俺の妻がメシマズな理由

あげもち

第1話 妻はメシマズ

 上田和希うえだかずき、24歳、消防士。

 体力、知力、そして顔がそこそこの俺に妻が出来た。

 妻の名前は神代紗奈かじろさな、今は苗字が変わって上田紗奈。

 整った顔立ちで周りからも美人と言われている。

 そんな紗奈と付き合いを始めたのは、今から1年前のことだ。

 1年前、上司と飲み会に行った帰り、妙に美人で、髪の長い女の人が3人の男性に囲まれているのが目に入った。

 最初は「サークル仲間かな?」って思ったんだけど、どう見ても嫌がっていたし、極めつけには腕を引っ張って無理やり引き込もうとしていたのだ。

 あ、っと思った時にはその中に飛び込んでいた。

 その後はよく覚えていない。

 ただ、「辞めてやれよ」的なことを言ったら殴られて、3対1みたいな感じで喧嘩が始まって、女性が警察を呼びに行くあいだ、上司は笑っていたような気がする。

 その後に警察が来て、その場で事情聴取が始まって、なぜか俺が悪いみたいな感じになったところで、あの女性が「私を庇ってくれたんです」みたいなことを泣きながら言ったのだ。

 そのおかげで、俺は2日の停職と減給で事が丸く納まった。

 …まぁ、決して丸くはないけど。

 そして停職が開けた1日目の仕事の日に、あの女性がうちの消防署を尋ねてきた。

 その女性は神代紗奈。

 彼女はあの後、どうしてもお礼と自分のせいで停職と減給処分になってしまったことに対する謝罪をしたいと、尋ねてきてくれたらしい。

 そこで連絡先を交換し、減給処分にしてしまったから、せめて…と30キロの米を大量に持ってきてくれた。彼女の実家が米農家で、しかも、そこそこのブランド米らしい。

 ただ、米に困る心配は無くなったのだが、マンションに住んでるせいで、正直スペースに困ったのを今でも覚えている。

 その後も度々会ううちに、互いに付き合おうという話になり、結婚。

 そして今に至る。

 美人で、人当たりもよく、何よりも俺を好きでいてくれる。

 そんな、妻として、愛人として非の打ち所のない紗奈なのだが、一つだけ疑問に思うことがある。

 それは、なぜか頑なに料理をしようとしない事だ。

 例えば忙しくて、とか、冷蔵庫に何も無くてとかなら分かるのだが、紗奈は専業主婦だし、冷蔵庫にはしっかり具材を用意してある。

 それなのに、ほぼ毎朝出てくるのは味噌汁(ファミマ)、ひじき(ファミマ)、千切りキャベツのサラダ(ファミマ)、焼き鮭(ファミマ)…。

 家で出てくる料理はレンジでチンしたやつ(ファミマ)か、インスタント(ファミマ)、造形食(ファミマ)ばかり。

 …。

 ファミマってすげぇな。

 と、気がつけば俺達はファミマに頼り切っている。

 まぁ、別にそれが悪いというわけではないのだが、やっぱり妻の料理を1度、食べてみたい。

 そして、今日。

 ゴトッ、硬い皿の音が机に響く。

 その上には色艶のいい卵焼きが乗っていた。

「どうしたんだ?紗奈」

 彼女はえーっと…。と目を泳がせる。その仕草はまるで「自信がないよ〜(;o;)」と言わんばかりだ。

「…。作ってみたの、卵焼き」

「…紗奈が?」

 うん。小さく頷くと、なぜかお盆で顔を隠す。

 …可愛いな。

 紗奈には自信を持ってもらいたい。だから多少味が変でも「美味い」と言うつもりだ。

 それに紗奈の初料理だ。彼女が頑張って作ったものを悪く言いたくない。

「そっか。それじゃ紗奈の初料理、いただきます」

 箸で器用につまむ。

 見た目は見事だ。形もいいし、色もいい。

 きっと、てか、間違いなくうまいんだろうなぁ…。

 まるで俺の期待と想像を具現化したように、黄色くフワフワした卵焼きを口へ運んだ。

「…。」

 …ん、あれ?…ん?

「どう?」怪訝そうな顔を向ける。

 俺は苦笑いしながら、

「なんか舌の調子がおかしいな、ははは。どれ、気を取り直して…」

 パクリ。

「…嘘やん」

 口から思わず言葉がボロりと出てしまった。

 予想外の出来事に箸が止まる。これは事案だ。

 え、なんでどうして?色と形はいいのになんで?

