6-2 病院への付き添い
―翌朝、真智子は慎一がこれから通うことになる待ち合わせ場所のS病院へ直接、向かった―
待ち合わせ時間の午前八時半前に病院に到着し、受付け付近に行くとすでに近くの待合席に座って待っていた慎一が真智子の姿を見つけ、立ち上がって声をかけた。
「真智子!」
「慎一、待った?」
「こっちもさっき、着いたばかりだよ。今、受付を済ませるからちょっと待っててね」
慎一はそのまま受付窓口の方へ向かった。真智子は慎一の方へと駆け寄り、受付を済ませる慎一の側に付き添った。受付を済ませた慎一は腎臓内科に真智子と一緒に向かい、腎臓内科で受付を済ませ、待合席に座ると言った。
「今日は一緒に来てくれてありがとう」
「ううん。慎一の体調のことが心配だからね。今日の気分はどう?昨日、奈良から東京に来たばかりで疲れてない?」
「昨日は真智子のご両親に無事、挨拶できたからね。ほっとしたよ」
「うん。改めて、昨日はありがとう。修司とまどかにも連絡しておいたよ」
「まあ、緊張したけどね。父も一緒についてきてくれたし、ピアノの演奏も真智子のご両親に無事、披露できたし」
「そういえば、お父様は奈良へ帰られたの?」
「父は今度、僕たちが暮らすことになるマンションの契約を済ませた後、奈良に戻るみたいだよ。真智子のご両親も良い感じの方たちだからって安心してたよ」
「そう、良かった」
「父は俺が東京で安心して暮らせるようにと思ってくれてるんだと思う。留学先で倒れた時も迎えに来てくれたし、父には本当に面倒かけたからね」
「お父様、厳しいけど優しい方みたいだものね」
「……真智子と会って、母のこともきっと思い出したのかな?僕も母のように死なれたら困るって考えたのかも」
「私も慎一から連絡があって、ハンガリーで倒れたことを聞いた時には驚いたし、心配ですぐに奈良にお見舞いに行ったんだもの。お父様だって、きっと驚いたと思うし、本当に心配だったからハンガリーまで迎えに来てくれたんだと思う」
「うん、そうだね。父のお陰で真智子とも再会できたし、感謝しないとね」
「……お父様に私とのこと反対されなくてよかったね」
「それは……真智子だもの。父もすぐに気に入ったんだよ」
「良かった。私もしっかりしないと」
「そうそう。春休み中でも桐朋短大での課題もきっとあるんだよね。忙しい時期に振り回しちゃったよね。明日からはできるだけ自分のことに専念してね。引っ越しが無事に済んだら、また、連絡するからさ」
そうこう話すうちに慎一の名前が呼ばれ、真智子も一緒に診察室の中に入った。診察室では慎一がネフローゼ症候群で入院した経緯や退院後の症状を一通り話した後、今後、薬物治療と食事療法を続けながら日常生活を送っていく上での注意事項などが医師から説明され、慎一は定期的に通院することになり、次の通院日の予約を入れた。
「ありがとう。今日は僕のために時間を割いてくれて」
診察室を出ると慎一は真智子に言った。
「体調のことはまだまだ心配だし、新学期から順調に芸大に戻れるようにしないとね」
「うん。ところで、今日は、この後、手続きを終えたら、芸大にも顔を出そうと思っているんだけど、真智子も一緒に来る?」
「えっ、いいの?」
「守衛さんに見学の意向を伝えれば、中には入れるからね。リスト音楽院で倒れた後、父が迎えに来て奈良に戻って入院して、無事、退院したことは連絡してあるけど、心配かけたし、新学期から順調にスタートできるよう、これからのことを相談しないといけないからね。僕が相談している間、芸大の中を見学していてよ。知り合いにあったら、真智子のことはフィアンセとして紹介するからさ」
「えっ、フィアンセ?」
「だって、そうでしょ。もうすぐ一緒に暮らすんだし」
「昨日の今日でなんだかまだ実感、湧かないし、私たちまだ学生だし、プライベートのことは他の人にはあまり言わない方がいいんじゃないかな?」
「じゃあ、友人ってことにしておく?」
