第五話・紫の邂逅




 言葉だけ聞けば旧交を温めるような会話に、横たわるのは零下にも近い空気。自分を押さえながら震える妹の腕に、いつでも緩やかに払えるよう気を配りながら、明奈は疑問符を投げかける。

「どういう、ことですか?」

 敬意を払った物言いを明奈が向ける相手は、この場においては一人しかいない。剣の切っ先を眼前の相手の喉元から離さないまま、透夜は口を開く。

「言葉のとおりですよ。君を痛めつけたのは、僕がかつて一番尊敬した先輩です」

「尊敬、なんて今の俺には向けるだけで反吐が出るだろうに、律儀だな」

 今までの短い時間で既に数度見た肩をすくめる仕種が、明奈以上に癇に障ったのだろう、激昂の余り凍てついていた声が、初めて荒げられる。

「どうしてっ……誰より機巧を理解していた貴方が、何故、あんなっ……」

 凶行に、及んだのですか。

 最後になってぼかされた物言いに、無意識に目を細める。これは、今回の事件のことを言っている空気ではない。問いを重ねるべきか、否、自分が更なる介入をすべきか逡巡していると、呆れたような笑みが空気に溶けた。変わらないなと、懐かしむように、貶るように。

「はっきり言えよ、五十崎。何で俺があの日絡繰たちを殺したか、それが聞きたいんだろう?」

 今度こそ、空気が凍る。視界が褪せる。

 今、この男は何と言った?

 殺したのは、今回ではなく、人間では、なく。

「絡繰、を……?」

 愕然と呟いた、自分の声が遠い。

「あぁ。お前たちの六代か七代先輩の奴ら十二体をな。聞かされてないか、教育不足だな」

「当たり前でしょう! もっとも尊敬すべき存在に壊された絡繰がいるなどと、誰が言えるというんですか!?」

「尊敬すべき、なぁ……五十崎、教えてやろうか? 絡繰のことを一番理解してたこの俺が、どうして……お前の言葉を借りるなら、『凶行』に走ったか」

 着古した白衣の袖口、綻びを気にするかのようにゆらりと手を上げて、男は宣う。

「俺の提言に従わなかったから。科学者の役に立てない絡繰は、せめて科学者の手で楽にしてやるべきだろう?」

「っ、明奈くん!」

 いかなることが起ころうとも、明奈を現実に引き戻す透夜の、咄嗟の声。反射的に拘束の手を振り払い身体を引くのと、一拍前まで自分の頭があった場所を何かが掠めるのはほぼ同時。視界の隅、透夜たちがいた場所で銀色が煌めき、硬い音が響く。

 顔を上げた明奈は、刀を正眼に構えた師が険しい顔をしている事に気付く。刃零れなど一つもない切っ先に、血の痕もまた見られない。そして、明奈が体勢を立て直す数秒の間に、木晴は透夜の方向へと振り向き小型の銃を構えていた。その銃口から放たれたのだろう弾は、透夜の左腕の延長線上の壁に当たっている。

「へぇ……躊躇無く頸動脈切り裂く判断が出来る程度には、非道になったか」

「それが分かっていて暗器で明奈くんの目を狙った上に、仕込み銃で僕の心臓に狙いを定めた貴方には言われたくないですね」

「失敗した斬撃の返しで弾ける准将殿相手なら、これぐらいは挨拶だろ?」

 剣から逃れるように距離を置く足音が、妙に響く。とん、とん、と無音で歩く癖がついた明奈には耳障りな程に。手に持つ消音機付きの拳銃とのアンバランスさに訝しみ、次の瞬間気付く。

これは、『自分たち』にしか聞こえない音。

Faehr行け!!」

 異国の言葉の意味は判じるまでもなく、明奈は振り向きざま袈裟掛けに剣を振り下ろした。今まさに踏み込もうとしていた立花が、寸前で回避して低く唸る。

「退いて、明奈」

「退けない」

 例え妹の頼みであっても、師を害することだけは許さない。明奈を動かすことが出来るのは。

「引きなさい、明奈くん」

 師自身の言葉のみ。

 視線だけで意を問えば、水面の如く凪いだ瞳が自分に据えられる。同僚を見る、絡警の目だ。

「連続殺人犯の捕縛に君が関与することは許さないと、言った筈です。……その子は僕が相手をしますから、君はあちらを」

 指し示された先で、青の瞳が笑う。

「やっぱり甘いな、五十崎は」

 その右手が抜け目なく引き金に添えられているのは見えている。だが、銃剣と違い拳銃は、距離を詰めれば格段に攻撃手段が狭まる。牽制代わりなのだろう無駄撃ちを、払うことすら無く交わして、胸の内で呟く。

