炎の治癒術師フラムの奮闘記 ─婚約破棄する前に婚約者に刺されたので、ここから人生やり直そうと思います─

由岐

プロローグ

婚約者の裏の顔

「治療院を辞めろってどういう事? 結婚しても仕事は続けて良いって言ってくれてたじゃない!」


 お昼の休憩時間に、婚約者のオルコがやって来た。

 彼に呼び出され、治療院の裏手の扉から出てすぐの所での会話だった。


「仕方が無いだろ。父上の言い付けなんだ。僕がどれだけ言っても無駄だろうさ」


 私、フラム・フラゴルとオルコ・ドラコスは身分違いの婚約者だ。

 オルコはドラコス伯爵家の長男で、休日に街を歩いていた時に偶然声を掛けられたのが切っ掛けで知り合った。

 そこから色々あって、彼と婚約するまでに至ったのだけれど……。


「もうじき式を迎えるから、父上にフラムの仕事の話をしたんだ。でも父上は、貴族の妻になるならそんな仕事なんてさっさと辞めて、早く孫の顔を見せろって……」

「そんな仕事って……! 人の命に関わる仕事の何が気に食わないのよ!」

「おいおい、僕に怒鳴られても困るよ」


 オルコは面倒臭そうに返す。

 その態度が彼の父の姿と重なって、余計に怒りが増して来た。


「治癒術師の仕事は、私が子供の頃からの夢だったの。それは話した事があるわよね、オルコ?」

「……ああ、覚えてるよ」

「今年からやっと治癒術師として認められて、この治療院で働けるようになったんだもの。それをあっさりと辞めろだなんて……信じられないわ」


 けれどオルコは、私に平然とした顔でこう言った。


「治癒術師にはなれたんだから、もう夢は叶っただろ? だったら僕と結婚して子供を産んで、女としての夢を叶えるのも悪く無いんじゃないかな」

「はぁ……?」

「だって僕らは愛し合って婚約してる訳だし、愛のある結婚が出来るなんてまさに夢のようじゃないか!」


 舞台に立つ役者のように、両腕を広げて『勝手な夢』を語るオルコ。


「もしこのまま君が仕事を続けるなんて言ったら、父上は絶対に結婚なんて認めてくれないはずだ。僕は君を手放したくなんてない。だから、僕の為にこの話を受け入れてくれないか?」


 私はそんな彼を見て、もう怒りを通り越して冷め切っていた。

 元々この恋は彼からの一方的なものだったし、何度も何度も口説かれて私が折れた事で始まった交際だ。

 オルコは顔立ちも良くて優しい人だけれど、自己中心的な思考が目立つ困った男性だった。

 それに、私は最近気付いてしまった事がある。


「……私を伯爵家のお屋敷に閉じ込めて、愛人と遊びたいから? 仕事で外に出られると浮気がバレるから、私は家から出るなって言いたいの?」

「なっ……フラム、お前何を……‼︎」

「……この前、綺麗な女の人と歩いてたでしょ。昨日来た患者さんが、貴方とその人が親密そうな様子だったって話してくれたの」


 彼は……浮気をしている。

 一目惚れで私に求婚してきたような人だ。他の女性に目移りだってするだろう。

 それに気付かなかった私も馬鹿だ。

 どうしてこんな人の妻になろうと思ってしまったんだろう。


「随分スタイルの良い人だったそうね? 嬉しそうに女の子のお尻を撫でながら、夜の街に消えていったそうじゃない」

「ち、違う! 僕は君一筋だ! 浮気なんてしていない!」

「目撃者は一人だけじゃないわ。その前にも何人か同じ女性らしい人と貴方が居るのを見たって言ってるの。……私なんかより、その人と結婚したいんじゃないの?」


 初めて私を好きだと言ってくれた人。

 それがオルコだった。

 そんな貴方に私は恋をしたけれど、最悪の形で裏切られて……全身に氷水を浴びせかけられたみたいだ。


「……ラルウァ伯爵に、婚約解消をお願いしましょう。私達の結婚は、どちらも幸せになれないわ」


 でも、ここで私達の関係を終わりにすれば良い。

 そうしたら私は治療院を辞めなくて済むし、オルコだって好きでもない相手と結婚しなくて良いんだもの。

 それに、お互いが心から愛し合っていないのに子供を産めだなんて絶対に嫌。

 私の知らない女性に愛を囁いて、その手で触れて……もう、彼の婚約者でいるのが苦痛でしかない。


「……もう遅い。僕らの婚約記念パーティーを済ませてるんだ。式の招待状だってとっくに出してる。何より父上に何と説明するつもりだ! 式を目前に婚約解消だなんてドラコス家の恥だ‼︎」

「オルコ、ちょっと……きゃあっ!」


 大声を上げたオルコは、私の頬を思い切り殴った。

 彼はそのまま倒れた私の髪を片手で掴み、血走ったような目で睨み付けてくる。


「オルコ、いきなり何するのよ!」

「……でもそれは名案だ。元々僕は君の顔にしか興味が無かったんだ。飽きたオモチャは捨てれば良い……。そうだろ、フラム?」

「捨てるって……貴方、私をどうするつもり……?」


 問いの答えは返ってこなかった。

 オルコは抵抗する私をうつ伏せに押さえ付けながら、物陰に隠れていた誰かに指示を飛ばす。


「こいつを例の場所に連れて行け! 後から僕も向かう!」


 どうにか逃げ出さないとまずい。

 それだけは本能で理解していた。

 けれど、抵抗して動くとオルコは躊躇無く何度も頭を殴って来る。

 衝撃で意識を失いそうになるけれど、ここで気絶したらどうなるか分かったものではない。

 飽きたオモチャを捨てる──それはきっと、私を殺すという意味なのだろう。

 婚約破棄を言い出せないなら、殺してしまえば良い……。そうすれば、彼の願いだけは叶うのだ。


「まだ意識があるのか……しぶとい女だ」


 意識は残っているけれど……足掻くだけの体力は残っていない。

 荒い呼吸を繰り返すだけになった私を、彼の手下らしき男が縄で縛り上げていく。

 口の中に丸めた布を押し込まれ、その上からもう一枚の布で手早く覆って頭の後ろで結んだようだ。

 すると、今度は大きな袋に全身を入れられた。

 これで私をどこかに連れ去って、人気の無い場所で息の根を止めるつもりなのかもしれない。

 悲鳴を上げようにも、口内の布のせいで声がくぐもってしまう。


 ああ、これはもう駄目かもしれない……。


 諦めの悪い私でも、流石に今回は助かりそうに思えなかった。



 袋の中からは外の景色が見えない。

 けれど、今は荷馬車か何かに乗せられて、どこかに移動しているようだった。

 街の石畳の道を走る車輪の揺れは、しばらくするとおさまった。


「止まれ。通行証を拝見する」


 通行証?

 それならきっと、ここは街の出入り口だろう。

 門番さんにこの状況を気付いてもらえれば、助けてもらえるかもしれない。


「……ん〜! ん〜‼︎」


 必死に声を振り絞る。

 けれど、この時間は人の出入りが多くて周囲も騒がしい。


「……良し、通れ」


 私の声は届かなかった。

 そして無情にも、馬車は再び走り出す。

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