第4話 犬神

 眼前の敵である藤原組が準備した人数は、事前の斉木の予想では15名がせいぜいと聞いていた。屋敷の広さからすれば荒事に対する警備としては少ないとも言えるし、防御を重要視していないとすれば多いとも言える。しかし、武闘派で名を馳せている組織でもあり、普通に考えると気軽に対処できる相手ではないと考えるだろう。


 もちろんこうした人数予測を過信はできないが、行動上の参考にはできる。ここに来て俺は既に二人を攻撃で昏倒させた。俺の技を食らったその二人は通常ならば2,3時間は起き上がれない。藤原組以外の人間がどれほどいるのかはわからないが、聞こえてくる音から判断すると倍はいないと予想。この人数なら、俺は対処可能である。屋敷内を制圧して、ここで何が行われていたか、あるいは何をしようとしているのかを探る。


- さて、行くか


 決心を固め、子供には申し訳ないが埃だらけの天井裏に隠して置いて行こうとした瞬間、俺の腕に何かが触れた。

 これは!? 気のせいではないし、触れたのは俺自身の腕でもない。俺の魂が何かに触れたのだ。そして俺の魂が触れられるものは、同じ魂しかない。小さな明かりの中、手探りで慌てて探がす。目では見えないが位置関係はわかる。そして俺の顔がほころんだ。見つけた!


- じじい!


 喝采を上げそうになったのは、わずか二日ほどの関係でも情が入ったからなのか。凧糸のように細い感触だが、間違いなく少女から魂の糸が延びている。ここに隠れるまでは気付けなかったが、この感触は確かにじじいの魂だという自信がある。剥がされようとしたギリギリのところで、この幼女とのつながりを確保していたもの。俺には、そのことがじじいのこの子を守りたという意地に感じられた。


 すなわち、俺がこれを辿ればそこにはじじいの魂があるということ。本来死んでしまえば、魂は霧のように散ってしまうものだ。散った先のことまで知ったことではないが、少なくとも魂の糸が残っている事実はじじいの魂が健在だという証明として十分。理由はわからないが、そこにはじじいの魂がまだ残っている。なら、取り戻すまで。


 そして、危険性は跳ね上がるがこの子と共に移動しなければならない。じじいの魂をもう一度この子に繋ぎとめる。それが昨日交わしたじじいとの契約なのだから。


 魂はその性質上、壁も床も透過する。だから、俺が触れている糸の先が真っ直ぐじじいの魂の居場所の方向を示す。ピンと張った存在ではなくゆらゆらと漂うようなものであり、さらには手探りのため正確性には欠けるが、それでも今は十分だろう。角度からすれば地階かさらに下。俺は斉木のところで見た別荘平面面を思い出す。建物の地階は1階だけであり、この方向にあるのは確か備品庫と記されていた場所。


 そこには連中が多く待ち構えているだろうが、すぐに辿り着ける。俺は再び子供の体を左腕で抱え直し、廊下を走る足音が遠ざかるのを確認してから、倉庫内に積み上げられた多くの備蓄品を避けつつ、食品庫の扉の前まですばやく移動する。


『お前ら! 隠れられる場所はもう一度全て探せ!』


 耳を当てた扉からは、リーダーらしき奴の焦りから出る声と部屋を荒らしているのであろう物音が騒がしく伝わってきた。侵入者が忽然と消えればそうもなるだろう。だが、俺たちを探し回る者が多いほどに守りは薄くなる。目的の部屋は、廊下に出て左に15mほど進み突き当りを右に曲がった先。距離にして約20m。ただし、廊下途中に1階に上がる階段がある。人がいるとすればその階段からと、目的の部屋の前に限定される。


 念のため右手を扉の方向に振った上で、俺は一気に扉を開けて左に走る。


『音が聞こえた! 地下だ!』


 上の回から声が聞こえる。だが、その前に一気に目的の部屋まで走り切る。廊下の先には誰もいない。子供を左脇に抱えたまま疾走する俺は、先ほどの声を聞いて動き出したであろう足音を聞きながら、突き当たり手前で再び右腕を振るう。