 先程の拷問を身体が覚えていようとも。彼がいなければ立花は生きられないという言葉が潜在意識への枷となっていようとも。

 勝てない相手では、無い。

「出来ますね?」

「はい」

 明奈は、地を蹴った。




 振るい、叩き、押しやり、薙ぐ。幾度と繰り返される斬撃は、僅かな赤を生むばかり。絡繰科学者というものは、基本的にこれら絡繰からの初動を見切ることが可能だ。攻撃としては教え子の絶対的優勢でありながら膠着にも等しい鍔ぜり合いを視界の隅で捉えながら、透夜は不意にその理論を思い出した。

 同時に、先程から自分には躊躇なく銃剣を振りかざす銀髪の少女を見遣る。

 否、全くの含みがないといえば、それは間違いだろう。現に、立花は一度たりとも得物を銃として使おうとはしていない。一発ごとに装填が必要とはいえ、距離を置けば自分の利になるだろうに、透夜をこの空間から追い出そうとするかのように距離を詰め、剣で以て攻撃を加える。

 何らかの意図があるのか、それとも。

「先輩の、命令ですか」

 確認同然の問い掛け。腕を落とそうとしていた銃剣を剣で払い、更に続ける。

「君は、知っていたんですか」

 木晴の罪を。自分たちの同族を殺した悪魔だということを。

 嗚呼、違う、木晴自身が人間よりも絡繰に近い存在だったのかもしれない。

 おそらくそれを用いて目の前の存在を生かしたのだろう、木晴の生来の能力。彼は、まるで人間を造り上げた神のように、絡繰の仕組みを瞬時に見切ることが出来た。

 だから誰より絡繰の痛みに添えるのだろうと、信じていたのに。

『辞めるなんて……本気ですか、先輩? どうして?』

 過日の自分の声が蘇る。

 あの時も、その痛みゆえに製作者としての道を歩めなくなったのだろうかと思っていた。決して弱さを映さない青の先に、自分と同じ情を重ねていた。

『……五十崎。お前は、絡繰が部下になったら、どう思う?』

『え……きっと、嬉しいと思います。優秀な部下を持てることは、警察の誇りですから』

 まだ明奈が部下ではなかった頃。明奈が、何も奪われず幸せに笑えていた頃。惨劇など何処にも影一つ無い、けれど今思えば嵐の前の静けさだった夕暮れ。

『そうだな。それが警察の誇りだと、俺も思う。だけど、お前がどこまでも警察としての道を歩むように、俺はあくまで、絡繰製作者だ』

『……だったら、何故……僕の、僕たちの繁栄に全力を尽くすと、あの時……!』

『あぁ。――だからこそ、さよならだ』

『え?』

『じゃあな、五十崎。お前とお前の下につく絡繰の進む道は、幸いであるよう祈ってる』

 その夜、木晴は全てを裏切って、ゆえに「惨劇の日」は起こった。

 何も言わずに消えてくれたなら、職を辞した後に凶行に走ったのなら、まだ絶望だけで済んだのかもしれない。けれど、絡繰の幸福をと願ったその口で、絡繰の幸福を奪ったことが赦せなかった。絶対的保護者であるべき立場で、その立場を捨てる前に凶行に及んだことが、赦せなかった。

「先生は、私を生かしてくれた。私に、生きる理由をくれたんです」

 幸福を、ともすれば命さえ木晴の行動で奪われていたであろう藍の瞳が、真っ直ぐに透夜を見つめる。自分にとってはそれだけが真実だと、それさえあれば何も要らないと。

「だから」

 細められる藍。一歩前に出る足。

 それ以上近づけば容赦なく斬ると上段に剣を構える。大立ち回りの難しい体格である透夜には、長引くほどに隙を突く以外の選択肢が消えていく。しかし、それでも彼女を育てたのは自分だと、犯罪者に侮られる謂れは無いと、示そうとして。

