第3話 かなり凄い
この『ファリアスのかなり凄い薬学』の著者は、間違い無く先生だろう。
しかし、さっき読んだ本に書かれていた話が事実だとすると、師匠は数百年前から生きている人物という事になる。
どういう事なの? 先生、長生きしすぎでは……?
「人間じゃなかったのかしら……」
記憶に残る先生の姿といえば、光を受けるとほのかに薄緑に輝く白髪の美男子だった。
長い髪を緩く編んだ三つ編みを垂らし、べっ甲のような温かな色をした瞳が印象的なのだ。
自画像ではその色までは判別出来ないけれど、その姿形は私の知るファリアス師匠そのままだった。
「……でも、気にしたら負けな気がする」
あの人はそういう人だ。
どこか掴み所が無い、けれど常に穏やかで草木を愛でる魔術師──それが私の知るファリアス先生だもの。
今更そんな秘密を知ってしまっても、あの人ならあり得ない話では無さそうだと納得出来てしまうから。
いつか先生に会う機会があったら、その時に真相を尋ねてみよう。
そう気持ちを切り替えて、私はその本を読み進めていった。
先生が書いたものだからだろう。言葉選びに懐かしさを覚えてしまう。
薬学の基礎については、私が彼から教わった内容がそのまま記されていた。
そして彼が長年培ってきた技術の応用や、その薬が思わぬところで役に立ったというエピソードまでが面白おかしく書かれている。
そのエピソードすらも勉強になる内容ばかりで、周りの様子も一切気にならない程に集中して読み込んでしまった。
遂にほとんど読み終えてしまったところで、そこに書かれた大文字のタイトルが目に入りこの本を読んでいた理由を思い出した。
『僕の故郷に伝わる花の聖水、フルール・オー・ベニートの作り方』
そうだ、私はそもそもこれを調べる為に読んでいたんだった。
すっかり頭から抜け落ちていた。私は気を引き締めて文字を辿っていく。
******
僕の故郷は随分前に滅んでしまった。
カウザとアイステーシスは、最早何が原因だったかも忘れてしまう程に愚かな戦争を続けていたんだ。
僕が生まれた村は、それほど裕福ではなかったけれど、人々の心が穏やかで過ごしやすい場所だった。
これからもこの村で温かな日常を過ごしていくのだと疑わず、趣味だった薬学を村長から学びながら暮らしていたよ。
この本に書いた事のほとんどはその村長から得た知識をもとに、僕の人生で見付けてきた結果を記したものばかりだ。
彼にはとても感謝しているし、だからこそ僕はこの聖水の製法を、今この本を手に取ってくれている君にも覚えておいてほしい。
二国間で起きた戦争に巻き込まれ、力無き人々の村は滅んだ。だからせめて……運良く生き延びてしまった僕は、あの村に代々伝えられていたものを残しておきたい。
村の近くには緑豊かな自然が広がっていて、綺麗な川が流れていた。
そこはアイーダ渓谷。
今も尚変わらず、美しい草木と清らかな水で君の心を癒してくれる事だろう。僕も子供の頃はよくそこで水遊びをしていたものだ。
泳げるようになる前は一度溺れかけた事もあったのだけれど、まあそれはまた別の機会に語るとしよう。
その渓谷の滝壺はとても立派で、春の終わりにはその崖上に見事なピンク色の花を咲かせるカザレナという花が咲き乱れる。
カザレナの花畑、とても綺麗なんだよ。君も一度見に行った方が良い。
だけどそうだな……。カザレナの花は散ってしまうと水に溶ける性質があるのだけれど、魔力が籠った花弁が川に溶けていくんだ。
もしかしたら魔力の溶けた川で育った水棲の魔物が急成長して、突然変異を起こして大きくなってしまうかもしれないから、そこだけは気を付けてね。
僕もこの前久し振りにカザレナを眺めに行ったんだけど、滝壺の辺りに小さなヤドカリの魔物が居たんだ。このままここに棲み続けたら……そう、大体二十年ぐらいしたら、かなり立派な大きさの魔物に育ちそうだからさ。
それぐらいの力を持ったこのカザレナの花弁は、あの村では魔のモノを祓う聖水の材料として使われていたんだよね。
まずは材料を記しておく。
・カザレナの花弁 一掴み
・清らかな水(これは浄化した水の事だよ)
・ペルワラの茎 五本程度
・ペルワラの葉 一掴み
・清らかな乙女の涙 七滴
花と茎、それから葉を水を張った鍋に入れ、ポーションを作る要領でじっくりと煮込んでいく。
そこへ清らかな乙女の涙……まあ要するに、アレだ。男を知らない女の子の涙をちょちょっと垂らして。
これの入手が一番難しいと思うのだけれど、そこはどうにか頑張ってほしい。
ほら、おとぎ話なんかによくあるだろう? お姫様の涙で王子に掛かった呪いが解けたとか、そういうの。それのアレと同じような事さ!
