第3話優しい手・・・2
担任の先生の自己紹介も、クラスひとりひとりの自己紹介もほとんど耳に入らない間、めいはクラス中の視線に目を伏せて逃げていた。帝が去ってからというもの、クラスの女子だけではなくすべての興味本位という視線に刺されていた。
自分の自己紹介は、何をしゃべったのか覚えていない。やっとの思いで放課後になった途端、めいの机はクラス中の女子の好機という目で囲まれたのだった。
「ねぇねえ!帝先輩とどういう関係なの?!」
「さっき帝先輩からなにもらったの?!」
「え、・・・えっと・・・」
顔を伏せたまま口をパクパクさせ、必死で顔の下の酸素を吸っていると、廊下がざわめくのが遠くに聞こえた。今度は何だ、と男子も女子も廊下に視線を集める。めいは嫌な予想しかできず、まっさらな机の傷を必死で探した。しかしめいを囲んでいた女子が悲鳴と共に消えた後、めいの頭には二つの影が落とされた。
「・・・?」
震えながら顔をあげると・・・
「めい、来て。」
騎士と海が後光に照らされて立っていた。
「ま、まぶしっ!」
「…何言ってんの?」
ほら、立って、と言われるがままに手を引かれる。両手に騎士、海の手を引かれながらざわめきだつ教室を後にした。海はめいの鞄まで持っている。
「あ、あの!今日は皆さまおうちの都合で来られないとお伺いしたんですが・・・!」
足をもつれながら必死で声をかけると、騎士が微笑みながら耳元で囁いた。
「そうなんだけど、今朝帝が余計な点数稼ぎしたせいで騒がしくなってるって聞いたらね。」
「どっちにしろ、めいが気にすることじゃない。」
わ、私を心配して・・・?わざわざ来てくれたの・・・?
目頭から耳まで赤くなるのを止められない。教室に入ってからのじくじくとした不安が、溶けて消えていくようだった。
「裏口から出る。寮まで送るから。」
騎士に寄せられた体を、ぐっと引き戻される。海は体を引き寄せたりしないが、言葉が出ないほどまっすぐな瞳を向けてくる。恥ずかしさに耐えきれず視線を落したまま、先輩二人に手を引かれ学校の裏口まで来た。
「あの、靴・・・玄関に置いたままで・・・」
そう言いかけると同時に、裏口のドアが開かれた。
「!!・・・帝先輩!」
そこには、ひらひらと手を振る帝の姿があった。
「大変だったでしょ、ごめんね、めい。はい、これ。」
今朝の着替えの時と同様、何でもないことのように言いながら、帝はめいの足元に靴を差し出した。
「え、私の靴・・・!」
「いつの間に・・・」
呆れるように騎士がこぼす。
「うーん、点数稼ぎ?」
「・・え・・・」
「・・・気持ちわる」
二人が顔をしかめるが、帝はまったく気にしない様子でめいに靴を履かせようとかがんでみせた。
腰を折るその動作にすら気品を感じる。制服のしわ一つ一つに見とれていると、帝がすっと顔を上げながら靴を持っていない左手で、めいのふくらはぎを撫でた。
「ひっ?!」
反射的に筋肉が固まる。
「めい?履かないなら履かせちゃうよ?」
触れるか触れないかの手つきで紺色の靴下を上下に撫でられる。
「おい」
「やめろよ!どさくさに紛れて何してんだ!」
呆れてみていた騎士と海が同時に動き、めいを腕に抱き留めた。
もう勘弁してくれと、めいの頭の上からは蒸気が噴出していた。
「めいの反応が面白くてつい。ごめんね。」
すっと立ち上がった帝の笑顔に、胸が勝手に縮まろうとする。軋むな、と胸に手を当てても、もう何の意味もなさなかった。
「・・めい?」
顔を覗き込んできた帝から、騎士が引き離そうとする。
「さ、帰ろう。俺と海で送るよ。」
「え?俺も帰るよ?」
鞄を肩にかけ直した帝に、海が靴を履きながらけん制する。
「お前は早く家に帰れ。お前の誕生パーティーだろ。」
自分の鞄を受け取ろうと、すみませんと言いかけた口がぽかっと開かれた。
「・・え、帝先輩、今日お誕生日なんですか?!」
