後編

 神様の繁忙期は、やはりお正月である。それに次いで、秋祭りやら神社固有の行事やらのときだろう。

 そういう、人々からの信仰心が集まるときが一番、神様の力が強まるときなのだ。日頃から需要のあるご利益の神々は別として、閑散期は神威が弱まってしまう。

「嬢ちゃんや、朝餉あさげはまだかのう」

「さっき宮司さんが献饌けんせんしていましたよ?」

「おぉ、そうじゃった。食ったばかりじゃ」

 白雑じりのぜんを撫でて、束帯姿の神様は面白そうに笑っている。

 神威が弱まるのは仕方ないが、どうしてここまで老けてしまっているのか。他所の神様は幼い外見に変わっていたのに、よりにもよって何故、ここの神様は老化してしまうのだろう。

 これは悪質な詐欺である。

 照りつける日差しに汗を垂らしながら、私は箒を握り締めた。こんなに冬を恋しいと思ったことは無い。

 そんなとき、鳥居の向こうに人影が見えた。小学生の頃から親しくしていた友人で、私に霊感があることを知っている。当時は周りに隠していなかったので、相当な不思議ちゃんに見えたに違いないのに、彼女は私のことを信じてくれたのだ。

「よっ! 夏休みだからって、早くから頑張ってるねぇ」

「ようおまいりです~。なんだか照れるね。来てくれるなんて思わなかったよ」

 ぺこりと頭を下げると、友人は恥ずかしそうに手を振った。

「いやいや、自分のためよ。明日また、免許の試験を受けるの」

「あぁ、なるほど」

 確か、何度か落ちていると聞いた。美大に通っている彼女は、学生でありながらイラストの仕事を請けている。忙しさのあまり、教習所を卒業してすぐに試験を受けに行けなかった所為で、ずるずると黒星を繋げているようだ。

「じゃあ、しっかり祈願していってね!」

「うん、ありがとー」

 ひらひらと手を振る彼女が手水舎へ向かう。あることを思い付いた私は、真横に居る神様に少しお願いしてみることにした。

「あの、神様」

「無理じゃ」

 見事に先読みされてしまった。ただ、友のためにも自分のためにも、引き下がるわけにはいかない。

「違うんですっ。あの子性格が良いから、引っ掛け問題に弱いだけなんです! ですから、緊張し過ぎないように、ちょっとだけその御神徳を……」

「……ふーむ、仕方ないのぅ」

 そう言って神様は、髭の生え際をカリカリと掻いた。


 その翌日の午後、友人から吉報が届いた。

「よし……!」

私はガッツポーズをして、祝辞にひとつ頼み事を添えた。友人からのこころよい返事を見た私は、成功を確信した。

 更にその翌朝、宮司さんから緊急呼び出しの電話が掛かってきた。大変なことになっているから早く来て欲しい、とのことだった。

 これを待っていたのだ。

 神社の裏手から入り、巫女服に着替えて授与所に行くと、宮司さんが懸命にお客さんをさばいているところだった。

「あぁ、やっと来た! な、なんか、ツイッターで見たとかで、朝早くからこの調子なんだよっ」

「えぇっ! そうなんですか!」

 渾身の演技で知らないふりをした。そう仕向けたのは他でもない私だ。

 ネット上で人気絵師としても活動している友人に、神社を紹介して欲しいと頼んでいたのである。その効果は覿面てきめんで、お昼過ぎまでは人が絶えなかった。

 いつもより遅い昼食を終え、神様の姿を探した。たくさんの信仰心を集めて、さぞや若々しい姿になっているだろうと思ったのだ。

「え……?」

 全く変わっていなかった。あの日と同じように梅の木を撫でているが、全然ときめく姿ではなかった。

「嬢ちゃん。戻らなくていいのかのぅ?」

 こちらに気付いた神様が、そう言ってニヤニヤと笑った。

――私の思惑おもわくがバレている……?

