第6話 特異
倉庫という名称の比較的新しい別荘の地下室にある実験室は、今も天井に据え付けられたLED電球により冷たく照らし出されている。部屋の外の惨状も片づけられたようだが、こうした処理が警察の介入なしに進められるのは、俺も何度か見てきた。斉木のコネクションがどうなっているのか問い詰めたい気持ちもあったが、じじいとの関係性を見る限り、結構深いところで政府機関ともつながっているのだろう。商社にも、いろいろあるってか。
そして、壊されてしまった多くの実験機械らしきものも、破片や薬剤などでは完全に片づけられている。その手際の良さはさすがに斉木が手配したスタッフたちということであろうか。保養地の別荘。そして、薬品や壊れた機械。まったく、非現実感の漂う空間になっている。
「それじゃあ、もう一つ聞きたい」
「答えられることなら、なんでも答えるよ」
ところで今回の件、もう15年以上前に俺が引き取られていた組織、京都のかなり山奥にある
「澄田香住だったけな。じいさいんの義理の娘か。あの女も超人みたいなものなのか?」
「僕が理解しているのは、兄さんもよく知る『巫女』の上位概念だということ」
「また、あのくだらない組織の話になるのか!」
俺にとっては、10代前半から所属していた組織に良い思い出はほとんどない。もちろん、20歳前に飛び出して以来、今に至るまで直接的な関わりはなかった。向こうからの干渉が無いのは、俺が相当の役立たずだったからだろう。
俺のアルバイトに際し、間接的なつながりが出そうになったことも多少はあるが、斉木が上手く調整してくれたこともあって、それも限定的だった。そもそも俺は『犬神』狩りには参加しないし、奴らと関わる仕事の本分が違う。
「まあ、兄さんがあそこを恨む気持ちもわかるけど。でもね、同じような存在は世界中にあるんだよ」
「ああ、知っている。昔、耳にタコどころか腫瘍ができるほどに聞かされたからな。シスターやシャーマン、あるいは呪術師にも同じような役割を果たしているのがいくらでもいるってな」
「そう、自然界にある生命力の様なものを吸い上げ、そして人に与えることができる存在。ただ、あくまでその力は神のレベルに届くことはない。だからこそ人々は更なる力を希求する」
「馬鹿らしい! 俺からすれば五十歩百歩、どんぐりの背比べにしか見えん。あんな先の見えない競争に人生を賭ける奴らの気がしれん」
「兄さんが特殊すぎるからね」
その
さらに双方を巻き込んで昔ながらの方法を頑なに追求しようとする求道派に、科学や新たな試みを入れるべしという開明派が存在し、結局はその内部闘争に明け暮れていたというのが俺の感想。本当に馬鹿げた状況だったが、文明の発展と共に怪異が減少したことが、不毛な内部闘争にのめり込んだ原因である。存在意義を賭けた状況に追い込まれつつあったということ。
また、組織では魂を見ることが出来ることを『
「その驚くような化け物が、ここに来て現れたって訳か」
「僕も香住さんには最近会ってなかったからなんとも言いにくいかな。でも、昔見かけた時には感じは齢相応だったと思う。普段からあまり人前に出てくる人じゃなかったから、そこまで自信はないんだけど」
「で、あの女、実際の齢はいくつなんだ?」
「50歳は越えていたはず、だけど。正確な年齢は調べないとわからないね」
「俺が見た限りでは30歳そこそこにだった。ってことは、化け物になる替わりに20歳は若返ったってことか。だとすれば、それを望む奴は世の中にはごまんといるだろうな」
「そうだよね。でも、最近なら世間では美魔女とかいうのが人気でもあるから、本当にそのせいかは分からないけど。化粧の技術が各段に向上したとか?」
可愛く小首をかしげて見せるが、斉木が自分の言葉を信じてないだろうことは最初からわかってる。
「わざわざ俺に自慢したくらいだ。自分でも驚くような変化だったんだろう。そう言えば、里にいた巫女たちも少しは若く見えたような気もするが」
「見た目で判断するって。。。でも、肉体的な変化よりもっと大きな特徴があるんだ。具体的には気合というか何というか、普通の人は目も合わせられないようになるんだよ。怖ろしいというか、畏怖にひれ伏してしまうというか」
「そうだったか? 俺には普通にしか感じられなかったが。でも、それのせいなんだな。お前が逃がしたのは」
「兄さんと違って、うちのメンバーは普通の人間なんでね」
「阿呆、俺も人間だ。あんな化け物と一緒にするな!」
思わず斉木と目を見合わせる。
「ふふふっ」
「はははははっ!!!」
