第2話 契約

 主要国道に面する斉木物産ビルから少し歩いたところに、俺が良く使う洒落た喫茶店『Waldbaden:森林浴』がある。事務所ビルの1階にある店は、木材をふんだんに使った古いドイツ風の内装。クラシックだがお洒落な北欧家具と、数多くの観葉植物が特徴のシックな店である。そして、入り組んだ壁と天井から吊り下げられたポトスのカーテンのおかげで、今座るボックス席は他の客から気づかれにくい密室に近い状況になっている。所謂お気に入りの席だ。


 店内にはいつものように曲名は知らないものの聞き覚えのある優しいメロディが流れていた。都会に建てたビルならではの間取りから生まれてしまった微妙な空間。常連でなければ容易に席の存在に気づくことも無い。要するにここは密談には最適な場所なのだ。


 壁を背にしてエスプレッソを飲みつつ4人掛けのボックス席に座る俺と、目の前で椅子に立ち、テーブルに左手をつきながら右手にパフェスプーンを持ち俺を見る幼児。もちろん、こいつに関しては外見など何の意味も持たない。少なくとも今は中身が全く異なることを俺は知っているし、そもそもこの状況を生み出した張本人は俺である。

 本来主体たる子供の意識がかけらも見て取れないのは不思議だが、今さら気にしても仕方がないだろう。ひとまず現実を受け入れよう。


「まずは、わしを留めてくれて助かった。感謝する」


 可愛らしい幼子の姿からは想像もつかない口調で話すには、今回の騒動は斉木とじじいの計画だという。死んだはずの爺さんは澄田幽斎と言うらしい。

 事前の説明なしに騒動に巻き込まれた俺からすれば、二人の計画など知ったことではなくただ迷惑している。正直、文句の一つも言ってやりたいがこのじじい、少なくとも見た目は小さな女児。いくら人から見え難い席だからと言って、声を荒立てるのは目立つ。モヤモヤした気持ちを押さえ込みつつ、返答をすることにした。苦情を言うにしても状況を確認してからでも遅くない。


「別に感謝が目的じゃないだろう。仕事は終わったはずだ。今さら俺に何の用だ」

「それでもな、この子の命を繋ぐことになったことには深く感謝しておる」


「ほぉ、爺さんの命ではなく?」


 じじいと斉木の目的は、この幼子を保護することだったらしい。身動き取れない老体では、子供の面倒を見るのは容易ではないのは事実だろうが、知り合いなら斉木に保護させるなど方法はあっただろうに。そう問うと、爺さんは真面目な表情で答えた。


「もう少し息子夫婦が信用できればよかったのじゃが」


 ただ、幼子の顔を見つめる状況は予想以上にシュールで滑稽だ。想像してほしい。わずか3,4歳の女児が真顔で大人に感謝する状況を。俺は苦笑を浮かべながらも、自分が元凶だと思い返して真面目な顔を向ける。


「確かに、遺言に何か細工してそうな感じだったな。金持ちの考えることは俺には分からんが、あんた息子と仲が悪いのか?」


 死期が近づき身動き取れなくなったじじいの心残りは、この子供のことだったのだそうだ。遺言には手厚く保護するように書いていたらしいが、自分の息子夫婦を信用できなかったこのじじいは、斉木に頼み自らが一時的に子供に転生する保険をかけたらしい。保険にしては大胆すぎるが。


 確かに子供に向かって鬼のような形相で掴みかかっていた昨日の様子を見れば、この子の幸せな未来は予想しづらい。爺さんと息子の関係だけでなく、相続問題を考えればその懸念は小さくなることもあるまい。


