二話 異端者の肉刺し

 目隠しが落ちる。

 そこは四方を岩壁で囲まれた地下の一室であった。要所には松明が灯されているが、薄暗さで部屋の奥は見通せない。少しずつ目が慣れてくると、ジョットは口を閉ざして息を呑んだ。


 目の前に居たのは齢十五ほどの生若い娘だった。目隠しを外した諸手を自然に降ろし、無機質な表情で立ち尽くしている。

 驚くべきは娘が全体に帯びた色の白さである。陽の光を浴びた覚えのなさそうな白妙しろたえの肌は何か病的で、しかしくすみの一つも見当たらない。肩甲骨あたりまで伸ばした髪もまた白白としている。瞬きをするたびに白く長い睫毛が羽ばたき、透き通った碧眼が見え隠れした。

 対比するように、娘の身に着けた衣服は真っ黒な亜麻の平民衣である。華族の子とは思えぬ飾り気のなさで、また露出した髪肌の白が暗い地下室に浮き彫りとなるようで、娘の顔容が眩しいほどにぽっかりと浮かんで見えた。


 ジョットは剥がれた爪の痛みを忘れ、ただ眼前の少女に見入る。彼が抱いた感情は『畏怖』であった。

 ロゼ・ランベルティの容姿は美女や麗姿といった枠に収まるものではなかった。その種の形容詞は元来同族同種へ向けて生まれたもので、例えば精霊の森で一角獣に遭遇したならばまた違った意趣で彼らを形容するだろう。それほどまでに少女の姿態は、人智の埒外に有るように感じられた。安易に目を向けることすら危ぶまれるような神秘性を彼女は全体に纏っている。


「ロゼ嬢。そうか、あんたは……」


 ようやく開けた口から夢幻が溢れ現実へと戻る。ロゼの容態を現す言葉はいくつか思い付く。白皮症、白子、アルビノ、白人しらびと――突然変種の奇人類とされるが、彼ら白皮の研究は未発達でまだまだ多くの謎に包まれている。その希少性ゆえ大衆には馴染みがないが、術師の一部界隈においては彼らは恰好の『材料』である。


 ジョットは師匠から聞かされた話を思い出していた。南部の果て、肌黒の民族の話だ。

 その国では、白皮の肉は不老長寿の特効薬である、というのが常識だった。実際に白皮の肉、髪を使用した薬品が市場で取引され、主に富豪の間で出回っているらしい。

 黒人種の世界には『白皮を墓に埋める愚行』という差別的なことわざがあるくらいだ。当然、心情的に白皮の者とて墓には入れられるが、数多の薬屋が彼らの肉体を求めるため、どこの白皮が死んでどの墓に入れられたなどと情報が上がれば、その晩は墓荒らしにやってきた薬屋同士が同じ暮石の前で鉢合わせるという話だ。

 だが白皮の肉を求め墓を掘り返されるのはよくある日常の出来事。もっと酷いのが、生きた白皮を襲い、身体の一部を無理やり奪い去り、時には命ごと奪ってしまうという現状であった。人死に発展させるほど、彼らの肉体は法外な高値でやり取りされていた。


 野蛮な人種なのですね、と零すジョットに対し、師匠は「南の果てに限った話ではない」と呆れるように返した。

 師匠曰く、白皮の肉体を使った薬は、我らが住まう四大都市の間でも商取引されているというのだ。発祥元は南の果てに影響を受けたとある薬効術師であったという。

 愚かな事だとジョットは思う。また、彼に術のなんたるかを教え説いた師匠とて同じ思いだろう。


 術は大きく分けて呪術、魔術、霊術の三つに分類される。それら術式を使役するものを総称して『術師』あるいは『術使い』と呼ぶ。

 術師が人世において持つ役割は大きく、また多岐に渡る。

 神の仲介人、精霊との平和的交渉、霊獣による人的被害の軽減、軍事戦略の一助、科学との共創、天文学への幇助と発展。そして、人医学の代替的立場である。

 白皮の肉が不老長寿の特効薬、というのはまるで根拠のない迷信であった。


 太古の術師たちが「いんちき」だの「詐欺集団」だのと蔑まれた歴史を忘れたのか、とジョットは憤る。そんな侮蔑の歴史を払拭するため、我々は永い年月をかけて執着深く、術の研究、多方面への癒着を経て一定の地位を確立してきたのだ。術というものに高い誇りを持っているジョットにとって、そのような迷信を餌に実益を図る術師らの存在は許しがたいものだった。