「――明奈に貴方がいてくれて良かった」

 思いがけない言葉に、警戒が緩む。どういう意味だと尋ねようとした瞬間、光が一閃した。目が眩み、本能で身体を捻る。それさえも読まれていたのだろう、当て身を食らわされ息が詰まる。

 体勢が崩れた。銃剣が風を切る。

「透夜さんっ!」

 腹部の衝撃、思わず閉じた瞼の裏の赤、壁に叩きつけられる痛み。しかしそのまま崩れ落ちた筈の床には当たる気配がない。その理由など、考えるまでもない。自分を支える部下に、弱々しい叱責を投げる。

「持ち場を、崩しては、駄目だと……教えた、でしょう……」

「ごめんなさい。でも」

 つい十数分前に縋りついてきた腕で、しっかりと透夜を受け止めて。少女の体で大の大人を庇うには相当の負担がかかっただろうに、少しも顔に出さず。滅多に反論することのない明奈が、毅然と告げる。

「私が一番大事なのは、透夜さんですから」

 何より優先すべきは貴方だと、明奈は宣言する。その視線は教えのとおり、『持ち場』を見据えた儘。自分たちが自由にした相手は、律儀にもその場所を動かない。

「いい部下を持ったな、五十崎」

「……その言葉、今の貴方からでなければ嬉しかったんでしょうかね」

「さぁね、もしもを論じる気はないよ。現実として、俺はお前の敵だ」

 だから、言うことを聞いてなんかやらないよ。

 ついぞ人の言うことなど聞く気のない声音が、紡ぐ。

「なぁ。何で俺が、俺たちが、今まで警察に見つからなかったと、思う?」

 その言葉が、不自然な程にゆっくりと、場に生み出される。声の震えは、浅いとはいえ明奈に傷を負わされたためだろうか。鉄の匂いが漂うほどではないが、数だけは多い。それこそ、この屋敷……四島の領地のうち南西にある区域を巡回し、戻って来なかった絡繰の数が無数であるのと同様に。

「見つからなかったんじゃ……来なかったんじゃ、ない。帰らせなかったんだ」

 にい、と木晴の口端が吊り上がる。今から何が起こるか分かっているのか、立花は無機質な瞳で二人を見るのみだ。明奈が我知らず歯噛みする音が耳に届く。透夜を助けるために剣を投げ捨てて来た彼女は、丸腰も同然だ。透夜の剣も手元を離れているが、届かない距離では無い。何をする気が分からないが、反撃しなければ。

 その一拍後、「反撃」という考えが浅はかだったことを知る。

 鳴り響く、轟音。

 家具が、壁が、天井が音を立て始める。断末魔の悲鳴を上げる。

「この屋敷はね、俺の思うが儘になるように出来てるんだ。俺も、立花も、太刀打ち出来ない相手なら、屋敷で以て追い詰める」

 小さな瓦礫がひとつふたつ、ぱらぱらと落ち始める。明奈の腕に、透夜の警帽に、当たり始める。

 木晴には決して当たらないそれに透夜はぎっと睥睨し、次いで瞠目する。

 今までもこうやって葬って来たと豪語する以上、ある程度の操作は出来るのだろう。しかし。自分たちの目と鼻の先にいる立花、そこから十歩は距離のある位置にいる木晴。まさか。

「立花」

 呼びかけに、立花が振り向く。白い袿が、主を見る為に翻る。いっそ甘いほどに残酷な声。

「お前は、俺の為に死ねるよな?」

 天井が落ちる間際に返された笑みは、切ない程に無邪気だった。






 砂煙の中で、細切れの思考で、思ったことはただ一つ。

 此の儘何より大事なあの命を、終わらせてなるものか。






 寸断された意識が戻って来た時、明奈の意識に飛び込んだのは、微かに呻く上司の声と背中にかかる重みだった。次いで粉々になったかつて窓や壁であったもの、すぐ近くまで迫り折り重なる柱が見え、ぼんやりと記憶を辿る。

