三話 間抜けな死

 失くした爪は両手の親指、二枚。

 ロゼは侯爵の死を語りながら爪剥ぎを継続する。細釘と小型の万力を手に、作業は左の人差し指から始まった。

 ジョットは固く口を閉じ呻き上げる。『異端者の肉刺し』はつっかえ棒のように彼の顎裏と天突(鎖骨間)を圧迫する。少しでも気が緩めば肉刺しは顎を、胸を、深く貫く――男は長き悪夢に閉じ込められているようだった。そのような状況下でも不可思議に、少女の声は脳漿を焼くように鮮明に届く。


「お父様の最期は非常に呆気ないもので、笑ってしまうくらい間抜けなものだったわね。……ねえ、ジョット」


 人差し指の爪は遊ぶような手繰りで剥がされ、一度木台の角にあたり、ジョットの足に跳ね返って足元の闇に消えた。



 * * *



 鷹狩りとは、大型の猛禽類を使って行われる狩りのことである。狩りの対象は目白や雀などの小鳥、野兎やいたちといった小動物から、蛙や泥鰌どじょうその他水辺の生物まで様々だった。

 狩りに使われる鷹や隼は高貴の象徴とされており、庶民には手の届かぬような高値で売買されていた。庶民どころか、下層の貴族ですら己の財産帳簿と睨めっこする必要があるだろう。鷹や隼を買う余裕があるなら馬の購入に費用を充てた方がまだ建設的と言えるし、実際、鷹一本ひともとの値は馬二~三頭分に相当した。

 故に、鷹狩りは『王者の狩猟』と呼ばれる。ここでの王者とは、俗世で言う身分階級カースト最上位を指し示す。

 ランベルティ侯爵も王者の例に漏れず鷹狩りを嗜んでいた。鷹が獲物を追い詰めるまでの行程、娯遊的攻略性は実際の戦の軍略にも酷似しており、国の兵事を支える侯爵にはうってつけの遊戯であった。


 侯爵が携える大鷹は、極南西の難峰で厳しい生存競争を勝ち抜いた巨躯な黒翼鳥である。地平の彼方まで射貫くような鋭い目に、熊のように頑丈で太い爪。腕っこきの狩人数名を雇い、現地にて無傷で捕獲した凶鳥だ。そのため当初は中々主人に懐かなかったが、長き調教を経て鷹も侯爵の王者としての素質を見抜いたか、今では従順豪胆なしもべそのものである。


 事の舞台は老砂丘陵、一望千里の青々とした大高原である。空は狩猟日和とばかりに澄み渡り、そこかしこで野生生物の生き生きとした気配を感じ取れた。ランベルティ侯爵は三人の術師と連れ立ち、丘陵を更に北上する。

 丘陵の奥地には小規模な雑林帯があり、そこを抜ければ深い渓谷が顔を出す。まるでかつえた大地が大口を開けたような深々とした地の穿ちであった。谷底では沢が流れており、崖に目を凝らせば鳥の巣らしき自然の根城が伺える。


 侯爵はおもむろに馬を降りる。話霊の術師が手綱を受け取り、また獣憑きの魔師が鞍に提げた水袋を外し、侯爵に手渡した。心像の術師は荷馬車から狩り道具の一式を用意する。餌掛えがけを探り当てると、自身の外套で砂を拭い取り、両手を添えて差し出した。


 侯爵の餌掛えがけは鹿の生皮を加工したものだ。大鷹の太い爪を受け止めて充分に足る頑丈さを有しており、耐水性、通気性にも優れている。三年ほど愛用したが皮に劣化は見られない。

 侯爵は餌掛けを右腕に装着し鳥かごを開けた。心像の術師は手を揉んで一歩下がる。下がった空間をちょうど通過するように、大鷹が一目散に侯爵の腕に飛び乗った。


「随分と懐かれたもので」話霊の術師が言う。

「文字通り、ランベルティ卿の右腕と言っても過言ではない」心像の術師はまた手を揉む。

「鷹も、侯爵の智将としての才覚を見抜いておるのでしょうな」

 そう獣憑きの魔師がおだてた所で、もうよいと言うように侯爵は空いた左手で制す。

 そうして彼は、やれやれと頭を振るのだった。


「僕はねえ、自分をこの子の飼い主だとは思っていないんだよ。むしろ立場は逆。ご主人様は、この鷹の方さ。僕がやることは鷹の能力を最大限生かし、この子の気持ちを察し、また獲物がどう動くかを瞬時に先読みすること。これは心の底から鷹の立場になっていなければ出来るものではなく、言い換えれば僕は彼の忠僕といった所だろう。それに、鷹には自身の利を嗅ぎ分ける本能が備わっている。これが出来ぬ者には、生涯懐くこともなかろう」


 自慢げに語りながら、一方で彼は渓谷をくまなく観察していた。話霊と獣憑きは顔を見合わせ関心したように頷き合い、心像は恭しく手を擦り合わせる。そんな術師らの大仰な反応に惑わされることなく、侯爵の目は崖壁の些少な動きを読み取っていた。


「鷹を鷹たらしめる、これが僕の狩りだ」


 言うと彼は軽く足踏みし、渓谷へ向け、大鷹の乗った右腕を振り出した。



 * * *



 左手の爪を全て剥がし終えると、ロゼは額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。見ればジョットは泡を吹き、椅子の背面に頭を着いたまま失神していた。

