十二 上洛・父との対面

 豊後から瀬戸内の海路をはるばる越えて、宇治丸と広は遠く堺の港に着いた。

「わあ、とっても大きくて立派な街ね!」

「そうだね、山口の街が顔負けするほどに大きな街!」

 当時、堺は京へ向かう要衝の港町として、自治都市の体を為し、荒廃した京の都に代わって大いに栄えていた。

「これはこれは、ようこそおいでくださいました。先年ザビエル殿の上洛の折にもお供仕りました者でござります」

「どうも、初めまして。賀茂宇治丸かものうじまる高嶺広こうのみねひろにござります。こちらこそお世話になります」

 二人は、ザビエルも世話になった堺の豪商・日比屋了珪りょうけいに出迎えられ、堺の街でひと月ほどを過ごしたのち、いよいよ京の都へ向かった。


「天下の京の都とはいっても、ずいぶん荒れた街だなぁ……」

「広さはともかく、山口のほうがよっぽど綺麗な街だったわね……」

 相次ぐ動乱と疫病の流行などで、京の都・ことに庶民の住む下京しもぎょうはすっかり荒れ果て、半壊した廃屋と病や飢えにあえぐ人々、そして大路小路には物乞いやごろつきなどがたむろするばかりであった。すでに季節は冬となり、冷たく吹き付け砂煙を巻き上げる木枯らしが、街の寒々しさをいっそう引き立てていた。

 上京かみぎょうに至るとそれもいくぶん解消したが、立派な建物は物々しい警備に囲まれた武家屋敷ばかり。公家屋敷は構えこそ大きくても、屋根の檜皮ひわだの葺き替えもままならず、苔むしたままに軒を連ねていた。そして、飢えた物乞いや浮浪者を警護の武士たちが非情にも蹴散らす姿が見られた。

 了珪が付けてくれた部下の隊商も、寄ってくる物乞いを鞭で追い払ってゆく。宇治丸と広は心苦しかったが、自分達の身の安全を守ってくれているのだ、仕方ないと諦め、目を背けた。

「このあたりまで来ればもう安心でしょう。それでは私めは、商談がござりますので、こちらにて」

「はい、遠路ありがとうござりました」

 二人は上京の鴨川河辺・河原町荒神口こうじんぐち付近で隊商と別れて、京の東の郊外・東山の吉田神社門前にあるという勘解由小路邸へと向かった。


 身寄りの者が堺におり、これから京に遣わす――とだけ知らせを聞いていた勘解由小路在富だが、もしやと思い当たって、そわそわと到来を待ちわびていた。

 吉田神社に到着した二人は、勘解由小路邸の場所を訊ねるべく境内にいた神主に話しかけた。

「これはこれは、勘解由小路殿の……来られたら便りを遣るよう承っておりますで、しばしお待ちを」

 神主は下人げにんを遣わした。しばらくすると、下人は急ぎ足で戻ってきて、その後ろから狩衣烏帽子かりぎぬえぼし姿の老人が現れた。二人もその方へ駆け寄っていった。

「勘解由小路殿にござります」

 神主と下人は、それを見届けて去った。

「それがし宇治丸と申す者にござります。こちらは広。山口より馳せ参じてまいりました。ご無礼ながら、勘解由小路在富殿にござりますか?」

「左様。知らせは聞いておるが、そなたは――」

 思い当たる年頃と場所の少年少女であることを見て、声を震わせながら訊ねる在富。そこで宇治丸は、大切に懐に持ってきた袱紗ふくさをその場でひもとき、暦道の書と式盤を取り出した。

「おお、これは……そなた、大宮佐井子の子か……我が息子なのか!」

「左様にござります……お父上、お会いしとうござりました!」

 打ち震える手を恐る恐る伸ばして、在富は書と式盤を受け取り、それを確かめるとその場に思わず投げ落として、宇治丸の手をしかと握った。時に在富六十二歳、宇治丸と広は数え十三歳であった。

