第19話 ネレイア・リーン・エルティシア

 時は、朝。今にも雨が降り出しそうな曇天どんてんのせいで薄暗く、宿屋で提供される朝食のサービスが終了する頃。


 場所は、クラン《群竜騎士団》の拠点ホーム。大通りに面し、林立する高層建築物ビル群の中でも一、二を争う高い建物の正面出入口前。


 今、アレンは、肩の上にいる精霊獣カーバンクル相棒リルと共に、《群竜騎士団》白竜隊の隊長と言い争っているリエルを見守っている。


 何故そんな事になっているのか?


 その経緯けいいを簡単に説明すると――


「《群竜騎士団》との問題にきっちりけりを付けようと思う」


 アレンが、仲間達にそう宣言したのは今朝、食後のお茶の席での事。


 その後、アレンは、朝からぐったりしていたクリスタから過剰充填済みの力晶弾カートリッジ4発を受け取り、小さな相棒リルとリエルだけをともなって家を出た。


 ダンジョンへ潜る訳ではないので、平服で良いだろうと思っていたアレンだったが、リエルは、外出する時はこれが一番落ち着くから、といつのも完全武装の上に仮面とポンチョ風ケープを装備し、それならと自分も合わせていつもの装備を身に着け、向かった先はギルド内の連絡板。


「アレン様っ! こ、これは……その……~っ」


 そこで、アレンが見るよううながしたのは、以前ここに来た時に見付けてリエルに似ていると思った、あの捜し人の人相書き――『ネレイア・リーン・エルティシア』の肖像が描かれている張り紙。


 それを見た途端、リエルは取り乱し、


「――リエル」


 アレンは、やはり、と思いつつ、仮面越しにその瞳を真っ直ぐ見詰めながら言葉の続きをさえぎるように呼び掛け、はっ、と息を飲んだリエルの名をもう一度、ゆっくり落ち着きのある声音で呼んでから、


「俺は、これからもそう呼んで良いんだよな?」


 そう問いつつ微笑みかける。


 すると、リエルは、安堵したように、ほっ、息をついてから、はいっ! と頷いた。


「よしっ! じゃあ、行こうか」

「行く?」

「あぁ、ここへ行って、話をしよう」


 アレンが指差したのは、その張り紙にしるされている連絡先。


「じゃないと、あちらさんはいつまでも捜し続けるだろうし、リエルはいつまでも気が休まらない」


 だろ? と問われたリエルは、すぐには答えを出せず、戸惑い、逡巡し…………やがて覚悟を決めた。


 そして、アレン、リル、リエルは、クラン《群竜騎士団》の拠点ホームへ。


 正面出入口の両脇には、兵士風の男性2名が歩哨ほしょうに立っており、近付くと、止まれ、と制止しつつ手にしていた槍を交差させる。アレンは、そんな歩哨達に向かって、この人物の事について話があってきた、というむねを伝えつつ、ギルドの連絡板からがして持ってきた人捜しの張り紙を差し出して見せた。


 程なくして拠点の中から姿を現したのは、張り紙を持って上の者に伝えに行った歩哨の一人を含む四人で、歩哨以外の3名は、白を基調とした甲冑とマントを装備して帯剣している騎士のような出立いでたちの男達。


 その中の一人は、アドバイザーさんサテラにしつこく言い寄っていたあの美丈夫――白竜隊の副隊長で、あとの2名は、この後のリエル達の会話の中で、隊長ともう一人の副隊長だという事が判明する。


 面識がある美丈夫は、アレンの姿を認めるなり眉間みけんにしわを寄せたが、それだけで何も言わず、口を開いたのは先頭の精悍せいかんな男性――白竜隊の隊長。


 彼は、挨拶あいさつも抜きに本題に入るよう、初対面の相手であってもそうするのが当然であるかのように命令し、


「ネレイア様ッ!?」


 アレンにうながされてリエルが仮面を外した瞬間、その素顔を見るなりそう驚き混じりの歓声を上げた。


 その後、アレンは、自分の足元に投げ捨てられた小袋を拾い上げ、いったい何かと中を確認すると、入っていたのは100万ユニト大金貨が10枚。つまり、張り紙に書いてあった謝礼金の1000万ユニト。どうやら、それを持ってさっさと失せろ、という事らしいが、とりあえず、くれるというならもらっておく事にして、リエルはまだ話をしているのでおとなしく黙って待ち――今に至る。