くだらない会話ではあったが、それでも悪くはない。さすがに先ほどまでの緊張感も緩んだのか、俺の表情も崩れた。こんなに笑ったのは笑ったのはいつ以来だろうか。これも斉木の術中だと分かってはいるが、それでも俺を縛ってきた何かが、僅かばかりではあるがほぐれた感じがした。
「ほう、もう大声で笑えるくらいまで回復したか。やはりお主は人間離れした回復力みたいじゃな」
扉からじじいが入ってくるのが見える。可愛らしいワンピースに身を包む老人というのも相変わらずシュールな光景だが、疲れて眠っていたところからどうやら復活できたようである。
「じじい、あんたも俺の過去を知ってるんだな」
「ああ、その程度の人脈はもっている。いや、今はもっていたと言うべきか」
「今回の
「うむ?」
「おそらく、あんな化け物が出てくることも想定済みだったんだろう?」
「ああ、そういう意味ではわしじゃな。だが、細かい計画は斉木君が行っている。そもそもわしはお前に会うときは死ぬ直前だったのじゃぞ」
「つまり、随分前から俺は巻き込まれることが決まっていたということか」
「さすがにその程度は想像できるか。まるっきりの脳筋という訳でもなかったようじゃな」
「五月蠅い! 俺がいつも計画を斉木に任すのは、それが斉木を信頼しているからだ!」
その言葉を聞いたじじいは、大きな眼をパチパチとしばたたかせて、俺をまじまじと見直した。このじじい、わざと狙って見せつける様に可愛く行動しているんじゃないだろうな!
「なるほど。では、わしに聞きたいこともあるじゃろう」
「『
「直接の縁は深くないが、知らん仲ではない。政府を通じてのつながりがある程度と言っておこうか」
「じゃあ、開明派とか」
「そうじゃな」
「それじゃあ、ここ。この施設は一体何だ? 何のための施設なんだ?」
俺は、首を振ってこの部屋にある先ほど壊された設備群を示す。おそらくは、じじいと関係したもののはずだ。じじいは、少しだけ考えるしぐさをして、おもむろに答え始めた。
「『特異種』に対応するための研究施設じゃ。この部屋以外にも、研究室がいくつか備えられておるわ。お前がここに来る前に、なぜ斉木君が図面まで用意できたと思っておる」
「『特異種』? それは、あんたの義理の娘みたいな奴らのことか?」
「そうじゃ。『獣人』、お前らの言う『犬神』とはまた異なる、人の進化形ではないかと議論されている存在じゃ」
その言葉を聞いて俺は少し考え込んだ。そもそも、種の進化っているのは一体何を意味しているのかが分からない。
「なあ、哲学的な質問になるかもしれないが、爺さん。あんたの言う進化って一体何だ?」
「進化論は知っておるな」
「ああ、豆のたとえ話程度ならな」
「じゃが、最近では生物の進化に関しては別の説が強まっていることについてはどうじゃ?」
「何だそれは? 悪いが、俺はそこまで専門家じゃないぞ」
「ふむ、進化というのは全て突然変異により生じるとする説じゃ。そして、変異した種が優勢であれば自動的に交代が生じる」
「じゃあ、奴らが人間にとって代わるということか」
「短期に状況変化が進むものでもないし、あくまで仮説の一つじゃがな」
「今から十数年前に、世界中で『獣人』が多く発生した時期がある。そして、ここ5年ほどはさらに上記の主である『特異種』がこれまた世界で見つかっておる。『獣人』はいくつか捕まえることができたが、それ以外は目撃例に過ぎぬ。それどころか、ほとんどの場合には近づくことすら困難でもあるのじゃ」
「僕からも少し補足するよ。世界中で『特異種』との戦闘は、既に10件以上発生しているけど、一度たりとも相手を倒せたことも捕えたことも無いんだ。武器を携帯した軍隊が相対してもね」
斉木がフォローを入れてくる。『犬神』については、自然発生的に生まれてしまう人間の奇形という形で俺は理解していた。そして、その奇形は人間と相容れることができないとして、『破魔』が中心になって狩ってきた歴史がある。
もちろん、『
「だからこそ、そのための研究施設という訳だな」
「ここだけではない。本格的なものはもちろん別の場所に複数ある。あくまで、ここはわしの私的な研究場所に過ぎぬわ」
「そのあたりには国の機関が絡んでいるということだな」
「そうじゃ。国だけに限らぬ。あ奴らは間違いなく人間よりも強い生命力、肉体強度、そして何より精神力を有しておる。それは人にとって代わる条件としては十分なものじゃ。もはや、ミュータントとでも言って良いレベルでな」
「国際的な連携と、研究協力ってことか」
「そのあたりの物わかりが良くて助かるわい。もちろん、こんな話を公表できるはずもないのは分かるわな」
