第1話 出会

 都心とは思えぬほど閑静かつ立派な住宅の奥の間には、今にも安らかな寝顔のまま天寿を全うしつつある老人が伏せている。その傍らでは会社の上司とベテラン秘書といった感じの二人、熟年男性と化粧は濃いものの物腰の若い女性がいかにも怪しい格好と態度の俺に向かって熱弁をふるう。


 いや、必死に話しているのは50を超えた男の方がもっぱら。女性の方は、その男性をフォローしている風に見える。依頼者は夫妻と聞いていたのたが、俺の目にはそうは映らない。とは言え後妻かもしれないし、プライベートな事情など仕事に全く関係ない。


「芦田先生、、お金は十分用意しています。ですから父をあの子に。。。お願いします!」


 これまで特に宣伝をしてきた訳ではないが、最近はどこから聞きつけるのかこうした依頼が結構な頻度で舞い込むようになってきた。かつての体たらくを思い出すのも苦々しいが、俺の人嫌いも多少は解消されてきたのかもしれない。少なくともこうして仕事に来ているのだ。

 引き籠っていた数年前からすれば、大きな進歩であると秘かに自認してもいいだろう。どんな事情があろうと弟分に養われているというのはさすがに耐え難い。そうした最低限のプライドは斜に構えている俺にもあるのだった。


 だが、普通の仕事に就けない俺に選択肢は多くない。ろくなITスキルもなく、職人として独り立ちできる何らかの技量も持たない。コンビニバイトすら難しい俺なのだから、短期で大きな収入が得られる仕事なら、それが多少の後ろめたかったとしても拒否することはできるはずもない。これは生きていく上で必要な行為なのである。


「いつも成功するとは、考えないでくれ」


 小さな声で逃げを打つ俺の言葉を無視するように、夫婦は俺ににじり寄る。その表情には切迫感が漂っている。


 外に目を向ければ立派な日本庭園。質素に見えるが一つ一つの素材の高級さが分かる和室。床の間には誰のものとも分からない書が描かれた掛け軸。この家の財力は十分に見て取れる。そんな場所に決して相容れないような様相を俺は変えない。黒いつば付きニット帽を深くかぶり、全身の肌をなるべく露出しないように長袖の真っ赤なシャツを着こみ、その上には季節外れの黒いコートを羽織る。両手には白い手袋。襟を立て、サングラスも外さない。さすがにマスクまではしていないが、こわばった顔を見せながら俺と夫妻を遠巻きに取り囲む数多くの黒服どもにも、俺の表情は見て取ることはできないだろう。このスタイルも、人を近付かせないために考えた格好である。


「斉木様からお話は聞いています。ただ、それでも幾度も手がけられて、数多くの実績を残していらっしゃることも」


 中年というよりは初老に近い身なりの良い男は、物凄い迫力で近付いてきた。考えるまでもなく相当の金持ちだが、男の必死さが度を越えている。この件で得られる利益が多いのか、あるいは逆に何か追い詰められているのかもしれない。そうでもなければ、こんな俺のような胡散臭い人間に遜ることも無いのだから。もっとも、俺も相手の態度をいちいち気にするつもりもない。

 だが、これは少し近づきすぎだ。


「それ以上近付くな!」


 強い声を聞き、初老の男は俺から1mほどの場所でびくっと固まった。その両眼には恐れの表情がまじまじと浮かび上がる。斉木ならばきちんと伝えていると思っていたが、この調子なら少々怪しいかもしれない。今回の件に関わらず、俺に触れようとしないことは仕事での絶対事項である。


 いや普通であれば、大部分の人間は今周囲で取り囲んでいる奴らのように怯えて近寄ろうともしないのだ。あるいは、嫌悪感をむき出しにしてくる奴すらる。確かに極僅かだが、好んで近付いてくる馬鹿いるのも知っている。でしhらにしても、こうしたセンシティブな情報が常に正しい意味で相手に届いているとは限らない。伝えることと相手がその重要性を認識することは等価ではないのだから。


- 適当なやり取りしやがって。きちんと説明しておけよ!