「何故分かって下さらないのですかッ!?」

「殿下こそ、何故理解しようとして下さらないのですッ!?」


 話を聞く気はあるので、リエルが話したい時に彼女から聞くのが筋だとは思う。だが、そんな風に言い合いをしているため、盗み聞きするつもりなどなくても聞こえてしまう。それで、事情はおおまかに察せられた。


 それを自分の中で簡単にまとめると――


 今は『リエル』と名乗っている『ネレイア・リーン・エルティシア』は、血に特殊な力を宿すエルティシア王家唯一の生き残り。


 一方、今は《群竜騎士団》白竜隊の隊長を務める『フェルディナンド』は、元エルティシア王国近衛騎士団親衛隊の一員。


 そして、フェルディナンドは、血に特殊な力を宿しているがゆえに王位の正統性を証明する事ができる王女を旗頭に据えて挙兵し、エルティシア王国を奪還、そして再興……いや、そういう大義名分で自分達の国を手に入れようとしている。死体が見付かっていない『ネレイア・リーン・エルティシア』を捜し続けていたのはそのため。


 だが、リエルは、フェルディナンドの申し出を拒絶し、説得にも応じず断り続けている。


 それは何故かというと――


「国力の差は明らかであり、あらがい続けても戦闘によって民が命を落とし、国が荒廃していくだけ。だからこそ、父王ちちは負けを受け入れる事で戦争を終結させ、国民と国土を守ったのですッ! 民は戦乱など望んではいませんッ! 今更王国の再興など――」

「――ならば貴女も死ぬべきだったッ!!」

「…………~ッ!?」

「王統が絶えていたなら、祖国の奪還など考えなかったでしょう。――ですが、再興の芽が、貴女が残ったッ! これこそ陛下の御遺志であり、王国の再興を望まれた何よりの証ッ!」

「ち、ちが――」

「――では何故禍根かこんを残したのです? 聡明だった陛下なら、ネレイア様の存在が戦乱の火種になり得るという事が分からなかったはずがない。それなのに敵の手に落ちないよう逃がしたのは何故です?」

「そ、それは……」


 今まで黙って見守っていたが、リエルが口籠くちごもってしまったのを見て、アレンは、ここまでだな、と判断し、口を出す事に。


「――そんなの、娘に生きていてほしい、幸せになってほしい、そう願ったからに決まってるだろ」


 その瞬間、一同の視線がアレンに向けられ、白竜隊の面々は、まだいたのか、と言わんばかりの表情を浮かべた――が、


。雨が降ってきそうだし、そろそろ帰ろう」


 アレンが、自分の仲間であり家族でもある乙女に向かって手を差し出したのを見た途端、一転して視線で殺そうとするかのようににらみ付けてきた。


「貴様、どういうつもりだ。金は渡したぞ」


 だが、アレンは、叩きつけられる殺気など、どこ吹く風といった様子で、


「張り紙にしるされていたのは、本人を見付けて連れてきた者、居場所をしらせた者には謝礼金を贈呈するといったむねのみ。引き渡せ、なんて記述はありませんでしたよ」


 そう言い放ち、更に、


「それに、そもそも、そちらさんやリエルがどう思っていようと関係ないんですよ。だって、ここにいるのは、ネレイア何某なにがしではなく、リエルなんですから」


 それは、ここに来る前にお互いの意思を確認し合った事。故に、だろ? と言いつつ片目の瞬きで目配せウインクすると、リエルはじわりと込み上げてきたかのように笑みを浮かべて、はいっ! と頷き、ご主人様に駆け寄って差し出されていた手を取る――のではなく、ぎゅっ、とその腕に抱きついた。


「貴っ、様ァ……~ッ!」


 その様子を見て、精悍な面差おもざしを悪鬼のごとゆがめ、腰にいている剣の柄に手をかけるフェルディナンド。


 流石さすがはトップクラスのクランで対人を専門とする戦闘集団――白竜隊の隊長を務めるだけあり、怒りや憎しみ、嫉妬にまみれてはいても、その身からほとばしる殺気は凄まじく、部下達は隊長にならって剣に手をかけるべきところだろうが、その気迫にされるように後退あとずさりして棒立ちになっている。


