第16話 家族(ファミリー)になりたくて

「アレン様は、どうしてまだ生きているんですか?」

「えぇ~――…」


 それは、一日中よく晴れた日の黄昏たそがれ時。一足先にリエルとレトを【空間輸送転位トランスポート】で自宅へ送ったアレンが、相棒の小さな精霊獣カーバンクルのリルと共に、第4階層のボス部屋を攻略して第5階層へ進んだ事を自分の担当アドバイザーサテラに報告するため、冒険者ギルドへやってきた時の事。


 これまでも何度かそうしたように、窓口で彼女を呼んでもらい、一緒にいつもの簡素な応接間のような個室へ。そして、そのままでは座れないので、左腰にいている大小二本差しの大刀のみを左手でさやごと抜き取り、テーブルを挟んで向かい合って席に着いた途端、サテラがはっしたのがそんな質問。


 そして、サテラは、アレンの反応を見て言葉が足りなかったようだと気付いたらしく、


「私がアレン様の担当になってから一ヶ月が過ぎました。アレン様は、どうして生きびる事ができたのですか?」


 そう言い直した。


「あぁ~……、そうか……、もう大迷宮都市ラビュリントスに来て一ヶ月ったのか……」


 そう呟くように言って、少し遠い目をするアレンと、その肩の上でご主人の真似をするリル。


 趣味と実益と友達探しのためラビュリントスここに来て、早一ヶ月。今、振り返ってみるとあっと言う間だったように思えるが、実にいろいろな事があった。


 趣味の修行は、順調と言って良いだろう。実益については、有り余る程のたくわえができた。そして、友達は…………


「……あの、アレン様?」


 呼ばれて、はっ、と我に返ったアレンは、頭を振って気持ちを切り替える。


 言われて失念していた事を思い出し、落ち込みかけもしたが、おかげで合点がてんが行った。


 担当がかげで〝不運を招く女ハードラックウーマン〟などという二つ名で呼ばれているサテラだという事や、ラビュリントスで五本の指に入る大規模クラン、《群竜騎士団》といざこざを起こして〝なまくら〟という二つ名をもらったりと、良くない意味で有名になってしまったので、妙な視線を向けられるのにも慣れて気にしない事にしていたのだが、今日はいつにも増して視線を感じた。それは、これが原因で間違いないだろう。


 ――それはさておき。


 何を問われたのだったかを思い出し、考えてみたのだが……


「二人の先生の教えを守り、サテラさんの助言アドバイス通り用心ようじんしたからだと思います」


 よほど意外だったのか、それとも期待外れで拍子ひょうし抜けしたのか、それを聞いたサテラは、え? と小さく声を漏らして目を見開き、


「……そ、そんな……、では、どうして……」


 しおれた花のようにうつむいた。


 まぁ、彼女が何を期待していたのか、分からないでもない。


 なので、サテラさん、と呼びかけ、顔を上げた日頃からお世話になっているアドバイザーさんに語り掛ける。


「俺も、どうして、と思ったので考えてみました。どうして、サテラさんに助言してもらったにもかかわらず、俺以外は全員命を落としたのか?」


 冒険者になる――そのために必要なのは、冒険者養成学校の学生証と許可状か、Aランク以上の冒険者の推薦状、または登録料100万ユニト。そして、エメラルドタブレットを錬成し得るだけの保有霊力量キャパシティ


 それ故に、冒険者になる事ができた者なら、相応の実力が備わっているか、既にパーティを組んでいるか、金銭で護衛をやとっているか…………何にせよ、自殺願望でもなければ、第4階層までに出現するデカい害虫や害獣モンスターと戦って死ぬ方が難しい。それにサテラのアドバイスが加わればなお更に。


 だというのに、担当した全員が、一ヶ月以内に命を落としているという。


 それで不思議に思い、考えてみた。その結果、いたった答えは――


「それは、その冒険者達が、サテラさんの助言を無視したからです」


 まさにテッドが言っていた通り、自分勝手にやっておっんだのだろう。そうとしか思えない。


「…………」


 それを聞くなり、目に見えて意気消沈するサテラ。


 おそらく、そんな感じの言葉でなぐさめられた事があるのだろう。しかし、アレンの話はただの慰めでは終わらない。


「では、どうして助言を無視したのか? その理由についても考えてみました」


 サテラは、また俯きかけた顔を再度上げ、アレンは、あくまで俺の想像ですけど、と前置きしてから、


「冒険者の間では、第1から第3階層に出現するのはデカい害虫や害獣で、第4階層から出現するゴブリンこそが『最弱のモンスター』だと言われている、という事をご存知ですか?」