「ワシも、今更会社や事業に未練がある訳じゃない。気にしているのはこの子がきちんと育って欲しいと言うことだけじゃ」


「そのガキはあんたの血縁か?」

「まあ、細かい説明は省くがそうじゃと考えてもらって良い」


 じじいはその小さな体で椅子の上に立ち、テーブルに手を置きながら全身で表現してくる。


「他に頼れる人はいないのか。普通は一人や二人はいるだろう」

「それがな。。。先のことまで託せる奴は全くおらん」


「まったく、人望の無いじじいだな」


 照れるように頭をかく仕草は、知らぬものが見れば天使のように可愛いのかもしれないが、死ぬ間際のじじいの姿を知る俺からすればやるせない。口から出る言葉とのギャップがかえってこの会話を非現実的なものと変えていく。

 もちろん何度も死にゆく人の魂を移し替えてきた俺である。今さら顔と言葉のギャップ程度では驚くものではないが、それにしても俺が和やかに子どもと会話する時が来るとは。大人以上に子供には生理的に怖がられる俺である。俺が子供に接するのは昨日のように寝かされた存在だけ。そんな相手とこんな会話をするとは、さすがにこれまで想像が出来なかった。


「細かいことはいい。斉木とじいさんが企てたことなんだな。それなら、俺じゃなく斉木の所に行けよ」

「こらこら、いたいけな子供を前にがなり立てるもんじゃない」


 俺の技は、移し替えるとは言え無理矢理憑依させるだけであり、子供の口を借りさせるのがせいぜいである。口寄せ、要するに恐山の「イタコ」と大きな差はない。俺自身の口を使わない分信憑性は高いが、どちらにしても胡散臭く見えて当然の代物である。


 そして、貼りつけた魂が本人以上に主体的な行動ができたことなど、これまで一度もなかった。しかし、現に俺の目の前でパフェスプーンからクリームを舐め取っている。夢を見ている訳ではないのだから、現実は認めるべきだろう。

 ただ、昨日はも口汚く喋りはしたが身体までは動かせてなかったのだが。


「そもそも、あんた。息子の依頼がなくとも、俺に魂を移させるつもりだったんだろ」

「そこはノーコメントとさせてもらおうか」


 口元に笑みを浮かべながら、目を伏せ気味に如何にも意味ありげに幼女が俺に語りかける。


「息子は金ではなくわしの研究成果を探しておる。多少の手は打っているが、息子もあれはあれで経営者としては一流でな。わしのやっていることにもすぐ気付くじゃろう。あと、わしを長い間この子につなぎ止めるにはお主が絶対に必要じゃ」


「一体どんな研究をしているのやら。聞きたくもないな。だが、依頼は俺を使ってその娘にあんたの魂を繰り返し貼りつけさせようということだな。そんなこと、これまで一度も試したことはないぞ」

「なに、失敗しても責任は問わん。なら、お主に損はないじゃろう。ん?」


「まあいい。じゃあ俺からの質問だ。そのガキの意識は何処に行った? あんたがこれほどでしゃばれば、普通はパニックになるはずだが」


「うむ。この子はちょっと不幸な子でな。自我というものを抑圧して生きてきた。いや、そうせんと生きて来られなかったと言うべきかな。もっとも、ワシがそんな状況にあるこの子を知ったのも最近でな」


「それで昨日の術の際も反応が弱かったのか。確かにこれでの子供とは違う、ちょっと妙な感じはしてたんが」

「お主は、そのこの子の状態がわかるのか。どんな具合なんじゃ?」


「じいさんこそ同じ体に同居してるんだからわかるだろう。俺に魂は見えない。ただその感触があるだけだ」


「ふむ、そうか。実を言うとな、この子の意識があることは感じられるんじゃが、昨日以降も全く出くるそぶりがない。なんというか、意識の上に浮かび上がろうとせん。反応すら希薄な状態じゃ。まあ、おかげでワシが自由にこの身体を使わせてもらっておるがな」


「ふ~ん。こんな事があるもんなんだな。だが、俺は別に専門の術者、、医者でも学者でもないし、理由もわからん。ところで、さっき言ってたよな。あんたのというかその子の面倒を俺が見ろと。もちろん、その分の金はあるんだろうな?」


「本当に身も蓋もない言い方をするヤツじゃな。少しはこの幼子が可哀想だとか思わんのか。心配せんでも、ちゃんと準備しておるわ。一応、この子が一人前に育つまでの分くらいは息子に隠し残しておる」