 あの時、頭上に振って来た大きな瓦礫からせめて透夜を逃がそうと突き飛ばしたことまでは覚えている。彼に致命傷を負わせる位ならば、神経を痛めない限り何度でも蘇る事が出来る自分が一時の激痛を引き受ける事など何でも無い。幸い、背に最初に当たったものが其処まで重みを伴わないものだったのか、自分も手足の瑣末な痛み以外は何も無い。動ける。

「透夜、さん」

 喉から無理やり声を押し出すと、意識が戻ったのだろう、透夜が瞼を開いて自分を見遣り、軽く手を上げる。無事だ、という意思表示だ。そのまま片膝を立てて座る彼に、偶然にも背を屈めて動く程度には空間が出来ている事に気付く。

 自分も身体を起こそうと邪魔な無機物を払う為に手を伸ばす。

 触れた感触に、戦慄した。

 これは髪。よく見れば自分のすぐ近くには、衝撃で散った硝子とそれに切られたのだろう銀色の。

「立花!?」

 幸運な偶然、では無かった。

 立花が自分を覆っていたから自分は無事で、その延長線上にいたから透夜の周囲には硝子がいかず、彼女の手で柱は止められて。

 その犠牲で不自然に折れた右腕は、自分が妹と知覚出来ない程に、温もりを失った。

「立花、立花!」

 呼びかけに、うっすらと瞼が持ち上がる。現れた藍色は、すぐに細められた。

「……明奈、無事……?」

「私より自分の心配しなさいっ! 腕、痛くないの!?」

「……無事、だったんだ……?」

 だから、と明奈が二の句を継ぐより早く、近づいてきていた透夜が静かに告げる。

「僕も明奈くんも、さして重傷となるものはありませんよ。どういうつもりですか?」

 淡々と、知らない者が聞けばそれは責める響き。けれど明奈は知っている。これは透夜が絡警として相手を見極める時の声だ。元来優しく、無条件に情けをかけてしまう自分を、律する為の冷たさだ。始まりのあの日、明奈はそれを本能で悟った。そして立花も分かるだろうと、根拠もなく思う。

 力無く座りこむ彼女を支えてやれば、案の定緩やかに笑う。形だけとはいえ敵である明奈に、何のてらいもなく身体を預けて。

「先生の望みは、私の望みで……私の望みは、先生と同じですから」

「君は先程、……命令、されたでしょう?」

 言い淀んだ意図を捉えて、明奈は立花の肩に回す力を込める。

 木晴が最後に言った言葉は、いわば切り捨てだ。お前も諸共死ねと、主から言い渡された心中はいかばかりか。数度瞬きをした立花は、笑みを崩すことなく透夜に告げた。

「先生の望みは、貴方と道を違える前と、変わってませんよ」

 透夜が目を見開く。否やと唱える前に、立花は柔らかく畳み掛けた。

「明奈を殺せない私に、あの人はそれでいいと言って下さった。絡繰を敵と断言するあの人は、貴方と明奈の批判だけは、一度もしなかった」

 明奈と透夜は、木晴にとって『絡警』では無かった。

 言外にそう告げる立花に五十崎は眉根を寄せた。明奈とてその真意を汲むことは出来ない。

 しかし、不意に思い返す色があった。激情に染まった青、あれは。

「透夜さん、あの……あの人が犯した主な罪は、絡繰殺し、ですか?」

 何と形容すればいいのか分からず抽象的な呼び方になったが、透夜には充分通じたらしい。

「えぇ。先輩自身が告げた絡繰十二体の殺害です。それが何か?」

 状況柄、冷たさの抜けない声音と表情を反射するように、首元の階級章が光る。嗚呼そういえばあの時壊されたんだったなと何気なく思いながら、そのことに痛みを覚えない自分を訝しみ、しかし別の感情が胸を叩く。どうして気付かなかったと、理性が強く弾劾する。

 努めて平静を装い、尋ねる。

「不敬と分かっていて言います。あの人がその罪を被れば得をする人が、当時絡警にいましたか?」

「っ!」

 透夜が言葉を失くした事が、万の言葉より雄弁な答えだった。首筋に伸ばされた細い指が、本来其処にあるものの不在に気付く。――階級章が示すのは、上層部からの庇護と彼等への絶対服従。

