第3話 展開

 繁華街の外れにある、安っぽいラブホテルで泥のように眠っていた俺を叩き起こしたのは、マナーモードにしていたはずのスマホの音だった。しかも、熟睡している俺がすぐに気付くほどにその音は五月蠅く感じられた。


- くそっ。一体何なんだ?


 まだ十分起動していない頭でぼんやりと疑問を感じながらも、ベッド脇に脱ぎ捨てたズボンのポケットから鳴り止まないそれを耳元に持っていく。


「早く起きて!兄さん!」


この声は斉木だ。声が切羽詰まっているのはいくら寝ぼけ眼の俺にもわかる。斉木は理由なくこんな夜中に連絡してくるようなヤツではない。


「すぐに家に戻ってきて。あの子が奪われた!」


 どうして俺が出かけていて、あの幼子がいなくなったことを知っているのかなどと言う野暮な質問はすまい。斉木が奪われたと言うのだから、あの幼子に発信器あたりを取り付けていたに違いない。その発信器の動きを見れば、ひとりで外をうろついている線はないのは既に分かっていつのだろう。その点、あいつに抜かりはないはず。


 そして、俺も不承不承とは言え世話をすることを認めたのだ。人として庇護責任は取らなくてはならないだろう。これは仕事であり、俺が俺であるための儀式でもある。


 小さく「おっ」と応えてすぐに切る。おそらくそれでも十分に伝わったはずだ。隣で俯せに寝ている顔も思い出せない女は、この電話の音ややり取りでも目を醒ます様子もない。確か、唇の厚いやや目の垂れた、そして胸と腰の豊かな女性だった。俺との身体の相性は悪くなかった。タイプで言えば嫌いではない。

 こんな風に俺は、夜の街に出かけて、自分の相性の良い相手を探すまで、多くの人を怖がらせ、怯えさせ、嫌われ、そして繋がる。その貴重な相手がこの女。だが、もう二度と会うことはないだろう。


 そもそも、こんな時間だったら起き上がれないことは、俺と交わればどんな女あろうと変わることはない。俺に深く魂を触れられたのだ。眠っているというよりは、気絶していると表現した方が適切なのだから。

 確かにあれだけ飲み、あれだけ燃え、魂の触れ合いをすれば当然のことである。少なくともこの名も知らぬ女が鈍感であるのではない。


 そこで横たわる女から頭を切り替え、素早く服を着る。


 携帯に示されている時間は午前3時。


- おいおい、まだ2時間ほどしか寝てないぞ。


 舌打ちしたくなる気持ちを抑えつつ、俺は支払いを済ますとホテルから出てタクシーを探した。


                  ◆


「なんだこれは!」


 玄関から入ると、そこには局地的な竜巻が吹き荒れたような家の中。この惨状を見ながら、俺は呆然とした。やられたというレベルではない。少なくとも複数人のプロレスラーが荒らしていった後と言った方が良いのではないか。だが、幼女一人をさらうにしては念の入ったことである。探し物などないだろうに。


 嵐のような部屋の前では、女性たちが熱い吐息を吐きそうなくらい整った高級スーツ姿で立っている斉木がいて、俺に向かってにこやかに頷いている。くそっ、他人事だと思いやがって。復旧するのにどれだけかかるのか。考えただけで誰かに八つ当たりしたくなる。

 もちろん今ここには俺たち二人しかいない。そして俺は斉木には八つ当たりができない。


「心当たりは付いているんだな?」

「う~ん、確かにあるけど。いきなりこんな手段に打って出るとは思わなかったかな」


「で、狙われたのはじじいか、子供か?」

「両方でしょ」


「つーことは、じじいの息子の仕業ってことか」

「当たらずとも遠からずってところかな」


「でもなんで今頃。最初から娘とじじいは向こうにいただろうに」

「話せない老人と、動けない娘には意味がなかったんじゃないかな」


「じゃあ、なぜじじいは青の家から抜け出せた?」

「きっと手引きした人がいるんじゃないかな」


 つまりそういうことだろう。


「くっ。で、この始末も仕事のうちに入るんだろうな」

「うん」


 にっこりと憎らしい笑顔で応えやがる。


「知ってる情報よこせ。全部だぞ」

「心外だなぁ。僕はいつも兄さんの味方だよ」


「じゃあ、とっくに居場所も検討ついているんだな」

「もちろん」


 どうしてこんな屈託無い笑顔を俺に向けることができるのか、付き合いは長いのだがどうしても理解できない。この裏のなさそうな笑顔と実際の行動のギャップがあまりにもかけ離れているのだ。