 一瞬遠い目をして、心の中で睨みをきかせた後、最低限ではあるがセールスに必要なパフォーマンスとして神妙な心持ちで熟年夫婦に告げる。少なくとも俺は金払いの良い仕事には誠実でありたいと思っている。


「移せても、どれだけ維持できるかはわからない。普通は数日だが、本当にケースバイケースだからな。あと、仮に多少の時間が稼げたとしても、結果があんたらの望むものになるとは限らない。そのことは承知しているだろうな」


「はい、そのあたりの事情は私達で解決しなければならないと斉木様からは伺っています。それでも、今は私達、先生におすがりするしかないのです」


- 本当に理解しているかは疑わしい感じだが、金は既に俺の口座に振り込まれている筈。貰えるものが貰えさえすればそれで充分。


 そう思いながらも、一言付け足さずにはいられないのも俺の性格。


「今さら言っても仕方ないことだが、俺の術は生まれ変わらせるものではない。一時的な魂の切り貼りだ。だから、そこの爺さんの生きたいという強い意志がなければ、直ぐに駄目になる」


 しかも、貼り付け先の子供の自我が強ければ精神的な混乱を招くのだが。そのことには触れずに男性の目をじっと見ながら念を押す。


「そこの爺さんのことは知らないが、本当に生きたいと願っているんだろうな」


 男性は、もう冷静に考えることができないのか反射的に返した。


「はい、間違いありません。ここに、、遺書も託されています」


- まったく。死ぬ前に遺書が開封されてる理由は聞きたくもない話だが、一方で遺書に生き続けたいと書いているというのもまた聞きたくない。そもそも生きたいという気持ちを伝える手紙は遺書なのか。どちらにしても、俺にとってはどうでも良いことだが。


 この奇妙な家族関係に興味が湧かないと言えば嘘になるが、関心はおくびも出さず仕事と割り切って進める。


「わかった。じゃあ、子供を横に」


「ご指示の通り既に眠らせてあります」


 立派な龍の絵が描かれた襖が開け放たれた二間続きの隣の部屋から、数人が布団ごと寝ている子供を運び込み、男性の斜め後ろに控えていた妻だろう女性が俺に向かってその旨を伝えた。男よりは冷静に見えるが、俺への抵抗力は一般に女性の方が強い。


 まだあどけない子供は、年齢が大凡3~4歳であろうか。年端もいかない少女のようだ。もちろんその年代を指定したのは俺である。こんな事に巻き込まれる子供の境遇には同情するが、それに囚われてはビジネスが成り立たない。何事にも割り切りが大切である。


 一方の老人の方も、いつ命が途切れてもおかしくなさそうだ。体が元気で生命力が残りすぎていると、この仕事は上手く行かない事も多い。その点で行けば、今回はちょうどタイミングも良さそうだ。


「じゃあ、集中するので全員部屋から出てくれ」


 俺はそう告げると、障子を閉め右手の手袋を外す。これから行う行為に手袋を外す必要はないが、これも俺なりの儀式のやり方である。障子の外では多くの人間が固唾をのみ込む音が聞こえてきた。もちろん、どこかに監視カメラでもあるのだろう。だが、それに何かが映ることはない。誰にも俺が何をしているかはわからないのだ。


- だが、何か嫌な予感がする。明確な根拠がある訳ではないが、後を引きそうな感じが漂う。こういう勘は往々にして当たるんだが、今はすべきことをしよう。


 頭の奥の方で第六感が囁くが、それを無視して俺は術を始めた。



                  ◆



「おい、斉木! 昨日の件は一体何だ!」


 制止する秘書の声も聞かず喧嘩腰で部屋に乗り込んだ俺は、深々と椅子に腰掛けている実業家風の青年に向かって言った。手袋をはめた手で机をバンと叩くと、きちんと整理されていた書類の一部が風の勢いで浮き上がる。誰が見ても安くない調度品が、この部屋の主の地位を無言で伝えている。


 俺を追いかけて入ってきた二人の美しい秘書を、斉木と呼ばれる青年は手で制して追い返す。俺に向かってにやにやと笑いながら、着ている高級そうな服装とは似合わない人懐っこい態度で、しかし自信ありげに振る舞った。


