第5話 沼に囲まれた村

 あれから、シャルマンさんとは話せていない。

 彼の身を蝕む『愛』の呪い。

 そのせいで彼は私から意図的に距離を置いていた。

 あの日からもう五日。今日の午後には目的地であるベルム村に到着するらしい。

 彼から貰った薬の効力は三日だと言っていたけれど、念の為魔術師団の副団長さん経由で新しい薬が届けられている。


「フラム、ずっと座りっぱなしでキツくないか?」

「大丈夫ですよ、団長さん」


 村に届ける食料を積んだ荷馬車の空きスペースに乗せてもらっていた私は、自分の馬で並走しているティフォン団長に声を掛けられた。


「どうしても身体がキツかったら、いざとなれば回復魔法がありますからね」

「あー、それは便利だなぁ」


 シャルマンさん自身は何も悪くない。

 彼の呪いは、ソルシエール家が代々受け継いでいるものだ。

 個人の意思でどうこう出来るものなら、きっと優秀な魔術師である彼自身が解決しているだろうから。

 呪いそのものを打ち消す事は出来なくとも、効果の対象者に呪いの影響を受けにくくさせる薬を作れただけでも凄い事だと思う。

 彼が言っていたように、私は多少なりとも彼に好感を抱いていた。

 それが呪いの発動の引き金になってしまった訳だけれど、こんな悲しい切っ掛けでシャルマンさんと疎遠になるのは嫌だった。

 だって、あんなに楽しくお話が出来る相手なんだもの。

 せっかく出来た縁を切るような事はしたくない。

 王城魔術師団の実力者というのは勿論、同じ魔法に携わる者としても、これから先きっと聞きたい事や話したい事だって出て来るだろう。

 ……それに何より、あんなに儚げに笑うような人を、このままにはしておけない。



 ベルム村が近付いてきたあたりから、事前の報告通りの光景が広がり始めていた。

 インクでも零したんじゃないかと疑う程に真っ黒な沼が、あちこちに点在している。


「確かに黒い沼が発生していますね……」

「ええ……。シャルマン魔術師団長の話によれば、触れると肌が焼けただれるそうです。注意して進みましょう」


 グラースさんの言葉は正しかったようで、風に乗って飛んで来た木の葉が沼に落ちると、ジュワッと音を立てて溶けていた。

 まるで胃液のようなその沼は、どこか酸味のある嫌な臭いだった。

 これが古代鰐の仕業なのだから、このままでは村人だけでなく周囲の生態系にも悪影響を与えるのだろう。

 幸い、ベルム村に到着するまで古代鰐に遭遇せずに済んだ。

 クヴァール殿下は村長さんと少し話し合った後、すぐに私達に指示を出す。


「騎士団は食料の運搬と、半数は周辺状況の調査を。魔術師団はポーションの配給と、半数は調査隊への同行を求める。運搬・配給が完了次第、それぞれ村の警護に付け」

「「「「ははっ!」」」」


 すると、騎士団と魔術師団の皆さんは一斉に動き出した。

 殿下はシャルマンさんと何か話した後、彼を連れて私の方へとやって来る。

 あれ以来顔を合わせていなかったシャルマンさんは、少し気まずそうに微笑んでいた。


「フラム、私達は病人が集められている公会堂へ向かうぞ」

「私は治癒魔法は使えませんが、古代鰐による病の症状は把握しております。今回は実際にフラムさんの治療を間近で見学させて頂きますので、私もご一緒させてもらう事となりました」