「まあ、すぐには大丈夫じゃない? おそらく酷いことはしないと思うけど、時間が経つと我慢できなくなるかもね」


「ついでに聞いておくが、昨日じじいを会社に連れてきたのはお前の手下か?」

「前からあの家に何人か息のかかった人材を放り込んでいたから、混乱に乗じてね」

「手回しのいいことだな」


 優しそうな表情とは裏腹に冷徹に状況を分析し、えげつないことも手を汚さず実行する。しかも肝心なことはいつも俺には秘密なのだ。腹立たしいことこの上ない。ただ、俺には状況を把握できる能力はないし、良い戦略を立てる力もない。そして斉木の計画に間違いがあったことも無い。せいぜい俺にできるのは、この忌まわしい力を使ってじじいを助けだす程度だろう。


「救出計画はもう頭の中にあるんだな」

「兄さんの力を借りてだけどね」


「わかってる。これは俺の役割だ。お前は段取りだけしてくれればそれで良い。それで、状況からして朝くらいまでは時間を使っても大丈夫なんだな」

「うん。あると思うよ」


 益々にこやかになった斉木の顔は、この上なく嬉しそうでもある。


「じゃあ寝る。朝になったら起こしてくれ」


 そう言って、滅茶苦茶に荒らされた部屋の中から布団を引きずり出してさっさと眠ることにした。


                 ◆


 誰から起こされる事もなく自然に目が覚める。目覚めは悪くない方だ。特に夜遊びした次の日は自分でも不思議なくらい爽快である。普段からため込んでいるストレスが綺麗さっぱり洗い流されるからであろうが、今日もいつも以上に調子は良い。


 時計の時刻を見ると7時丁度であった。髭を剃って顔を洗いたいところではあるが、昨晩と変わらない惨状ではそれも叶いそうもない。倒れたタンスからタオルのみを引き出して、濡らして顔をさっぱりさせる。いつもの通りならば、そろそろ斉木から電話が入るだろう。


 予想通りではあるが、なぜか昨晩は鳴ったスマホがバイブレータのみ振動する。マナーモードが作動しているではないか。


- 昨日の夜、無意識にセットし直したか?


 会社ではなく家の方に来て欲しいという連絡を聞くと、俺は大きく背伸びをして体の隅々にまで神経を行き届かせた。よし、完璧だ。

 シャツを着替え、靴を履き、そして貧乏人の俺は小さなスクーターに飛び乗った。修理屋からただ同然で手に入れたこいつとは、今や数年のつきあいである。斉木の家までは15分ほどの路程。


 特に付けられたような感じもないし、ラッシュ前という事もあって混雑に巻き込まれることなく順調に到着した。洒落た感じのマンション最上階に斉木の部屋はある。オートロックで部屋番号である1201を押すと、カメラで確認したのか特にやりとりもなく風除室内側の自動扉が開く。

 何度も訪れているが、毎回自分の住み家とのギャップにイラッとくることに変わりない。加えて放置したまま出てきた現在の俺の家は、アナーキーinストリーム状態である。後の処理を考えると胃がキリキリ痛む。これくらいの感情の吐露は許してもらえるのが社会的弱者に対する当然の権利であるはずだ。


 このマンションの12階は全て斉木の持ち家となっている。面と向かって家の広さを聞いた事はないが、俺のボロ家の3倍以上あるのは間違いない。20代半ばにして親の助けも借りずにこんな家を構えるわけだから、斉木がただ者でないのは誰もが認めざるを得ないだろう。それでも、小さな頃から知っている相手だけに今ひとつ納得いかないものを感じている。