「ぐぇ。」


 汚い声が聞こえて、数名の男が倒れる音がする。そして、後方からは階段を下りてくる複数の足音と声。


- 久しぶりだから、結構きつい


 速度を落とさず一気に廊下の角を曲がると、俺の目に銃を構える二人と、その後ろに控える少し雰囲気の違う一人。


「止まりやがれ!」


 チンピラの声を無視し、足元で唸りながら倒れている派手な服装の二人を飛び越えながら、俺は再び右手を振るう。黙って撃てばまだ何とかなったものを。それにしても、場馴れしていない奴らだな。声が震えていやがった。


 再び、痺れたような変な声を上げて銃を構えた二人は、崩れるように倒れ落ちた。だが、扉の前にいる最後の一人には俺の攻撃が届かなかったのか倒れない。手ごたえはあったように感じたが、さすがに三人一気には無理だったようだ。俺はそいつを見る。


「あんた…」


 まるで幽霊のような様相で立っている男に俺は見覚えがある。そう、一昨日必死に俺に迫っていたじじいの息子。澄田能登という名前だったはず。じじいをさらったのがこいつだったのは間違いないようだ。そして、欲しかったモノは入手できなかったと考えるの妥当だろう。だが、今は時間がない。そう思い、俺は再び右手を振るう。だが、なぜか目の前の男は倒れない。そして俺の手ごたえも攻撃が失敗したことを証明している。


「こいつ…」


 猫背気味の姿勢から、不気味な笑い声が響く。


「…お前のせいだ…。ふふふ…」


 久しぶりに出会ったその存在に驚きを隠せないでいる。だが、後ろ側から聞こえるざわめきはもうすぐここに届く距離。廊下の両側は、地下室と言うこともありコンクリート製で逃げ道はない。せめて部屋に入れれば、対応もできるのだが。


 瞬時の判断で、俺は後方に近づく新たな敵に向かうことを決める。だが、目の前の初老男性はそれを許してくれなかった。服を破りながら膨張するように変化していくその姿。


「お前! やはり『犬神』か!?」

「グルルゥ…」


 もはや人の言葉も発さない。そうだ、俺はその存在を知っている。そしてこの強敵から目を離すような愚は犯せない。その野獣のような姿から目を離すこをは死を意味するのだから。


「いたぞ! 野郎!」


 後方で追いついた奴に、俺はいきなり殴りかかられた。もちろん目から火花が出るほど痛い。だが、俺を殴った奴はそれと同時に激しい叫び声を上げて倒れる。そして、必死に痛みに耐えても目の前の敵から目を離すことはできやしない。さらに、後方から聞こえてくる複数の銃を構える音。


「お前、今何しやがった! いや、確か聞いたことがある。そうか、お前が『闇兎』だな」

「威勢がいいが、お遊びはここまでになりそうだ。お前ら、命が惜しけりゃすぐに逃げた方が良いぞ」


 俺はリーダーだと思しき相手の声に答えることも無く、撤退を促す。気配からすると俺の後方にいるのは4~5人。幾人かは、野次とも罵声とも言えない声を掛けてくるが、俺の目の前にいる異形は天井ギリギリの身長2.5mほどにまで成長して、真っ赤な目で俺を睨みつけてきた。無理してでも先に逃げておいた方が良かったか。


「おい…、あれは、何だ!?」


 ようやく異変に気づいたみたいだが、この化け物相手に銃など大した役に立ちはしない。じじいの魂が俺の右手の部屋にあるのは感触から分かる。近付いたためか、左手で感じている魂の糸はかなり太くなっている。首の後ろがちりちりと痛む。知った敵とは言え恐怖を感じるのはいつものこと。


「ば、化け物だっ!」


 俺の勧告に従い二人ほどは逃げ出したようだが、残りは戦うことを決めたようである。全く、馬鹿な事を。俺に向けられていた銃口は今は3mほど先にいる野獣に変えられた筈である。人は、本能的に異形を畏れる。今ここに残っている奴らはきっと逃げ出した奴らより臆病だったのだろう。刹那、その化け物が俺の方に飛びかかってくる。