 しかし、そんな我欲でにごった殺意に恐れをなすアレンではなく、


「リエルを必要としているようなのに、良いのかい? 俺を斬って死なせちまっても」


 リエルをかばうように立ち位置を変えつつ飄々ひょうひょうのたまい――はっ、と冷静さを取り戻したフェルディナンドは、食い縛った歯をきしらせつつ抜きかけた剣を鞘に戻し、柄から手を離した。


 それは何故か?


 通常、奴隷は、首にある呪印によって、主が死亡すると殉死をいられる。奴隷で構成された黒竜隊を使っている白竜隊の隊長がそれを知らないはずがないはずがなく、実のところ、アレンは既にその契約を『奴隷からの解放』に変更してあるのだが、フェルディナンドにはそれを知る由もない。


 つまり、アレンを斬り殺せば、リエルが殉死する、いては、己の望みが叶わなくなってしまう、と考えたからこそ、フェルディナンドは剣を納め、


「必ずこの選択を……いや、この世に生まれてきた事を、後悔させてやる」


 悪意と憎悪に塗れた捨て台詞せりふを残してきびすを返し、部下達を引き連れて建物ホームの中に姿を消した。




「ふむ……」


 彼我ひがの実力差を察して退いた、という感じではない。少ないながらそこの大通りを行く人々の目を気にした、という感じでもなかった。


 それなのに、契約を変更させるために拉致らちしようとするでもなく、ただ帰らせる、という事は……


みずから契約を変更して差し出させる、そうせざるを得なくさせる、そういう算段があるって事、か……。おっかないねぇ~)


 本当は盛大にため息をつきたいところだが、心配そうな顔で見詰めてくるリエルをこれ以上不安にさせないために、ぐっ、と堪え、


「じゃあ、帰ろうか」

「え?」

「え?」


 リエルは、ご主人様が何事もなかったかのように帰ろうとするので驚きの声を上げ、アレンは驚かれた事に驚き、どうかしたのかと問う。すると、


「このまま帰るのですか?」

「うん」


 アレンは頷き、リエルを促して一緒に歩き出す。


「でも、今朝、『《群竜騎士団》との問題にきっちりけりを付けようと思う』って……」

「言った」

「……それなのにこのまま帰るのですか?」

「うん」


 この後はダンジョンに潜るつもりだが、不死系モンスターアンデッドが出現する階層は一人で探索を済ませると決めたので、その前にリエルを自宅へ送り届ける。


 ゆえに、帰る、と言ったアレンは、元王女様が何に疑問を覚えているのか分からず肩の上のリルと顔を見合わせ、リエルはそんなご主人様の様子にしばし唖然としてから、あの……、とちょっと躊躇ためらいがちに声をかけ、


「アレン様は、どんな方法でけりを付けるつもりだったのですか?」

「話し合い」

「……は? 話し合い、で……?」

「うん」


 嘘ではない。本当にそれで事が丸く収まれば良いと思っていた。


 もっとも、同時に同じくらい、無理だろうなぁ、とも思っていたが。


「でも、もう話し合うって感じじゃないから、あとはあちらさんの出方でかた次第だな」


 これも嘘ではない。あの副隊長がアドバイザーさんサテラを手に入れるために彼女が担当した冒険者を帰らぬ者にしていた、という推測が的を射ていた場合、おそらく、同様の手口で――事実上の無法地帯ダンジョンで仕掛けてくる。


 こちらは、アンデッド相手に修行しつつ探索しながら待っていれば良い。


 そんな内心をおくびにも出さないアレンに対して、リエルはしばし唖然とし、正気を疑っているような、何と言えば良いのか分からないような有様だったが、ふと何か名案を思いついたらしく、口にしたのは、