「はい」

「でも、サテラさんは、第1から第3階層に出現するモンスターについて解説レクチャーしてくれた時、そのデカい害虫や害獣の事をこう言っていました。――『危険なモンスターです』と」


 ラットマン、ジャイアントモス、ウィールワーム…………ボス部屋に出現するものだけではなく、各階層に出現するものまで、その1体1体について事細かに教えてくれた。そして、そのたびに、危険なモンスターであるという事を強調し、くれぐれも注意するよう口をっぱくしていた。


「でも、サテラさんのアドバイス通りに注意して戦うと、第1から第3階層のモンスターなら案外あっさり倒せてしまう」


 攻撃系の【技術スキル】を取得していれば、なお更に。


「だから、たぶんこう考えたんだと思います。『あの人にとっての危険はこの程度なのか。なら、この下の階層さきに出現するモンスターもたいした事はないな』と。そして、そんな楽観が、油断を生む」


 ダンジョンで油断すればどうなるか、それは言うまでもない。


 サテラは目を見開き、しばらく言葉を失っていたが……


「……そ、それなら……やっぱり私の――」

「――違います」


 アレンは、断定的な否定に目をしばたたかせるサテラを真っ直ぐ見詰めて、


「サテラさんの助言アドバイスは、とても丁寧で的確です。でも、その助言をかすも殺すも冒険者次第しだい。同じ助言をもらっても、俺のように生き残る奴は生き残るし、命を落とす奴は命を落とす」


 それに、と一拍おいてから、


「最初に言った通り、これはあくまで俺の想像であって、考えられる可能性の一つ。当人に確認した訳ではないので、本当のところは分かりません」


 そして、とまた一拍おいて話を区切ってから、


「考え得る可能性、その一つをどうすれば潰せるか、というの話をしている最中であって、責任の所在について話している訳ではありません」


 アレンは、本題を続けて構いませんか? とたずね、サテラが戸惑いつつもうなずいたのを確認してから、


「これからは、モンスターについて解説する際に、『危険なモンスターです』という語句フレーズは極力使わないようにするんです。ダンジョンに出現するモンスターは明確な敵意を持って襲い掛かって来る。故に、危険ではないモンスターは1匹も存在しない――そういう前提で話をすれば、少なくとも、俺が想像したような考え方をする冒険者は減らせると思います」


 それを聞いてぽかんとしたサテラだったが、直後、はっ、と何に気付いたのかと思えば、制服の上着のポケットから手帳を取り出し、胸ポケットに差し込んでいたギルド職員に支給される万年筆を手に取ると、ものすごいスピードでメモを取り始めた。


「…………」


 そんな自分の担当アドバイザーを見守りながら、アレンはふと思った。彼女は何故この仕事を続けているのだろう、と。


 ダンジョン最寄もよりの大病院――[セルリアナ記念病院]の緊急外来で目の当たりにした光景は、あの日に限った事ではないはず。


 毎日、あれほどの冒険者達が、傷を負い、命を落としている。であれば、受け持った冒険者に死なれたギルド職員アドバイザー何人なんにんもいて、それでその仕事から退しりぞいた者が幾人いくにんもいるだろう。


 それに、サテラは、まず間違いなく、自分が陰で何と呼ばれているか知っている。


 それなのにめない。冒険者の力になりたいと望み、労をしまず、努力し続けている。


 それは、仮にこの仕事が好きなのだとしても、ただそれだけで続けられるとは思えない。何か、辞めたくても辞められない理由、あるいは、どうしても辞めたくない理由でもなければ……


「――アレン様!」


 万年筆をはしらせていた手を止め、帳面に向けていた顔を跳ね上げるサテラ。アレンは、その真剣な眼差しを受け止めて、余計な事を考えるのをやめた。


 自分達の関係が冒険者と担当アドバイザーである以上、彼女個人の事情にまで踏み込むのは御節介おせっかいで、直接たずねるつもりがないのなら詮索せんさくもすべきではない。