「つまりあんたはランベルティ家の愛嬢であり、箱入り娘だったってことだ。ロゼ嬢にとって、未だ蛮族の迷信が蔓延る現世を生きるのはどれだけの苦行、多難に満ちていることか。ランベルティ卿は深い父性愛をもって愛娘を邸宅に匿い、可能な限りあんたから危難を遠ざけた」


 ロゼは立ち尽くしたまま聞いている。


「ロゼ嬢も、そんな親父殿を慕っていた。侯爵の死は滑落事故として処理され、俺の目から見てもそれは疑いようのない事実だったが、何故だかあんたは納得いかなかったんだろう。まずは鷹狩りの現場に居合わせた三人の術師が怪しいと目星をつけ、洗いざらい事の次第を吐かせてやろうと、大方そんな所か」


 ジョットは両手を乱暴に揺する。左手の親指の爪に刺さったままの釘が痛んだ。拘束具は相変わらずびくともしない。


「だが、やり方が少々手荒に過ぎないか。選帝侯を命ぜられるほどの侯爵の娘が利己的に、このような卑劣な拷問官の真似事など。俺が吐かない限り殺すとまで言うが、その後の処理は考えてあるのか? 万一この件を王族にでも知られてみろ。今すぐ侯爵家の信用は地に失墜するだろう」


 ロゼはため息を吐いた。長く深い、心底辟易としたというような息であった。

「ジョット、貴方の推測に幾つ間違いがあるか数えていたけれど、途中から飽きて止めてしまったわ」


 彼女は手元の木台に手をやる。ジョットの目は自然にそちらへ向く。そこには様々な拷問具らしき鉄細工が並べ置かれていた。ロゼはその一つを手に取る。

 それは棒状の鉄片で、上下の先端が肉刺しフォークのように三つ又に分かれて尖っている。棒の中央には短い革帯が付属している。


「これは『異端者の肉刺しフォーク』と言ってね。単純な構造だけど、犠牲者の精神力を奪うこと、自白する気のない者を痛めつけるにはうってつけの道具みたい」


 鉄細工の革帯がジョットの首に巻かれた。鉄片の両端が軽く肉を触る。上の肉刺しは彼の顎裏を、下の肉刺しは鎖骨と鎖骨の間の窪みに軽く刺さって固定された。ジョットは必然、顔を天井へと向ける。そうしなければ上下の先端が肉に刺さってしまうからだ。

 ロゼはどこからか椅子を持ってきてジョットの左側に置いた。椅子に坐り、左親指の爪を剥がす作業を再開した。

 ジョットは激痛に悶える。が、無暗に大口を開けて叫んだり身体を動かすと肉刺しが深く刺さり込んでしまう。顔を上げた無理な体勢で、身体の自由を限りなく制限する。そういう道具なのだと彼は理解した。


「これを着けた状態だと下手に口も利けないし、痛みで暴れることもできないでしょう? 憶測と無駄口ばかりで、真実を喋る気もないようだし……そんな貴方にはお似合いだと思うわ」

 爪がロゼの足元に落ちる。彼女は白空笑いを浮かべ、淡々と人差し指の爪に作業を移す。

「爪は残り八枚、足を合わせれば十八枚ね。私の身の上話とお父様の死を語るには、十分、間は持ちそう……」


 ぞっとして、ジョットは天井を凝視しながら小さく呻いた。

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