第5話 二人きりのレッスン
スフィーダ王国の王子であり、同時に大地の御子でもあるヴォルカン・ディニテ・スフィーダ王子。
どうして顔を合わせた事も無いその人が私に会いたいだなんて言っているのか、全く見当がつかない。
その理由を殿下に聞こうとしたんだけど、任務から帰還なされたばかりだから、他の用事があると言って部屋を出て行ってしまった。
「ドレスの仕上げに向けて採寸をさせて頂きます。失礼致します」
「は、はい」
残された私は侍女さん達にされるがまま、細かく身体のサイズを測られていく。
彼女達の連携の良さに圧倒されながら、あっという間に採寸が終わる。
「何かアクセサリーなどのご希望がございましたら、お好きな品をご用意させて頂きますが、如何なさいますか?」
侍女さんのリーダー格といった雰囲気の女性が、そう問い掛けてきた。
希望といっても、そういったものにはあまりこだわりが無いのよね。自分が持っているアクセサリーといえば、グラースさんから贈られたあのバレッタぐらいだし……。
ドレスのデザインはあらかじめ殿下の方から指示が出ていたようで、それに合うものを私のセンスなんかで選ぶのは気が引けた。
庶民と王子様の感覚がマッチするとは思えないもの。
「そちらにお任せします。あ……でも、あまり派手なものは似合わないと思うので、そこだけ考慮して頂けると嬉しいです」
「承知致しました。それではまた後日、改めてご試着をお願い致します」
宿舎に戻り、その日は残る仕事を片付けて夜を迎えた。
そして夕食の時間、私はある質問をしてみようとグラースさんと同じテーブルに着く。
今夜のメニューは野菜たっぷりのシチューと、焼きたてのパンだ。それに口を付ける前に、早速その話を切り出す事にした。
「グラースさん、少しお聞きしたい事があるんですが……」
「はい、何でしょうか?」
私が気になっていたのは、クヴァール殿下の生誕パーティーの件だ。
グラースさんなら会場の警備などで関わった事があるだろうし、そういった貴族文化にも詳しそうだと思うから。
いや、団長さんがそういうのに
「来月の殿下の生誕パーティーに出席する事になった件で、お話があって……。あの、やはりそういった上流階級の方々のパーティーといえば、ダンスが必須だったりするものなんでしょうか……?」
貴族や王族のパーティーといえば、華やかな会場に豪華なお料理。そして色鮮やかなドレスに身を包んだ女性の手を取り踊るダンスパーティーというのが、絵本やおとぎ話でよく描かれる鉄板のイメージだ。
食事会というだけなら、テーブルマナーを覚えれば比較的どうにか形になりそうな気がしないでもない。でももしそうではなかったとしたら?
侍女さんによる採寸が終わってから、ふとこの事が気になりだして落ち着かなかったのよ。
殿下にご招待された事で突然の社交界デビューが目前に迫る今、ダンスが必須になるのなら練習しなくては話にならないだろう。
私がどこかのご令嬢だったらこんな事で悩む必要も無かったんだろうけど、私はどう足掻いても一般的な家で育った普通の女性だ。社交ダンスなんて一度も踊った事が無い。
今思えば、よくこんな私が貴族との婚約なんて出来たものだと驚くけれど……オルコとの婚約パーティーではダンスなんて無かったもの。あのまま結婚していれば、こういったものも習う事になっていたんだろうけどね。
「そうですね……。毎年、国で一番の楽団を呼び寄せてのダンスがありますから……」
「わ、私も今からでも練習した方が良いんでしょうか? 殿下からお聞きした話によれば、スフィーダの王子様が私に会いたいと仰っているらしくて……。万が一その方にダンスのお誘いを受けたとしたら、やはり断るのは失礼ですよね……?」
「スフィーダの王子が……ですか」
グラースさんは何か考えるように顎に手を添えた後、口を開いた。
「ヴォルカン王子といえば、クヴァール殿下の幼馴染として毎年生誕パーティーにご出席されているお方です。殿下もヴォルカン王子の生誕を祝う為、秋にスフィーダ王国まで脚を運ばれるのですよ」
「お二人共、仲がよろしいのですか?」
「ええ。年も近く、互いに気が合うようですね。そんなお方が名指しでレディに会いに来られるのであれば、ダンスのお誘いもされる事でしょう。もしもレディが不安なのでしたら、私が練習のお相手をさせて頂きますよ」
「本当ですか⁉︎」