 まあ、ここで愚痴を吐き出しても誰もそれを受け止めてくれるはずもなく、今日もいつも通りそれをしっかりと飲み込む。相変わらず愚痴は不味い。


 玄関の鍵は既に開いていた。いつものことでノックもせずにそのまま入り込んだ。


「細かい話は抜きだ。今何がわかっていて、俺は何をすればいいかを簡潔に話せ」


 あたかも会社のミーティングルームに見紛う部屋に立っていた斉木に向かい、俺は第一声を吐いた。


「慌てなくても大丈夫だよ。とりあえず紅茶で良いかな?」


「だいたいの情報は掴んでいるんだろ」

「うん、商社は情報の鮮度とタイミングが命だからね」


 中性的な顔立ちに目立つ大きめの瞳でウインクしながら、扱うティーサーバーから香ってくるのは斉木が最も好む秋摘みのイラムティーである。ダージリンの西側にあるそこは、有名ではないが高品質な紅茶の産地。複数の茶葉がブレンドされており、いずれも産地から直送されてくるモノしかないのは知っていた。


 家の中とは言え、まるで企業の戦略室のごとき仕様はここが仕事でも使われていることを意味している。


「子供を拉致したのは藤原会の連中で、今いる場所は澄田家の別荘」

「やっかいだな」


 澄田は確かじじいの名字、で別荘が使われているということは息子が首謀者と言うことだろう。藤原会が昔ながらの武闘派ヤクザであるのは芦田もよく知っている。直接事を構えたことはないが、こういう仕事をしている関係上、何度も名前は聞いてきた。そして、今回は息子がその筋の手助けを借りたわけだろう。


「翁自身は一昨日に兄さんが引導を渡したけど、今度はひ孫の財産狙っているって感じかな」

「よくわからんのだが、遺言をうやむやにされたからひ孫に価値はないんじゃないのか。それとも死んだはずのじじい自身にまだ何かあるということか」


「う~ん、あくまで想像だけど」

「想像だけど? よくわからんな?」


「遺産があるんだろうと思う。でも、お金とはまた別の何かかな」

「そういや、幾ばくかのお金はお前も預かっているんだよな」

「うん、こっちはあの子の生活・教育費って感じだけどね」


「金とは別ということか。それを手に入れるために仕掛けたってことか。で、他には?」

「そこまではわからないよ。でも、子供を掠う理由は澄田翁から何かの情報を聞き出すためか、それ以外には澄田翁の魂が消えるまでの時間稼ぎでしょ」


「つまり、じじいを脅すか、あるいはじじいの消えた子供の後見人になって財産を奪おうってことか」


 そう言って、俺は少し考え続ける。


「で、そこまでして欲しがるものって何なんだ?」

「さあ、そこまではまだわからないよ。情報を集めるにも、もう少し時間がかかるかな?」


 なぜか相変わらず笑顔で対応する。この事態が愉しくて仕方がないというか、間違いなく楽しんでいる。確かに斉木は子供の頃から難しい問題を解決することに愉悦を感じるというひねくれた性格であった。俺と違い学校の成績が飛び抜けていたという面だけでも、その片鱗は窺い知れる。


「でだ。じじい取り戻した後はどうするんだ。暴力団が絡んでいるのだとすれば、仮に取り戻せても揉め事が大きくなるだけだと思うんだが」

「大丈夫。ここまで来たから切れるカードがあるよ。取り戻したらそれを使うことにする。戻ってこなければさすがに使えないけどね」


 そのカードが何であるかを斉木は決して語らないのも昔からよく知っているが、おそらくは斉木の幅広い交友範囲を用いた圧力でもあるのだろう。


「兄さんが取り戻せば万事OK!そう言うことだよ」


 気楽に言ってくれやがる。


 ちなみに俺がこうした場所に乗り込むのは、もちろん荒事に慣れているから。そして、一方の斉木は暴力を使わないことを信条としている。情報収集もするし多少のあくどいことや無言の圧力をかけることはあるが、荒事だけは決して手にかけない。これも子供の頃から変わらない俺たちの間の約束でもある。


「じゃあ、別荘の場所と、進入路や相手の状況などを教えるね」


 そう言うと、大きめのスクリーンに別荘の図面が現れた。


                 ◆


『一体どこに逃げやがった!』


 追手たちの声が壁や天井越しに遠くから響く。若さと乱暴さ、上品さのかけらも感じられない声。焦っている様ではあるが、同時に決して逃がさないという決意と、獲物を追い詰める楽しみに満ちた息遣い。現在俺がいるのは澄田家の別荘の1階床下、というか地階の食品庫から潜り込んだ天井裏のスペース。暗闇ではあるが、最低限の視界は持ってきたペンライトにより確保している。この部屋も奴らは一度確認には来たものの、天井裏までは調べなかった。おかげで少しは時間を稼げている。


 まったく、予想外のことはいついかなる時、あるいは何処であっても俺の身近にまとわりつくものらしい。これは、カルマと言うべきなのか性分なのか。別荘に忍び込み、二人を昏倒させてじじいを手に入れるまでは非常にスムーズだった。完璧と言って良い。ただ、それにもかかわらずに逃げ出すことはできずにいた。理由は三つ。一つは昏倒させた時に大きな音が出てしまい、他のヤクザ達に警戒されたしまったこと。もう一つは、脱出路として想定していた門の前に軽機関銃を抱えたヤクザが二人いたこと。一体どんな警戒レベルなんだか。そして三つ目は、パジャマ姿の子供の身体にじじいの魂か感じ取れないこと。特に最後が重要だ。


 俺には三つ目の原因を断定することはできないが、じじいの魂ははぎ取られてしまったようだ。俺の様な術師がここにいるのか、あるいは別の方法があるのか。いずれにしろ眠っている子供にじじいの魂を感じ取ることができないでいる。もっとも、俺には魂を目で見ることができないため、断定するには至らないが概ね間違いはないだろう。触れた感じが二日前の子供の状況にそっくりで、魂の存在感の希薄さは放っておくとそのまま衰弱してしまいそうなほど。この状態は普通ではない。あの荒々しいじじいの魂の弾力感は全く感じられないでいる。聞こえてくるのは生きているかと疑問を抱くほどの細い息だけ。


 俺と子供はまだ敵に見つかっていない。だがこうした場合、時間が経過するほどに追い詰められていくのは事実。今も屋敷の中は多くのヤクザが走り回る足音が響いており、虱潰しに探せばいつかはこのスペースにも気付くはず。一方で、ここに逃げ込めたのは運ではなく、斉木の情報から屋敷の見取り図を頭に叩き込んでいたため。いくつかの可能性を考えセーフスペースを想定していたが、逆に言えばそれは想定外の事情がなければ使わないに越したことはなかった。門の厳重すぎる警備を見て、咄嗟に屋敷の奥に逃げ込んだ状態なのだ。要するに芳しい状況ではなく、一旦戦略の組み立て直しが必要なのは間違いない。


- やむを得ない


 出来る限り荒事は避けたいと考えてきたが、ここに至れば屋敷内の相手を殲滅してからの脱出を考えるのが適当だろう。子どもの安全が第一ではあるが、多少のリスクを負わなければならない状況と認識した。最初のヤクザ達が持っていたのは銃とナイフ。普通は十分な装備だが、それ故にそれ以上を警戒しなくても良い。


 俺は左腕で子供の体を抱きかかえながら、右手を持ち上げて構える。潜入のために斉木が準備した全身を覆うスーツは特別性。防弾性能と防刃性能を備えた動きやすさ万全の俺専用。もちろん顔面や頭に銃弾を食らえばさすがにただでは済まないが、それ以外は痛さを我慢すれば行動可能なレベル。子供をここに隠し、俺だけなら敵の殲滅も不可能ではない。


 だが、一方で俺は銃もナイフも持っていない。これまた俺のスタイルである。そう、この場合の俺の武器は『魂』そのものである。俺自身のリスクもあるのは事実だが、それよりも銃やナイフとは異なる恐怖を奴らに味あわせてやろう。

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