ばっと顔を上げると、涼しげな帝がにかっと笑った。
「いや、誕生日は明日なんだけどね。パーティーは今日やるらしいんだ。」
「そうなんですね!それは早く帰られませんと、きっとお父様やお母さまがお待ちですよ!」
めいには、もう両親がいない。小学2年生の時に二人して天国に行ってしまった。それ以来、叔母夫婦が引き取り、今まで育ててくれた。叔母夫婦はやさしく温かくめいを育ててくれたが、これ以上迷惑をかけられないと全寮制のこの学校を選んだのだ。
両親が健在で、誕生日を祝ってくれた日など遠く思い出もかすんでいる。寂しさから思い出をかすませているのかもしれない。そんなめいにとって誕生日はお祝いされる日で、喜ばしい日でしかなかった。だから、帝先輩を含め3人の先輩たちの表情が曇ったことなど、その時のめいには気づけもしなかった。
「・・・そうだね。日曜の夜には帰ってくると思うから。待っててね、めい。」
本当はめいの頭でも撫でて余裕を見せたかったが、帝の手はぐっと握ったまま開けずにいた。
「ご実家でゆっくりされるんですね!楽しんでください!」
微笑むめいを見て、騎士が続ける。
「頑張れよ。」
「うるせぇ。」
そっぽを向いた帝を不思議そうに見ていると、海が優しく声をかけた。
「めい、帰ろう。」
「は、はい!」
日曜に帰ってくるなら当日にはお祝いできないけど・・・何かプレゼントあげたいなぁ・・・。
めいは少し違和感を覚えたが、次の瞬間にはもう帝の誕生日をどう祝おうかという思考で満たされていた。
迎えに来た車の中で、帝はめいの笑顔を思い出していた。
『お父様やお母様がお待ちですよ!』『ご実家でゆっくりされるんですね!楽しんでください!』
めいに両親がいないのは知っていた。遠い日の記憶で、両親に誕生日を祝ってもらったうれしい記憶でもあるのだろう。だが、帝にはそれがなかった。
「・・・いっぱい泣いたのかな・・・。」
あんなふうに笑うめいが、両親を亡くした時にどんな風に泣いたのか。どんな風に耐えて今の笑顔になったのか。知る由もないな、と鼻で笑えた。それより今からの時間が気分を重くする。
誕生日パーティーは毎年知らない大人に囲まれ、何が出来るとか何が得意とかを勝手に話され、将来の話をされ、顔も知らない女の子を次々と紹介された。両親が自分を見た日など写真の中でしか見たことがない。物心ついてからはいつも、知らない大人相手に帝の自慢を話していた。
今年は誰を結婚候補に挙げられるか・・・どこの大学に行くのか将来何になるのか聞かれるのか容易に想像がつく。
しかしめいの笑顔を見た途端、行かなければいけないような気持になった自分が居た。
両親に会えないめい。会えても両親に関心を持ってもらえない自分。動けていないのは、・・・。
「帝様。今回は怖いほど素直に来られましたが・・・いよいよ婚約者をお決めになるおこころとなりましたか。」
後部座席に浅く腰かけ、背もたれに首をうずめて応える。
「・・・そう思うか?」
運転をしている柳井は帝の執事だった。小学5年生の頃から仕えている。
「思えませんね。つい数日前まで行かないとおっしゃっておりましたから。余計にどういったご心境の変化かと、疑問でなりません。」
バックミラーを一瞥した柳井が、再び視線を前に戻してから帝はつぶやく。
「・・・なぁ、柳井・・・。お前の両親は・・・健在か・・・?」
「は・・・?」
窓の外も見る気が起きない。帝は自分をこの車に引き寄せた、あの無垢な瞳に触れたかった。
「なんでもない、忘れろ。今回はめいが行ってほしいって言うから点数稼ぎに来ただけだよ。」
そう言った帝に、柳井が何かを察したように柔らかく微笑んでいるのに気づいていたが、あえて無視をした。
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