「こういう時、アレン様のお師匠様や老師様なら、どうなさると思いますか?」

師匠や老師せんせいたちなら?」


 問われたアレンは、して間を置かず、


「そういう事が得意な友人を頼って任せる。自分達で解決しなければならない場合なら、まずはどちらも話し合おうとすると思う。で、老師なら、時間をかけて落し所を探るだろうし、師匠なら、ダメそうだと思ったら早々に切り上げて、金銭かねで済むなら済ませちまえ、って金貨が詰まった袋を抱かせて黙らせるだろうな。それで駄目だったら、師匠なら、拠点に乗り込んでみんなぶった斬っちまうだろうし、老師なら、自然災害や事故に偽装して拠点ごとまとめてぶっ潰すと思う」


 15歳になるまで、師匠と老師と自分、三人しかいない島で育ったがゆえに世間を知らず、問題を解決するのに『話し合いがダメだったら武力行使』が当たり前の事だと思っているアレンは、話し合いが決裂した今、ダンジョンで警告や拉致らちするために仕掛けてきたら、師匠か老師せんせいたちならうつもりでいる。


 だが、それを言ったら、話を聞いて絶句しているリエルが心配しそうなので、


「大丈夫だよ。いざとなったら逃げちまえば良いんだから」


 アレンは、あっけらかんと言って笑い、


「しばらく路銀に困らないだけのたくわえはあるし、修行はどこでだってできる。だから、ラビュリントスここにこだわる理由はない。それこそ物見遊山の旅にでも出て見聞けんぶんを広め、ほとぼりが冷めた頃に戻ってくれば良い。【空間転位テレポート】を使えば、出てくのも戻ってくるのも一瞬だし、《群竜騎士団あいつら》が追って来ようとしても追跡できないし、どうやっても追い付けない」


 嘘ではない。本当にそれも悪くないと思っている。


 もっとも、同時に同じくらい、そうはならないだろうなぁ、とも思っているが。


「だから、事が済むまで用心はしてもらいたいけど、心配はいらないよ」


 力みのない表情で言うアレン。その様子を見て、その言葉を聞いて、リエルが表情をゆるめた――その時、ぽたり、ぽたり、と雨粒が石畳を濡らす。


 降り始めた雨は徐々に勢いを増し、アレンは、腰の後ろのウエストポーチ型魔法鞄から取り出すていで、【異空間収納】の収納用異空間から取り出したマントをまとい、リエルも、フードをかぶるついでに仮面を装着した。


 被ったフードの中に入ってきたリルの体毛の感触モフみほほで感じつつ、アレンは、本格的に降り出した雨の中を、リエルと並んで歩き……


「…………?」


 ふと疑問に思った。何故自分はこんな雨の中を歩いているのだろうか、と。


 雨にけぶる景色を眺めるのは好きだし、たまにはこういうのも悪くないと思う。


 だがそれは、心身を休める以外に目的も予定もない休日であれば、の話。


 今日はこの後ダンジョンに潜るという予定があり、その前にリエルを自宅へ送り届けるという目的がある。


 それなのに何故、わざわざマントを取り出して纏ってまで、こうして濡れながら雨の中を歩いているのだろう? 適当にそこらの人気ひとけのない路地に入って自宅へ【空間転位】すれば済む話なのに……


「みゅっ」


 自分の場合、無意識での不可解な行動もまた超直感に起因するもの――それに思い至った時、そうだよ、と言わんばかりのタイミングでリルがこちらをのぞき込んできた。


 ならば、この道の先で自分の今後に関わる出来事が待っているのだろう。アレンは、そんな事を思いつつ、視線を、頬ずりしてくる可愛い相棒から正面に向けて、


「……ラシャン?」


 本降りの雨の中、袖口が広がったローブのフードも被らず濡れるに任せ、悄然しょうぜんうつむき、力なく肩を落とし、まるでゾンビのような足取りで歩いてくる人物が知り合いだという事に気が付いた。


「…………アレン君?」


 名前を呼ばれた途端、ビクッ、と躰を震わせて足を止めるラシャン。そして、恐る恐るといった様子でうつむけていたおもてを上げ…………そこにいたのが予想外の相手だった事に気付くと、目の下にくまができている顔に安堵の表情を浮かべて……


「おっと」


 アレンは、すっ、と間合いを詰め、気を失ったラシャンの躰から力が抜けて崩れ落ちる寸前に抱きとめた。

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