ますたーとはねっこ乙女
『宿題は朝起きてからやるタイプ』
明日はいよいよ『はねっこ』のお披露目ライブ。特別に10時から現場で練習させてくれるっていうことになった。それまでに、オリジナル曲を完成させないと。けど今日はいろいろあって疲れたから、早く寝て、明日は5時起きってことになった。ま、宿題を夜やるか朝やるかの違いみたいなもの。やることが大事なんだよね。
ところが深夜。草木も眠る丑三つ時ってやつ。俺は変な夢から覚める。夢の内容はおいおい話そうと思うけど、俺の目に飛び込んできたのは、そーっと歩くまりえの姿。なんとなく違和感を覚えた俺は、後をつけることに。
まりえは、階段を降りると神殿と神楽殿を素通りする。あれ? 俺はてっきりまりえは神殿に供えてある金魚焼きでも食べに行くのかと思ったけど、違うみたい。じゃあ、一体どこへ?
『まりえっぽくない』
まりえは、どういう訳か、神殿を素通りする。そして、社務所に入り、真っ直ぐに地下室へと向かうと、電気も点けずにエアレーションの光だけで闇の中を歩き、水槽の前に立つ。その姿は、家出から帰ってきたときの、すがりつくような立ち方とはまるで違う。全然まりえっぽくない。悪く言えば、憎しみを込めているような、そんな感じ。俺からすれば、ただごとではない。おれは、まりえっと、思わず声をかける。
「あらっ、マスター! いやだ。どうして……。」
「……。お前、誰?」
目の前にいたのは確かにまりえだったはずだけど、俺は何故かそんなことを口走る。まりえがどんな顔をしていたのかは暗くて分からないけど、きっと笑っていたと思う。あくまで声色からの想像だけど。
「いやだなぁ、まりえだよ!」
「そんなところで何をしてるの?」
俺が部屋の電気を点けようとすると、まりえの声が返ってくる。笑っているとは思えない声。殺気を孕んでいる。
「そんなの、決まってるでしょう……。」
言い終わるより早く、俺の身体にすごいプレッシャーがかかる。まだ電気の灯らない暗い部屋から俺の身体は押し出される。直ぐ背後の壁に背中から激突。もし打ち所が悪かったら、命に関わるレベル。俺は生きているけど、呼吸するのは困難。あっ、これヤバイ! そう思わずにはいられない。
「起きて来なきゃ、命までは取らなかったのに!」
まりえのとははっきり違う声。そうなると、俺は完全に諦めムードだ。もしかしたら、まりえは誰かに操られているのかもしれない。そうしている可能性が1番高いのは、加茂禰宜さんを操ったのとおんなじ存在、漆黒の闇の一味! 何かの理由で俺は生かされていたんだろうけど、彼等は目的のために俺達の命を奪おうと思えば、いつでも奪える自信があるんだろう。そして、今がそのときってこと。俺氏、大ピンチ! 誰か、助けてー!
『スーパーヒロイン様』
俺は今、命を狙われている。到底勝ち目はない。完全に諦めムード。まりえの細い腕は俺の喉元をつかんでいて、俺の首をグググッと持ち上げる。俺の足は地面から離れ、身体は宙ぶらりん。いや、ぶらぶらすることはなく、ズシリと垂れ下がる。俺の全体重が、首根っこの1点にかかっている。苦しい。呼吸ができない。声を出すことも、もがくこともできない。
「まりえ! いや、漆黒の闇」
階段の上から声がする。誰だろう? その人はそのまま階段を飛び降りると、その勢いを利用して、まりえに体当たりをする。スーパーヒーロー誕生の予感! いや、ヒロイン様かも! まりえは間一髪躱し、闇に包まれた地下室へと逃げ込む。俺の身体は支えを失いズルズルと壁伝いに落ちる。咄嗟に脚で支えることは敵わずしりもちをつく。
「光龍様……。」
「1人で行動したお前が悪いのだぞ。立てるか?」
はい、なんか、申し訳ないっす。俺はこれ以上光龍様を心配させたくないし、足を引っ張りたくもないから、コクリと頷いて自分の足で立つ。身体が痺れていて本当は立っているのもやっとなんだけど、笑ってみせた。
「良い子だ! ここで待ってなさい」
光龍様にはそう言われたけど、女の子と女の子が闘っているのを、男子である俺が見てるだけっていう訳にはいかない気がする。もっとも、見ているとは言っても闇の中だから、2人の姿を俺の目が捉えられる訳ではない。けど、身体と身体がぶつかり合うゴツッ、ゴツッという鈍い音から、その闘いの激しさが伝わってくる。頑張れ、光龍様。負けるな光龍様!
『退却命令』
戦況は、光龍様がやや優勢みたい。うっとか、はっとかいう声の量は圧倒的にまりえの方が多い。けど、この戦いに判定勝ちはない。どちらかが倒れるまで続くに違いない。そのミリタリーバランスは次第に崩れていく。光龍様が押されはじめている。不味い!
