第5話 進化

「あなた、全く器用なことが出来るのね。魂を身体の外に飛ばせるなんて。本当に驚かされるわ。普通の人間には絶対にできないわ。でも、なるほど。だからこそ、普通の人間なら相手にもならないという訳ね」


 澄田香住は、俺に向かって再び柔和な微笑みを見せた。美しい顔だ。多少化粧が濃いようだが、ぱっと見た感じは30代前半。しかし、先ほど自らのことを寿命から解き放たれたと言っていたことを考えると、本当の年齢はもっと上であってもおかしくはない。

 もちろん現在俺は野獣にギリギリと肩を締め上げられており、この女の問いかけに応えることもできないでいる。こんなことを考えている場合ではないのだが。


「でも自分の魂を使うなんて、自分自身も大きなダメージを受けてしまうでしょうに。マゾなのかしら、それとも、きっと魂がかなり鈍感なのね。そうか、魂が輝きのかけらもない灰色なのはそのせいなのね」


 勝手に自分で結論を出して悦に入る。お手を勝手に値踏みすることに対して睨み返す俺の目線受け、勝ち誇ったような笑みがより大きくなった。


「所詮は人間、どうせもう動けないわ。少し力を緩めなさい。このままじゃ、会話も楽しめないでしょ」


 野獣にそう命令すると、俺にかかっていた圧力が少し緩む。だからと言って、肩口に爪が食い込んでいる状況で、逃げ出せるような体制にはなれそうにない。

 とりあえず、女は会話をしたいみたいなのでそれに乗ってみよう。俺も、こんなわからないことばかりでは対応が難しい。今はとりあえず情報が欲しいのだ。


「教えてくれ。あんたたちは一体何者だ?」


 俺が絞り出した言葉に、香住は嬉しそうに近づきながら答える。


「何者? そうね。簡単に言えば人の上位種というべきかしら。あなたは位階という言葉を知っている?」

「ああ、『御社おやしろ』で言われているヤツだな。人の魂のレベルを高めるという」


「ええ。でもあんなのは何の役にも立たないわ。たかが人の範疇を出ないレベル。私たちはそれを超えた存在。つまり、人類の進化の先にある種よ」


「つまりは人を辞めたってか? それを化け物と言うんだろう」

「相変わらず口の減らない子ね。でも、私の威に屈しないあなたのことだから、今少し暴言は許してあげましょう。化け物、その表現は単に恐れを抱いた人間が勝手に決めたもの。概念からすれば、私たちは神や天使の方が近い存在よ」


「俺は神を気取る奴も数多く見てきたが、総じてみんなクズだったがな」

「そんな下衆たちと比べないでほしいわね。本当の力も持たない存在のたわごとなんか、聞きたくもないわ」


「じゃあ、あんたはどうやって人ではなくなったんだ?」

「あら? ひょとして、少しは興味が湧いたのかしら?」


 女は会話を楽しんでいるようだ。その後ろでは、相変わらず藤原組の二人が幽鬼のようにふらふらと立っている。俺たちの会話を聞いているようにも見えない。どう考えても、何らかの精神支配を受けているという感じである。そして壁際に追い込まれて座り込んだ状況の俺は、微妙に足を動かしじじいの魂の痕跡を探る。


「そんなものになりたいとは毛ほども思わないが、あんたたちの正体には確かに興味があるな」

「現実を目の前で見ても理解できないのは、単なる馬鹿よ」


「こんな野獣のような化け物を許容しろっていうのか」

「それは『ビースト』、人の成れの果て、王に成れなかった存在」


「神とか王とか、民主主義のこの国には全くそぐわない概念だな」


「人の理に囚われている限りは確かにそうよ。でも、あの方に会えばすぐに分かるわ。そんなものを超越しているということが」

「ほう、お仲間がいる訳だ。そういえば、そいつがお前を変えたんだったな」


「そう、偉大なお方。そして宝玉を手に入れて次の世代の王となるお方」


 うっとりとした表情で見上げる。どうも自分を変えた相手を崇拝しているという雰囲気が伝わってくる。さて、その澄田香住が指摘した通り、俺の特殊な能力は自分の魂を身体の外に飛ばせるもの。多くの場合、体の動きと適合しやすいため手から放つが、そんな制限は存在しない。