 しばし我を忘れて見つめ合ったのち、宇治丸は気を取り直し、後ろの広を紹介した。

「そして、こちらは広橋光子殿と亡き大内殿の娘――八つの歳から、亡き大宮伊治殿の御邸宅にて共に育てられた幼馴染みにござります」

「おお、広橋殿と大内殿の……」

「初めてお目にかかります、広と申します」

 在富は今度は広の顔をじっと眺めた。

「ああ、広橋光子殿によく似ておる……二人とも、よくぞ生き延びてやってきたのう」

「はい。まことに無念ながら、大内殿も大宮殿も……」

 しばしの感嘆に浸っていた三人だが、在富が気まずそうに顔を背けた。

「急なことであったもので、済まぬが今すぐに屋敷へ迎えることはできぬ……そうじゃのう、山科やましな殿なら何とかしてくださるやも知れぬ。手紙を持たせるで、しばし屋敷の外で待っておれ」

 こう言って二人は勘解由小路邸の手前まで来ると留め置かれ、しばらくすると在富が手紙を持って戻ってきた。

「上京に山科言継ときつぐ殿という見知った公卿がおわす。道のりと殿への手紙をしたためたで、これを持って行くがよい。くれぐれも宜しくお伝え申し上げてくれ」

 こうして在富は、そそくさと邸内に戻ってしまった。

「殿、いかがなされましたか」

「いや、小用じゃった。ところで、遠方に手紙を遣わす用が出来た。手配してくれ」

 在富にとってはまたとない喜ばしき僥倖であったが、正室のいる手前、正式な対面は周到に行わなくてはならない。正室木根子は良家の育ちである分、気位が高い女房関白であった。言いつくろいの言葉をあれこれ考え巡らせたが、やはり喜びの心がふつふつと湧き上がってくる。義理の子をうっかりと撲殺してしまい、これでいよいよ跡取りがなくなってしまった、と落胆に暮れていたちょうどその時であるから、なおさらのことだ。

(宇治丸、と申したか……よくぞ育って戻ってきた、我がただ独りの息子よ――)


 宇治丸と広は、在富の指示通り、上京へ戻ると山科邸を探し出し、恐る恐る門戸を叩いた。しかし、中級公卿の屋敷にしては呆気ないほどすぐに、屋敷の中へ通された。

 そしてもう一つ驚きには、山科邸の内部は怪しい辻易者も顔負けするほど、そんじょそこいらに怪しげな護符・霊符の類や、干からびて吊された生薬、薬壺、薬研などが並んでいる。公卿の邸宅とは思えない、何とも胡散臭い屋敷であった。

「あや、これは愛らしい坊やとお嬢よのう。どうしたのかね、塗り薬か、飲み薬か?」

 夕暮れ前から酒焼けた赤ら顔で出迎えた酔っぱらいの恵比寿顔、彼こそが山科言継四十三歳(一五〇七~一五七九)であった。

「いえ、突然でまことに恐れながら、しばしの宿をお借り申し上げたく……これを」

「ほう、勘解由小路殿の頼みとあってはやぶさかでない。どれどれ」

 酔っぱらってふらつきながらも、在富から託された手紙をひもとき読む言継。そして、次第に酔いが覚めるように驚き顔になった。

「なんと……そなた、在富殿の落とし子とな!」

 そして、がばっと立ち上がると二人に詰め寄り、まさに恵比寿の面のような満面の笑顔を浮かべ、二人の肩を抱いてもみくしゃに撫で回しつつ大声で笑い立てた。

「そしてお嬢は大内殿の遺児とな! ぬあっはっはっは、これはめでたい、今宵は宴じゃ! これ、ありったけの酒を持って参れ~!」

「ともかく気さくそうなお方で良かったね……」

「そうね……ちょっと心配だけども」

 酒の銚子を踏ん付けて文字通り笑い転げながら床をばんばんと叩く言継に、二人はくすくすと微笑みを交わした。


・本章は架空。山科言継という人物とその人柄等は記録通り。

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