 そう考えるのは、師匠と老師せんせいたちの影響で、一見そうとは思えなくとも実はとても面倒見がいい二人は、頼られたら見捨てられない性質たちだが御節介はやかず、昔、もっと二人の事をよく知りたくて根掘り葉掘り聞いた時、〝詮索屋は嫌われるぞ〟と冗談じりに言われたのを覚えている。


「他にはありませんか? あるのなら、お願いします。忌憚きたんなくおっしゃって下さい」


 前のめりな感じで欲しがるサテラ。


 その後、アレンは、そうおおせならと、退屈してかまってアピールを始めたリルを構いながら、過保護なんじゃないか、と感じた事や、自分が頑張らなければ冒険者が死ぬと思っているのかもしれないが、そうではなく、生きるも死ぬも貴方あなた次第だと突き放すぐらいがちょうど良いのではないか…………などといった意見を述べ、サテラは、時おり質問を交えつつ、熱心にメモを取り続けた。




「アレン様は、何のために仲間を探しているのですか?」


 可愛く小首をかしげたレトにそう問われたのは、夕食後、まったりお茶をいただいていた時の事。


 もっともっとと意見を求めてくる担当アドバイザーからようやく解放されたアレンは、今から帰るむねを時空魔法の【超空間通信】で伝えてから家路につき、リルと共に帰宅するとリエルとレトが玄関で出迎えてくれ、手洗いうがいした後、武装を解除して食卓へ。食べずに待っていてくれた二人と一緒に、彼女達お手製の夕食を頂き、とても美味しいといったむねの感想以外はほとんど会話もなく、しっかりと味わって料理の数々を堪能した。


 そして、食後。リエルがれてくれたお茶を頂きながら、ギルドであった事を話し、今まで中断していた仲間探しを再開するむねを告げ、いずれはパーティの上限である六人で冒険したいという希望や、他のパーティと合同でダンジョンへ潜る事もあるかもしれない、と未定の予定を語り――それを聞いていたレトがぽつりと不思議そうにそんな疑問をていした。


 それに対して、アレンは、


「何のために?」


 鸚鵡おうむ返しに呟き…………愕然とする。


 それは、返せる答えがなかったからだ。


 冒険者は、ダンジョンを攻略するために、依頼クエストを達成するために、仲間を探し、パーティを組む。


 では、自分は?


 修行に専念するため、今のところ依頼を請け負う予定はない。


 ダンジョンの完全攻略には興味がなく、探索するにも誰かの助けを必要としてはいない。それどころか、〔超魔導重甲冑カタフラクト〕や〔高機動重戦騎ドラグーン〕を所有している事を隠すと決めた手前、他人はいないほうが良い。


 つまり、今の自分には仲間を必要とする理由がない。


 それなのに何故、仲間を探すのか?


 それは…………仲間が欲しいから。『仲間』と呼べる間柄の他者を求めているから。ただそれだけ。


 そこでふと気付いたのだが、それはおそらく、友達が欲しい、というのと根っこは同じだ。


 では、どうすれば良い?


 いまだ遠巻きに見られている、はっきり言ってしまうと避けられている現状、他人との接点がなく、それ以前に友達の作り方が分からない。


 ギルドの連絡板でパーティメンバーを募集するにしても、り出す用紙に何と書けば良い? 仲間が欲しいので仲間になって下さい、とでも書くのか? そんな募集に応じてくれる者がいるのだろうか?


「アレン様?」


 思考のうずみ込まれかけたところで呼ばれ、はっ、と我に返るアレン。


 レトは答えを待っており、その隣の席ではリエルが不思議そうにこちらを見ていて…………ふと気付いた。気付いてしまった。


 リエルとレトは、仮の姿で過ごした長い奴隷生活のせいで対人恐怖症をわずらっており、主人である自分を除く男性に対して不信感をいだいている。


 という事は、募集するなら、メンバーは女性限定にしなければならないのだろうか?


 現状で既に難儀なんぎだと思っていた仲間探しのハードルが更に上がり、アレンは今度こそ途方とほうに暮れた。




 そんな事があった翌日。


 予定していた午前中のダンジョン探索を中止し、リエルとレトには心身を休めつつ自由に過ごしてもらう事にして、リルと共に家を出たアレンは、防具は身に付けず、大小二刀――愛刀〔無貌の器バルトアンデルス〕と脇差〔念動飛刀ひとう〕のみをたずさえて、今日もまた冒険者ギルドへ。


 昨夜、さんざんなやみに悩んだ挙句あげく、自分にはリルやリエル、レトがいてくれるから、と開き直り、今できる事からしよう、とあせって仲間を探したり友達を作ろうとするのはやめにして気長に構える事にした。


 なので、今日、ギルドにやってきたのはそのためではない。


 では、何のためかというと、人に会うため。


 アドバイザーさんサテラから、面会を希望している人物がいる、と伝えられたのは、昨日の別れ際。なんでも、その人は数日前にやってきて、直接会って感謝を伝えたいむね、事情があって自由に出歩けない旨を告げ、期日を指定して帰って行ったとの事。


 その期日というのが今日で、その人物が名乗った『クリス』という名前に覚えはないが、面会を希望している理由や、人相、風体からして、思い当たるのは一人だけ。


 例によって窓口でサテラを呼んでもらって到着した事を報せると、もう来ていて待っているというので、いつもの簡素な応接間のような個室へ向かい、ノックしてからドアを開ける。


 すると、席に着いて待っていたのは――


「――ありがとうございましたッ! 助けてくれただけじゃなくて、あの病院に運んでくれた事も! そうじゃなかったら、たぶん殺されてました。あの時は伝えられなかったけど、どうしてもお礼が言いたくて!」


 アレンの姿を認めるなり席を立ち、深々と頭を下げて感謝の言葉をべたのは、やはり、髪は短く服装もゆったりとしていて見た目では男か女か判然としない、あの男装少女だった。


 アレンはそれに応じつつ、おそらくそれだけではないだろうな、と思っていたが案の定、


「……それで、君に直接会いたかったのは、もちろんお礼を言いたかったからなんだけど、それだけじゃなくて……」


 個室のドアこそ閉めたが、まだお互いに立ったまま、席に着くよううながす間もなくそんな事を言い出した。


 リルは退屈すると、ドアをカリカリ引っ掻いて外に行きたいとうったえたり、かまってアピールを始めたりする。なので、話が早いのは大歓迎なのでそのまま先を促すと、


「――ボクを君のパーティに入れて下さいッ!」


 そんな事を言い出した。


「ボクの名は『クリスティアン』、『クリス』って呼んで下さい。職種ジョブは【錬丹術師】。希望する戦種ポジションは『支援フルバック』です」


 賢者の塔で選択する事ができる職種にあるのは【錬金術師】で、【錬丹術師】という職種は存在しない。だが、〔魔法薬ポーション〕のような特殊な薬品の取り扱いを専門とする者達は、魔導機巧のような特殊な道具を製作する者達と区別するために、あえてそう名乗る事がある。


 しかし、そんな事より、今、重要なのは、


「俺の……仲間パーティに?」


 その言葉は、まるでかわいた大地に染み込む慈雨じうごとく脳に染み渡り…………アレンは思わず泣きそうになった――が、それをぐっと堪える。


 喜びのあまり思わず手放しで迎え入れそうになってしまったが、訊くべき事はしっかり訊かなければならない。


 アレンは、自分も名乗ってから、


「【錬丹術師】で『支援』希望って事は、それが主職メインで、制作した〔魔法薬〕を提供してくれるって事?」

「いずれはそのつもりだけど、今はそのための道具も設備も素材もないから、荷物持ちでも何でもやります!」

「いずれは、って、俺や他のメンバーの事をよく知らない内から固定でやっていくつもりなのか?」

「もちろん。試しに組んでみてなんか合わない気がするから解消、なんていい加減な事をするつもりはないよ」


 その当然だと言わんばかりの様子に、え? と小さく戸惑いの声を漏らすアレン。


 男性名を名乗った男装少女――『クリス』は、更に続けて、


「始めは合わない気がしても、付き合いが続いていく内に相手のいろいろな部分が見えてきて悪くないと思えてくる、なんてよくある話だろ? 始めはみんな、強がったり、警戒したり、遠慮したりするから、一度や二度ダンジョンに潜ったり依頼をこなしたりした程度じゃ、その人物ひとの人となりは分からないし、合わなければ解消すれば良い、なんていい加減な気持ちって結構相手に伝わるから、本当の仲間になれる訳がない――ってちょっとッ!? なにッ!? どうしたのッ!?」


 クリスの言葉が、グサッ、と胸に突き刺さり、そのあまりの心理的衝撃ショックの大きさに、ガクッ、と崩れ落ちるようにひざまずいて頭を抱えるアレン。


(お、俺は、間違っていたのか……ッ!?)


 いろいろな人達とパーティを組んで冒険をしてみたい。一度組んでみて合わずにそれっきりという事もあるだろうし、臨時で何度も同じ人物とパーティを組むなんて事もあるだろう。そうやって出会いと別れを繰り返し、やがて唯一無二と言える仲間達と出会い…………そんな風に考えていた。


 それがいい加減な気持ちだというのなら、


(それが相手に伝わって……ッ!?)


 とりあえず一ヶ月生き延びて……、という目標をさだめたのは、連絡板で見付けたパーティメンバーの募集に応募して全て断られたからだった。


 そして、そうなった原因は、自分の担当アドバイザーが不吉な二つ名を持つサテラだからだと思っていたのだが……


「みゅうっ みゅうぅっ」

「何なのッ!? ねぇっ! アレンっ! アレンってばッ!」


 悪いのは自分なのに、それをサテラのせいにしていた事に対する申し訳なさで激しく落ち込むアレン。その肩の上にいるリルは、正気に戻そうと前足でぺちぺちご主人の頬をたたき、クリスもまた大いに戸惑いつつ名前を呼び続けた。




「取り乱してしまって申し訳ない」


 愛刀を手が届く場所に立てかけ、椅子に座ってひとまず落ち着きを取り戻したアレンは、テーブルを挟んで正面の席に座っているクリスに向かって頭を下げ、リルにも感謝を伝えて指先でその首を優しくき、気持ちよさそうに目を細めてこちらへ躰を傾けてくる相棒の首周りやのどを更に掻く。


「それより……答えを聞かせてもらえる?」


 緊張の面持ちで問うクリス。それに対して、アレンは、


「俺達がダンジョンに潜るのは修行のためで、完全攻略には興味がない。だから、ダンジョン探索が主体で、今のところ依頼クエストを請け負うつもりはない」


 そう簡単に活動方針を話してから、それに、と続け、


「クリスの言う事にも一理あると思う。けど、一度でも一緒に冒険すれば分かる事もあって、その時点で無理だと思ったなら、我慢してまで付き合っていきたいとは思わない」


 だから、と更に続けて、


「正式な仲間入りを認めるかどうかは何度か一緒に冒険をしてみた後で決める、って事で良ければ」


 そう言って、右手を差し出した。


 その手を見て、ほっ、と息をつくクリス。緊張に強張こわばっていた表情をゆるめて、


「うん、それで構わないよ」


 一つ頷いてから同じように右手を差し出し、二人は握手した。


 こうして、どこからが友達でどこまでが友達ではないのか、その基準が分からないアレンに、初めて奴隷ではない仲間ができた――かと思われたが……


「それじゃあ、早速拠点ホームに案内してよ。道具と素材が少なくてもできる事はあるからさ!」


 足元に置いていたリュックを背負い、意気揚々と言うクリス。――だが、


「拠点って、俺の?」


 アレンは、怪訝けげんな顔してそう問い、クリスが、それに困惑しつつ、うん、と頷くと、


「それはダメだ」


 きっぱりと拒否した。


「今、俺が活動の拠点にしているのは自宅なんだ。だから、パーティを組む事になったとはいえ、まだよく知らない他人クリスを家に上げる事はできない」


 土地は広く、部屋も、家自体すら、〔拠点核ホーム・コア〕に命じるだけで幾らでも増やす事ができる。


 だが、独り立ちするに際して、師匠と老師から、〝家の鍵はしっかり掛けろ〟〝友達は選べ〟〝よく知らない他人を家に上げるな〟と、耳に胼胝たこができるほどさんざん言い聞かされた。