 祟り神様の笑みに恐れをなした私は、全速力で授与所に舞い戻った。


 流石に、受験の合格祈願よりは需要がとぼしいらしく、宣伝効果があったのは一週間だけだった。

「人の噂も七十五日と言ったが、今は七日程度かぁ」

 授与所の中で座っている私の横で、神様はのんびりとした口調で言った。

「あの、余計なことをして、すみませんでした……」

「騒がしいのは正月だけにして欲しいのぅ。梅の木がいたんだら大変じゃ」

 近付いてくる足音に気付いた私は、言葉を返さず首肯のみにとどめた。

 その参拝客の中年女性は、並べてある御守りに一瞥いちべつもくれず、こちらを見下すような目つきで睨んできた。

 女性の剣幕に怯みながらも、気を取り直してお定まりの挨拶をした。

「ようお参りです……」

「アルバイトさん?」

「あ、はい」

 私がそう答えると、女性はわざとらしく鼻を鳴らした。

「今は皆、アルバイトの子よね。どうせコスプレ感覚でやってるんでしょ?」

 偏見丸出しの悪意をぶつけられ、混乱した私は何も言えなかった。

 何も言い返さない私を置き去りにして、自分の世界に入り込み滔々とうとうと語り出す様は、何かに憑かれているようで只々恐ろしい。

 ザッと砂を踏む草履ぞうりの音が聞こえたとき、恐怖心にとらわれていた私は我に返った。

「うちの巫女が何か失礼を?」

 白い袴姿の青年が女性に近付き、眉を下げて微笑んでいた。その青年は服装こそ違うものの、あの日見た神様そのものだった。

 女性は急に態度を変えて、青年の方に向き直った。

「あら、神主さん? ここの狛犬には子犬が居るでしょう? その子たちがあそこで遊んでいるから、教えてあげていただけですわ」

 そう言って女性は狛犬の方を指差した。もちろんそんなものは居ない。

 ここに居るのは老狛犬と、江戸時代に流行っていたからと神様が召し出したちんの霊だけだ。

「左様でしたか。私には見えませんが」

「あら、残念だわぁ。うふふ……っ」

 普段若い男性と話す機会に恵まれていないのか、口から息を漏らす程興奮しながら、女性は去って行った。

「はぁ……」

 上手くあしらえなかった自分が情けない。自己嫌悪に項垂うなだれていると、神様が授与所の中に戻ってきた。

 嵩張かさばる束帯姿に戻っているので、今は常人には見えない状態らしい。それでも何故か、中身は若いままだった。

「助けて下さってありがとうございます。ちょっと、ああいう人って苦手で……っ」

 目から熱いものが流れていく。

「あ、あの……少しだけ向こう向いててもらえませんか? 今のあなたに、こんな顔見せたくな……っ」

 メイクが落ちないようにそっと涙を拭っていると、俄かに辺りが暗くなった。入道雲にすっぽり覆われたように、激しい雨が降り出し、ゴロゴロと雷が鳴りだした。

 怒らせてしまったのだろうか。恐々、その顔を見ようと身を捻ると、神様が右手を上げた。

「ひっ……」

 思わず身をすくめたが、降りかかってきたのは拳骨げんこつではなく、大きな手のひらだった。

「そう怯えるな。こうしたら、嬢ちゃんが存分に泣けるだろう?」

 子どものように頭を撫でられ、安心感からか、またボロボロと涙が落ちた。

「……すみません、こんな私のために……」

 神威を高めて若い姿に戻ってもらおうと、つまらない画策をしたというのに。どうしてここまで優しくしてくれるのか。

「いやぁ、騙していたことへの罪滅ぼしさ」

「え?」

「私は神代の昔から居る神と違って、文献にしっかりと残っているからな。人々からの信仰、というのは常に足りているのだよ」

 『居る』と認められることが、神様の力となり得るのだという。

「あの姿になるまで生きられなかった私にとって、あれは憧れの姿なのだよ」

 そう言って神様は、哀しそうな顔をした。

「そう、だったんですね。すみません……」

 誰も好き好んで祟り神になるわけではない。都で穏やかに梅を愛でながら人生を全う出来ていたなら、今もこうして祀り上げられてはいなかったはずだ。

「それに、この姿だと嬢ちゃんは遠慮するだろう? 折角話し相手が出来るのに、遠巻きに眺められるだけでは困るからなぁ」

 初詣で来た時に見られていたのか。私は目を丸くした。

「皆、長く存在しているからな。新鮮な話し相手が欲しいんだよ」

 あの女神様たちもそうだったのだろう。程よい接し方を忘れていたから、物を頼むことや愚痴を聞いてもらうことしか思い付かなかったのかもしれない。

「そういうわけだから、私がこの姿のままでいるかどうかは……嬢ちゃん次第だな」

「精一杯、話し相手を務めさせていただきます」

 即座に答えた私は、深々と頭を下げた。

 神様の笑い声に顔を上げた頃、雲間から光芒が差し始めていた。


「もう。帰る時間になったからって降らせないで下さい」

「ただの夕立さ」

 私の膝を枕にして、神様は含み笑う。絶対、嘘だ。

「――『をとめの姿しばしとどめん』か。気の利く雨だなぁ」

「……えぇ、本当に」

 別に急ぐ用事も無い。それに今なら、人目も気にせず神様と話せる。

日本には八百万の神様が居る。家に帰っても、かまどの神やらトイレの神やら、いろいろと居るのだ。いつの間にか、ここが一番落ち着ける場所になっていた。

 神様が手を伸ばし、私の頬に触れる。

目を細めて微笑む神様の掌の中。私はそこから、まだ出してもらえそうにない。だが、それがどうにも心地良い。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様のたなごころ 芳野唄 @uta1019

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