「ほう、しからばそいつは悪の親玉ってところだな」

「失礼なことを言うではない!」


「だが、人類の存在を脅かそうというんだろ。それなら結局、俺たちの敵でしかない」


 頭の中でここから逆転するためのイメージを固めていく。一発勝負の賭けにはなるが、まだ俺は負けを認めていない。俺の攻撃はイメージが重要。それを練り上げる。


「全く、頭の固い子だわ」


 そう言いながら再び視線を俺から外した。その瞬間、相当の気を込めた一撃を足から目の前の野獣に飛ばす。先ほどは敵が人間だと考えていたため籠める力を抑制していたが、相手が人間ではないとすれば手加減の必要はない。

 何度も使える訳じゃないが、俺の知っている犬神と同じならば効果はある筈。ちなみに俺にはショックは全くない。魂を動かした精神的な疲れが蓄積するのみ。


「ガッグシュッ!」


 奇妙なうめき声を出して、野獣は俺から手を放し1mほど後ずさりする。そこで苦しそうに首を振っているのは、俺が期待していたほどではないにしても効いている証拠だろう。本当なら、スタンガンを食らったように痺れて倒れるのを想定していたのだが。

 だが、それとは別に足で感じていたじじいの魂の糸を右手で一気に引き寄せ、俺の傍らにいた幼女に左手に持ち替えて押し付ける。


「じじい、甦りやがれ!」


「あなたたち、あいつを取り押さえなさい!」


 その声は、おそらく幽鬼のように立っている藤原組の二人に向けられたものであろう。さすがに機関銃を撃たれるのは不味いが、その前に右手から同時に二人に向けて魂を投げつけた。同時に行うのは久しぶりだが、できないことではない。


 俺の体から放たれるそれは、伸縮自在の鎖分銅のように俺の手首から飛び出していく。そして、二人の魂に触れると、電撃でも走ったように崩れ落ちた。右手のコントロールと同時に、左手では幼女の魂とじじいのそれを結合させる。時間に余裕はない。強引だが、一気に精神力を込めてそれを成す。


- 間に合ってくれ!


 だがその瞬間、俺の体は天井まで放り上げられた。野獣に蹴り上げられたのだ。一瞬にして意識が飛びそうになる。魂の融合はまだ終わっていない。落下する俺は次に野獣の腕により空中で突き飛ばされ、再びコンクリートの白い壁に激しく激突。間違いなく、アバラの何本かは逝った。内臓も相当傷ついただろう。だが、その痛みが俺の意識を繋ぎとめる。先ほど足もとにいた幼女との距離は、1mほどと離れてしまった。


「往生際が悪いわね。でも、最初から勝ち目はないのよ。でも、あなたの執着心はその子供にあるのね。義父さんの魂もそこにあるようだし、じゃあそれを今から取り払いましょう」


「ヤメロ…」

「先に、その子供を殺しなさい!」


 その瞬間、うつぶせに眠っている幼子が身じろぎをして小さく喚く様に声を上げた。これまで俺が知る限り、じじいの魂が無ければ死んだようにピクリとも動かなかったのにである。だが、仮に今子供の意識が戻ったとしても何の役に立つはずもない。なんとか助けようと体を動かそうとするが、さすがにこのダメージでは子供に向けて弱弱しく手を伸ばそうとするのが精一杯。魂を飛ばす力もない。


 野獣は俺から子供に向きを変え、ゆっくりと長く伸びた爪を持つ腕を振り上げる。おそらくこの子が死ねばじじいの魂も直ぐに消滅してしまうだろう。倒れたままの幼女は危険を感じ取ったのか、小さな泣き声を上げ始める。


- 俺はまた助けられないのか!


 だが、野獣はなかなか少女に手を出そうとしない。腕を上げたまま固まっている。それどころか、徐々に腕が下がり始めている。


「何をしてるの! 早く殺しなさい!」


 焦る女の声とは裏腹に、野獣は弱々しい唸り声を上げながら、だんだんと腰を下げていく。だが、それを見ると同時に俺も急速に力が抜けていくの感じた。力と言うべきか、魂そのもののエネルギーと言うべきか。不味い。背筋に冷や汗が流れる。これは、野獣と相対するよりももっと厄介な状況。心が虚無に囚われていく。


- やばい!


