第2話 優しい手

黒寮での生活が始まって3日が過ぎた。めいの部屋は1階の角部屋、黒寮の玄関を入ってすぐ右側にあった。朝日も程よく入り、窓から見える庭の緑も気に入っていた。眩しい朝日に目を細めてから着替えをしていると、木目のきれいなドアが心地いい音を立てた。

「めいちゃん?起きてる?」

「は、はい!起きてます!今きが・・・」

言い終わるか終らないかのうちに扉が開いた。

「よかったーおはよ!」

「ぃきゃあぁああ!」

めいは脱いだばかりのパジャマを握りしめて入ってきた人影に背を向けた。

「ありゃ、ごめんごめん」

「み、帝先輩・・・!」

水をこぼした程度の謝罪に思わず名前を呼んで抗議した。

「着替え中だなんて思わなくてさー」

「い、いいから閉めてください!!」

「ははは、ご飯出来てるからおいでー。じゃ、ごめんね」

そういって帝は満面の笑みで扉を閉めた。

「はぁ・・・」

帝先輩ってば、いきなり入ってきて・・・。でも全然動じてなかったな・・・。私、魅力ないのかな・・・。

握りしめてたパジャマを離して、自分を体を上から眺めてみる。

「魅力・・・ないわ・・・」

めいはもう一度大きなため息をこぼした。

その時扉の向こうからどたどたと慌てた数人の足音が近づいてきた。と、大きな音を立てて勢いよく扉が開く。

「めい!!!叫び声が聞こえたけど大丈夫?!」

「めいちゃん!!」

「めい!!」

「ぃきゃぁぁぁあ!!!!!」

めいはもう一度パジャマを抱きしめるはめになった。



「もう!!帝先輩!!見てたなら止めてください!!」

めいは涙目になって訴える。それをにこにこ笑ってコーヒーをすする帝。

「ごめんって、止めようと思ったけど間に合わなかったんだ。」

そのコーヒーすら幸せそうに見える。そんな輝きが帝にはあった。

「帝が何かやらかしたのかと思って・・・悪かった、めい。」

バツが悪そうに咳払いをしながら、海がめいに謝る。そのうっすらと温もりがともった耳元を見せられ、なおかつそう素直に謝られると、それ以上怒ることはできなかった。

「そんなことよりめい、今日入学式でしょ?1年生は急がないとじゃない?」

「そ、そんなことって・・・!」

帝先輩にとって魅力ない私の着替えを見た事は、“そんなこと”なのか・・・。仕方ない・・・よね。

「学校まで行ける?一緒に行こうか?」

これ以上先輩たちといると心臓が持たなさそうと思い、騎士先輩のやさしい申し出を苦笑いで断った。


自室に戻り鞄を肩に背負う。まだ筆箱しか入っていない鞄が実質以上に軽く感じる。

我慢できず全身鏡の前に飛ぶと、ふわりと舞うスカートがスローモーションに見えた。

私・・・今日から高校生だ・・・・!


しかし、そのメリーゴーランドのような気持ちはあっという間に打ち砕かれた。

教室に入る前から、ざわめきが不安を煽りたてる。

どうしよう・・・もうみんな友達が出来てるみたい・・・。

入学式前から寮生活が始まっているせいか、すでに仲の良い子達はかたまり、そうでなくても顔見知りがたくさんいる状態のようだった。自分が透明人間になったのではないかと思いながら、黒板に貼られた席順を確認して席に座る。木の椅子の冷たさを感じたその瞬間。

「あれ?初めまして?ですよね?」

前の席の女の子が急に話しかけてきた。

うわ!いきなり話しかけられた!!

「う、うん!初めまして!私、柊めいっていいます!」

鞄を肩にかけたまま早口でそう言うと、目の前の女の子は束の間きょとんとしてからふわっと微笑んだ。

「私水巻はな。(みずまきはな)。よろしくね。タメ口でもいいかな?私憧れてて…」

よ、よかったぁぁぁああ。すごいいい子そう!女の子の友達できそう!!よかったぁぁぁぁあ!