「この身体では持たない! 太一は先に行きなさい。機をみて私も追うから」
待機命令は退却命令へと変わる。光龍様の身体もう悲鳴をあげている。だってそれは、カスタマイズドールに過ぎないんだから。身体能力の長けた金魚のまりえのボディーとは比べ物にならないくらい弱い。あとで知ったんだけど、俺が書いた御神札の墨が薄かったのもいけなかったみたい。
俺は決してスーパーヒーローではない。逃げるっていうのは、今まで俺の頭の中に必ずあった選択肢。けど、何故か今はそれがない。もしここで逃げ出してしまったら、光龍様には2度と会えない気がする。
俺に、光龍様を置いて逃げるなんてことはできない。目の前の敵を倒すなんてこともできない。漆黒の闇を退治するなんてことも、世界を平和に導くなんてこともできない。だって、俺は宮司で高校生、7人の巫女のマスター、鱒太一。発光体質というくだらない性質を持つ男なんだから。
『スーパーヒーローではないけれど』
俺は、宮司で高校生、7人の巫女のマスター、鱒太一。だから、俺にだってできる。宮司として光龍様をお護りするなんてことはできる。夏休みだから高校には行ってないけど、マスターとしてまりえを掬うなんてこともできる。できる。絶対にできる。決してスーパーヒーローではないけれど、決して逃げない。
「そうだ。急げよ」
立ち上がった俺に、光龍様のお言葉はお優しい。痛みが消える思いだよ。本当はまだ痛いけどね。光龍様は俺が逃げはじめると思っているみたい。漆黒の闇に取り憑かれたまりえの中のやつも同じことを考えているだろう。まりえが逃げ道に回り込もうと動けば、それをみて光龍様も立つ位置を変える。それはまるで、俺を中心にまわるメリーゴーラウンド。まりえも光龍様も、同じ方向に動く。世界の中心にいるみたいでちょっとだけ気分が良い。主人公補正がかかったスーパーヒーローになった気分。俺は、すーっと息を整える。チャンスは1回。失敗は許されない。俺は、光龍様に向かって走り出す。
『ショウ・マスト・ゴー・オン』
光龍様に向かって走り出した俺。その姿はまりえからは見えていないはず。光龍様からもだけどね。すごく怖い。けど、何故か失敗するとは思わなかった。勝算はあるんだ。光龍様に俺の考えがちゃんと伝えられれば大丈夫、なはず。
(光龍様、どいてください)
(なっ、なに⁉︎)
光龍様、驚いてるよ。けど、早くどいてくれないとぶつかっちゃう。このままぶつかったら間抜けだよな。やっぱり、考えを伝えてから走り出せばよかった。けど、ショウ・マスト・ゴー・オンってやつだ。もう後には引けない、ここが正念場だ。
(太一、無茶なやつだ!)
ようやく俺の思念を理解してくれた光龍様は半回転し道を作ってくれる。光龍様が闘ってくれたこと、決して無駄にはしない。視界に急に現れた俺の顔を見て、まりえが息を呑む。そうなったら、動けないはず、多分。行くぞ、おりゃーっ!
『現実は空想よりも何とやら』
光龍様の後ろ側から、まりえに向かって突進した俺。光龍様に俺の思念は届き、道を作ってくれる。驚くまりえに俺は必死の形相で体当たり! のはずだった。
「あたっ!」
現実にはそう上手くいかない。というか、渾身のタックルが決まっていたとしても、勝てたかどうかは微妙だけどね。上手くいかなかったのは俺の所為。御神札の墨が薄過ぎたんだ。だから、光龍様はお身体を上手く操れず、片足が俺とまりえの間に残ってしまったんだ。当然、俺は転ける。で、タックルは失敗。これが現実というもの。けど、現実は空想より奇なりってのも、現実なのかも!
