第一部 第1章 フラムの夢

第1話 命の焔

 もう何時間走ったんだろう。

 あれから暴力を振るわれたりはしていないけれど、袋の中で馬車に揺られているだけだったから、途中で疲れて眠ってしまった。

 今がどのあたりか分からない。

 というか、そもそも街から出る事もほとんど無かったから、逃げだせたとしても帰るのに時間が掛かりそうね。

 そんな事を考えていると、不意に馬車が止まった。


「……手間は掛かるが、父上に知られては僕の身が危うい。女を下ろせ、バルド」


 オルコの声だ。彼がこの馬車に追い付いて来たんだろう。

 バルドと呼ばれた男は、私の入った布袋を抱えて荷台から降ろした。

 すると、袋の口を縛っていた紐が乱暴に解かれる。

 私の視界に入ったのは、陽が沈んだ森と二人の男の姿。


「ハハッ。お前は顔だけが取りだったのに、頰が腫れ上がってるよ!」


 誰が殴ったと思ってんのよ、浮気野郎!

 そう怒鳴ってやりたいのに、口の自由を奪われていて言葉にならない。

 睨み付ける事しか出来ないのが歯痒い。


「んん〜‼︎」

「もっと僕好みの身体付きだったら、もっと愛してあげられたろうにねぇ……?」


 私の胸と尻が不満だったと言いたい訳⁉︎

 あんただって顔しか良くないくせに、自分の事を棚に上げるなんて!

 ていうか、私という婚約者が居ながら浮気した挙句(あげく)暴行を加えるあんたが一方的に悪くない⁉︎


「……バルド、アレを寄越せ。そろそろこいつとお別れの時間だ」


 上機嫌に笑っていたオルコは、バルドから短剣を受け取った。

 ゆっくりと鞘が抜かれ、彼は冷めた視線で私を見下ろして言う。


「……お前は一度も僕に身体を許さなかったね。結婚するまでは駄目だって言って。それが運命の分かれ目だったんだ」


 あ、刺される。


 そう思った直後に、私はオルコに押し倒され、胸元に短剣を突き立てられていた。

 服を突き破る刃物の冷たさを感じた後に、激痛が熱を伴って血が溢れ出していくのが分かった。


「…………っ⁉︎」

「僕は君の心になんて興味無かったんだ。さっさと抱かれていれば、死ななくて済んだのに……」


 吐き捨てるような目を向けられ、オルコは私に背を向ける。


「さようなら、フラム」


 彼はすぐにもう一台の馬車に乗り込んで、荷馬車と共に走り去っていった。


 ああ……私、こんなに理不尽な死を迎えるのか……。

 こんな風に死ぬ人を出さないように、どんな病人も治せる治癒術師になりたかった。

 やっとその夢を追う第一歩を踏み出せたのに、まさか婚約者に殺されちゃうなんて……

 もっと、生きていたかったな……。私の治癒術で色んな人を助けて、素敵な人と出会って、幸せに暮らしたかった。

 でも、そんな夢はもう──




 ******




「……けの…………い!」

「…………す、…………ちを!」


 人の声がする。

 草を踏み締める足音が聞こえる。

 固いものがぶつかる音がした。


「ポーション持って来ました!」

「酷い出血量だ。全部使っても構わん。彼女の回復に全力を注げ!」

「承知しました……!」


 ポーション……?

 誰か具合でも悪いのかな。

 あれ、そういえば私って、どうなったんだっけ?