「丁度良いアルバイトになったでしょ。結構いい話だと思ってさ。あれ、違った?」

「いい話なもんか!!冗談抜きで大変だった!! てっきり会社の引継ぎか何かをさせるのかと思っていたら、情報をよこせとか、お前が認められないとか、殺し合いでも始めるのかと思ったぞ。仕舞いには部下連中も争い初めて、何人か眠らせて逃げてきたが、あれは一体何なんだ!?」


「ええ!? そんなことになったの? おかしいなぁ」


 斉木はおどけたように、その場でくるりとまわりながら言う。ただでさえ、多くの部下らしき連中引き止められそうになり、罵声を浴びせられ、混乱極まりない状況から逃げるように戻ってきたというのにこの対応。毎度のことだが俺をイラつかせてくれる。


「あの家は大混乱になるわ、興奮した子供は気を失うわで、とんだとばっちりだ。」


 斉木はにこやかな表情を少しも変えず、先ほどばらけた書類を神経質そうに整理している。俺の怒りの声は届いていないのは明らかだ。


「って、ひょっとしてこうなることは知っていたな?」

「いや、そんなことはないって。兄さん。」


 部屋の格式や威厳とは相そぐわない柔和な表情を変えず、斉木は微笑んだままである。繰り返すが、斉木は俺のことを『兄』と呼ぶが付き合いは古いものの俺たちは本当の兄弟ではない。


「ちっ!、どうだか」


 いつものやり取りではあるが、どうにもこのあしらわれている感が俺には気に入らない。


「でも、お金は振り込まれていたんでしょ」

「当たり前だ。だが、あのじじい生きたいという意志は化け物みたいに強かったな。引きはがすのも定着させるのも大変よ。これで金もらえなけりゃ話にもならん。振り込まれてなかったなら、お前に払わせてた」

「じゃあ、よかったじゃない。これで当分の間はやっていけるんだし」


 斉木の言葉は状況を的確に説明している。今回の金がなければ来月暮らしていけるかどうか危険なラインだった。そして手持ち以外でも、俺は斉木にいくつもの大きな負債を抱えている。


 返済はいつでもいいと言われているが、斉木が裏で大きな仲介料をせしめていることは知っている。それで俺の借金がいくらか充填されていると思うが、総額の精算について斉木ときちんと話しができたことがない。話し合おうとしてもいつもはぐらかされる。数年続くこのぬるま湯のような関係が、俺の感覚を麻痺させている自覚はある。だが、悩むだけ馬鹿らしい。今さら金では弁済しきれない借りがあるのだから。


 そして、斉木からすれば俺に貸している程度の金は気にするほどのものでもないのも客観的な事実。弟分からの借金に後ろめたい感情があるのは事実だが、まともな仕事のできない俺に他の手段は思いつかない。


「それに、多少揉めたとしても人様の役に立っているんだし、悪い話じゃないでしょ。前と比べて、感情表現も少しは出来るようになったことも含めて、僕は嬉しいよ」


 確かに俺の生活が少しは人間らしくなった自覚はある。また、斉木に対する感謝の気持ちも心の底では持っている。だが、それとこれとは別だ。

 このように身なりや威厳とはそぐわない言葉遣いは、斉木が幼い頃からの知り合いである俺の前だけで見せる姿である。おそらくビジネスでは絶対に出てこない中性的な言葉使いは昔からのものだった。