俺は黙って頷いた。要するに、人間が新しい種に取って代わられるような状況が起きつつある。それに対して、人間としてどのように抵抗できるかという戦いだ。
「これまでお前、いや『闇兎』に依頼してきた仕事も『特異種』に関する調査の側面が中心じゃ。まあ多くはかすりもしなかったがな。お前には態々言うまでもなく、魂の切り貼りとは違う方の仕事じゃがな」
つまり、今回初めて巻き込まれた訳じゃなくて、最初から俺は組み込まれていたってことか。
「その上で最大の問題が、まだ確証はないんだけど世界中の『特異種』が日本を目指しているということ」
斉木が再び口を挟んだ。
「奴らが集結しようとしているのか、それとも別の理由があるのかはわからぬ。そもそも、なぜここ10年くらいで世界中に『特異種』が生まれたのかも全く判明してはおらん。じゃが、少なくとも何体かは既に日本に入っている痕跡がある」
「なぜ?」
「正確な理由などわしらにもわからん。じゃが、一つだけ明らかなことがある。それが『宝玉』、そう今のわしじゃ」
「翁を彼らが求めていることは、これまで得た状況証拠から間違いないと考えているんだよ。だから、その子はこれまで秘匿してきたんだけど」
「おいおい、そんなやばい状況でじじいを俺に守らせようというのかよ!?」
「無論、お前だけに任すつもりはない。じゃが、わしの魂を定着させ続けれるのはお前しかおらぬだろう」
「翁は、『絶望の・・』を抑えるために敢えて魂の定着に臨まれたのです」
いきなり、強烈な頭痛が俺を襲う。さっきと同じで、そのキーワードを聞くと俺の中の何かが反応してしまう。数秒で平静に戻ったが、斉木の神妙な補足が十分に頭に入らない。そもそも俺としては、この話が大きすぎて付いていくのに必死である。ただ、俺一人で何とかできるような小さな話でないことだけは十分に認識できた。
と、その時、斉木に電話の連絡が来たようだ。少し距離を取り話し始めたが、どうも表情が険しい。あまり良い情報ではなさそうだ。それを見て、俺は寝かされているマットレスの横に無造作に置かれている作戦用スーツを引き寄せた。
「翁! 『獣人』が収容した『特研』から逃げ出したようです。逃走方向は現在調査中ですが、おそらくはここに戻ってくるつもりでしょう」
「確か、象でも一日は目を覚まさない麻酔撃ち込んでいたんじゃな。それでこれということか。」
「確かに、少し見通しが甘かったかもしれません。過去の事例よりも効きが悪かったようです。政府も今一つ、状況認識に甘いところがあるようで」
「うむ。じゃが、わしが奴らの最終的な狙いなのは疑うまでもない。既に見つかってしまったからな。だが、それなら再捕獲に必要な舞台を早々に整える必要がある。斉木、良いか!?」
「はい! 直ぐに手配にかかります」
そう言うと、斉木は直ちに部屋を出ていく。近くにいたスタッフも無言で斉木を追いかけた。まるで従者のようだ。それを横目で見ながら俺は、スーツを再び身に着けようとする。
「今回は無理するでない! そのために『破魔』を呼んだのじゃ」
「だが、あの『犬神』、『獣人』だったかな。あれは俺の知っているレベルの強さじゃないぞ。たとえ、『鬼霞』のじじいでも勝てるかどうか」
「わしらも何の対策も講じてないと思うのか。準備は既にしてあるわ」
「だが、俺も狙われる可能性はあるだろう。実際、さっきの狙いは俺だったからな。だから、準備させてくれ」
「じゃが、骨折が最低でも4か所と聞いておるぞ。その体で何ができる?」
「そんなもん気力で何とかするさ」
親指を立てて決めたつもりだったが、冷たい視線で無視される。幼女の冷たい視線とは、いったい誰得というのだ。
「なら、好きにするが良い」
そう言うと、じじいも踵を返し部屋を出ていく。小さな歩幅で、だが予想以上に力強い足取りで。
つなぎになっている漆黒のスーツは脇腹部分に爪による裂傷、左肩には爪による五か所の穴。結構痛めつけられたのが分かる。これが無ければ、間違いなく殺されていた。人間はそれほどに脆いのだ。人として抜群の回復力を持つ俺とてその例外ではない。まだ、肩口の傷は流血こそ処置により止められているが治る気配はない。
左腕に付けた長年の相棒である
だが、逆に言えば斉木の用意できる装備がこれだあったとすれば、あの化け物の攻撃を防げるとは思えなかった。あいつとじじいは俺と化け物との戦いを見た訳じゃないのだ。もちろん『
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