五話 不手際
「仮に、布切れの術師、とでもしておきましょうか」
ロゼはジョットの正面に椅子を置き、背面の頭に両手を添える。
「布切れの術師が掛けた
『異端者の
「
ロゼの紅い目は布切れの術師と同じく、地下の闇に燦然と煌めく。彼女の言う力の姿色を体現するかのように、瞳色の濃度は刻を経るごとに増していく。目元の血管が溢血したように浮かび上がる。
「私は部屋の中に居ながら、遠くの物、範囲にすれば都一つと半分ほど先の景色が視えるようになった。だからお父様の死もこの目で観察出来たし、ジョット、貴方の不審な行動の一つ一つも知り得たの」
そもそも、どうして大鷹は餌掛けに守られた侯爵の腕に爪を立てることが出来たのか?
三年弱愛用し続けた餌掛けには然したる劣化は見られず、侯爵も己の狩り道具には一定の信頼を置き、日頃から念入りな手入れを施していた。事件当日になって急に皮が裂けてしまったなど道理に合わない。
道理を合わせるなら、餌掛けそのものに仕組まれた細工を疑うしかない。そして、餌掛けを狩りの直前まで預かっていたのは『心像の術師』、ジョット・コルツァーニ。
「侯爵や他の術師たちの目を盗み、餌掛けに細工を弄するのは造作もないことね。丈夫な素材とはいえ所詮は動物性の生皮を加工したものに過ぎない。術師らしく強酸性の水溶液でも
ロゼは人差し指を立て、爪の剥げたジョットの手先を指す。
「事件の最中、貴方は事あるごとに、両の手を擦り合わせていたわね」
呪術、魔術、霊術の三大神術を代表し、術法・術式は古今東西様々な様式で成り立っている。力の及ぶ対象、範囲、効果、発生手段や科学的原理、影響の及ぶ物理法則まで、術というものを一括りに語ることは困難である。そんな神術の種々にも、ただ一つの共通点がある。
それは術の発生に伴い、何かしらの『身体の動作』が要求されることだ。手をかざす、足を踏み鳴らす、杖や剣を振る、術式を口頭で読み上げる、筆で呪文を書き記す――門派により異なるものの、術の発現には『動作』というものが不可欠だった。
「鳥籠を開けた直後、お父様の餌掛けに鷹が降り立った瞬間、鷹を渓谷へと
心像――即ち、外部刺激なくして意識に生ずる像・記憶・思考である。ジョットが称号通り他者の心像を操ることができる術師であるとして、ランベルティ侯爵は何の用途に、鷹狩りの共に『心像』を携えたのか。
この仮説は父の尊厳を著しく損なうものだと、少女は事の忌憚性に言葉を躊躇う。やがて首を振り、彼はもう死んでしまったのだ、と力なく思い直す。
「貴方はお父様に命ぜられ、鷹の心を操り続けていたのね」
ジョットは視線を外す。血塗れの胸元に目を落とした。
「大鷹は、はじめからお父様に懐いてなどいなかった。極難峰から生け捕りにしたはいいものの一向に心を開いてくれない鷹にお父様は頭を悩ませていた。軍略の才を誇示する彼にとって、それはどんなに屈辱であったことでしょう。鷹一頭手懐けられぬ恥辱を周りに知られることを恐れ、それでも鷹狩りという王者の戯れに興じる優越感も捨てきれず、引くに引けなくなった父はある時期から三人の術師を雇い出した。話霊の術師、獣憑きの魔師に関しては、霊獣が蔓延る都外へ連れ立つには頷けるけれども、心像の術師……貴方の存在意義だけは汲み難い。だけどそれは、父なりの
侯爵にとって最も要りようだったのは心像の術師のみ。極論を言えば彼一人でも術師は事足りたのだ。身辺警護が目的であれば家国の優秀な兵士や狩人でも雇えば良いのだから。
ジョットは手を擦るという動作を暗に行い、術の示唆により鷹の行動を制御していた。一見すれば侯爵の放鷹の腕一本で行われた狩猟のようでも、実体は軍略家として矜持を守るための見栄が大いに含まれていた。
「何の大義があってか知らないけれど、貴方は鷹を操ってお父様を襲わせた。心像の術に対してお父様が十分な信頼を置くようになるのを待ってね。何故なら貴方は事件の完成のため、お父様の心をも操る必要があったから」
ロゼはある光景を思い返した。
侯爵が鷹に裏切られた直後だ。手首に大きな傷を負った彼に対し、ジョットが取った応急処置。
素手で負傷箇所を覆い、動脈を抑えるようにして指を揉んだ――のではない。この瞬間にもジョットは
「仮説が正しければ、お父様のその後の奇行にも納得がいくわね。貴方は見事お父様の心を操り、自殺に見せかけ彼をこの世から葬った。現場の詳細を記述でしか知らない裁定所には到底至ることのなかった事実。……どうかしら。近からずも遠からず、と言った所でしょう」
ジョットは依然として俯いたまま顔を見せない。否定をする様子を見せないのは既に生を諦めたためか、はたまた余りに正鵠を得た推測に返す言葉も見つからないのか。何れにしても、ロゼの説は一旦正解として呑んでよさそうだった。
「私に不手際があったとすれば、この仮説に至り貴方を拘束しようと思いついてから、この日のための準備と計画に半年もの時間を要してしまったこと。気づけばランベルティ家の権威なんて、既に風前の
「いや」
ロゼは椅子から離しかけた両手を止める。
地下の無音な虚空間にぽっかりと浮かび上がったジョットの返しは呆気にとられるような唐突さで、不気味なほどに空虚だった。
「あんたには更に三つの不手際がある」
わずかに上げた彼の口元は醜く歪んでいた。
「一つ目は、この目隠しを外してしまったこと。二つ目は、どういうわけか、運悪く小指の爪を一本残しちまったこと」
男の右手が蠢いている。拘束具は嵌ったままだが、隣の指同士であれば無理に捩れば指先を触れ合わせることが出来る。彼の薬指の腹は、小指の先――両手に唯一残った爪を擦っていた。ロゼは男の所作に視線をやり、椅子の背板に手を着けたまま動かない。
「最後の三つ目、お前は呪術師を甘く見過ぎた」
男はぎらりと目を光らせ、白き娘の紅い瞳を覗き込んだ。
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