現実の続き。転けた俺はバランスを崩し、前のめりに倒れ込む。あっ、痛いやつだ! バンザイしながらの顔面強打ってやつ? 運動会でときどき見る無様なやつ。そう思ったけど、俺の顔面が打ち付けたのは、砂が払われた校庭でも、硬い地面でもなかったみたい。分かるだろ! 俺が光ってるっていえば! 俺の顔面が着地したのは、花が咲き乱れる谷間よりフローラルで、『ぷにぃぷりんっ』よりぷにぃでぷりんっな場所。まりえのおっぱい! あぁ、気持ちイイー! まりえの声も聞こえる。はじめは苦しそうだったけど、急に変わり、いつもの気持ちイイー! ときの声になった。なんとなく、勝ちました感が俺を支配する。
『終わってみれば、俺の独り勝ち!』
「太一、よく頑張りましたね!」
社務所の地下室。俺は光龍様のひざまくらの上で目覚める。起きて直ぐに聞く光龍様の労いのお言葉はお優しく、その声色はもっとお優しい。昨夜のことは本当にあったことのようで、肩が少しズキズキする。まりえは、すやすやという寝息を立てて眠っている。その他大勢もいる。擬人化したばかりの金魚達だ。俺の放つ不思議な光の所為。
「光龍様、俺、怖かった……。」
「そうね。私もびっくりしたわ。あんな無茶な提案……。」
しばらくは光龍様に甘えちゃった。まりえやその他大勢が眠っているすきにね。光龍様もこの日ばかりは甘やかしてくれたんだ。ヒーローもののドラマやアニメって、闘いが終わったあとの数分間は日常の1コマみたいのになって終わるよね。あれっているの? って思ったこともあるけど、はっきり分かったよ。俺は断然いる派。達成感をさらに際立たせるには、こういう癒しの時間が必要なんだと思う。収穫祭とか豊漁祭っていうのも、言ってみればこれと同じ原理なんだと思う。戦いのあとに訪れる日常という名の平穏。絶対いる。
「あっ……。漆黒の闇は?」
「滅びましたよ。太一の活躍でね」
つるつるぴかぴかで、全くむくみのないすべすべの御御脚。ぷにぃという弾力はないけど、まくらにするにはちょうど良い柔らかさ。おっぱいが邪魔で光龍様のお顔は見えないんだけど、きっとお優しい表情をなさっているんだろうな。思い切ってのれんでも潜るようにしておっぱいを手で払い、お顔を覗こうともするけど、そんなことをしてこのひざまくらを失う訳にもいかない。今で充分に幸せなんだ。そんな光龍様のひざまくらの上を楽しんでいると、まりえが目を覚ます。もう少しこうしていたかったけど、仕方ない。その他大勢も目覚めたんで、昨夜の出来事をおさらいする。
『まりえに対してもお優しい光龍様』
昨夜、俺達が遭遇した出来事について考察してみる。まりえに取り憑いていたのは、漆黒の闇の本体ではない。使い魔のような存在らしい。それだけで昨夜の強さなんだから、本体を相手にするのは難儀だろうな。加茂禰宜さんに取り憑いて操っていたけど、まりえに襲われ、宿主を変えたんだろう。
「まりえは、中身が空っぽ過ぎるのです」
「そんなことないよ。まりえの中はマスターのことでいっぱいだよ!」
取り憑かれた事実を棚に上げて、負け惜しみを言うまりえにも、今日の光龍様はお優しい。光龍様の分析によると、まりえの思念は、俺のことが40%と1番多く、自分のことが10%って感じみたい。残りの50%は空っぽで、その場に応じて色々と変化するんだって。そんな領域は誰にでもあることだと思うな。まりえの場合、あるときは『ラブプリ!』だったり、あるときは『たい焼き』だったり。固まっていないから、寄生体にとっては宿るきっかけにしやすいんだって。まりえのいう、俺のことでいっぱいというのは、当たっていない訳ではない。つまり、まりえは自分のことを考える領域は少なめで、空白が極端に多いだけ。普通、他人のことを40%も入れられないよ。これからいろいろな体験を通して自分を磨いてくれれば、空白の領域が減って、取り憑かれる心配はいらなくなるってこと。
『まりえとますたー』
まりえに取り憑いた使い魔がまりえを操って襲おうとしたのは多分地下室にいた金魚。光龍様にも本当のことは分からないみたいだけど、水槽の中に1匹の金魚が悠々と泳いでいるのがその証拠だろうって。俺達が『ますたー』と呼んでいる小赤だ。この子は特別で、まりえが名付け親なんだよね。もう1つ他の子と違っているのは、『ますたー』だけがオスだということ。俺は今知ったんだけどね。
俺がまりえのあとをつけたのは、なんとなくおかしいと思ったからだけど、光龍様ははっきりとしたまりえの異変に気付いたらしい。
「夜中に神殿を素通りするなんて、まりえらしくないもの」
夜な夜な神殿に現れて供えものを盗み食いしていたらしい。それが素通りするんだから、怪しまれるのも当たり前だろう。寄生体としてみれば、少ないながらも存在するまりえの中のまりえの領域に耳を傾けるべきだったのかもしれない。
それから、漆黒の闇は不思議な光に弱いみたい。もしあのとき、俺が蹟かずに体当たりしていたとしても勝てなかったと思う。躓いてまりえの温もりに触れたから使い魔を滅ぼすことができたんだ。ラッキースケベ様様だ。
といっても、あまりにもたくさんのおまけを生み出してしまった。総勢8人。彼女達には巫女アイドル「はねっこ乙女」としてデビューしてもらうことになった。詳しくは本家「はねっこ」の活躍と一緒にご報告しようと思う。
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