「も、もちろん!」

「良かった。

 めいちゃん寮で見かけなかったね?お部屋どこ?私E棟なんだけど」

私の机に手を添えて、無垢な瞳で見てくるはなちゃんの顔からぱっと目をそらした。奏子先輩の反応が再び脳裏によみがえる。

・・・せっかく話しかけてくれたこの子に嫌われたくない・・・でも嘘をついたところで、桃寮を何も知らない私が嘘をつきとおせるとは思えない。

「えっと・・・・その・・・」

純粋な視線から逃げるように校庭を見下ろすと、3階の校舎からは体育館が少しだけ見えた。中にパイプいすが並んでいるのも見える。入学式の準備だろうか。あの椅子に座った時から、3年間どんな高校生活が待っているのだろうか。そしてきっと、どんな高校生活になるかは、今の私が選択肢を握ってるんだろう。

「あの・・・はなちゃん、ちょっと大きな声では言えないんだけど・・・」

そういって少し身を乗り出すと、無垢な瞳がさらに大きく開かれ、戸惑いながら背けられた。

私の口元にははなちゃんの耳と、他に聞こえないようにする優しい手が添えられた。

「・・・私ね、黒寮にいるの。保護者が桃寮に登録するの忘れちゃって・・・」

無音で振りむいたはなちゃんは、無垢な瞳から真剣な瞳に変わっていた。

「・・・それ、ほんと?」


静かに顎だけで頷こうとしたとき、突然廊下が騒がしくなった。というより、色めきだった黄色い声がつんざくように聞こえてきた。

「な、なに?」

はなちゃんが廊下の方に視界を向ける。めいもむける。クラス全員が向ける。

すると、帝がひょこっと教室の扉から顔をのぞかせた。

「あ、めいいた!」

その声がとんでもなく響くほど静まり返ってから、教室はとんでもない奇声に包まれた。

「きゃぁーーーーーーー!!!!」

『え?!何事ですの?!どうしてこちらに?!』

『王子様?!』

『は、本物?!すごい、本当に生王子かっこいいですのねー!』

帝がめいの名前を呼んだことなど誰も気にしていないが、帝がめいの顔を見て微笑み手招きをしている。周りはそのしぐさを見て、

『やだ可愛い!』

『おいでおいでしていらっしゃる!わたくしもされたいされたい!』

『でも誰を呼んでるんでしょう?』

と次第に教室の中にも視線が集まり始めた。当のめいはというと高速で顔の前で手を振り、無理無理無理無理!!と心の中で絶叫していた。

その様子を見たはなちゃんが、うわ、と小さく声を出した。

ついにしびれを切らした帝がめいの机めがけて一直線で歩いてくる。

それに合わせて黄色い歓声もきれいに付いてくるが、帝が私の机の前で止まった時、同時に歓声も静まり返ってしまった。

「これ渡してなかったよね、はい。」

なにも気にしていないような帝の手から、洋館の古めかしい鍵が渡される。めいはクラス中の、ひいては廊下からの視線までもを体に穴が開くほど浴びながらそのカギをおずおずと受け取った。

「寮のカギ。本当は迎えに来たいんだけど、それぞれ今日家の用事があってさ。悪いな。」

そう言いながら、あろうことか帝はめいの頭をよしよし、と優しくなでた。

束の間の静寂の後、また痛々しい歓声が私の周りを包んだ。

『・・・ッきゃーーーーーーー!!!!!!!』

あの子なに?!誰?!帝先輩が撫でた!王子の何なの?!うらやましー!私も撫でられたーい!

そこかしこから色んな声が聞こえる。声にならない声もたくさん聞こえた。

しかし、帝がめいの目線までかがんだ瞬間、周囲の音はひとつもめいの耳に届かなくなった。

「ごめん、こうやって嫌な思いさせると思う。でも、俺たちが全力で守るから。」

まっすぐな目を向けられ、何も言えなくなる。その顔を見て帝は優しく微笑み、またねと言って教室を去っていった。

「・・・めいちゃん、本当だったんだ・・・」

正面にいたはなちゃんが話しかける。

「・・・うん」

めいはそれだけ言うのが精いっぱいで、帝が消えたドアをただ・・見つめることしかできなかった。

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