神様のたなごころ

芳野唄

前編

 七歳までは神の内、という言葉がある。それは今のように医療が発展していない時代、成人を待たずに亡くなる子どもたちが多かったからだ。幼子は神様のものだから、大人になるまではいつ連れて行かれても仕方ない、という慰めのための言葉なのだ。

 もし、それが本当ならば。もしかしたら私は、まだ神様のたなごころの中に居るのかもしれない。

 物心がついた頃には、神様がいつも傍にいた。ひとりっ子の私の傍に、常に年上の遊び相手がいたのだ。幼かった私は、その相手が人でないことなど知る由も無かった。

「あの子ったら、また……ひとりで喋ってる」

 母が父にそう耳打ちしたとき、いつもの遊び相手が自分にしか見えていないことを知った。

 それがあまりにもショックで、母に嫌な顔をされるのが怖くて、その日から神様の誘いにかぶりを振るようになった。

 オカルト趣味の友人に聞いた話だが、俗に霊感と呼ばれるものには種類があるらしく、人によって繋がる次元が違うのだという。

 一般的な、死んだ人の霊が見えるという人は低次元との繋がりが強いということだ。悪霊の場合は、霊自体の影響力が強いため、普段は見えない人にも見えたりする。

 私のように、神様のような高次元の存在を見られる人は、基本的に低次元の霊との繋がりも持っているものらしいが、何故か私は神様しか見えない。

 ホラー映画やグロテスクなものが苦手な私にとっては僥倖ぎょうこうと言える。

 そういうわけで、幼少期のトラウマから神様と距離を取っていた私だが、うっかり痛い目に遭ったことがある。


 初詣に訪れた神社で神様に声をかけられても、ずっと愛想笑いで済ませていた。そんな私が高校生となり、喫茶店でアルバイトをしていたときだ。

 居たのである。いわゆる、貧乏神と呼ばれる神様が。

 貧乏神を邪険にしたら居座られる。そう教えてくれたのは、幼い頃に遊んでくれた神様だった。その言葉を思い出した私は、努めて優しく接するようにした。

 その貧乏神の外見は、いかにもお金を持ってなさそうな若者だった。擦れた紺の着物の下に白い立襟のシャツ、そして薄ぼけた色の袴といういにしえの書生スタイルで、ぼさぼさの髪の下から黒縁眼鏡が落ちそうになっていた。

 そこで働いているときだけタイムスリップしたような心地がして、少し楽しくなり過ぎたのかもしれない。

 ある日、その貧乏神が礼を言ってきた。

「お嬢さん、いつも珈琲をありがとう」

 さっさと出て行ってもらうために、まかないのコーヒーをこっそり横流ししているだけである。礼を言われる程のことではない。

 店長の前で虚空に向かって話すわけにもいかず、いつものように愛想笑いで返した。

「随分はにかみ屋さんなんだね」

 私は、そんなことないですよ、という意味で首を傾げた。

「こんな僕に惚れても未来は無いよ。どうだい? 一緒に心中しないかい?」

「……え」

 貧乏神だと思っていたが、疫病神だったらしい。そういえば、少し前から店長の顔色が悪かった。

「いや、無理ですっ!」

 今だけは頭のおかしい子と思われても構わない。はっきり拒絶しなければ、店長の二の舞になる。

 だが抵抗も空しく、疫病神は引き下がらなかった。

「酷いじゃないか。僕が純情だと思って弄んだんだね? 本当に、酷いなぁ!」

 そう言って腕を掴まれ、私は悲鳴を上げて店を飛び出した。人間のお客さんがひとりも居なかったのが、不幸中の幸いである。

 外へ出ると、西日が辺りを赤く染めていた。その中をゆらりゆらりと肩を揺らして、疫病神が歩いてきた。初めての窮地に腰が抜けてしまい、電柱に寄りかかって覚悟を決めたその時だった。

 ばさりと、道いっぱいに白い絨毯が敷かれた。映画祭で見るレッドカーペットのようだと思った。

 その絨毯に、疫病神はぷちりと潰されてしまったのだ。

 呆気に取られていると、白馬に乗った神様とその眷属の一行が近付いて来るのが見えた。

 馬上の神様は、時代劇の殿様風の出で立ちで、得意満面にこちらを見下ろしてきた。

「娘、余の顔を見忘れたか」

「ははーっ。えっと……、大将軍様?」

 それは恐ろしい力を持った方位の神様の名だ。しかし、これでは暴れん坊大将軍様だ。自分の往く道の邪魔者を徹底的に排除するのだから、暴れん坊には違いないが。

 ちらりと従者の方を見れば、汗を拭きながらほっとした顔をしていた。

「いやー、ようございました。ようやく上様のごっこ遊びを終えられそうじゃ」

「娘、礼を言うぞ」

 いつもの癖で咄嗟とっさに声を出せない私は、口をぱくぱくと開閉しつつ、去りゆく神様御一行に頭を下げた。


 そんなことがあったので、今度はきちんと祀られている神様が居るところでアルバイトをしようと思ったのである。

 だが、それもそれで問題があった。誰にも見えないことが前提の神様たちは、見える人間に対してやたらと干渉してくるものだ。疫病神の一件で男神恐怖症になっていた私は、女神を主祭神としている神社の助勤募集へ応募した。

 面接に行ったときに大抵、神様には見えることがバレてしまう。だから、神様の口添えもあってか落ちたことは無い。そう、恥ずかしながら今働いているのは三ヶ所目だ。

 一ヶ所目は美意識の高い女神様のところだった。働いている間は大変眼福だったが、シフトに入る度にデパ地下スイーツをねだられたので三ヶ月で辞めた。

 二ヶ所目はその真逆の女神様のところで、面接中だというのに神代の昔の失恋話を延々と話してこられたので、やむなく辞退した。

 募集を見つけるなり、すぐに飛び付いていたのがいけなかったのだ。アルバイトといえども、職場環境を重要視するべきだった。主祭神の性別に拘ってはいられない。

 ちょうど受験時期に入り、合格祈願という名目でいろいろな神社に参拝する機会を得た。

 神社巡りをする私の姿が必死に見えたのか、両親の勧めで、学問の神として名高いあの神様のところへ初詣に行くことになった。

 あえて外していたのに、何ということだろうか。

 表向きは学問の神様だが、祟り神としても有名である。参拝前夜は、雷に追われる悪夢に魘された。

 当日、ごった返す参拝客の荒波の中を、俯きながら歩いていた。本殿にましますだろう神様と目が合わないように、と思ってのことだ。

 参拝を終えて気が抜けていたのかもしれない。顔色の悪い私の代わりに授与所へ向かった両親と別れて、境内の人混みを避けたところを散策していたとき、遭遇してしまったのだ。

 まだ蕾を固くしている梅の木の傍に、束帯姿の青年が居た。冠のえいを冷たい風になびかせて、梅木の幹を愛おしげに撫でていた。才気煥発だった生前を想起させる端正な横顔に、目を奪われた。

 何が雷神だ、祟り神だ。優しそうな神様ではないか。

 大学に無事合格した私は、その神社の求人が出ていないか毎日チェックした。合格して有頂天になっていたのかもしれないが、我ながら調子の良いことである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る