 故に、呪印で隷属する奴隷でもない赤の他人を家に上げる事はできない。


「心機一転するために、今まで世話になってた宿舎を引き払ってきたんだ。だから、そんな事言わずにめてよ。物置とか、テーブルの下とか、とりあえず横になれるスペースがあればどこでも構わないから」


 始めからそのつもりだったらしいクリスは、アレンが何度断ってもなおしつこく食い下がり――


「ダメなものはダメだ。その引き払ってきた宿舎に戻れないなら、とりあえず次の拠点を見付けて落ち着くまで、ギルド酒場の――」

「――それこそダメだ」


 アレンにみなまで言わせず、今までにない強い口調でさえぎるように言って、


「あんな所に泊まったらすぐやつらに見付かって……ッ」


 途中で口をつぐんだ。


 しかし、表情を見る限り本人も理解しているようだが、もう遅い。


「〝詮索せんさく屋は嫌われる〟って言うし、他人ひとを厄介事に巻き込んではならない、っていうのは常識だと思っていたからあえて訊かなかったんだけど…………ちゃんと確認しなきゃならないみたいだな」


 アレンが席に戻るよう促すと、リュックを背負ってドアのほうへ向かいかけていたクリスは、顔をそむけたまま必死に言い訳を考えていたようだったが…………程なくして、リュックを背負ったまま力なく椅子に腰を下ろした。




 アレンが、クリスに向かって発したのは、たった二言、


「話すつもりがあるなら聴く。ないなら帰る」


 それだけ。


 それからは一言も発さずに反応をうかがい、ぽつりぽつりとクリスが事情を話し始めると、話し終わるまで聞き役にてっした。


 その内容を、整理して簡潔にまとめると――


 クリスは、実の両親を知らず、血のつながらない人間族ヒューマンの老婆に育てられた。


 聡明で、優しくて、いてなお可愛らしい老婆を、クリスは『おばあちゃん』と呼んでしたい、同時に優れた錬丹術の師として尊敬し、師匠と弟子として、また祖母と孫として、仲睦なかむつまじく暮らしていたのだが、やがて、避けようのない別れの時がおとずれる。


 一人で葬儀をり行った後、クリスは、ひとり残される自分の身を案じて師匠おばあちゃんが用意しておいてくれた遺言書を見付け、それに従って旅立ち、ラビュリントスに辿たどり着くと、頼るよう遺言書にしるされていた人物に会うため、とある生産系クランを尋ねたのだが、その人物は既に亡くなっていて別の人物がクランの代表マスターつとめていた。


 そして、言葉たくみにそそのかされ、他に行く当てもなく、結局、所属する事になったその生産系クランは《群竜騎士団》の傘下で、ダンジョンへ連れて行ってもらったのは最初の一度きり。それで『所属する際に交わした、ダンジョンへ連れて行く、という約束は守った』と言い張り、あとは命じられるまま薬を作るよう強要され、恐怖と暴力による支配から逃れようとクランから脱走し、追われて窮地におちいったところをアレンに助けられた。


 その後、回復したクリスは、[セルリアナ記念病院]の医術師でもある《アカデミア》の幹部に事情を話し、入院中から引き続きかくまってもらう恩を返すために病院の生産部門で働きつつ、自分を助けてくれた人物について調べてもらい――今に至る。


「ボクは運命なんて信じない。でも、あの時は……あいつらに吹っ飛ばされて、アレンが受け止めてくれた時だけは思ったんだ。――この出会いは運命だ、って」


 クリスは、最後にそう言って俯いた。


 アレンは、膝の上で寝てしまったリルを起こさないよう優しく撫でつつ、聴き終えた話を頭の中で整理して……


「《群竜騎士団》との問題がいまだに解決されていないって事は、《アカデミア》の助力は得られなかったのか」

図々ずうずうしいとは思いつつも、形振なりふり構っていられる状況じゃないから頼んではみたけど、ね」


 中立という立場を守るため、《アカデミア》にできるのは、理由の如何いかんを問わず、自分達を頼って逃げ込んできた者を拠点でかくまうところまで。それ以上を望むのであれば出て行ってもらうしかない、というような事を言われたらしい。


「《アカデミア》にいれば安全。でも、安心して自由に外を出歩けず、いつまでっても問題は解決されない。――だから、俺とパーティを組むのか? 《群竜騎士団》と因縁があるこの〝なまくら〟を利用して、決着を付けるために」