 殿下がいらっしゃるから、お仕事モードで話すシャルマンさん。


「分かりました。まずは患者さんの容体を見てみないと、ですね」


 私は先日の事は気にせず、すぐに殿下の後に続いた。

 薬はあらかじめ飲んでいるから、呪いの影響は気にしなくて良い。

 今は患者さんの事を第一に考えるんだ。


 公会堂は村のはずれにあって、そこには魔術師団の皆さんがポーションを運び込んでいるところだった。

 殿下とシャルマンさんと共に中へ入る。

 すると、あり合わせで用意したような敷き布の上に、ざっと五十人程が並んで寝かされていた。

 大人から子供まで、顔色の悪い人々が魘されている。


「王都から来て下さった方々ですね。よくぞこのベルムまでお越し下さいました」


 ここで彼らの看病をしている女性だろうか。

 看病している彼女ですら血色が悪く、今にも倒れてしまいそうに見える。


「私はクヴァール。彼女は王国騎士団専属の癒し手、フラムだ。彼は王城魔術師団団長のシャルマン。まずはこの二名が彼らの病状を診よう」

「ああ殿下、こんな小さな村に癒し手様を……! どうか皆を救って下さいませ……」


 女性は目に涙を滲ませて懇願した。

 これだけの期待を背負っているのだから、私はそれに応えてあげたい。

 私はこんな時にこそ活躍出来るような治癒術師を目指したんだ。

 殿下は私に視線を送り、頼むぞと言わんばかりに頷いた。

 私もそれに応えるように頷き返し、早速意識のある人から話を聞くべく動き出した。


 最初に話を聞いたのは、村の男性だった。

 彼は一番最初に倒れた人だったらしく、原因不明の高熱に苦しめられ続けているという。

 解熱薬を飲んでも、効果が切れるとすぐにまた熱が出る。みるみるうちに病人が増えたせいで、もう村には薬が残っていないと嘆(なげ)いていた。

 次に会ったのは、この村に依頼されて病の原因を調査しに来た冒険者の青年だった。


「主な症状は、熱と咳と吐き気……だな。最初は普通の風邪だと思ったんだが、持って来た薬じゃ全く治らなかった」

「何か症状が出る前兆や、切っ掛けはありませんでしたか?」

「そうだな……。例のあのバカデカい魔物と戦って、俺たちじゃまるで歯が立たなかった。村の連中はきっとヤツが病の原因だと言ってたから、アイツに近付きすぎたのが原因なのかもしれないな」


 冒険者さんはそう言いながら、魔術師団から受け取った解熱薬を口に含んだ。


「症状は伝承にあった通りですね。殿下、やはりその魔物が病の元凶に間違いありません」

「そうか……。フラム、そなたの魔法ではその者を癒す事は出来ないだろうか?」

「……少し試してみます」


 魔物が原因なのだとしたら、これが根本的な解決になるかは分からない。

 それでも薬や魔法で症状を和らげられるのであれば、患者さんも楽になれるはずだもの。

 やってみるしかないわ。


「炎の精霊達よ、彼の者に安らぎを与え給え……」


 少しでも身体が楽になるように……。

 そんな願いを込めて、私は両手を組み祈りを捧げる。

 私の声に応えた精霊がふわりと光を纏って現れた。

 その光は冒険者さんの周りをくるくると飛び回り、そして静かに姿を消していく。


「……どうでしょうか?」


 私が尋(たず)ねると、彼は目をぱちくりさせて言う。


「か、身体が軽い……!?」


 そう呟いたかと思いきや、勢い良く飛び起きた。


「さっきまでのだるさがウソみたいだ! 熱も下がってるし、咳だってまるっとおさまってやがるぞ!」


 彼の驚きように、他の患者さん達がざわめきだした。


「冒険者の兄さん、それは本当かい?」

「こんな状況でウソをつくようなバカじゃない! アンタ、すげえ魔法を使うんだな。本当に助かったよ。ありがとな!」

「いえ、とんでもありません。少しでも楽になればと思ったんですが……」


 私の両手を握って感謝を述べる冒険者さん。

 するとシャルマンさんが言う。


「フラムさん、その魔法はここに居る全員にかけられますか?」

「うーん……魔力回復のポーションがあるのなら、やれなくはないと思います」

「ポーションがあるからと無理をして、そなたにまで倒れられては問題だ。子供と老人を優先に、可能な範囲で治療をしてやってくれ」


 クヴァール殿下の発言は正しい。

 私の魔法であれば、きっと彼らの病状は一時的に抑える事が出来るだろう。

 けれど、こんなにも多くの患者さんを相手にするには、かなりの無茶をしなければならない。

 何故なら、私が使う炎の治癒魔法は特殊なものだ。

 通常の光や水の属性魔法と違い、この魔法は一度に消費する魔力量が多いのだ。

 魔力回復ポーションで魔力を補う事は出来るが、それは魔力を生み出す根源である魂への負担を強いる事になる。

 古代鰐が討伐されるまで全員の症状を抑えるとなると、私一人ではとてもカバー出来ないだろう。


「……分かりました」


 ただでさえ治癒術師のなり手は少ない。

 その中でも、この不思議な治癒魔法を使えるのは、私の知る限りでは自分一人だけ。

 そんな私が魔法の使いすぎで倒れてしまっては元も子もない。

 患者さん全員の状況を見ながら──時には薬を使って症状を抑えながら、騎士団と魔術師団による古代鰐の討伐を待つのが最善なんだろう。


 ……私がもっと、魔力の多い人間なら良かったのに。

 何ならエルフに生まれていれば、より多彩な魔法だって使えていたはずなのに。


 そんな風に思ったところでどうしようもないのは、今嫌という程理解しているつもりだ。

 私の力を必要としている人達が居る。

 治癒術師として果たせる使命が、ここにはある。

 その事実だけでも、とても贅沢な事なんだから……。

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