5-10 リストの『献呈~君に捧ぐ』&『愛の夢』

―そして、翌朝―。

 真智子は慎一からさっそくメッセージが届いているのに気付いた。

―今週の土日か来週の土日、真智子と真智子のご両親の都合がいい時に父と一緒に挨拶に行きたいんだけど、都合がつく日を早めに教えてください、よろしくお願いします―。

―えっ?

真智子は内心慌てつつ、不意に慎一の父の顔が思い浮かんだ。―父と一緒に―と書いてあることを考慮するときっと慎一が慎一の父に相談したのだろう。取り急ぎ、真智子はパジャマのままでリビングに入ると父はすでに起きてテレビのニュースを見ていて、母は朝のコーヒーを入れていた。

「お父さん、お母さん、少し話があります」

真智子は勇気を振り絞って言った、

「何だ、言ってみなさい」

「あの、実は私、付き合っている人がいて……」

「付き合っている?付き合っているとはどういう付き合いだ」

「……高校の頃、受験のことでお世話になって……」

「そういえば、お母さんから以前、そんな話を聞いたことがあったが、高校を卒業してもう一年近くなるから、受験の頃から付き合っていたということかな」

「はい。それで、音楽の道に進みたかった私を励ましてくれた特別な人です。その人と一昨日、結婚前提で一緒に暮らそうって話になって……」

「えっ、いきなり結婚前提?真智子、お前、まだ学生だろ」

「そうなんだけど、慎一さん……、その人の名前、真部慎一っていうんだけどね。いろいろあって慎一さんがお父さんと一緒に挨拶に来たいってことで……今週の土日とか、お父さんとお母さんの都合はどうかな?」

「今週の土曜日はもう、明後日じゃないか」

「急な話でごめんね。無理はしなくていいけど、奈良からわざわざ来るからね、都合を教えてください」

「私は土曜日は夕方からなら大丈夫よ。お父さんは?」

「相手のお父さんも一緒ならしかたないじゃないか。私も家にいるようにするよ。今夜、家に帰ってから、詳しい話を聞かせなさい。今はもうすぐ仕事に出かけないといけないからね」

「わかりました。よろしくお願いします」

 真智子は父に向かって深々とお辞儀をすると自分の部屋に戻った。

部屋に戻った真智子は慎一にさっそくメッセージを送った。

―明後日の土曜日の夕方は空いてるって。慎一の体調は大丈夫?

メッセージを送ると真智子はアンサンブルの練習に出かけれるよう、身支度を整えはじめた。真智子が洗面所から部屋に戻ってくると慎一からの返信が届いていた。

―了解。明後日の夕方頃、父と一緒に挨拶に行くから真智子は光が丘駅まで迎えにきてくれるかな―。

―了解。明後日夕方頃、時間については連絡くださいね。よろしくお願いします―。

真智子はどきどきしながら、返信した後、アンサンブルの練習の予定表を確認した。

慎一が父と一緒に挨拶に来る当日、真智子はアンサンブルの練習は休んで母と一緒に家の掃除に励んだ。都内で四人暮らしの真智子の家はそれほど広くはなかったが、ピアノが置いてあるリビングはお客さんを通せるぐらいの広さだったので、そのリビングに慎一たちを通して両家で話をした後、食事をするなら花見がてら外に出かけようということになった。

 夕方四時頃には光が丘に着くと連絡が入り、真智子は十分前ぐらいから光が丘駅の改札付近で慎一たちが来るのを待った。ほどなくして慎一と父、直人が改札口を出てきたので、真智子はふたりに駆け寄って挨拶をした。

「遠くからわざわざいらしてくださってありがとうございます」

「きちんと挨拶しないと真智子さんのご両親に心配かけるし、真智子さんも慎一のせいでご両親と気まずくなるのは良くないと思ってね」

「真智子、ご両親に僕たちのことは話してくれた?」

「ええ、慎一が芸大に合格して、留学するほど優秀な人だってよく伝えたわ。病気のことも少し……、今日も疲れなかった?」

「大丈夫。少しずつ元気になってるから」

「まだ、慎一の身体のことが心配だから、ここからはタクシーで行きましょう」

真智子はタクシー乗り場までふたりを案内すると一緒にタクシーに乗った。町名と目印を伝えると、タクシーは走り出した。通り過ぎる途中の桜並木は花がどんどん咲きはじめていて綺麗だ。

「今日は花見日和だな」

直人がタクシーの窓の外を見ながら言った。

「ええ、ほんとうに綺麗ですね。お天気も良くてよかった」

真智子は頷きながら慎一の方を見た。慎一はどこか緊張した様子で外の景色を眺めていた。

 真智子が伝えた目印を過ぎたところから真智子は運転手に道案内をし、タクシーは真智子の家のすぐ手前で止まった。三人が玄関を下りると、真智子の母、良子が玄関に出て待っていた。