「はい。私などで宜しければ、今夜からでも構いません」
そう言って微笑んでくれたグラースさん。
いつも柔らかな物腰の彼ならば、きっとダンスも上手いに違いない。私の中ではクヴァール殿下に匹敵する王子様っぷりを誇る男性だもの。
「是非お願いします!」
「それでは、食事を済ませたら動きやすい服装に着替えて会議室へ来て下さい。談話室や訓練場では部下達の邪魔になってしまうでしょうから」
「分かりました。ありがとうございます、グラースさん」
「貴女のお役に立つ事が出来るのですから、礼を言うなら私の方ですよ」
本気でそう言っているのだと伝わる、彼の熱い眼差し。
やっぱり、こうして誰かに一途に思われるというのは……とても幸せで、胸が苦しくなってしまう。
こうして私に向けてくれる優しさがただの親切心ではないと知っている今ならば、それが痛い程心に響いて来るのだ。
だけど──彼の気持ちに応えるのは、
そうでなければ、私自身の区切りが付かないから。
だからそれまでグラースさんには辛い思いをさせてしまうかもしれないけれど……私もそれまでに、彼への気持ちが真実なのかどうか、しっかりと向き合っていかなくちゃね。
夕食の後、私はグラースさんとの約束通りに会議室へやって来た。
動きやすい服装で、と言われたから、この前買って来た新しいブラウスとスカートに着替えを済ませてある。
いざ会議室の扉を開けると、円卓が部屋の隅にずらされていた。それだけでも二人だけなら踊る余裕のある空間が生まれていて、準備を整えてくれていたらしい私服姿のグラースさんがこちらに振り返った。
「お待たせしました」
グラースさんは私の方を見ると、頭の方に目を向けた。
そこに輝くものを見ると、彼はその綺麗なアイスブルーの瞳を細めて笑みを深める。
「……やはり、貴女によくお似合いだ」
そう言って自然に距離を詰めてきたグラースさん。
ダンスの練習をするから、私はあの雪のバレッタで髪を纏めて来たのだ。
私がこれを着けている時のグラースさんは、いつも嬉しそうに笑ってくれる。そんな彼の笑顔を見ていると、何故かこちらまで嬉しくなってしまう。
だからという訳ではないのだけれど、最近は何かというとこのバレッタを身に付けるのが癖になってきている気がする。
でも、彼が幸せそうなら……この癖は治らなくても良いかもしれない。
「……ああ、すみません。貴女があまりにも美しいものですから、すっかり見惚れてしまっていたようです。あまり遅くなっては仕事に響いてしまいますし、早速練習に入りましょうか」
「は、はい……!」
あの、日常会話で口説き文句って卑怯じゃないですか⁉︎
見惚れるのはこちらの方ではありませんかね⁉︎
そんな本音は口に出せないから、心の中で思い切り叫ぶしかなかった。
そうやって爆発しそうになる頭をどうにか冷やそうとしていたのだけれど──
「フラムはダンスのご経験は?」
「いえ、一度も……」
あの日の告白以来、グラースさんは私と二人きりになるとこうして名前で呼んで来る事が増えたのだ。
これまで『レディ』か『レディ・フラム』としか呼ばれていなかったのに、急に呼び捨てにされると……こう、キュンと来るものがあると言いますか……!
まだ一歩もステップを踏んでいないのに心拍数を上げるのはやめてほしい。私の身と心が保たないわ。
「私も得意という程ではないのですが……まずは感覚だけでも覚えるところから始めてみましょうか」
すると、グラースさんは私の手を取った。
それと同時に、目の前に彼の胸板が近付いた。
慌てて見上げると、穏やかな表情のグラースさんの端正な顔が間近にある。
「左手は私の肩の方に。ああ、もう少し距離を詰めますね。腰の方、失礼しますね」
「…………⁉︎」
グラースさんの右腕が私の腰を引き寄せ、より一層二人の身体が接近した。
嘘でしょ、こんな至近距離で踊るの⁉︎
いやまあ、何と無くは知っていたけど! 実際に体験すると密着感が凄くない⁉︎
それに何か……グラースさん、良い匂いするんですけど……‼︎
色々な衝撃で言葉が出ない私は、その後簡単な説明を受けて少し踊ってみたりもしたはずなんだけれど、練習を終えて自室に戻るまでの記憶が残っていなかった。
どうやら私は、イケメンに近付きすぎると記憶が飛ぶらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます