第5話 絡む視線
桜吹雪のピークも過ぎ去り、校舎のまわりでは葉桜が顔を出し始めていた。涼しい木陰を落とす小道を小走りに帰って来るや否や、めいは少し興奮気味に『おしらせ』の紙を海と騎士の前にくしゃっと取り出した。
「あぁ、あったなそんなもの。」
コーヒーを片手に、そっけなく海が返す。
「え、・・・遠足ですよ、遠足!しかもお泊り!」
『新入生オリエンテーションのおしらせ』と書かれたおたよりをぎゅっと握りしめ、めいは海に訴える。しかし海はずずっとコーヒーを一口飲んだだけだった。
「2年でもあるよ、オリエンテーション。」
キッチンから出てきた騎士が、めいにもコーヒーを渡しながらソファに腰を下ろして言った。日差しが徐々に暖かくなってきたとはいえ、寮の中に一足入るとその空気はまだひんやりとたたずんでいた。
「え、そうなんですか?」
「うん、どこっだっけな・・・2泊3日くらいであったはずだよ。」
「ほえー!豪華ですね!!」
まるで修学旅行のようだ。はしゃぐめいを横目に見る海は、少し表情を柔らかくした。
「まぁ俺たちは行かないんだけどね。」
そう言って騎士はくしゃっと笑って見せた。
浮足立った気持ちでコーヒーに伸ばした手が止まる。
「え・・・どうしてですか?」
その問いをしてもいいものか、ためらいながらもめいの頭では口を止めることはできなかった。問われた騎士は案の定控えめな困り顔で、んーっと言葉を探している。
ごとっとマグカップを置いた海が、めいの『おたより』を受け取って答えた。
「俺たちが2泊3日の学校行事なんて行ってみろよ。24時間気が抜けねぇし・・・」
海はスケジュール欄と宿泊の部屋割りを流し見している。確かに帝がめいの教室に入ってきた時の反応を見ると、遠足中騒がれ続ける様子がめいの脳裏にも浮かんだ。
「そのせいで俺たちに何かあったら、教師たちにも宿泊先にも迷惑かけるだけだろ。」
この時やっと、海が自分たちの立場ではなく周りの人間のことを考えて話しているのだと分かった。
めいへの接し方があまりにも柔らかいため、最近では思い知ることが少ないが、『王子様』たちはそもそもが上流階級の人間なのだ。おそらく学校行事の一環だとしても、ケガや事故、ましてや事件などが及ぼす影響は家族だけにとどまらないのだろう。
それは先輩たちにとって『当たり前』のことなのだろうか。周りのみんなの『当たり前』を奪われることが、彼らの・・・。
「あー、ちょっと聞いたことあるよ。」
はなが教科書を鞄にしまいながら言う。
「なんか、上級生たちが、王子様たちの私服姿とか、寝顔とか、そういう写真を撮ってきてって王子様たちのクラスメイトにお願いしたんだって。それが学校にばれて、王子様たちオリエンテーションに行けなくなったらしいよ。」
かわいそうにね、と眉をしかめ、はなはため息も付け足した。つややかなボブがふっと揺れる。栗色の髪は窓から差し込む光を優しく反射していた。
「しゃ、写真?!」
驚きすぎてめいの反応がワンテンポ遅れた。
先輩たちまでいかずとも、お金持ち学校であるこの学園の生徒がそんなことをするとは、めいの小さい頭では想像もつかなかった。まるでパパラッチだ。
「そ、そんなに人気なんだね、先輩たちって・・・」
あいた口がふさがらない。
確かに彼らは容姿端麗で家柄もとびぬけていいのだろう。それでも結婚相手になろうとしたり、プライベートの姿を見るために写真を撮る『王子様』扱いに、めいは疑問を持っていた。
怪訝そうな表情を見かねてか、はなが肩にかけた鞄を背負い直して説明してくれた。
「まぁ外部から入っためいはあんまりピンとこないかもしれないけど・・・。中学までのお嬢様学校とおぼっちゃま学校が合体して、この虹色学園になるんだよね。要は、虹色学園の女子生徒は、中学校3年間男の子たちと触れる機会がなくて、・・・社交界でたまに見かける王子様に憧れを抱いて過ごしてきてるんだよね。」
めいの下顎はどんどん重力にあらがえずにだらしなくぶら下がっていく。
「それに王子さまって毎年いるわけじゃないから、在校してるときに王子様たちと関われるだけで奇跡だし。お近づきになれなくても、眺められるだけでいいって人はいっぱいいるみたいだよ。まぁ、もちろん噂が噂を呼んでっていうか、『王子様』っていうのがどんどん大きくなっていってるところもあると思うけど・・・。私も王子様の入学が分かってから、親に虹色学園勧められたもん。家としての繋がりを持てるようにって、プレッシャー掛けられてる子も中には居るんじゃないかなぁ・・・。」
まさに一般家庭から入学しためいにとっては現実離れした想像もつかない、別の国の世界の話だった。自分の高校入学が他人の人生に影響を与えるなんて、めいが王子様の立場だったらなにも選択できなくなりそうだ。
足元を見ながら階段を下りる。ゴム質の滑り止めがつま先に当たるのもなんだか鬱陶しい。
先輩たちは日々忙しなく学校と家を行き来していた。寮に帰ってくるのも入れ替わりのため、全員が揃って食事が出来た日はほとんどなかった。寮でゆっくりとしている先輩たちを見ると、耳を立てて近寄ってしまう。しかしめいがコーヒーでも入れようとすると、決まって騎士に制されもてなされる側になってしまうのが心苦しいところだった。
「ちょっとよろしいかしら。」
寮での先輩たちの姿に思考を巡らせていると、ふと右手側から声をかけられた。品のいい声だった。足元を見ると階段が終わっている。いつの間にか1階分降りてきたようだ。
耳からの情報に呼ばれた右側を振り向くと、ひざ丈のスカートからふわりといい香りが飛んだ気がした。
(2年生だ・・・)
胸にライラックのリボンが結ばれている。上品に佇む同じくらいの背丈の2年生が二人、めいの前に腕を組んで立っていた。
「柊めいさん、ですわね?」
いかにもお嬢様な口調に、めいの足元が自然と揃った。
はい・・・と声を出して答えると、周りの目を気にしてか『こちらへ』と短い言葉で促された。通された廊下には、下校時刻を過ぎたせいで人の影はほとんどなかった。まだ西日の時間には早いが、目を細めたくなる日差しが足元にパラついていた。
「ご存じとは思いますが、2学年のオリエンテーションに騎士様たちは参加されませんの。」
途中から見始めた映画のようだ。前置きも何もなく始まった話にめいは目を白黒させた。とっさに後ろを振り返るが、もちろん誰もいない。
「聞いてますの?」
腰のリボンまで伸びた髪が揺れ、めいの意識をハッとさせた。
「は、大丈夫です!」
言ってから、自分が寝ぼけているような錯覚に陥った。眉をひそめた先輩に嫌な感覚が足元を這いずり回った。顎を上げて、長髪の先輩が口を開く。
「騎士様たちは、今年もオリエンテーションに参加されませんの。」
放課後だというのに、なぜか遠くで部活動をする声も聞こえてこない。
「嘆かわしいことです。」
静けさが恐怖を感じさせる。
「そこで黒寮のあなたに、騎士様たちのオフショットを撮ってきていただきたいの。」
デジャヴに舌が渇く。
「背に腹は代えられませんもの。」
相槌を打つポニーテールの先輩に、脛あたりがムズムズした。
長髪の先輩は眉間にしわを寄せている。めいなんかに頼みたくない、と全身のオーラが放っていた。二度は言いません事よ、と幻聴が聞こえてきそうだった。しかし聞こえてきた言葉は、
「よろしいです事?」
有無を言わさぬ圧力だった。
―――――
珍しくホームルームが長引いた。寮にいるはずの大翔に、『めい帰ってる?』と連絡すると、『まだ』の2文字だけが返ってきた。
騎士は点数稼ぎのようだと恥ずかしくなりながらも、めいの驚いた顔を楽しみに1年の教室を覗いて落ち込んだ後だった。その上明日の課題をロッカーに忘れ、自分の情けなさに額からため息が漏れそうだった。
急に大きなガラスの窓が映える階段の踊り場を過ぎると、
「騎士様は参加されませんの。」
ふいに自分の名前を呼ばれて体がきゅっと足を止めた。冷たくとがった言葉のあとに、聞きなれた「大丈夫です!」という声が聞こえてきた。
(・・・めい・・・?)
静かに階段の壁に寄り、目視で確認するとそこにはいつも甘やかしたくなる後姿があった。
「あの、でも・・・私だったら・・・寝顔とかリラックスしてる姿、撮られるの・・・嫌だと思うんです。」
それはライラックのリボンを結んだ先輩2人も、耳を立てていた騎士も体が固まる言葉だった。
「・・・なにを、おっしゃってますの・・・?」
「あなたのことは聞いてませんのよ。」
思いがけない反論にあった二人は、右の額がちりっと熱くなるのを感じていた。
それでもめいは、頷くわけにはいかないと思っていた。
普通の人のあたりまえを、当たり前に奪われていいはずがない。世界が違うように感じた話でも、毎日同じ寮で生活している先輩たちが、異次元の生活をしているはずが$ない。
「寝癖がついてる姿とか、リラックスできる寝間着姿とか、撮られて学校中にばらまかれるなんて、想像しただけで怖いです。先輩たちだって、そんな姿学校中に見られたら、困ると____」
「自分は見られるから特別だというの?!」
伝わると思いあがった気持ちに反した攻撃的な言葉だった。めいは言葉を飲み込んで胃に落とした。違うと言いたかったが、分かってもらえないという気持ちが邪魔をしてしまった。
「あなたは同じ寮で生活を共にしているから・・・!そんなことが言えるのです!!」
「同じ寮で生活できることを、自分だけの特別だと思っているのでしょう!思い上がりも甚だしいですわ!!」
初日に味わった孤独感の包囲網のようなものが、目の前を真っ暗にした。
「・・・でも・・・」
ほとんど空気を吐き出したに近いめいの言葉は、先輩たちには届かず・・・。
代わりに、騎士の胸にしみこんでいた。
「ごめんね、俺も撮られたくないや。」
ふわりと、それこそ羽毛のように。めいの肩から心を優しく、騎士の腕とことばが包み込んだ。
「!!」
先輩たちの息をのむ声など、めいの耳には届きはしなかった。
「な、騎士さ___」
「ひやぁぁぁああ!!」
後ろから騎士に抱きしめられているのを実感した瞬間、めいの身体は痙攣をおこしたかのように震えその腕を抜け出していた。
「ちょっとめい!」
騎士の声を振り切るように、めいは足元だけを見ながらその場を逃げ出し、全速力で気づけば自分の教室へと向かっていた。
残された騎士は、
「そういうことだから。写真とか今後、やめてね。」
そうとだけ言い残し、走り去っためいを追いかけていった。
めいのクラスのドアを閉めると
「めい・・・ありがとね。」
いの一番に伝えたかった言葉を、騎士はやっと伝えられた。
自分の席の前で耳をふさいでいるめいに、届いたかは分からない。それでも言わずにはいられなかった。
めいは肩を震わせている。たまらず近寄り、めいの肩にそっと触れた。
「・・・めい?」
びくっと体を固まらせためいが、ゆっくりと騎士の方を向く。その目はなぜか、伏せられていた。そっと手を伸ばし、耳をふさいでいた両手を外すと、めいはぎゅっと目を閉じた。
「・・・断ってくれて、ありがとう。」
騎士はもう一度気持ちを伝え直した。届いていないと思ったからではない。ただもう一度丁寧に伝えたかったからだ。
掴んだ手は想像以上にか細く甘い。つむられた目は苦しいほど切ない。噤まれた唇は、あぁこの唇があの強い拒絶を放ったのだと思い知ると、たまらなく愛おしかった。
「・・・・めい・・・」
我慢できずにもう一度名前を呼ぶ。するとめいは、閉じられたその瞳を潤ませながら、騎士を見ることなくふるふると頭を振った。
騎士は気づいた時にはもう、『王子様』になっていた。物心がついたころには、自分は周りの人間とは違うんだと教えられて育ってしまった。楽しいことも、ふざけたいことも友達と同じなのに、あの子は友達ではないと大人に言われて遠ざけられてきた。家に居ればいろいろな家庭教師が西ノ宮家の在り方について語ってきた。そんな生活から逃げ出したくて、全寮制の虹色学園を選んでいた。しかも家柄が良ければ特別寮に移れるという。きっと自分は黒寮に入れると思った。そこで一人、誰ともかかわらない生活が出来ると思った。だが、ふたを開けてみれば自分以外にも『王子様』が居て、結局レッテルを貼られただけの騎士がもてはやされるだけの時間が過ぎていた。
「・・・めいは、そんな俺にも、寝て起きたり、気が緩んだりする時間があるんだって、・・・言ってくれただろ。」
そんなもの、無いと思われていた。王子さまは常に完璧であるべきだと、なんの疑いもなく定義されていた。それは自分たちに、生活はないと言われたようなものだった。
「・・・めいが、黒寮に来てくれて、よかったよ。」
そう言って手を引くと、めいはいとも簡単に立ち上がった。
軽いな・・・そう思った次の瞬間には、騎士はめいを机の上に引っ張り上げ座らせていた。
ふいに腰を持たれためいは声にならない声を漏らし、「ふわぁぁぁああ」と膝同士をくっつけていた。
しかしそのせいで、めいの瞳はまたきゅっときつく閉ざされてしまった。
しっかり目を合わせて感謝を伝えたい。騎士はむずっと鳩尾が不快になるのを感じた。
握った手を離さないように、机の上に押し付ける。か細い人差し指をなぞると、めいの肩がびくっと震えた。
「・・・めい・・・」
騎士はめいの鼻先をなぞるように、自分の鼻先で撫でるとそのままめいの唇にキスをした。
「んっ・・・」
反射的に漏れためいの声を逃さしたくなくて、騎士はその唇をふさぐようにキスを重ねた。
驚くほどはねた鼓動を軽く吐くと、目を開いた騎士の視界に、めいの視線がやっと合わさった。
(・・・・あ、やっとこっち見た____)
そう思うか否や、小指の間から順々に指を絡められるように背筋が続々と震えた。泡に含まれるように絡められた瞳は淡く揺れ、上気した顔が騎士の身体を茹で、静かに唇を隠したその手は愛らしく震えていたのだった。
トリプリ! @ruri-zombi
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