「実際、役だってんだかどうだか。あの子供、下手すりゃ意識完全に乗っ取られるぞ。あんな精神力が強いじじじは初めて見たぞ」

「本当にそう思うのなら、もう一度何とかしてあげれば? あとで剥がせなくはないんでしょ」

「ガキに後遺症が出なけりゃいいがな。まあ、金さえもらえりゃ剥がしてやる」


 そっぽを向いたものの、時期を見てそうするつもりでいた。いくらじじいの意識が強いとは言え、体に2つの意識が同居するのは望ましいことではない。


「でも、用意された子供はあそこの一族にとっては使い捨てらしいからね。その分のお金は出ないだろうな。。。」

「ふん! だが、金がもらえないのなら俺はしらん」


 そう言う俺の顔を今度はのぞき込むようにしながら斉木はにやりと笑った。如何にも俺がその子供を助けるのを確信しているようで気持ち悪い。


「とりあえずおいしい仕事は嬉しいが、あんまり揉めるヤツは止めてくれ!面倒事が増えると、気が滅入る」

「はいはい、今度から気をつけるようにするよ」


 にこやかに笑いながらも今ひとつ本心を見せないこいつは、いつ頃からこんな風になったのか。もちろん知ってはいるが、今さらあまり思い出したくもない。


「でも、兄さんも気をつけてね。前みたいな事にならないように。それだけが気がかりなんだから」

「わかっている!」


 結局、最終的には斉木のペースに巻き込まれてしまい、俺の言いたかったことをいくらも言えずに終わる。その後、かかってきた電話で仕事モードに戻る斉木を見て、苛立っていた俺の興奮も急速に冷め、目配せで合図を送ると部屋を出ることにする。


 斉木物産、中堅だが急成長を遂げている商社のCEOが斉木一也、26歳。そして、ヤツから兄さんと呼ばれてはいるが実の兄弟でも何でもない俺は、芦田祐樹、27歳。だが俺は怪しげなアルバイト生活のフリーターである。


 ばつ悪そうに愛想笑いを浮かべながら、相変わらず奇異な存在を見るような目で俺を凝視する秘書達に、最低限の礼儀とばかりに軽く会釈して廊下に出た。だが、即座に足音が聞こえ、電話を終えた斉木が追いかけてきた。


「ちょっと待って」


「なんだ、まだ何かあるのか?」

「1階のロビーにいるから」

「誰がだ?」

「いけばわかるよ。後はよろしくね」


そう言い残してさっさと自分のオフィスに帰ってしまう。


- また余計なことを画策している顔だ


 そう思い一抹の不安が脳裏をよぎるが、だからと言ってここで騒いでも仕方ない。これもいつものことである。俺は気にしないように心がけてエレベータを降りた。


「よっ!」


 石張りの高級感漂う1階ロビーで声をかけてきたのは、この前見たばかりの幼子であった。その風貌とは全くそぐわない態度は、ある一点を意味している。


「えっ! なんであんたがここにいる?」

「うん?こんなところでワシと騒ぐとお前さんが恥をかくぞ。どっか静かに話ができるところに移動せんか」


 そう、この姿は忘れるはずもない。昨日俺がじじいの魂を貼り付けた子供である。しかし、いくら貼り付けたとは言えここまでじじいの意識が強いとは思いもしなかった。子供の意識を押しやって体を支配するなんて俺が知る限り初めてのケースである。


「おいおい、怪訝そうな顔をするでない。怪しまれるのはワシではなくてお前だぞ。ほれほれ、話は場所を移してだ」




 直ぐ近くの喫茶店でパフェを頬張る子供の姿を見たならば、親子で遊びに来ている姿と誰もが見まがうであろうが、事態は言うまでもなくそう単純ではない。このじじいとんだ食わせ物だった。

「子供は良いぞ。甘いものが胸につかえることなく食えるのじゃからな」


 ニコニコと笑いながら話すその言葉は、とてもではないが3、4歳児のそれとは似つかわしくない。舌足らずな言葉が却ってシニカルな雰囲気を醸し出す。


「あんた、なんでそこまで動ける? 話くらいならできるだろうが、普通はこんなに勝手に動けたりできないはずなんだが」

「こら、年上に向かってその口の利き方は何だ!」

「おいおい、それはパフェ喰ってる自分の姿を見てから言ってくれ」

俺の突っ込みを無視するように続ける。


「まあ、なんじゃ。ちょっとこの子の面倒を見て欲しくてな」

「はぁ??」

「だから、この子の面倒を。。。」

「この子って、今はあんただろ」


「うむ、あやつ詳しく話しておらんのか」

「何のことだ?」

「仕方がないのぅ」


 腕組みをして首をかしげる幼い子供と、その前で唖然としている若いとは言えない大人。さて、周囲からはどんな風に見えているか、それを省みる余裕はあまり俺にはなかった。

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