 ブラックホールに引き寄せられる光のように、底なしの闇が俺から何かを吸い出していく。絶望しか見えない何か。動かない体に反し頭は冴えていくが、この恐怖を俺は知っている。いや、知っていた。


 なぜこの子が、などと問う暇もない。


「これは…、まさか封印されていたの…」


 女の声が聞こえるが、それは遠くに響くだけ。野獣は大きな音を立てその場に後ろ向きに倒れてしまった。生命力そのものを無理矢理吸い出されたような状況。俺の方が女児との距離が遠かった分だけましではあったが、それも時間の問題である。


「今直ぐに、わしを繋ぎ留めろ!」


 女児から発せられたその口調はじじいのもの。恐怖と無力感に囚われていた俺ではあるが、声を聞き最後の力を振り絞り、うつぶせ状態の少女に這いずりながら近づいていく。


「これでいいか!」


 そう言いながら、倒れ込むように最後の力を使ってじじいの魂を少女のそれにねじ込んでいく。貼りつけるというよりは完全な融合。俺の魂を触媒にした混合。


- こんな無茶をしたのはいつ以来だ?


 ふとそんな思考が頭をよぎるが、今は二つの魂を繋ぐことしかできない。すると、これまた突然に吸い出されていた精神エネルギーといった感じの状況が止んだ。だが、それと共にに俺は気を失ってしまう。


「『宝玉』はここに…」

「よくやった」


 最後に聞こえてきたのはあの女とじじいの言葉だろうか。


                     ◆


 どれくらい気を失っていただろうか。目覚めた時、俺はまだ澄田家の別荘地下室にいた。そして俺の傍らには斉木と何やら話し込んでいるロリじじい。


「あっ、兄さん目が覚めたんだね」


 俺は戦闘用のスーツを脱がされ、毛布を掛けられているようだ。斉木が寝ている俺の横に近づいてくる。その方向に身を起こそうとしたが、強い痛みを感じて元の状態に戻る。制服のようなものを着た複数の人たちが片付けや調査を行っているようなのは分かった。


「ううっ!」

「まだ、直ぐに動くの無理だよ。相当いいやつを貰ったみたいだね」


「…あの野獣は?」

「もう運び出した。いいサンプルになるかな?」


「おい、元はと言えばじじいの息子だぞ」

「でも、もう人間じゃないし。象用の強力な麻酔を打って運搬中かな」


「お前、知っていたな」

「少しはね」


「じゃあ、なぜ言わなかった?」

「まさか、翁のご子息が『獣人』になっているとは思ってなかったから、かな?」


「そう言えば、その女房はどこに行った? あの狂信者っぽいの」

「逃げられた」


「お前にしては珍しいな。あの野獣がいなければ、何とかなるだろうに」

「そんなに簡単じゃないよ。人には容易に相対できない相手だからね」


「あの女も、人間じゃないってことか?」


 その問いに、斉木は無言で頷く。


「それも知っているんだな」

「うん。また体の調子が戻れば知っている話をするよ」


「おう、話ができるようになった様じゃな。息災息災」


 そう言いながらじじいが斉木の横に顔を出した。


「じじいも相当にしぶといな」

「当然じゃ。わしはこの子を守らねばならぬからな」


「じゃあ、教えてくれ。その子は一体何だ?」

「日折鈴。まだ5歳の無力な少女じゃよ」


「そいつが無力? さっきの様子を見ると、俺にはとてもそうは思えないが」

「『絶望の巫女』を覚えているか?」


 その言葉を聞いて、俺の頭が痛烈に痛む。


「うむ、まだ思い出すのは無理の様じゃな。じゃが、この子はそう呼ばれている。そして、奴らからは『宝玉』とな」

「知っている様な気もするが、いてっ!」


「その痛みは、お前に掛けられた呪いで、かつお前に懸けられた希望じゃ」


 再び頭を抱えている俺を置いて二人は離れる。謎かけのような話は大嫌いなんだが、今はそれを問い詰める気力もないし、体も動かない。


「もう少し休んでいた方がいいよ、兄さん」


 結局、俺は再び意識を手放した。


                   ◆


 次に目覚めた時には、体の具合もかなり回復していた。斉木が俺をすぐに病院に連れて行かなかったのは、大部分の人が俺に触れるとトラブルを生じることもあるが、それ以上に俺の回復スピードが大きな理由である。骨折がわずか数日で治る様な症例を医学界が放っておくはずもない。