 ダンジョン内は、事実上の無法地帯。その中であれば、人を斬り殺しても、バレなければ、誰にとがめられる事もない。全てモンスターのせいに…………


(……まさか)


 冒険者になる事ができた者なら、第4階層までに出現するモンスターと戦って死ぬ方が難しい。それにサテラのアドバイスが加わればなお更に。そうであるにもかかわらず、担当した冒険者達は、自分を除き、全員が一ヶ月以内に命を落としている。


 その理由として今まで考えもしなかったが、特定のアドバイザーに悪意をいだく何者かが、担当している冒険者をダンジョン内で襲って……


(……いや、流石さすがに考え過ぎか)


 少なくとも、自分は今日までダンジョン内でモンスター以外に襲われた事は一度もない。


 ギルドに来た時などは初中後しょっちゅう感じていた不特定多数から向けられる妙な視線、その中に犯人がいて、こちらの技量を見抜き、が悪いと判断して仕掛けるのをやめた、という可能性もないではないが…………小さく首を横に振って余計な考えを頭の中から追い出す。


 ――何はともあれ。


 だからこそ、クリスはパーティを組んでダンジョンへ潜ると言っているのだろう。みずからをおとりにして、空間が限定されるため数の利を生かしきれないダンジョン内におびき寄せ、武力をって片を付けるために。


 アレンにたずねられたクリスは…………否定しなかった。しかし、表情を観る限り、それを肯定するつもりもないらしい。


(運命、か……)


 己の直感を信じて行動し、本当に他意がないのだとすると、ずいぶんとまた思い切ったけに出たものだ。ラビュリントスで最大規模のクラン《アカデミア》の庇護ひごを捨てて、どこの馬の骨とも知れない十代半ばの新人冒険者ルーキーを頼るなど、はっきり言って正気の沙汰さたではない。


「アレンだけだったんだ。危険をかえりみず、見返りも求めずに助けてくれたのは……。だから、アレンとなら、おばあちゃんが言っていたような本当の仲間に……家族ファミリーになれるって、思ったんだ」

「本当の仲間……家族ファミリー……」


 その素晴らしい響きに感動しているアレンをよそに、クリスは、自分の隣に降ろしたリュックを開けて……


「本当はすぐにでも会いに行きたかったんだけど、受けた恩は返さないといけないから……」


 その話を信じるなら、面会に指定した日が一ヶ月生き延びた翌日なのはたまたまで、〝不運を招く女〟のジンクスを破れたから会いに来た、という訳ではないようだ。


「その間に考える時間はあった。――だから、これを用意したんだ」


 そう言いつつ、クリスは、リュックの一番取り出しやすい所に入れられていた円筒形の書類入れのふたを開け、


「あの時、ボクの居場所はここだ、って確信した。でも、ボクはもう、逃げ出したり、見限ったり、自分の都合で二つのクランを後にしてる。だから、状況が悪くなったら自分だけ逃げだすんじゃないか、と思われても仕方ないと思って……」


 一枚の巻物を、テーブルの上、アレンの前に置いた。


「厄介事に巻き込んでしまうかもしれない……、そのせいで命を落としてしまうかもしれない……、もちろん考えたよ。でも……」


 それだけ必死という事なのだろう。取り留めもなく真情を吐露とろするクリス。


 その一方で、アレンは、それをなかば聞き流しながら、見ろという事なのだろうと察して巻物を手に取り、開いて目を通して行く。


 それは羊皮紙で、そこにしるされている内容は、好意的に捉えるなら、御恩に対して奉公する事で報いる、つまり、部下として忠義を尽くしますと解釈する事ができる。だが、実質的には、私を助け衣食住を保障してくれるのなら貴方の奴隷しもべになります、と言っているも同然で、どちらにせよ、先程言っていた、本当の仲間や家族とは程遠い内容だった。


 しかも――


(これは、誓約の儀式魔術ゲッシュを行なうための呪物フェティッシュか……)


 クリスが円筒形の書類入れの蓋を開けると同時に目を覚まし、ご主人の膝の上から肩へ移動したリルが、書面をのぞき込むようにして鼻をヒクヒクさせている。


 この羊皮紙から漂う力からして間違いない。


 署名欄に相当する二つの魔法陣の一方には、既に血で拇印ぼいんが押されている。このやり方は正式な作法にのっとったものではないが、もう一方にアレンが血で拇印を押しつつ霊力を込めれば問題なく契約は成立し、効果が発動すると、それ以降、契約に反した者は命を落とす。


