地下室

 しばらく経つと、まりえが地下室にやって来る。俺がいることにはまだ気付いていない。俺は声をかけようと思ったけど、躊躇ってしまう。それほどまでにまりえは落ち込んでいる。両膝をつき、両手をその前について水槽を見つめている。


「マスター、まりえ、行くとこなんかないよ……。」


 水槽の中にいる金魚に話しかけているのか、背後にいる俺に話しかけているのか、それとも独り言か。分からないけど、悲しそうな声色。


「まりえには、嫌なことなんか忘れられない……。」


 こんなとき、なんて声をかけたら良いんだろう。何が正解なのかなんて、分からない。逡巡する俺をよそに、まりえは続ける。


「ごめんなさい。マスター、ごめんなさい!」

「謝んなきゃならないのは、俺の方だよ!」


 俺は、さっきまでの迷いが嘘のように、とっさにまりえに話しかける。だが、次に続ける言葉なんてない。


「マスター? どうしてここに! はっ、まさか……。」


 まりえの方はよく喋る。聞くことにする。


「まさか、マスターも嫌なことを忘れたくって……。」

「わっ、忘れるものか。良いことも、悪いことも」

「えっ、でも、前は嫌なことは忘れたいって、言ってた。もう忘れたの?」


 まりえが馬鹿だなんて思わないけど、馬鹿正直なのは事実のようだ。俺はまりえとの思い出は、良いことも悪いことも忘れたくないんだって告げる。そしてまりえに謝る。まだ字が上手に読めないまりえに写真の発注を押し付けた俺の責任だ。


「嬉しい。まりえもマスターのこと忘れたくないし、まりえは悪くなかったし」


 多少腑に落ちない面はあるが大体はその通りで事態は丸く収まる。まりえも戻って来たし俺としては納得できる結果だ。まりえの方は喜んでいるくらいだからこれ以上は心配なさそう。心配なのはむしろ俺。まりえが抱きついてきたんだ。ハグ! あぁ、気持ちイイー!


「マッ、マスター! 気持ちイイー!」


 あまりに気持ちイイー! となって、俺は発光する自分を想像する。まりえはその光に照らされて、気持ちイイー! のだろう。けどその想像は間違え。突然のアイリスさんとのハグとは違い、求め合ったまりえとのハグ。俺は全く発光しない。それもそのはずで俺には発光に必要な緊張も興奮もない。それらとは真逆の落ち着き、安らぎを覚える。今までの俺は発光体質の自分が嫌いだった。だから女の子を避けていた。けど自分の感情を制御できれば発光も制御できるのかもしれない。だったら女の子を避ける必要もない気がする。まりえを抱く心地の良さの中、俺は発光体質に対して前向きになる。だからと言って、俺の年収が上がる訳ではないけどね……。

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