 もちろん口の堅い闇医者のつながりもあり、何度か厄介になったことはある。だが、表のルートでは俺を治療できる医者がいないのだ。何せ触れられないのだから。すなわち、連れて行くよりは休ませておいた方が良いとなるのは当然である。


 斉木はまだ近くで、多くのスタッフ(?)に指示を出していた。現場を取り仕切っているのは、奴のようだ。


「おい、斉木」


 気づくと、指示を後回しにして近寄ってくる。


「調子はどう?」


「最悪だ。で、あれからどれくらいの時間がたった?」

「4時間くらいかな」


「じじいは?」

「別の部屋で休んでいるよ。翁も相当に疲れているみたいだしね」

「また襲われないのか?」


「藤原組の件?」

「いや、もう一つの奴ら。あの化け物連中。というか、じじいの義娘?」


「そうだね。有るかもしれないし、無いかもしれない。組の方は手を回したし、彼らの『獣人』も一体押さえたから、直ぐにはこないと思う」

「あんなのが山ほどいるのか?」


 俺はげんなりとした表情で吐き捨てる。


「兄さんの知識では『犬神』の方が分かりやすいよね。あれは人為的に造り出された『犬神』だよ。数はわからないけど、それほど多くはないと思う。彼らからすれば貴重な戦力だけど、こちらに押さえられたのを見たら、さすがに直ぐには来ないのじゃないかな」


「ということは、この件は御社おやしろ絡みなんだな。けっ!」

「直接じゃないけどね。今は警戒を依頼している」


「退魔師に、と言うことか。あの狂信者どもなら喜んで話にのってくるか」

「うん。兄さんは嫌がるだろうけど、そうだね」


「で、誰が来ている?」

「近くにいたのですぐに来てくれた『鬼霞さん』と『火狐さん』という二人は名前を聞いたけど、あとはわからないかな」


 名前を聞いた俺は、憎々しげな表情になってしまう。


「お前、こうなる前から用意していたな」

「最悪の可能性を考えるのが商社マンだからね」


 さすがにそこを問い詰める訳にもいかないので、話を変える。


「あの女は、自分たちのことを人間が進化したものだと言っていた。これも知っているのか?」

「そこまで詳しいことはわからない。でも、身体能力とそれ以上に精神力のレベルが人を超えているのは確か。『獣人』のDNAは人間と大きく異なっているのもわかってる。けど、それを進化と呼ぶのかどうかについては僕には判断しかねるけどね」


「で、奴らの狙いは何だ?」

「それもまだ分からない。まさか人類滅亡を狙ってるという訳でもないと思うけど、『宝玉』を探しているというのは分かっている」


「確か、あの子のことだよな。そもそも『宝玉』って一体何なんだ?」

「詳しいことは何も。ただ、目覚めたあの子の力はとんでもないのも事実。翁の魂によって蓋をしているから今は大丈夫だけど」


「ああ、あれはやばかった。じゃあ、俺に詳細を伝えなかったのは、それが理由か」

「うん。先に知っていれば絶対に断ると思うし」


「巻き込まれた今ならもう断らないってか。相変わらず、俺の行動が見透かされているな」


 毒づく俺に対して、斉木は真面目な顔をして頭を下げてくる。


「でも、僕からもお願い。翁を手伝い、そしてあの子を助けてほしい」

「……」


 斉木は頭を下げながらも、必至な表情で俺の顔を覗き込む。


- そんな顔をするな


 俺の答えは最初から決まっている。ただ、罠にはまったように絡め取られていく状況に対して、少しだけ抵抗してみたかったに過ぎない。


「わかった! わかったからそんな顔するな」

「兄さんなら、きっとそう言ってくれると思っていたよ」


「もう、じじいとは契約してしまったからな。今さら仕方がない!」

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