。退魔師の二人はともかく、見習い連中の実戦経験など数えるほどしかないだろうに。御社も無茶な派遣をしたものだ。


「さて、忘れ物を戴きにきたわ。邪魔をしないでもらえると、私たちとしては友好的にできるのだけど」


 澄田香住だった化け物は、野獣から軽やかに飛び降りふわりと地面に降り立つ。信じられないくらい優雅なその動きに思わず目を奪われる。だが、その動きこそが彼女がもう普通の初老女性ではないことを明らかに示している。


 そこに、瞬時にクナイが続けざまに投擲された。『狐火』の攻撃だろう。『鬼霞』の武器は青々と輝く大剣であるのを知っている。それは女性に向けられたものだろうが、目で追えない速度で野獣がその前に出て防御した。クナイは野獣に当たると、そこで小さからぬ爆発をする。4つの爆発音。この一瞬で正確に4つの投擲をするのは、彼の能力が非常に高いことを示している。


 結果を待つまでもなく、煙漂う中に『鬼霞』のおやじが、そのごつい身体からは想像できないような速度で迫る。まだ剣は背後に下げたまま。彼の名は、その信じられないような速度と、大剣を振るう腕力から来たもの。


「ふんむっ!」


 気合が音にり空中に放出される。気付けば既に剣は振るわれた後。俺はその振りの鋭さに背筋がゾッとなる。全く衰えていない。そして、彼が振るう大剣は『青龍』と呼ばれる魔剣。もちろん魔法がかかっている訳ではないが、破邪の力が込められた特殊な剣である。剣の勢いで煙が一気に飛ばされるが、そこには両腕をクロスさせて剣を受け止めた野獣。


 多少は腕に食い込んでいるかもしれないが、どうみても致命傷を与えたというレベルではない。


「無駄なことを。あなたの位階では届かないわ」


 野獣の影から顔を出した澄田香住は、相変わらずの余裕を誇示しながら戦う二人を無視するように、ゆっくりと、そして優雅にこちらに歩みを始める。


「これが『特異種』か…」

「自然に発生する『犬神』とはレベルが違いますね。確かに、軍隊でも捉えるのは難しいかもしれません」


 平然と話をするじじいと斉木と比べ、運転席に座っていたこれも強面である腰原と呼ばれた男は、ガタガタと震え始めた。まだ、20mほどの距離があるのだが、相当に怖ろしく見えているのだろうか。


 『鬼霞』のおやじと野獣は、そのまま戦闘を続けている。素早さはほぼ互角か若干親父の方が早いが、パワーは野獣の勝ち。あの魔剣で切り裂けない強度とは如何ほどのものなのだろうか。

 だが、『狐火』から再び複数のクナイが近づきつつある女に投擲される。今度は野獣の防御はない。だが、刺さったと思ったその投擲は全て女性をすり抜けるように後方に通過し、全く関係ない場所で地面と接触して爆発する。


「なんだと!」


 その声は、『狐火』の焦りのようにも聞こえた。

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