第6話 温かいスープ

 殿下が仰った通り、私は子供とご老人の患者さんを優先して治療を開始した。

 治療とはいっても、私が使ったのは一時的に症状を軽くする魔法にすぎないのだけれど……やらないよりは全然良い。

 高熱はどんどん体力を奪っていくからね。

 この病の元凶である古代鰐の調査は、騎士団と魔術師団が協力して行っている。

 彼らの調査が済み次第、合同での古代鰐討伐作戦が始まるだろう。

 その間、私はここで患者さん達の治療にあたる。

 騎士団の皆やシャルマンさん達が心配だから、本当なら彼らについて行きたい。

 ベルム村の周囲に点在する黒い沼は、そこに触れたものを瞬時に溶かしていた。

 あんな沼を生み出す魔物を相手にするんだもの。あれに人間が触れればどうなるか……。



 出来る限りで治療を済ませたところで、村のすぐ近くに建てられた騎士団のテントに向かう。

 予想通り、治療で使った魔力の消費が激しかった。

 今回も私専用のテントを用意してもらえたので、そこでしばらく休ませてもらう事にした。

 ひとまず子供とご老人だけは治療が済んだので、二、三日は身体が楽でいられると思う。

 明日になったら残る患者さんの治療に移れるはずだから、それまでしっかり魔力の回復をしないとね。


 日が暮れてきた頃、クヴァール殿下から召集がかけられた。

 唯一の治癒術師である私も当然向かう事になる。

 殿下がいらっしゃるのは、騎士団と魔術師団の拠点の中間地点。

 そこに建てられた会議用の広いテントに、殿下や団長さん達がテーブルを囲んで集まっていた。

 私は騎士団側の席に着き、全員が集まったのを確認して殿下が話し始める。


「皆の者、忙しい中こうして顔を出してくれた事を感謝する。早速だが、古代鰐の調査に向かわせたティフォン達より報告が上がっている」


 すると、ティフォン団長が手元の資料に目を落としながら言う。


「シャルマン魔術師団長の話の通り、この村の周囲は黒い沼だらけでした。小さいものだとこのテントぐらいの範囲で、奥まで向かった先では、湖と見紛う程の巨大な沼が発見されました」

「魔術師団の副団長殿に確認して頂きましたが、その巨大な沼の底には莫大な魔力反応が見られました。恐らくそこが古代鰐の棲家であると考えられます」


 そう告げたグラースさんに、殿下が問い掛ける。


「古代鰐の姿までは確認出来なかったのだな」

「ええ、申し訳ございません。ですが、魔力感知が不得手な我々でもその魔力の強大さを感じました」


 すると、調査に同行していたという魔術師団の副団長さんが口を開く。


「あれだけの魔力を持つ魔物は、そうそう居るものではございません。あれが古代鰐である確率は相当高い。明日にでも討伐隊を編成し、早期に仕留めねば彼女の負担が増すばかりでしょう」


 そういって、副団長さんは私に目を向けた。

 確かに古代鰐の影響が長引けば、ベルム村の人達だけでなく私達にまで病が広がる恐れがある。

 そうなっては私一人では被害を抑えられない。

 今でさえ精一杯なのだから、もしもそうなったら無理をしなければならないのは確実だ。


「わ、私ならまだ大丈夫です! まだ魔力ポーションだって使っていませんし、数日ぐらいなら多少の無茶ぐらいどうってことありません。ですから、時間を掛けてしっかりと対策を──」

「──我々の心配は無用だ。そなた一人に無理はさせられん」


 殿下は私の言葉を遮って、私の目を見詰める。


「王国騎士団、王城魔術師団はアイステーシス王国トップの精鋭揃い。名のある冒険者にも劣らぬ者ばかりだ。それに今回はそれぞれの団長、副団長も連れての討伐になる。私はこやつらを連れて古代鰐の討伐を、そなたは村での看病に集中してほしい」


 すると、私の隣に座るグラースさんが優しく微笑んで言う。


「古代鰐の移動範囲には、この村も含まれる事でしょう。ですから、貴女や村人達は私達が意地でもお護り致します」

「グラースさん……」

「ここに古代鰐は来させません。今回ばかりは無傷とはいかぬやもしれませんが……」


 前回のブラッドベア討伐では、グラースさんは無傷で帰還していた。

 けれど、今回の相手は一味も二味も違う。

 伝承でしか語られない、いにしえの魔物が蘇ったのだから──


「グラースやティフォンだけではない。今回は私も討伐に参加する。我が国の国民は勿論、皆の無事を願うそなたの思いを無駄にはさせぬ」

「で、殿下も戦われるのですか⁉︎」

「フッ……意外だったか? これでも幼い頃から歴代の騎士団長に鍛えられてきたからな。今でもティフォンやグラースとは手合わせをするのだぞ?」


 歴代の騎士団長から剣を教わっただなんて、その話だけでも殿下が素人とはまるで違うのだろうと想像が付く。

 そもそも、クヴァール殿下は普段の身のこなしからして一般人の私なんかとは大違いだ。

 そんな彼が剣を振るう姿は、きっと絵画のように美しく様になるだろう。

 彼のあまりの説得力に、私はついさっき殿下の言葉に驚いた自分が恥ずかしくなってきた。

 顔が熱くなってきたのを実感した頃、シャルマンさんがこう言った。


「古代鰐が発生させるあの沼は、触れた物を溶かす強い酸性。ですが、そこに高温と衝撃を与えるとその効果を失います。まずは私の魔法で古代鰐の纏う泥の鎧を無効化して、後は殿下と騎士団の皆さんに攻撃をお願いしますね」