 口に入れた瞬間広がる、ソースっぽい酸っぱさ。それになぜ合わせてしまったのか問いただしたい、お菓子のような甘さ。

 とにかくミスマッチだ。紗奈は一体どこで何を間違えたのだろう。

 紗奈には悪いけど、オブラートに包んで不味い。

 そんなことを考えていると、

「はぁ…やっぱりか…」

 紗奈の落胆した声がボソリと聞こえた。

 慌ててリカバリーにかかる。

「いや、不味いって言うか…なんて言うか…うん、あれだ、特徴的な味だな。」

「…。」紗奈は黙る。

「紗奈?」

「それ、慰めになってない…」

 やってしまった…と思った時にはもう遅く、紗奈は卵焼きを引っ込めると、一気に頬張る。

 てか、紗奈はあの味、大丈夫なのか? 俺は…。

 やばい、胸焼けしてきた。

 ヤケになった紗奈は、卵焼きを飲み込むと、皿を流し台へと突っ込む。

 そして静かな静寂が訪れた。

 妙にニュースキャスターの女性の声が甲高く響く。

「その、紗奈。」

 その静寂を先に切ったのは俺だった。

「なに?」

「…ゴメンな」

 しっかり紗奈の目を見る。ワンテンポ遅れて頭を下げる。

 決して紗奈の作った卵焼きを悪く言おうと思っていたわけじゃないんだ。

 また、静かな時間が訪れた。

「…いいの」

 小さな息遣いの後、ボソリと呟く。

 そして優しく微笑み、

「私の方こそごめんね、変なもの食べさせちゃって」

 はぁー、と息を吐く。

「私さ昔から料理が下手でさ、それでいつも作らなかったんだけど、最近、和希が私の料理食べてみたいって言うから、張り切っちゃった」

 そっか、そうだったんだ。

 申し訳なさそうな笑顔を見ると、心が妙にざわついた。

 俺のわがままを聞いてくれたのに…ひどいことしちゃったな…。

「これから練習しなくちゃな〜、あはは…」

「紗奈」

 改めて彼女を呼ぶ。

 彼女は申し訳なさそうな笑顔を崩すと、少し驚いたような顔をした。

「なに?」

「…俺のためにありがとう」

 静かな沈黙。

 その少し後に、ふふ。と心地のいい笑い声。

「なにそれ」

 彼女は微笑む。それを見て俺も救われたような気がした。

 あぁ、やっぱり。

 紗奈には笑っていて欲しいな。

 ははは、俺も笑いを返す。

 ふと、時計に目を向けると午前7時10分。

 あと20分もすればもう、家を出なければ行けない。

 それに紗奈も気がついたのか「あっ」と声を上げると慌ただしく動き始めた。

「ごめん、もう仕事だよね、とりあえず食器洗うから」

「いいよ、俺も手伝うよ」

「和希は仕事のために準備しちゃって、こっちは私だけで大丈夫だから」

 と、紗奈は台所に食器を突っ込むとスポンジを擦り付ける。モコモコの泡が揺れるのが目に入った。

 だけど、さっきの罪滅ぼしというか、償いというか…とにかく、紗奈の隣まで行くと俺もスポンジを持つ。

「紗奈は少し頑張りすぎなんだよ」

「でも、私は専業主婦だから」

「いいの、俺は紗奈がいてくれるだけで元気を貰ってるから。今日はそのお礼ってことで」

 少しの静寂。今日はやけに静かな時間が多い日だ。

 すると、ワンテンポ遅れて「もぉ、和希…」小さくつぶやく。そして、

「ありがとう、優しいね」

 ふふ、と心地よく笑った。

 その笑顔はいつ見て心臓が跳ねる。きっとこれから何十年経っても、それは変わらないのだろう。

 俺も笑ってみせる。

「だろ? 紗奈にしか優しくしないからさ」

「変な冗談。でも嬉しい」

 スポンジを皿に擦りつけながら、横目で紗奈を見る。

 嬉しそうに微笑む横顔に、胸が高鳴るのを感じた。

 それから、皿を洗い終わるとすぐに着替え、荷物をもって家を出た。「行ってらっしゃい、今日も頑張ってね」紗奈の笑顔に見送られながら。

 その一言だけで、今日も頑張れる。紗奈と付き合う前はあれだけ家を出るのがおっくうだったのに、紗奈のためにと思うだけで、体は追い風を受けたように職場へ進んでいくのだ。

 昔、上司がこんなことを言っていた。「男は愛する人を持って一人前だ」と。

 今ならその意味が分かる。確かに妻がいる、守りたい人がいるだけで、仕事への向き合い方も変わってくる。

 少なくとも、俺が仕事をすることで彼女を守れるのならば、しっかり仕事をしようと思える。

 だって、紗奈は世界一大切な人だから。

 さて、今日も仕事を頑張ろう。

 俺は歩くスピードを早めた。

「そういえば…」

 背負ったリュックのカラビナに、とある疑問をぶら下げて。

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