それが済んだら後は簡単。君の魔力を込めながら掻き混ぜて、それを冷やして瓶に移す。
その瓶を月の光に一晩当てて、花の聖水の完成だ。
この聖水……フルール・オー・ベニートは、古くから悪魔祓いや呪いに対して使われてきた歴史あるアイテムだ。
効果は間違い無いから、悪魔祓いなんかに使う時には「絶対にそいつを許さないぞ」っていう気持ちを込めて。
誰かの呪いを解く為に使いたいのなら、その人を助けたいっていう、君の真心をたっぷり込めて作ってみてね。
僕も何度か作った事があるんだけどね、材料が取れる場所が限られているものだから、どこでも簡単に作れる訳じゃないのが困り物なんだ。
でもアイーダ渓谷に行けば全部揃うし、景色を楽しみがてら是非脚を運んでみてほしい。
カザレナの花は滝壺の崖の上。
ペルワラは川の中に生えているからね。
さて……書きたい事はこれぐらいかな。
この本が君の役に立ったら、僕はとても嬉しいな。
それでは、またどこかで出会えると良いね。
ファリアスのかなり凄い薬学
著者 ファリアス
******
最後まで読み切った私は、一つ息を吐いた。
やはりこの本は先生が書いたものに違い無い。先生の語り口をそのまま文字に書き起こしたものだ。
そんな先生が生まれ育った村が、つい先日行ってきたばかりのアイーダ渓谷の近くにあっただなんて……。
というかこの小さなヤドカリって、もしかしてあの巨大ヤドカリの事だったりするのかしら。この本が書かれたのが二十年前だから、それだけの年月を経て育った魔物だったのかも……?
それにしても、想像していたよりも聖水の作り方は簡単そうだった。
カザレナの花弁はサージュさんに譲ってもらったから大丈夫だとして、ペルワラという植物は聞き覚えが無い。
けれど、川の中に生えている薬草には心当たりがある。あの日サージュさんが川に潜って取っていた、あの植物の事だろう。
念の為植物図鑑で調べてみたところ、そこに描かれた図は私が思っていたものと同じ特徴だった。
細長い茎と、そこから伸びた葉。先端には白く丸い花。
あの薬草ならサージュさんに頼めば手に入るだろう。後は最後に書かれた材料……清らかな乙女の涙だ。
「……先生はこんなものをどうやって入手したのかしら」
あまり深く考えたくは無いので、それ以上は気にしないように頭を切り替える。
これは自分で用意出来るので、早速宿舎に戻ってサージュさんにペルワラを注文しよう。
先生の本を棚に戻し、結局使う必要の無かったブレスレットを外してカウンターへと向かう。
「すみません。調べ物が済んだので、これをお返ししに来ました」
本の整理をしていたらしいサーブルさんは、私の声に顔を上げる。
すると彼はヒマワリのような明るい笑顔を浮かべて言った。
「あ、フラムさん! 良かったー、ここの本が役に立ったんですね!」
「さ、サーブルさん……! 声、大きいですよ……?」
「あっ、ヤバ……」
また大声を出してしまったサーブルさんに、あちらこちらから痛い視線が飛んで来る。
真剣に調べ物をしている最中の魔術師さんというのは、こんなにも鋭く睨みをきかせてくるのね……。
私の指摘に慌てて口を押さえたサーブルさんに、私は苦笑を堪えきれなかった。
「……ええと、それでは失礼します。また調べたい事があったらお世話になります」
「は、はい。またのご利用をお待ちしてます」
気まずそうに笑った彼に見送られ、私は書庫を後にした。
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