第4話 その日の為の準備

「後は……清らかな乙女の涙を七滴」


 ぐつぐつと泡を立てている鍋の中に、私の涙をぽたりと垂らす。

 先生の本を読んだその日の内に、私はサージュさんにペルワラを注文しておいた。今日はそれが届いたので、受け取ってからすぐに聖水作りに取り掛かっていた。

 昨日は夜遅くまで薬学の本を読んでいたせいで、あくびが出る回数が多い。

 そうして自然に出て来た涙を鍋の中に落とそうと、湯気が立つ鍋の上に顔が来るように前のめりになりながら、作業に集中していたのだ。

 頬から顎を伝って零れ落ちたしずくを七滴投入したところで、私はそっと顔を手で拭う。

 これを今晩月光の当たる場所に置いておけば、カザレナの花の魔力が宿った聖水が出来上がる。

 私は全ての材料が入った鍋を掻き混ぜながら、そこに魔力を流し込んでいく。

 先生の教えに従って、この聖水で呪いを祓いたい相手──シャルマンさんの事を考えながら。

 どうか、彼の呪いが消え去りますように。愛の呪いに苦しむ事無く、シャルマンさんがもうあんな悲しい笑みを浮かべる必要が無くなりますように……。


 しばらく冷ましておいた鍋の中身は、小瓶に移すとカザレナの花弁が反応しているのか、透き通ったピンク色をしていた。


「綺麗……」


 窓から覗く太陽光に照らされると、まるでステンドグラスのように色付いた光が小瓶を通して射し込んでいる。

 夜になったら月が見える方角の窓際に置かないと……と考えていたところに、珍しい人物が訪ねて来た。


「フラムちゃん、居る?」

「あ、ルイスさん」


 調合室にやって来たのは、騎士団では最初の黒騎士の目撃者であり、私の事をちゃん付けで呼び始めた事でも一番初めだったルイスさんだった。

 彼がここに来る事はほとんど無い。よく来るのは書類仕事の息抜きで雑談を始める団長さんか、業務連絡で顔を出すグラースさんぐらいだ。

 私は小瓶をそっと作業台に置いて、彼に声を掛ける。


「何かご用でしょうか? もしかして、どなたか訓練で怪我をなさったとか……」

「いやいや、そういうのじゃないから心配しないで! 副団長からの連絡を伝えに来たんだ」

「グラースさんから?」


 怪我人が出た訳では無いのなら、何か急な任務でも入ったのだろうか。

 それに同行してほしいという話であれば、聖水作りの仕上げは任務の日程によっては延期しなければならないけれど……。

 しかし、ルイスさんの口から告げられたのは意外な内容だった。


「今日の正午には殿下と団長が任務から帰還なさるそうで、その出迎えの準備をしておいてほしい……らしいよ」

「お出迎え……ですか?」

「うん。これまで癒し手も出迎えに来る必要は無かったはずなんだけど、どうやら今回の任務を終えるより前に副団長宛に殿下からその連絡が来ていたみたいなんだ。申し訳無いけど、仕事は途中で切り上げて待機しておいてもらえるかな?」

「はい、分かりました」


 それを伝え終えたルイスさんは他の仕事が残っているようで、足早に調合室を去っていった。

 殿下や団長さん達が帰って来る正午まではまだ時間がある。

 私は手早く後片付けを済ませ、改めて身嗜みを整えてから城門の方へと向かった。


 正午。

 予定時刻ピッタリに到着した殿下を乗せた箱馬車が見えて来た。

 私はグラースさんの隣に並び、他の騎士さんや魔術師団の方々と一緒に殿下達を出迎えた。

 馬車が停まった向こう側には魔術師団の面々が整列しており、当然そこには団長であるシャルマンさんの姿もある。

 久し振りに感じるその顔をちらりと眺めていると、従者が箱馬車の扉を開け、殿下が降りて来た。

 今日も完璧な銀色王子は、馬車から降りると一度こちらへと目を向ける。従者に何かを告げた後、そのまま私達の方へと歩み寄って来た。


「グラース、出迎えご苦労だった。……それからフラム。急な頼みにもかかわらず、こうして顔を見せてくれた事、感謝する」

「い、いえ……!」


 ああ、どうしよう……!

 いざこうしてクヴァール殿下と顔を合わせると、あの日彼に押し倒されて熱烈ラブコールをされた時の事が鮮明に蘇ってしまう。

 平常心でどうにか乗り切ろうと試みるも、殿下の眩い金の瞳を見ていると心音が大きくなってくる。

 もしや殿下は魅了系の魔法の使い手だったりするのでは? そういう魔法もあるのだと先生が言っていたし、これだけ綺麗な顔立ちの殿下であればその効果も倍増するのでは……?

 そんな現実逃避のような事を考えていると、殿下は更に私を戸惑わせる言葉をぶつけて来た。


「少しばかり任務が押してしまったせいで、予定に間に合うかギリギリといったところでな……。グラース、頼んでおいたものは到着しているか?」

「はい。既に侍女達には部屋で待機するよう言い付けておりますので、準備は整っています」

「そうか。それではフラムよ、しばらくそなたの時間を貰うぞ」

「え……っと?」


 思わず首を傾げてしまった私の手を取り、殿下は流れるような自然な動作で私をお城へと連れて行く。

 何がどうなっているのか、これから自分は何をされるのかという疑問で頭がいっぱいになりながら案内された先は、お城の侍女さん達が待ち受ける部屋だった。

 彼女達の前には未完成であろう二着のドレスを着せられた人型が置かれている。

 深々と頭を下げる侍女さん達。


「お待ちしておりました、クヴァール殿下。フラム様」

「早速だが、この後の事はそなたらに任せよう。安心してくれ。この者達の裁縫の腕は、この私が保証しよう」

「え……あの、これは……」


 軽くパニックになりかけている私は、殿下と侍女さん達を交互に見ながら言葉を漏らした。

 まさかこのドレス、私が着るとか言わないわよね……?


「……ああ、グラースから聞いていなかったか? これはそなたの為に作らせるドレスだ。来月は私の生誕パーティーが開かれるのだが、その招待客の中に面倒な奴が居てな」


 そのまさかだった。

 え、それじゃあもしかして私もそのパーティーに出席するって事なの? ただの庶民なのに⁉︎

 クヴァール殿下は眉根を寄せ、小さく溜息を吐いて言う。


「……そなたに会わせろと言ってしつこいものだから、こうして急遽ドレスを仕立てる事になったのだ」

「わ、私に会いたい人なんていらっしゃるものなのですか……?」

「ああ。以前話した相手だが、記憶しているか? その者というのは、スフィーダ王国の大地の御子──ヴォルカン・ディニテ・スフィーダ王子だ」

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