「ほ~。じゃあ、俺はこの子専用のメンテナンス係というわけだな。で、契約はどうする?」


「心配せんでも、既に斉木君がきちんと管理してくれておる。必要な金額はそのたびに渡されるようになっとはずじゃ。汚らしい獣のような表情じゃな。がっつくな!」


 わずか3~4歳の幼子に一喝される大人というシュールを超えてコミカルな構図ではあるが、斉木の名前が出て一気にそんな状況を楽しむ気力も失せる。


「斉木の野郎!!!おい、じじい。俺と直接契約だ。それでないとこの仕事受けないぞ!」


 喫茶店にいる他の客が明らかにざわめくほどの声を出した直後に、懐のスマホがブルブルと震える。嫌な予感を持ちつつ開いた画面には予想通りの文字が並んでいた。


<引き受けないなら、今まで貸している分全部返していただけますか(^_~)v>


- また、あいつか!!!


 まるで全て見た上でタイミングを図っていたような斉木からのメールである。思わず監視カメラを探すが、もちろんそんなものは店内にない。声を聞いた客が少しざわついているのを感じ、自分の置かれている状況を思い出す。

 いたいけな子供に向かって吠えている場違いな大人。俺は別に目立ちたい訳ではない。むしろ、人と距離を置きたいのである。


 怒りはそのまま急速に恥ずかしさに転化され、上げた腰を風船が萎むような力のなさで木製の凝った作りの椅子に再び下ろす。


「おいおい、子守かよ。自慢じゃないが、俺の生活力は皆無だぞ。それに子供の介助は俺にはできないぞ。俺を嵌めるくらいなのだから、斉木から聞いているだろう」


 気弱に吐き出したのは、紛れもない降参の言葉。そして、じじいはと言えばニヤニヤとそんな草臥れた俺を眺めている。


「無論じゃ。それによいではないか。定期的な収入が入るのじゃ。真っ当な仕事に就いたと思えば悪くもあるまい」


 いや、それができないからこそ俺はフリーターと言えば言葉は良いが、こんな仕事をしているのだ。


「くそ斉木のヤツ!絶対最初から絵を描いてやがったな」


 舌打ちをしつつも、終わったことをいつまでも引きずるほどに粘着質の性格でもない。


「で、俺は具体的に何をすれば良いんだ」

「うむ。ワシをこの子が自我を取り戻せるまできちんとこの子に居着かせること。もちろんこの子の生活の面倒を見ることも含めてじゃ」


「保証はできないぞ」


「そして、もう一つある」

「もう一つ?」

「そうじゃ、この子の生い立ちをワシと共に調べて欲しい」

「えっ?この子、あんたの孫かひ孫かなんかだろ。そんなものすぐに調べられるんじゃないのか?」


「だからさっきも言ったが複雑なんじゃ。この子の存在を知ってからワシも少しは調べさせたんじゃがな、どうも今ひとつ霞がかかったようで事実にたどり着けん。まあ、この子の祖父はワシが若気の至りで拵えてしまったものでな、今ではこんな状況に追い込んでしまっていたことを後悔しておる。この子は今や親兄弟も一切いない天涯孤独の身じゃ。ワシだけがこの子の肉親と言っても良い」


「それで、それはどうやって調べるんだ?」

「なあに、行く場所はある程度決まっている」


「それに、だからこそお前に頼んでおるのじゃ、小僧」


「じゃあ、俺からも一つだけ条件を出しておく。その分の金ももらえるなら、じじい含めてその子の生い立ちも一緒に調べてやるし、普段は俺の所に住んでも良い。ただ、これだけは守れ。俺の私生活には絶対文句は付けるなよ」



                   ◆



「馬鹿もん!!、それが幼い子供と暮らそうというものの態度か!!」

「いや、だから早く服着てくれ。。。」


 タオルを羽織りながらも、べたべたの身体から落ちたお湯が廊下を激しく濡らしている。


「こんな小さな子供が一人であんな熱いお風呂に入れると思っているのか!焼け死ぬかと思ったぞ」


「風呂では焼け死なないから。そんでもって、文句言う前に早く服を着てくれよ。一人で寝間着くらいは着れるんだろ」


 諭しているのか諭されているのか、まるっきりわからない状態で、今日買ってきたばかりの子供用のパジャマを前にして睨み合いである。


「それに外見は子供でも中身はじじいだろ。じじいは熱い風呂の方が好きなんじゃないのか。そもそも熱けりゃ水を足すなりなんなりすればいいじゃないか。そんなこともわからなくなるくらい惚けているのか?」

「だからこの馬鹿もんが!子供の身体には熱すぎるし、子供の力では蛇口を捻るのも大変なんじゃ。そもそもこの古い風呂は一体何じゃ!」


「はいはい、文句は良いから早く服を着る」

「本当に出来の悪いやつじゃ。斉木君に言ってきちんとしてもらわねば困る」


 ぶつぶつと文句は言いながらも、機用に服を着始めた。体の動かし方はじじいの経験でカバーされているようだ。もっとも幼児趣味のない俺は、ぼーっと虚空を見つめながら隣の部屋から聞こえてくるTVの音声に耳を傾けている。パジャマを着終わるのを確かめると玄関に向かって歩き出しながら幼子に声をかけた。


「布団は居間に敷いておいたからそこで寝ておいてくれな、じいさん。俺はちょっと外に出てくるから。あ、電気は届かないだろうから付けっぱなしで良いぞ。腹が減ったら冷蔵庫から適当な物出して食ってくれ。冷蔵庫の場所はわかるよな」


 じじいの幼い金切り声が背後から聞こえてきたが、あまり気にしないのが俺の信条である。


「はいはい、俺のプライベートには口出ししない」


 そう言って、いつものように夜の街に向かう。


 夜の闇に入る時の俺の服装は一般人と変わらない。正直、肌を隠したからと言って魂の接触を防げるわけでは無いのだが、昼間は視覚的な効果で人があまり近づいてこない。要するに近づきたくない風体なのだ。しかし、夜の暗闇の前ではそのバリアは著しき効果を低下させてしまう。

 だとすれば、気にしても始まらないではないか。大学時代から、俺は昼と夜の服装を自然と変えるようになっていた。



 俺がいつからこんな体質になったのかはよくわからない。生まれた時から既にそうだったのかもしれないし、知らぬ間に突然に手に入れていたのかもしれないが、今となっては些細なことだ。ただ、ある事件を境に俺は友人とは縁のない人生を送ることになった。

 それ以降、拒絶され、利用され、依存され、人間不信になるには十分なダメージを幼い心にたっぷりと社会は与えてくれた。だから俺は人を基本的に信じないし、人に容易に近寄ってはならない。それでも社会から疎外されるべき俺を唯一繋ぎとめている理由がある。忘れられないある人との約束。それは誓いであり、俺が今も生き続ける理由。たとえ、世界から嫌悪されたとしても。


 魂の扱いは俺を引き取った施設で多少学んだが、技量の劣る俺に出来ることは限られている。せいぜいが今のアルバイト程度。死にかけの魂を引きはがし、不安定な幼児に一時的に貼り付けるのが関の山。普通に元気に生きている人にはできないし、そもそも触れるだけで巨大な感情の嵐を引き起こしてしまう。結局、施設からも飛び出した俺に後ろ盾はない。斉木の人脈づくりの手先として、自堕落な生活を続けるのが精一杯なのだ。


 それでも人に触れられない時間が続けば、無性に人恋しくさせるものである。後腐れのない関係を求めて、俺は今日も繁華街に顔を出すというわけだ。当たりが悪ければ本気でぶっ飛ばされるし、運が良ければ一夜限りの濃密な触れ合いを得られるだろう。だが同じ相手と二度と会うことはない。その先は人を狂わせてしまうことになるのだから。

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