「来るな!」


 悲鳴のような叫びが聞こえ、俺は飛びかかろうとする化け物を右手で躱しながら、体を入れ替える。そして、重なる様な三発の銃声。野獣の意識が俺から奴らに向いたようである。悪いが俺の代わりに生贄になってくれ。


 だが、俺のスーツの右脇腹部分にも二本の爪痕が刻み込まれている。ギリギリだっただが、怯んことなく一気に駆けると部屋の鋼鉄製の扉を開いて飛び込む。瞬時に扉の内側についていた頑丈そうなカギを掛けた。更に、扉を抑えるための何かが無いかと探った瞬間、女性の笑い声が聞こえてきた。


「やはり、あなたが釣れたわね。宝玉の件は駄目だったけど、これも成果と考えるべきでしょうね」

「あんたは、確か…」


 緩やかな光を発しながら動いている怪しげな装置の傍らに、その女性はこぼれるような微笑みを浮かべ立っていた。およそ12畳程度の広さだろうか。だが、明らかに倉庫ではなくいくつかの実験設備が並んでいる。


「ええ、私は澄田香住。今その向こうで暴れている亭主の妻だった女」

「だった、だと?」


「そうよ。彼は失敗しちゃったから、もう夫婦ごっこはおしまい。それに、もう澄田グループは私のものだし、パートナーとしても必要ないわ」

「旦那を『犬神』に変えたのはお前か」


「『犬神』? ああ、あなたたちはそう呼ぶのね」

「答えろ!」


 女性は微笑みを妖艶な笑みに変化させ、俺にゆっくりと近づきながら話を続ける。


「そうとも言えるし、そうでないとも言える。それが正解。でも、私が変えたというのも完全な間違いじゃないかしら」


「俺は遠回しな掛け合いは嫌いなんだ。もっと簡単に言ってるれないか」


「そうね。でもあなたもそんな力を持っている普通の人間じゃないでしょ。つまり、新しい種に変わる資格を持つ特別な存在。外にいる彼はその進化のための尊い犠牲」


 壁の向こうから、何度かの銃声と共に男たちの悲鳴が聞こえる。おそらく生きたまま引きちぎられているのだろう。ひょっとすれば、食われているかもしれない。気を失っている奴らが襲われていないことを祈ろう。そして、一人でも逃げ切れてくれればいいんだが。

 外のことに気を散らした俺に気づいたのか、歩みを止めて女は語りを続ける。


「あなたたちも、人としての進化を目指していたんでしょ。厳しい修行らしいわね。まあ方法は間違っていると思うけど。そして私たちは…」

「俺はもうあの組織とは関係ない」

「あら、そうなの? まあいいわ。ところであなたも私と同じように祝福を受けてみない? 上手く行けば、あのお方の下で人の枠から解き放たれるわよ。私のように人の寿命からも」

「興味ない!」


「うふふ、粋がる姿も可愛いわね。でも、最初からあなたの意思など聞くつもりはないのだけど。あなたやっぱり面白いわ。私にここまで抵抗できるなんて。それに加えて本当に奇妙な魂の色。どう変わるか、楽しみ」


「やはり、お前も化け物の仲間か…」


 その時、扉が大きな音を上げる。鋼鉄製の扉が明らかに変形するのは、外から化け物が殴りつけている結果。この扉、そう長くはもたない。


「化け物だと…、人間! 私を化け物呼ばわりだと…。私は人間を超えた新しい種。お前たち人間とは格が違う」


 妖艶だった笑みは、凄惨と言えるほど恐ろしいレベルに変化する。だが、女性からはそれほどの恐怖を受ける感じはしない。女性としては怖いが、敵と考えれば怖くない。そして、じじいの魂は女性の後ろにある装置の中。なら、考えるまでもない。俺は女性に向けて右手を振る。


 バンッと弾かれる衝撃。俺は驚いて目の前の女を見るが、衝撃で腰をかがめた向こうも俺と同じように驚いている。やはりこいつも、化け物の仲間のようだ。だが、今この部屋に入ろうとしている野獣程の迫力や圧力はない。