 ……あ、そうだ。オルコに刺されて、そのまま森に放置されたんだった。

 じゃあこれは私の治療だ。誰かが偶然見付けてくれたのかも。


「傷の具合は?」

「刃物で一突きされて出来た傷のようです。ひとまずここさえ塞いで、増血効果のある薬を飲ませればなんとか……」

「頬が随分腫れているな。何かしらの事件に巻き込まれたか……」


 胸元にポーションがかけられ、少しずつ痛みが引いていく。

 だんだんと意識もはっきりとしてきた。

 目を開けると、何人もの男性が心配そうに私を囲んでいた。


「殿下(でんか)、女性が意識を取り戻しました!」

「良し、そのまま治療を続けろ。お前は拠点の方へ連絡を回せ」

「ははっ!」


 一人がどこかへ駆け出していく。

 ひたすらポーションを掛けられていたらしく、上半身が濡れて冷たくなってきた。服までびっしょりなんだろう。

 すると、仰向けに寝かされた私の右側に、男性がそっと近づいて来た。

 治療の邪魔にならないよう気遣いながら、彼は私に言葉を投げかける。


「……安心しろ。そなたの命は、必ずや繋ぎ止めよう」

「貴方、は……?」

「私の名はクヴァール。詳細は後で聞こう。今は大人しく治療を受けて欲しい。……治療とはいっても、ポーションを使った応急処置に過ぎないのが歯痒いが」


 質の良いポーションを使ってもらえたんだろう。

 燃え盛るような痛みはほぼ無くなり、怠さは残るものの、意識は徐々にはっきりとしてきた。

 クヴァールと名乗った彼に、私は言う。


「ありがとう、ございます。これだけ手当てをして頂けましたから、後は自力で治します」

「自力で? もしやそなたは……!」


 ハッとしたクヴァールさん。

 そう、だって私は……私が目指したのは──


「私は、治癒術師ですから」


 血液が減って冷たくなった両手の指先を、胸元で絡め合わせる。

 祈るように。

 願うように。

 精霊へと語り掛けるように、言葉を紡ぐのだ。

 傷口にポーションをかける手は止まり、代わりに私の詠唱が始まった。


「我が呼び声に応えよ……炎の精霊よ……」

「これは……生命の根幹にじかに作用する、炎属性の治癒魔法か……!」


 私の言葉に応じて、空気が震える。

 駆け付けてくれた炎を纏(まと)いし小さな精霊達は、私の髪と同じ燃えるような赤い光を発して、周囲を漂っていた。


「我は望む。この炎が、健やかなるほむらであり続ける事を……。フラム・アーム・アンタンシオン──!」


 それらの光は、私へと目掛けて一斉に飛んで来る。

 命を体現する焔の光。

 これこそが、私に出来る治癒魔法……命の炎を、その息吹を猛らせる力を持つ魔法だ。

 優しい炎が私の身体を包み込む。胸の刺し傷を癒し、失われた血液はゆっくりとその量を取り戻していく。

 生命力を活性化させるこの炎は、まさに不死鳥の如き神秘に満ちたエネルギー。


「傷が、見事に塞がっている……」


 精霊の炎は、私を癒しきると小さな光の粒子となって消えていった。

 その頃にはすっかり元気を取り戻したのだけれど、気になる事が一つだけある。


「ええと……な、何か羽織るものは無いでしょうか?」


 私は上体を起こしながら、刺された胸の治療の為に裂かれたであろう仕事着を、両手でそっと寄せ合わせた。

 乳房全体は隠れていたけれど、治療が済んだ今となっては、大勢の異性から胸元が見える状態なのは恥ずかしい。

 だって、露出を前提としたドレスならまだしも、治療院の仕事着で谷間が見えているのは……ね。


「あ、ああ。気が付かなくて済まなかった。生憎女性用の衣類は持ち合わせが無い。代わりといっては何だが、これでどうか我慢してもらいたい」


 そう言ってクヴァールさんが手渡してきたのは、彼が羽織っていたローブだった。

 かなり手触りが良いそれは、一目見ただけでも高級品だと予想が付いた。

 そもそも彼の立ち居振る舞いからして、この人が上流階級かそれに近い立場の人間だと思うのだけれど。育ちの良さを感じるんだもの。


「ごめんなさい。このローブ、しばらくお借り致します」

「良いんだ、礼には及ばん。それよりも、ここは魔物がよく出る。場所を移そう。立てるか?」

「はい、ありがとうございます」


 彼に手を引かれて立ち上がる。

 借りたローブを纏い、少し辺りの様子を見回してみた。

 オルコの姿は見えない。森はもうすっかり暗くなっている。

 彼の連れている騎士か何かが持った松明たいまつだけが、不気味な森に光をもたらしていた。

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