VOL.4
間もなく俺は、彼女に案内されて座敷に通された。
十五畳はたっぷりあるだろう。
見事な鶴を描いた軸を掛けた床の間があり、その前にはアヤメの花を生けた水盤が置かれてあった。
ここでお待ちくださいといって、彼女は一旦奥に下がっていったが、程なく先程の稽古着とは打って変わった、紺色の単衣を身にまとって現れた。
俺は座布団の上でいつになくかしこまって正座をしていた。
普通なら何てことなしに足を崩してしまうところだが、雰囲気がそうさせなかったのだ。
『乾、宗十郎・・・・私立探偵・・・・随分古風なお名前でいらっしゃるんですね?』
暫くして、浅黄色に藍色の帯を締めた女性が、お盆に茶を載せて運んできた。
俺の前と、彼女の前に順繰りに置き、礼をして下がっていった。
自分がまるで時代劇か何かの中にいるような、そんな錯覚を覚える。
彼女はリスの様な丸い目で、俺を見つめながら、
『で?一体ご用件は何でしょう?』
『実は・・・・』
俺は加賀美陽子について、分かりやすく、手短に話して聞かせた。
そのつもりだが・・・・しかし何事も初体験というのはまごつくものだ。
上手く説明出来たかどうかは分からん。
彼女は黙って俺の話を聞いていた。
『分かりました』
聞き終わってから、彼女は短く俺に答えた。
『加賀美先生の私に寄せて下さったお気持ちはとてもうれしゅうございます』
当然、断るだろう。俺はそう思った。
『お返事については先生に直接お手紙を差し上げます。住所は以前にお聞きして
おりますから』
『そうですか・・・・』
俺はそう答えるより仕方なかった。
意思は自分自身で伝えると、彼女が口にした以上、俺としてはこれ以上何かする
訳にもゆかん。
まあ、一応のけじめだ。
俺はとりあえず彼女に電話をかけ、事の顛末を話して聞かせた。
これでおしまい・・・・となれば、それで良かったんだが・・・・
加賀美陽子が俺の事務所を再び訪れたのは、それから一週間ほど経ってからの事だった。
彼女は事務所に入ってくるなり、黙って俺に一通の手紙を渡した。
『拝見します』
俺が言うと、何も答えず、頷いた。
手紙は明らかに彼女、つまりは岡崎菜々子からのものだった。
水茎の跡云々と言う言葉があるが、今時の若い女性で、こんなに達筆な文字が書けるなんて、天然記念物ものだな・・・・まず俺はそんな風に感じた。
手紙の内容は・・・・
『貴女のお気持ちはとても嬉しい。学校でお目にかかった時から、想いは感じ取っていた。
決して嫌だとは思わない。私も貴女が好きだ。
しかし、それには乗り越えねばならない障害がある。ついては来週の月曜日、この前の乾探偵とご一緒に、我が家に再び来て下さらないだろうか?』
手紙を読み終わり、俺は彼女の顔を見つめる。
向こうも顔を上げ、俺を真っすぐに見つめ、思いつめたような口調で、
『お願い致します!追加の料金につきましては、ちゃんとお支払いいたします!』
と言い、テーブルに手を付いて深々と頭を下げた。
両目の端がみるみる潤み、一しずく、二しずくと、涙が頬を伝う。
涙は女の武器・・・・だなんて言ったのは、確か甲高い声で有名なちょっと前の
総理大臣だったか・・・・・まあそんなことはどうでもいい。
情にほだされるのは本意じゃあないが、しかしまあ、乗りかかった船と言う言葉もあるからな。
俺だって、ことの決着を完全に見届けずにおしまいにしちまうのは、やらずぶったくりみたいで気分が悪い。
『いいでしょう。お引き受けします。』
そう答えて、俺は今日最初のシナモンスティックを咥えた。
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