「お前は!?」


 俺は女が発した言葉を無視する。もちろんこんなチャンスを見逃すはずもなく、俺はほのかな光を放っている装置に向かって一気に突っ込んだ。今なら、じじいの魂をこの子に再び定着できる。

 だが、俺が装置のガラスケースを破ると同時に、部屋の扉が吹き飛んだ。俺は、そこにあっただろうじじいの魂をしっかりとした感触で右手で掴み取り、即座に振り返る。


「殺すんじゃないわよ。痛めつけるだけでいいわ。連れて帰るから」

「グウッ。グルルゥ」


 集中すれば、確かにここでもじじいの魂を子供の体に定着できる。だが、目の前の状況を考えるとその余裕はない。女の横には『犬神』に変化してしまったじじいの息子。女の言うことを聞く雰囲気はあるが、犬のような変化した口から垂れる涎。見る限り、知性のかけらも感じられない。


 左には子供、右手にはじじいの魂。正面わずか3mの距離には鬼のような形相で見る女性と、鬼を超えた異形に変化した男性。俺が畏れるのは、じじいの魂を俺が手放した場合に何が起こるのかが分からないこと。一瞬の睨み合い。そして次の動きまでのインターバル。再び、首筋の後ろがチリチリと痛む。


『なんじゃ、こりゃぁ! おい、大丈夫か!』

『化け物がいないぞ! 奥の部屋だ!』


 外から声が聞こえる。藤原組の残党が来たようだ。神は見捨てていなかった。声と音から機関銃を持ってきたらしい。化け物退治のつもりだろうか、弔い合戦か。いずれにしても俺にとっては巡ってきたチャンス。魂を貼りつけする時間さえ取れれば、ほんの30秒ほどの時間が確保できればいいのだから。もちろん、部屋の中に銃弾を嵐をぶちまけられるのは困るが、とにかく今は時間が欲しい。


 だが、目の前の女は野獣を俺への牽制に残して一人で部屋から出ようとする。仲間を殺されキレたヤクザに通じるかわからないが、雇い主として味方につけるつもりかもしれない。だが、後のことは後で考える。女がいなければ野獣も動くまい。


- じじい、復活しろ!


 右手に持つ魂を子供に貼り付けようと動いた瞬間、野獣が瞬時に俺に迫り跳ね飛ばされた。壁に背中を打ち付けて、口からは血反吐が出る。子供をかばうように抱えたので大丈夫だろうが、じじいの魂の定着は全く不十分なまま俺の手からこぼれ落ちた。そして、反動で抱えていた女児も落としてしまう。


 さらに痛みで目をつぶってしまった俺は、子供と野獣の位置を見失ってしまう。痛恨の判断ミス。


- じじい、悪い!


 再び目を開けると、目の前には俺の顔を覗き込むように見る野獣の顔が目に入る。そして、その後方にはヤクザを連れた女が腕組みをして俺を見ている。そして、野獣が俺の左肩を強烈な力で握りつけてきた。


「ぐぅっ!」

「無駄な事をするわね。目上の存在からの忠告よ。自分の力を過信するとロクなことにはならないのよ」


 薄くにじんで見える視界には、女の後方で生気を失ったように立つ二人。それぞれ機関銃を抱えているので、門のところに陣取っていた連中か。説得されたというよりは、術か何かで操られているようにも見える。どちらにしても、殺されないことを祈るしかない状況に追い込まれたのは間違いない。できれば、女が言っていたように捕まるだけに納めてもらえると良いのだが。


 幼女は俺の足元近くにうつぶせで倒れている。見る限り、怪我をしている様には見えない。そして、じじいの魂はもうどこにあるのか俺には見えない。もう少し簡単な作戦だと思っていたがとんだハードモードだなと、心の中で毒づく。斉木の手配がどの程度進んでいるかはわからないが、この野獣を相手に抵抗できるとは思わない。できれば、逃げてほしいと考える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る