第五話:平和が崩れ始める時。
卵に魔力を注ぐ事三月と十日。
初めてその卵が内側から震え始める。
「あっ、もうそろそろ生まれるのかしら!」
ロザリアにとっては日々の楽しみはこの卵を孵化させる事のみだった。
父や母は優しいのだが近頃なにか難しい顔をする事がふえた。
衛兵のフリッタの話ではどうやら最近魔物の動きが活発になってきていて、ローゼリア近隣の山々に入り込んでくることが増えたらしい。
まだ数は少ないのでその都度討伐体を率いては国王自ら魔物を狩っている。
しかし、まだ幼いロザリアにはそんな事は悩みの種にならなかった。
まったく実感がわかないというのもあったが、父親に任せておけばこの国の平和は守られるという信頼があったからだ。
毎日与えられた勉強に勤しみ、それが終わったら卵に魔力を注ぐ。
そんな日々を三月以上繰り返し、やっとこの時が訪れる。
ピキピキッと小気味よい音が響き、やがて……。
「きゅー?」
パリン、と卵に小さな穴が開き、そこから何か爬虫類めいた物の顔が現れた。
ロザリアは一瞬ビクっとしたが、よく見たら愛嬌のあるその顔にすぐ虜になった。
「ほら頑張って♪ 卵の殻を破って出ておいで」
その爬虫類のような何かは卵の穴から顔を出し、一生懸命そこから這い出ようともがく。
その様子を必死に応援し、しかし手は出さずにロザリアは見守った。
こういう自然の摂理のような物には出来る限り手を出さないようにするというのが父からの教えだったからだ。
しかし、それが卵から這い出てころんころんとベッドの上を転がると、「よく頑張ったね♪」とその子を抱きしめる。
「きゅっ、きゅっ♪」
「あははっ、くすぐったいよ~」
ちょっとだけザラっとした舌で頬を舐められ、まるで親にでもなった気分でそれの頭を撫でた。
「名前をつけなくっちゃだよね。うーん。私の名前もちょっとだけ入れて、ローズマリーにしようかな」
「きゅー♪」
ローズマリーは喜び、小さな羽根をバタつかせた。
「あれ、貴方羽根があるの? もしかしてトカゲじゃなくてドラゴン?? すごい! ドラゴンなんて本かおとぎ話でしか見た事ないよ!」
ローズマリーの体は少し丸みを帯びていて、美しく淡いオレンジ色。
体のサイズに対してまだ羽根は小さく、パタパタさせると愛らしさが倍増する。
ロザリアは、ローズマリーを卵から孵化させた事で自分が母親であるかのような感覚に包まれていた。
純粋な喜びである。
この子を大切にしよう。
それからという物ロザリアは毎日のようにローズマリーと遊んだ。
遊ぶだけでなく、芸を仕込んだり、いろいろ話しかけているうちにローズマリーも大体彼女の言っている事を理解し始める。
勿論言葉を喋る訳ではないのだが、物の名前を覚え、ロザリアの言う内容を覚え、言葉に対して相応の対応を出来るようになっていた。
不思議な事に、食事を用意しても何も食べようとはしない。
やはり魔力を食す事で成長するようだった。
二月も経つと部屋の中だけで育てるのには無理が出てきてしまい、彼女は悩む。
大型の爬虫類だと言い張ったらペットとして行けるだろうか、と。
しかし、それには背中の羽根が邪魔になってしまうだろう。
誰がみてもこれはドラゴンだと一発でバレてしまう。
彼女は悩み、衛兵のフリッタに相談する事にした。
「あの、実はお願いがあるんだけど」
「ロザリア様のワガママは慣れたもんですからね。今日はなんです?」
フリッタのその対応にちょっと頬を膨らませながらも、ローズマリーの事を説明すると、フリッタはかなり困惑した様子で言葉を詰まらせた。
「えっ、……っと……ドラゴン、ですか? それは、その……安全なんですかね?」
「当然でしょ? 私の大切な友達なの。どこか、この子と遊べるような場所無いかしら?」
フリッタはこの時、ドラゴンの事など信じていなかったのだが、ロザリアの必死な相談に根負けして、自分が城の裏門担当の時ならば外に出してやるという約束をしてしまった。
後日ロザリアがローズマリーを連れてきた時には悲鳴をあげそうになったものだ。
フリッタにとっては、王族であるロザリアと少しでも、二人だけの秘密というのを共有できているという事が嬉しかった。
きっと彼女ももう数年したらとても美しいお姫様に成長するだろう。
万が一にも自分を恋の相手に選んでくれないだろうか、なんて下心も多少はあったのかもしれない。
当のロザリアにとってはただ気楽に話が出来る衛兵でしかなかったのだが。
兎にも角にもフリッタのおかげで彼女は数日に一度、二時間程度だけだが城を出て裏山でローズマリーと戯れる時間を手に入れた。
ローズマリーはロザリアを親と認識しているのか、言いつけは守るし一緒に居られる時間はべったりである。
ロザリアにとっても自分の子供のように可愛がっていたが、どちらかというと仲のいい友人だった。
彼女は願う。
いつまでもこの幸せな日々が続けばいいのに。と。
しかし、その幸せは続かない。
終焉へ向けて時が止まる事は無い。
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