「ボクは必ず師匠おばあちゃんのような超一流の錬丹術師になるッ! そして、〔万能の霊薬エリクサー〕だけじゃない、神々の飲み物だとわれている〔健康美の秘薬ネクタル〕や〔不死身の秘薬ソーマ〕の錬成にだって成功してみせるッ! だから……だから……~ッ!」


 どうやら、言いたい事は言い尽くしたらしい。ズボンの膝の上あたりを強く握り締めているクリスは、まるで、裁判官の判決を待つ被告人のような緊張感を漂わせていて……


「みゅう?」


 どうするの? と顔をのぞき込んできたリルをで、テーブルの上に置いた羊皮紙の巻物――契約書に目を向けるアレン。


 本来見えないものを見せるその浄眼には、霊的な結び付きパスが見えているため、間違いなくクリスの署名だという事が分かる。故に、本気だという事は疑いようがない。


 しかし、好き好んで危険に飛び込もうとは思わないし、みずから厄介事に首を突っ込もうとも思わない。


 何より、《アカデミア》に戻れば、気まずさや不便、不自由はあっても、クリスの身の安全は保障される。ならば――


 アレンは、この申し出を断るため、契約書に向かって手を伸ば




 ――〝約束したの、ちゃんと覚えていてくれたんだ〟――

 ――そう言って、長い髪を背に流し、女性用のローブを纏った妙齢の乙女が、頬をほんのり桜色に染めて可憐な微笑みを浮かべ――




「――アレン?」


 名を呼ばれて、はっ、と我に返り、テーブルの上の契約書から正面の人物へ視線を移す。すると、髪は短く、服装もゆったりとしていて見た目では男か女か判然としない男装の少女が、こちらを怪訝けげんそうに見ていて……


「…………いや、何でもない」


 そう言いつつも、上向くと右手で浄眼を覆った。


(久しぶりだな……この感覚……)


 まるで白昼夢のように垣間かいま見た光景がいったい何なのか、正確なところは分からない。


 切り捨てられそうになった可能性が上げた悲鳴か、選択した、または選択しなかった未来にいる自分からの警告か、はたまた神の啓示か……


 何にせよ、確かなのは、この申し出を断ると、あの微笑みが自分に向けられる未来は決してこないという事だけ。


(はてさて、どうしたものか……)


 この申し出を受け入れたとしても、あの微笑みにいたる可能性が高いというだけで絶対ではなく、また、その更に先の未来が幸せなものであるとは限らない。それに、受け入れなかった先にある未来で得るはずだったものが手に入らない可能性が出てくる。


 そして、まず《群竜騎士団》との衝突は避けられない。


 くわえて、目の前の男装少女は、未だに男のふりをしていて本名も名乗っておらず、おそらく、他にも何か隠している。


「ん~……」


 ひとりだったなら、して迷う事なくこちらを選んでいただろうが、自分にはもう、リル、リエル、レトという家族ファミリーがいる。皆を危険にさらしたくはない。


 アレンは、両目を覆っていた右手、その中指と薬指の間から片目でクリスの様子を何とはなしにうかがい……


「…………まぁいいか」


 未来を視る事ができる魔眼持ちの時空魔術師は、あえてその力を使わず直感に任せ、カチッ、と鯉口こいくちを切った脇差の刃で親指の腹を浅く切って血をにじませると、言い出したのは自分のくせに信じられないと言わんばかりに目を見開いているクリスの目の前で、契約書に拇印を押す。


「これからよろしく」

「……うん……うんっ! ――こちらこそよろしくお願いしますッ!!」


 その後、吸血嗜好があるのではとちょっと心配になってしまう程、リルが拇印を押すためにつけた親指の傷を心配してぺろぺろ舐めてくれた、というのは余談で、アレンは、個室を出て用が済んだ事をサテラに伝えてから、クリスが人目に付かないよう【空間転位】で自宅に連れ帰り、せず新たに加わった仲間の事をリエルとレトに紹介し、その経緯いきさつを説明した。

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