 ロゼは地下室の奥の暗闇に消える。あらかじめ用意していた井戸水入りの桶を持ち出すと、無造作にジョットの頭上でひっくり返した。井戸水は鼻孔と口内を満たし軽い窒息を引き起こす。慌てて飛び起きた彼の顎裏に肉刺しが刺さり激しい痛みを伴う。地下室内に訳述ならぬ煩悶が反響した。

 ジョットは涙を浮かべ眼上の娘を見る。もうやめてくれ、そのように目は訴えかけている。刺さり始めた肉刺しから血が溢れ、鉄片を伝って男の胸元を汚す。白き娘は松明の明かりを受け、どこまでも冷えた無表情を湛えた。


「そんな目をされたって、まだ何も終わってないわ……」


 ロゼは松明の炎で細釘の先端を炙る。時間を掛けて念入りに、くるくると釘先を回しながら。

 ほどなくして彼女はジョットの右側に椅子を置いて坐る。手にした釘先はほんのりと熱の赤みを帯びている。


「眠るほど退屈だったのなら、少し趣向を変えてみましょう」


 右手の人差し指を選ぶ。熱した釘先が爪奥に潜ると、一帯に肉の焼ける悪臭がした。



 * * *



 結果として、鷹は飛び立たなかった。

 ランベルティ侯爵は右腕を振り抜いた体勢のまま、唖然として鷹と目を合わせていた。鷹の爪は深々と右腕に突き立っており、餌掛けの皮をじわじわと血で濡らしていた。

 直後、渓谷中に響き渡るような悲鳴が上がった。


 侯爵は地面に転がる。突如として暴れ出す大鷹と揉み合いになりながら辺りに鮮血を撒き散らした。

 一早く駆け付けた心像の術師が鷹の胴体を掴み侯爵から引き剥がす。嘴には彼の眼球が刺さっており、眼窩から管が伸びてぷつりと切れた。話霊の術師が鷹を地に押し付け、獣憑きの魔師がその頭を踏み潰した。

 侯爵は苦悶に喘ぎながら眼球を失った右目を抑える。話霊と獣憑きはその後どうしてよいものか分からず狼狽えるばかりだったが、心像の術師の行動は迅速だった。餌掛けを外し、大鷹の爪で出来た手首の傷を素手で覆う。止血するように傷を揉み合わせた。それから、荷馬車から消毒薬と手拭いを持ってこいと二人の術師に命じた。


 三人の術師は侯爵の応急処置に取り掛かる。右目に包帯を巻き、啄まれた顔面の傷口に消毒薬を塗布する。最も重症なのは右手首だったが、不幸中の幸いか、命に別状はないようだった。

 話霊の術師は彼の身体を支え、慎重に荷馬車へ押し上げようとする。が、それを侯爵は拒んだ。両手で話霊の胸を押して退け、「もう良い」と零す。


「良いとは、何がでしょう侯爵。早く都に戻って医者に掛からねば……」


「もう良いのだ。僕は、続ける」


「続ける?」意図が汲めず、話霊は鸚鵡返しに聞き返す。


 侯爵の足は渓谷の方へと向いていた。術師らは予想外の彼の行動に一瞬足踏みする。場は凍るような無音だった。澄み渡った青空に轟く鳶の声と、侯爵の草踏む足音を除いて。彼は渓谷の淵で足を止めると、一度こちらを振り返って微笑み、そのまま谷底へと飛び出した。



 * * *



 わからない、という声が微かに聞こえる。

 ジョットの顎には肉刺しが貫通していた。切っ先が舌裏を押し上げ、唇の奥でぬらりと光っている。下の肉刺しも天突に埋没し多量の血を噴出させていた。

 残った手爪は右手の小指に残る一枚のみである。ロゼは釘と万力を木台に置く。ジョットの口元に顔を寄せ、か細き声音に耳をそばだてる。


 報告書にも記されていない事の仔細まで、お前は何故知っているのか。お前が知ることは、不可能なはずなのに。


 男はそのような事を呟めいていた。報告書とは、王都裁定所に提出した事件のあらましを記載したもので、三人の術師の証言を個々に精査し信憑性を加味した上で統合したものだ。それに寄ればランベルティ侯爵は『飼い鷹に襲われ渓谷に足を滑らせた』とされており、書類のどこを見ても『自らの意思で滑落した』とは書かれていない。

 ロゼが語る現場の状況は登場人物の一挙一投足を精緻に再現したものであった。実際にその場に居合わせていなければ語る事の出来ぬ真実性を有して。当然、ジョットにとっては到底飲み込み切れぬ疑惑であった。


「それが出来るのよ。私にはね」


 ジョットは力なく横目にロゼを捉える。ロゼの両碧眼と視線を交差させる。

 よく見ていて――そう言うと、彼女の眼に僅かな変化が訪れた。予想だにしない光景に、ジョットの朦朧とした意識が蘇る。


「私は邸宅の一室から視ていたの。お父様が死ぬ一部始終、その全てを……」


 白き娘の碧眼が徐々に紅く染まっていく様を、男は茫然と見ていた。

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