1. 佳篇

「この学校ってさ、部活にあんまり力を入れてないでしょう。の割に、美術部だけは定期的にコンクールで賞を受賞してるんだけど。それも、このクラスにいる美術部の部長がとっても優秀なんだって。」

「確かに、学校全体で集会が執り行われる際に何回か表彰されてた覚えがあるな。でもそれって、一昨年去年の話で、三年に上がってからはめっきりじゃないか。」

「櫟井君、案外集会での話とかって聞いてるんだね。確か、櫟井君は美術部の部長と一、二年生の時はクラスが離れてたよね。私は一年生の時に同じだったんだけど、美術の時間の彼は、彼だとは思えない程にいきいきしてたことを覚えてる、本当に芸術が好きなのね。」

「君は本当に色んな人を見てるよな。現に、今のクラスでも僕に好き好んで話し掛けてくるのなんて君くらいのものだし。」

「うーん、あんまりその自覚は無いかも。私は私という学問を深める為に、別の個体のサンプルとして極力沢山の人と交流を持とうとしてるだけだから。」

僕は、精一杯の皮肉を込めて樒に言葉を向けたつもりで居たが、彼女はどうやら僕のその意図も汲み取っていないらしく、図ってのことか否かは定かでは無いが、僕は彼女からもまた、返す言葉で皮肉を受けた、と受け取ってしまったので、無性に腹が立った。彼女の発した、無自覚である、という旨の発言は一体僕のどの発言への反応なのか釈然としなかったが、今そこを掘り下げても僕にとってメリットというメリットも見出せなかったので、本題に戻ることにした。

「他人のことが好きなのか嫌いなのかはっきりしないな、君は。好きとか嫌いとか、そういう視点で対人関係を語る時点で君と僕との間には大きな価値観の相違があるように思うけれど。時に、美術部の部長がどうかしたのか?」

「うん、美術部は元々、部長含めて部員が四人居たんだけど。皆部長と合わなかったらしくて。結局籍だけ置いてあって、実際に活動してるのは部長だけなんだよね。」

「へえ、そんな排他的な奴には見えないけど。人間、コミュニティが変われば性格も一変するからな、分からないものだね。」

「私はそうは思わないけどね。やっぱり、軸みたいなものは変わらないんだと思うよ。変わるのは周りだけであって、性格なんてのは本人じゃなくその周りが決めるだけなんだから。人は周囲を鏡として自己の在り方を見る以外に自己分析が出来ないようなもので、その人の在り方自体は揺らいでないんだろうけど、鏡が作る光の反射の仕方次第では全然違う姿に写ったりもするんじゃないかな、本質は変わらずとも。」

僕の期待する話の展開に思うように進まないことに幾許かの苛立ちを覚えながらも、彼女に一言えば十返されることは経験則からして自明であったので、僕はこの場をなるたけ早く脱出出来るよう、はみ出した車輪をレールに戻す作業に徹底することにした。

「ふうん、殆ど分からないけど。それで、一人になった部長がどうかしたのか。」

「そうそう、それなんだけどね。今回の相談は、実は部長が私にして来た相談を、櫟井君にも手伝って貰おうと思ってね。力貸して欲しいんだ。」

「申し訳無いけど、僕には貸す力も時間も意欲も有りやしないぞ。それこそ、別のクラスメイトに当たればもっと効率的なんじゃないのか。」

「皆ほら、受験勉強してたりするから、中々私情で邪魔出来ないなあと思って。」

「君は失念しているかも知れないけど、僕も紛う事無き君のクラスメイトであるし、受験生であることに変わりも無い。僕が劣等生だからと言って、無条件に勉学に励んでいないと断定するのはやめてくれ。」

「私だってただの劣等生に対してこんなに失礼なこと言わないよ、櫟井君だから言ってるんだよ。」

「……。」

「櫟井君はさ、頼りになるじゃない。」

違和感があった。全く明瞭なものではなくて、ただただ漠然とした違和感、そこにあるはずのないものがさも当然のように置かれているような、そういった類の違和感が僕の心に渦巻き、弛緩し切っていた僕の全身の筋肉は緊張し、拍動の音が頭蓋骨を中から叩くような感覚に襲われた。終始、自然な笑顔を崩さない樒の表情にさえ、畏怖の情を抱いてしまう程に、その違和感は僕の心身を強く支配した。小奇麗に並べられた、と思っていた黒板の文字が、歪む。歪な形をした文字列は、地面にのたうつような僕の心に、不協和を齎す。しかし、樒に対してこのような動揺を悟られて仕舞えば、僕は教室で会話をしている最中に突如悶え苦しみ出す奇天烈な人間だと思われかねないし、不本意にそういった印象を持たれるのも良い気で無いので、僕は今にも倒れそうな身体が椅子に座っていることに感謝して、会話を続行することとした。

「君には本当に敵わないな。いいよ、僕で良ければその話の続きを是非聞かせてくれ、今生の頼みだ。」

「『一生のお願い』って、自分の一生をどれだけ高く値踏みして言ってるんだろうね、一生その相手との関係が続いて、その上でこの先自分は貴方にお願いをしません、っていう重い意思表示のような気がして、私にはそんな軽口、使える気がしないなあ。……あ、そうそう、美術部が、って言っても部長と顧問の先生だけなんだけど、猫を飼ってることを知ってる?」

「さあ、見たことも聞いたことも無いな。」

「私も最近まで知らなかったんだけどね、その猫が急に居なくなっちゃったんだって。で、それを探すのを手伝ってくれないか、って部長直々にお願いされちゃったから。学校の敷地だけでも馬鹿に出来ない広さなのに、気まぐれな猫がまだ学内にいるって根拠も無いから、二人じゃ見つかる気がしなくって。それで、櫟井君にも手伝ってもらおう、って。」

「君は僕のことを万屋だと思っている節があるし、極めて不快だ。それに、二人で見付けられないものは三人でも見付けられない。」

「数学的演繹論理、ってやつ?櫟井君って面白いよね、例えば一億人で探せば、見つかるに決まってるじゃない。この状況に置いてはその理屈には欠陥があるね、二人で見付けることが出来ない、っていう前提を櫟井君は証明出来ていないから。」

「仮に二人で見付けることが出来るのであれば、僕の助力は必要で無いし、君と部長で探せばいいだろう。失言だったな、樒。お前にしては珍しい、僕にも取れるような揚げ足を曝け出して来るなんて。二人で見付けることが出来ない前提は他でもない、君自身が提示して来たじゃないか。」

「そうかも知れないね。でも私は櫟井君に来て欲しいんだってば。良いじゃん、ほら、一生のお願いだから。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る