 明奈は木晴の才能を知らない、経歴を知らない。それでも分かる。瀕死の絡繰を蘇らせられる人間が、妬みを全く受けずに生きていくことは不可能に近いということは。

 同意を求めるようにすぐ近くにある顔を見れば、首を縦に振る代わりに目を伏せられた。

「それだけじゃないけど、当たり。先生が絡警を嫌うようになった決定的な事件が起こった時、先生はもう追い詰められてたんだって」

 言い差しから察するに、立花は全て知っていて、その上で木晴についたのだろう。もう自分が知っている妹としての顔は立花の全てを占める顔ではないのだと改めて思い知らされる。

 善悪で分けられるものではなく、胸によぎるのは絶望ではない変化だ。

 立花が明奈に手を伸ばす。思えば再会して初めて、命令も何もなく伸ばされた手。身体を支えていた指に指を絡めて、ゆっくりと離れさせる。

「瓦礫で埋もれてて、ちょっと分かりづらいけど。硝子が飛んできた方角と逆方向の道まっすぐ行けば、生きてる通路あるから」

「立花?」

「明奈は、さ。五十崎准将がいるから、今まで生きて来れたし、これからも生きて行けるでしょう?」

「っ、立花!」

 確かに立花が言う方角には僅かながら穴があり、その先に此処より広い空間がある。片腕を失ったも同然の自分は自力で出られないから、明奈と透夜だけで其処を出て、そのまま帰れと、立花はそう言っているのだ。

 逡巡する明奈に、立花が笑みの種類を変える。今となっては白々しい、冷たい笑み。

「早く戻った方がいいよ、今日で全てが終わるって、先生いつも言ってたから」

 先生なら壊滅させかねないよと、その声だけは空恐ろしい現実味を伴う。先程の言葉よりもずっと、明奈に苦痛を与えた相手の所業として理にかなう。この遠距離で何が出来るという虚勢も、空間に影響を与えぬよう穴を広げる算段を始めた上司の仕草の前では無意味だ。目算が終わったのか、穴に手をかけた透夜が、苦く呟く。

「先輩なら、やりかねません。……その怪我ならば動けないでしょう、保護は救出後でも出来ます」

 その言葉に、動かざるを得ないのだと意識を切り替える。明奈は立花の姉であると同時に絡繰警察の少将で、透夜の部下だ。それに、透夜は『捕縛』ではなく『保護』と言ったのだ、立花を助ける為の手段はあるに違いない。半ば自身を信じ込ませるようにそう考え、銀の髪を軽く撫でる。

「戻ったら、絶対立花助けに来るから」

「絡警のお姉さんの助けを借りると、助かったところで牢獄と処刑台しか待ってない気がするなぁ……」

「絶対無罪放免にするから! 出来なくても情状酌量かける!」

「甘いのは上司に似たね。でも、ありがと。ばいばい、明奈」

「ん、またね、立花。ちゃんと待っててよ?」

 それが、二人にとって、最初で最後の笑顔の別離だった。




 崩れてゆく邸内で、どうにか自室に戻った木晴は、机に背を預ける形で腰を下ろした。つい先刻始動させた液晶がきちんと役目を果たし結果を表示していることを、肩越しに見上げて確認する。もっとも、椅子に座る余力さえ残っていない身体には、失敗に終わったところでやり直す時間は残されていないのだが。

 落ちた瞼の裏に、まだ組織に属する愚かさを残していた頃の記憶が蘇る。

『……ん? この絡繰……よく助かったな』

 自分が入って数年後、飛躍的に上がった絡繰の生存率。少なからず自分の有能ぶりも関係しているだろうと自負しつつ、それ以外の要因は何だと疑問を抱いた。

 絡繰であっても人間と大差ない部分は幾つかある。その1つが、臓器の負傷や損傷が死に繋がるということ。それを見抜ける自分の目が大いに役立っているとしても、自分が立ち会わなかった、もしくは臓器を喪失した機巧は何故生き残った。

 新薬に不法なものでも使っているのではと諸方面に手を回し、調べ始めた結果は、予測以上に凄惨だった。不穏因子の絡繰保護施設急襲の情報という思わぬ拾い物を受け、進言しようと向かった先で偶然聞いてしまった、上層部の会話。

