3-3 未来への楽譜

 終業式の日、慎一が実家の奈良に向かうというので、真智子は送りに行く約束をした。それぞれ、一旦、家に帰った後、夕方の4時に練馬駅のいつも帰りに別れるところ付近で待ち合わせした。いつも音楽室が真智子と慎一の待ち合わせ場所だったから、練馬駅周辺のその場所でお互いを確認した一瞬、それぞれがはじめてのデート感覚もよぎった。しかも終業式はクリスマスイブだ。練馬駅から池袋に向かい、ふたりきりでクリスマスイルミネーションで飾られた街を少し散歩し、その後、レストラン街でウインドウメニューを散策し、洋風レストランで夕食を採ることにした。それぞれスパゲッティのセットメニューを注文した後、慎一がぽつりと言った。

「この後、今日の記念になるような物を買おうよ」

「えっいいの?」

「うん。今日はクリスマスイブだし、クリスマスプレゼントにもなるね。何がいいか考えておいて」

「それなら、楽譜はどうかな?試験とかいろいろ終わった後のそれぞれの課題曲の楽譜とか」

「さすが、真智子、それは良い案だね」

「楽譜なら音楽専門店に行けば、必ずあるし、手頃でしょ」

「なんかこんな時でも発想がピアノの練習に結びつくところ、もしかして、僕の影響?」

「そうそう、これも慎一の厳しい特訓の成果かな?」

ふたりとも楽しく食事を済ませると、音楽専門店へと向かった。


 真智子からはラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』の楽譜を慎一へ、慎一からはシューマンの『幻想小曲集Op12 夕べに』の楽譜を真智子へ贈った。JRの改札に向かい、山手線に乗って東京駅へ。新幹線のホームでふたりはお互い何度も何度も手を振り、真智子は奈良へと向かう慎一を見送った―。


 冬休みは年末年始の気忙しさに追われ、あっという間に日々が過ぎていった。慎一からは見送りに行った日の夜遅くに奈良の実家に無事に着いた旨と、こっちに戻ってきたらまた連絡するという旨のメッセージが携帯に入っていた。真智子からも翌日、受験に向けて頑張ろうという主旨の返信を入れ、そのまま連絡が途絶えていた。慎一が奈良の実家でどうしているか、真智子は少し気になりつつ、受験に向けてピアノの課題曲の練習に励んだり、センター試験の勉強にも取り組んだ。


 新年を迎え、元旦には家族で近くの北野八幡神社に初詣に行き、真智子は慎一の分の御守りも買った。真智子の家は一般的なサラリーマン家庭で、同じく受験生の中三の弟がいた。ダブル受験で大変なだけでなく、中三の弟、博は公立だけでなく、私立の進学校も志望校に定めていたため、今後のことを考えて、真智子は国立の芸大以外の志望校として私立の四年制の音大志望は遠慮して、桐朋短大に的を絞った。真智子としては四年生の私立の音大への進学は学費のことを考えると分不相応で贅沢なことなのかもしれないという思いもあったし、慎一と一緒にピアノを練習するようになって、慎一ほどプロ意識が強くないことも自覚するようになったし、現時点でのピアノの腕がテクニック的に慎一に劣るのは明らかなので、学費の負担が私立に比べて少ない国立の芸大への進学はおそらく無理だろうと思っていたが、それでも心の中に確かにある音楽への思いをこれからも大事に伸ばしていけるよう進学したいと考えていた。そんな真智子の思いを父、孝も母、良子も理解してくれていたし、心から応援してくれていた。


 冬休みの最終日の夕方、慎一から、携帯にメッセージが入っていた。


―東京の叔父の家に戻ってきたよ。明日からまた、音楽室でピアノの練習してるから、真智子も時間があったら、来て―。


メッセージに気付いた真智子はどきどきしながら急いで、返信を入れた。


―おかえりなさい。明日、会えるの、楽しみにしてるね―。


久しぶりに慎一と会えると思うだけで胸が高鳴る真智子だった。


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