第2話 妻はメシマズ?

「そういえば…」

 通勤中に浮かんだとある疑問。

 もちろんそれは紗奈に関すること。

 今朝を思い出す。

 その記憶の1ページに紗奈のあるセリフと噛み合わない部分がある。

 紗奈は言った、下手だから料理を作らなかった、と。

 確かにあの味は食べられたものではない、下手と言うより壊滅級だ。

 しかし、ならばなぜ料理が下手なのに、あれほど見た目が見事な卵焼きを作ることが出来たのだろうか。

「…」

 ま、いいか。

 ぽつんと沸いた疑問は、朝の澄んだ空気に溶けていった。


「ただいま」

 そう言ってドアを開けると、トーストとコーヒーの、朝の匂いがした。

 消防士は1日働いて、次の日の朝に帰宅するため、ちょうど朝食の頃に帰って来れる。

 するとすぐに、「おかえりなさい」と、紗奈がドアからぴょこんと顔を出した。

 …かわいいな。

「朝ごはん、まだだよね?」

「まだだよ」

 すると、紗奈は柔らかくはにかむ。

「そっか、それじゃ一緒に食べようか」

 ちょっと待っててね、と奥に消えていくと、トースターを動かす音が聞こえた。

 とりあえず俺も靴を脱ぐ。

 そして、開けっ放しのリビングに足を踏み入れた。

「もう少しかな〜」

 トースターを覗き込み一人で呟く。

 そんな紗奈の後ろ姿に、微かな疑問を覚えた。

「紗奈」

「ん?」

 紗奈は振り返り、小首を傾げる。

「少し髪切った?」

 心なしか、後ろ髪が短くなったような気がする。

 すると、

「気がついてくれた?ふふ…嬉しい」

 嬉しそうに、どこか照れくさそうに笑った。

 チーン!

 トースターからきつね色に焼きあがった2枚のパンが飛び出す。

 それを皿に乗せると、紗奈は冷蔵庫からイチゴのジャムとマーガリン、バターを取り出し、テーブルに置いた。

「ちょっと待っててね、コーヒーも作るから」

「ありがとう」

 にこりと笑って、棚から真っ白なカップを取り出す。

 鼻歌を歌いながら、コーヒーの瓶をサッサと振った。

 我の妻ながら思う。本当に人として、妻として完璧だなぁ。って。

 もし、奇跡という言葉が使えるのなら、紗奈に出会えたことが奇跡だ。

 と、そんなことを考えているうちに、

「はい、コーヒー」真っ白なカップが目の前でコトっと心地のいい音を立てた。

 白い湯気がゆらゆらしている。

「ありがとう、それじゃいただきます」

 きつね色のトーストをかじる。

 サクリ、気持ちのいい音が口の中で弾けた。

「ジャム着けないの?」

 紗奈は不思議そうな声でそう尋ねる。

「んー、1枚目はそのまま食べるのがこだわりでね、パン本来の味を感じられるから」

 と言って紗奈の方へと向き直る。

 …え?

 なぜだろう、理由はよく分からないけど、とても複雑そうな顔をしてる。

「紗奈?」

 呼びかける。すると我に返ったようにいつもの笑顔を取り戻して、

「え、あ、ごめんボーッとしてた。なんかそれ変なこだわりだね」

 ははは、と苦く笑う

よく見なくても分かる。

笑っているつもりなのだが、無理に口角を上げてるせいか、口元が引きつって居心地が悪そうだ。

「なんか癪に障るような事言ったならごめんな」

 その問いに両手を振りながら、

「ううん、違うの。本当になんでもないから大丈夫!」

 押し通すように言い切る。その後すぐに「ちょっと買い物行ってくるねー」と、だけ言って部屋を出ていってしまった。

 俺と疑問だけが残されたリビングにテレビの音だけが響く。

 静かな時間がやってきた。

 明らかに様子が変だ。まるで触れられたくないものに触れられた時とよく似ている。

 本当に紗奈は大丈夫なのだろうか…。

 まだ湯気が登るカップに指をかける。

 苦い匂いと共にコーヒーを1口啜った。

「…なんかしょっぱいな。」

 恐らく塩と砂糖を間違えたのだろう。

「意外とおっちょこちょいだな、紗奈は」

 パンとコーヒーを平らげ、シンクに食器を置く。

「後で洗えばいいか」

 そして、テレビを見ようとリビングに戻ろうとした時。

 突拍子のない可能性が自分の中で浮上してきた。

「まさか…な」

 台所へ振り返る。

 本当に突拍子のないし、しょうもない。

 …だけど。

 今朝のあの反応、しょっぱいコーヒー、クソマズ卵焼き。

 確かに偶然の産物かもしれない。だけどもうひとつの可能性を考えると、そっちの方が辻褄が合う。

 嫌でも、合ってしまう …。

「…。」

 決して妻を疑う訳では無い。

 そんな考えとは裏腹に俺の体は勝手に動き出した。

 戸棚を開ける。

「…試してみるか」

 生唾を飲み込むと、喉仏がぐるりとなった。




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