『科学者など、所詮絡繰に触らせていれば満足の、簡単な連中よ。絡繰の為に死ねるのなら、本望だろう?』

『科学者と絡繰は親子とはよく言ったものだな。拒絶反応も殆ど無い』

『まぁその絡繰も、有能で無ければ別に回すまでだが』

 全身の血が沸騰するかと思うほどの怒りを感じたのは、後にも先にもあの一度だけ。聞いてしまえば簡単すぎるそれは、自身の誇りが、後輩や絡繰への感情が、赦せるものでは決して無かった。

 アンタたちは、俺たちを何だと思ってる。アイツらを何だと、思ってる。

 自分が『親』を殺したも同然と知って、喜ぶ『子供』がいるとでも思うのか。

『お前たちは、選べるよ。自分たちを誑かす逆賊として俺を突き出すか、自分たちの「親」を殺した相手に復讐するか』

 自分の推論を話した十二体の機巧は、悲しげに首を横に振り、願った。

『殺して。アタシが先生を殺したなら、生きていたくない』

 だから殺した。自分の提言以外の願望を口にする絡繰全員を、護り切り生かし切るだけの力は、木晴には無かったから。味方として伝えるつもりであったことを、反逆者の宣戦布告として血文字で書きつけて。自分こそが首謀者だと思われてもいい、絡繰を第一と考え科学者を犠牲とするなら、絡繰は護るだろうと。

『……その結果が、これかっ……!』

 初めて会った日、立花に呟いた言葉。「絡警はこんな子どもすら、『無能』だからというだけで捨てるのか」。

 嗚呼。アンタたちにとっては、科学者も絡繰も、「部下」ですらないんだな。「道具」、か。

 なら。

 「道具」は誰が使おうが自由だよな?

 どう使おうが、自由だよな?

 殉職を強いたアンタたちだ。殉職出来るなら、本望だろう……?

 その衝動が、木晴を動かした。予測通り科学者の体を蝕んでいた新薬の後遺症の中で尚。否、復讐と。

『生きたい。復讐者としてでもいい、生かしてくれた貴方の為に、生きて護るべきだった姉の為に、生きさせて下さい』

 唯一全てを知って木晴を真っ直ぐ見た藍の瞳が、全てだった。

 この眼差しが見る未来が、いつか本当に望むものになるように、と。

「先生」

 あの時から少しだけ大人びた声音が、木晴を呼ぶ。瞼を上げれば、変わらない藍が自分だけを見て笑っている。傍にやってきた立花の腕が使い物にならなくなっている事に、意識して眼光を強くした。

「何、やってんだ……お前は俺の為に死ねる、って……」

 それを承諾させた自分に全てを擦り付けて姉と帰れと、その命令は伝わっていた筈だと、口調で叱責する。長く喋る気力は、既に無い。

 膝をついた立花の視線は崩れ落ちた木晴よりまだ僅かに低く、常のように見下ろせることに無意識に息をつく。最初に呼び掛けて以降無言を通していた立花は、木晴の言葉が絶えたことを見計らい、破顔する。

「えぇ。私が死ぬなら、先生の……木晴先生の為に、木晴先生と共に、です」

 無邪気に無邪気に。純粋に慕う者に向ける笑顔。それを立花が向けるのは、実の姉だろうと、木晴はずっと思っていた。自分ではないと。

 視線を外し、手で顔を覆う。可笑しくてたまらないというように、くつくつと喉で笑う。

「……馬鹿だね。あんなに、姉と同じ場所で生きたいと願っていたくせに」

 そしてその手で、立花を引き寄せる。壊れゆく屋敷から庇うように、唯一の絡繰を掻き抱く。気休めだと、全壊するよう仕向けた自分こそが誰より分かっていて、それでも少しでも痛みを感じないように。

「お前は、本当に……俺の、愛し子だよ」

 幼子のごとく擦り寄る立花は、既に四肢の温度が消えている。それが気にならないのは、木晴の体温も既に常人の其れではないからだ。

 この期に及んで命乞いを神にするには、自分は血濡れた道を歩き過ぎた。それでも、もう一度やり直せるとしても、同じ道を選ぶだろう。同じように狂うのだろう。


 狂った自分には、今が幸せで仕方ないのだから――……。

 薄れゆく意識の中、二人は最後まで笑っていた。

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