「でもあの、もし皆さんが酸の泥を浴びてしまったら……」

「溶けるでしょうね、色々と」


 平然とそう言ってのけたシャルマンさん。

 色々と、というと……やはり、鎧や身体までもを溶かされてしまうという意味なんだろう。


「なるべく泥を浴びないようにしてもらうしかないでしょう。私達の方でも防御魔法は展開しますが、それがあの泥をどこまで防いでくれるかは分かりません」

「でしたら、もしも泥を浴びた方がいらっしゃったら私がすぐに治療します! 私の魔法だったら、きっと泥で溶けた傷口も治せるはずですから……!」

「その時はどうかお願いしますね、フラムさん」

「はい!」


 最初にシャルマンさんが魔法を使い、攻撃が通るようになったところで殿下と騎士団が古代鰐に向かう。

 それを魔術師団による魔法で支援し、怪我人が出れば村で待機する私がすぐに治療にあたる。

 私は待機中に公会堂の患者さんの看病と、重病者のみに魔法での治療を行う。それ以外の患者さんには、ポーションでの症状の軽減を試みることになった。

 殿下達は明日の朝に沼へと向かう。

 私も彼らの無事を祈りながら、自分に出来る最善を尽くそう。



 その日の夜、持ち込んだ食材を使って大鍋でスープを作り、夕食を済ませようとしていた時だった。

 一人で食事を終えて早めに休んでしまおうとすみっこにお皿を持って行き、近くの切り株に腰を下ろす。

 冷める前に食べなければせっかくの料理が勿体無い。

 軽く息を吹きかけて食べやすい温度にしてから、スプーンを口に運ぶ。

 私以外は男性だらけだから、満足感のあるように大きめに切った野菜がゴロゴロと入っている。

 野菜の甘みが広がる優しい味わいを堪能していると、誰かがこちらへ歩いて来た。

 ふと顔を上げると、その相手に思わず驚いて具材をお皿に落としてしまった。


「クヴァール殿下! ど、どうなさいましたか?」

「すまない、驚かせてしまったか」


 どうして殿下がわざわざ声を掛けに来たんだろう。

 急な事に理解が追い付かなくて、どうしたら良いのか分からない。

 こんな風になるのも、殿下がカッコ良すぎるのがいけないのよね。

 普通、こんな美形に話し掛けられたら緊張するに決まってるもの!


「落ち着いてそなたと話がしたいと思って来たのだが……」


 そう言った殿下の手には、私と同じスープ皿があった。

 彼の普段の食事よりずっと質素なものだろうけれど、私達と同じ物でも文句の一つも溢さない。

 そんな彼が、まさか私の所にわざわざ足を運んで下さるだなんて……。


「は、はい。大丈夫です。ええと、殿下はこちらにお座り下さい」


 私は自分が座っていた切り株から腰を上げた。

 けれど、殿下は首を横に振って言う。


「それではそなたの席が無いだろう。あちらに丁度良い倒木があった。あれならばそなたも座れるだろう」


 行くぞ、と殿下は歩き出す。

 彼に着いて行くと、すぐ近くに丸太が転がっていた。

 これなら二人並んで座れる。

 けれど……こ、これはこれで恥ずかしいわ。

 私はひとまず殿下と並んで丸太に座り、彼がスープに口を付けた。


「うむ、これはなかなかに美味いな」

「騎士団の皆さんのお手製スープです。今日は私も少しだけお手伝いしたんです」

「ほう、だから今日の食事は一段と美味く感じたのだな」

「そ、そんな事ないですよ! 味付けは騎士さんがやって下さいましたし、私がしたのなんて野菜を切る事ぐらいで……」


 そんな私に、殿下は普段見せないような甘い笑みを浮かべる。


「そなたの事だ。きっと、これを食す者を想って炊事をしたのだろう? そなたが心を込めて作ったものが、美味くならないはずがあるまい」


 殿下にこんな風に言われたら、嬉しさと恥ずかしさで頭がどうにかなってしまいそう。

 さっきからずっと、心臓がバクバクと煩い。

 もしかしたら、この音が彼に聴こえてしまうんじゃないかと思うくらい……。


「そ、そんなに褒められては困ります……!」

「すまないな。だがいつか、最初から最後までそなたが作った料理も口にしてみたいものだな」

「……機会があれば、ご馳走します」

「それは嬉しいな。では、その時を心待ちにしていよう」


 殿下とそんな会話をしながら、古代鰐討伐の前夜はゆるやかに過ぎていった。

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