「今はまだ、その方がいいような気がする。慎一もずっと留学してたんだし、病気のリハビリ期間だからね」
「真智子がそう言うならそうするけど、きっと、一緒に歩いていたら芸大の友人には彼女だって思われるかもしれないな。芸大に通いはじめたばかりの頃、話した同級生に彼女がいるって言ったことがあるから」
「それは、まあ、しかたないけど」
そうこう話すうちに慎一の受付番号が表示されたので、会計を済ませ、慎一と真智子は薬局の待合室へと向かった。
「ところで、さっきも言ったけど、今日は特別、付き添ってもらったけど、明日からは真智子は自分の課題のことを優先してよね。僕のせいで真智子の課題の進捗具合に影響したら、大変だからね。真智子ももうすぐ、二年生だし、短大だから、卒業に向けての課題やアンサンブル、演奏会のスケジュールをたぶん、たくさんこなしていかないといけないだろ?時々、連絡はするからさ」
「うん、わかった。慎一は大学に顔を出した後、今日はどうするの?叔父さんの家に戻るの?それとも奈良へ戻るの?」
「引っ越しの日までは叔父の家にいる予定で、準備してきたから」
「そっか。よかった。リハビリのこともあるから、くれぐれも無理しちゃだめだよ。引っ越しのことは業者さんにできるだけ任せてね」
「まあ、引っ越しといっても今まで叔父の家にお世話になったり、留学していた時期もあるし、大きな荷物はピアノだけだからね。ピアノが置ける防音設備が整っているマンションは決まったみたいだから、安心したところ」
そんなことを話しているうちに薬局の掲示板に慎一が持っている受け取り番号が表示され、薬を受け取った後、慎一と真智子は病院付きの食堂でランチを採ることにして、食堂へ入った。食堂へ入って向かい合って座ると何度かのデートで二人で食事した時のことが真智子の脳裏を巡った。目の前に座っている慎一もとても穏やかな表情で真智子のことを見ている―。
―そこに来たウエイトレスに食事のメニューを注文すると慎一は改まったように言った。
「僕たち今まではなんだか慌ただしかったけど、一緒に暮らせるようになったら、お互いのことを考えながら、お互いを支え合って、音楽への思いを深めていけるといいね」
「うん。そうだね」
「真智子はさ、桐朋短大進学後の進路のことはもう、考えてる?」
「そのこともね、私は慎一を優先したいの。私は慎一のような才能はないし、慎一を支えながら、一緒に音楽の夢を追っていければ、それだけで嬉しいから。慎一のマネージャーでもアシスタントでもなんでもするよ」
「その気持ちは嬉しいんだけどさ。真智子も卒業後も演奏会にも参加すべきだよ」
「参加できる時は参加したいと思うけど、卒業後、私が参加できるのはきっと内輪の小さな演奏会ぐらいよ。たぶん、慎一が参加するような大きな演奏会には参加できないと思う。それより、私はピアノの指導ができるような勉強は続けたいと思ってるんだ。音大での個人レッスンを受けて、そう思うようになったの。とにかく。これから一年、頑張って、先ずは卒業しないといけないけどね」
「僕も芸大に戻った後、忙しくなると思うけど、これからは真智子と一緒だから心強いよ。先ずは一年間、真智子が無事に卒業できるよう、側で応援するからさ」
「お互い、学生なんだし、同棲といってもルームシェアみたいな感覚でいいからね」
「でも、フィアンセでしょ!」
「そうだけど、リハビリのこともあるから……」
そんな話をしているうちに注文した野菜リゾットが運ばれてきた。病院付きの食堂ということもあって、メニューは健康に留意されている。真智子は一緒に暮らし始めたら、きちんと食事の準備ができるかどうか少し不安になった。
―慎一のリハビリのための健康的な食事のことをきちんと勉強しておかないといけないわ―
真智子はリゾットを口にしながら、不意に思った。
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