「はじめまして。真部慎一です」

「慎一の父、真部直人です」

ふたりは良子に気付くとすぐに挨拶した。

「遠くからわざわざありがとうございます。真智子の母、高木良子です。どうぞ、こちらにいらしてください」

良子の案内で、慎一と直人が玄関に入ると真智子の父、孝がリビングから顔を出した。

「遠いところわざわざありがとうございます。真智子の父、高木孝です。おふたりともどうぞ、あがってください」

「はじめまして。真部慎一です」

「慎一の父、真部直人です」

ふたりは孝に挨拶し、玄関を上がると、廊下を通ってリビングに入った。

 リビングに入るとアップライト式のピアノが煌々と黒光りして慎一の目に飛び込んできた。

「真智子のピアノだよね。あとで弾いてもいいかな」

慎一が真智子の方を振り返って言った。

「もちろん」

「ご両親にきちんと挨拶してからね」

慎一は少し姿勢を正して言った。

「さあ、どうぞ、先ずは座ってください」

真智子の父が言った。

慎一と直人はソファに座った。

「真智子さんから聞いたと思いますが、このたびは急な話でうかがいました」

直人が座った途端、口火を切った後、慎一は孝と良子に向かって深々とお辞儀した。

「あの、僕は真智子さんと一緒に暮らしたいと思っています。もちろん、結婚も考えています。ご両親が許してくだされば、すぐにでも籍を入れてもいいですし、籍はもう少し落ち着いてからでもいいですが、音楽の道をより高め合っていくにはふたりで暮らした方がより充実した日々が送れると思うんです。僕にはピアノが弾けることぐらいしか取り柄はありませんが、ピアノを弾くことについては僕は人一倍努力してきたし、これからも努力し続けます。真智子さんは僕のピアノへの情熱をよく理解してくれている大事な人でもあり、彼女の弾くピアノの音色が僕は大好きなんです。僕と真智子の人生のために僕たちふたりの結婚を許してください」

「私からもお願いします。私たちの結婚を許してください」

真智子も慎一につられるように深々とお辞儀した。

「私は反対はしないが、ふたりでほんとうにやっていけるかどうかよく考えて、結婚については決めなさい」

「そうね。ふたりの決意が固いなら私も反対しないわ。真智子はまだ学生だけど、一緒に暮らすなら、籍のこともよく考えた方がいいし、今後のことはふたりでよく相談しなさい」

孝に続いて良子は言った。

「ありがとうございます。今後のことはふたりでよく考えます。ね、真智子」

「お父さん、お母さん、ありがとう。慎一さんのお父さんもありがとうございます」

「では、僕の決意の証として、ここで、僕のピアノを心を込めて披露します」

慎一がピアノの方に向かうと、真智子がピアノの蓋を開けた。

「僕たちふたりの思い出の曲、リストの『献呈~君に捧ぐ』と『愛の夢』です。どうぞ、聞いてください」


 慎一はピアノの前の椅子に座り深呼吸するとピアノを弾きはじめた。ピアノを奏でる慎一の姿をじっと見つめ、真智子は慎一が奏でる美しい旋律に深々と聞き入りながら、慎一とはじめて出逢った日のことを思い出していた。音楽室で慎一と出逢ったあの日から一年半が過ぎようとしている―。まどかや修司の友情に支えられ、放課後の音楽室でふたりで練習に励んだ日々が巡る―。それぞれ別々の大学に進み、慎一の留学で離れ離れになっても互いの思いを伝えあう中、連絡が途絶えたこともあったけれど、奈良での再会を果たし、この日を迎えることができた。そして今、こうして再びふたりで一緒に歩んでいこうと、未来への思いを繋げたことの喜びに包まれ、震えるような思いで真智子の胸は一杯になった。


 ―慎一が弾き終えると孝が拍手した。


「流石、芸大合格しているだけあって、素晴らしい演奏ですね。娘はまだ幼かった頃からピアノを弾いてきたけれど、君の期待に応えられるかどうかわからない不束者だが、よろしく頼みます」

「お父さん、ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」

慎一は立ち上がると孝に向かって深々と頭を下げた。

「まあ、ふたりともまだ学生だし、お互いに邁進できるようにしていきなさい」

「お父さん、ありがとう」

真智子も立ち上がると深々と頭を下げた後、慎一に向かって微笑みかけた。


 ―その日の夜、慎一は久しぶりに叔父、真部幸人の家に泊まった。

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