第10話 古代の兵器 と 妖精の戦士

「アレン様にお願いがあります」


 リエルが真剣な面持おももちでそんな事を言い出したのは、修理屋[バーンハード]で、仲間探しはとりあえず一ヶ月生き延びてから、と決めた日の翌日。美味しい朝食を堪能し、伏せて前足をふかふかの胸の毛の内側に折り曲げた香箱座りしている精霊獣カーバンクルのリルをでつつ食後のお茶を頂いている時の事だった。


「お願い?」


 初めての事にちょっと驚きつつアレンが訊き返すと、リエルは、はい、と頷き、


「私に、この〔超魔導重甲冑カタフラクト〕を下さい」


 カイトに言われた通り壁際に並べて飾ってある二つの内、群青色の〔超魔導重甲冑〕の前に立ってそう言い、


「そして、私をアレン様のパーティに入れて下さい!」


 そんな事を願い、更に、


「私は、命を惜しまず、身も心も捧げてアレン様にお仕えすると決めました。この〔超魔導重甲冑〕があれば自分の身は守れるでしょう。――戦い方を覚えます! 強くなります! どうか、どこまでもお供させて下さい!」


 決意の表情でそう続けた。


 リエルは、仲間探しが上手くいっていない事を知っている。だが、真っ直ぐこちらを見詰めてくるその目を見る限り、それゆえの気遣いや、ただの思い付きで言っている訳ではなさそうだ。今日、こうして訴えるまでによくよく考えて決めたのだろう。


「ん、分かった」


 確かに、共にダンジョン探索にのぞむ仲間を探している。しかし、奴隷を買ったのは、パーティメンバーになってほしかったからではないので、アレンとしては家事に専念してほしいところなのだが、リエルが本当にそれを望むのなら反対はしない。


 それに、〔超魔導重甲冑〕のほうも、やはりこうして飾っておくだけでは宝の持ち腐れ。使いたいというなら使ってくれて構わない。


 ちなみに、なんとなく、かつて師匠と共に戦場を駆けたという愛馬の名を頂戴して『シグルーン』と名付けた〔高機動重戦騎ドラグーン〕は、〔拠点核ホーム・コア〕を操作して建てた隣接する厩舎にいる。


 アレンはあっさりOKし、


「じゃあ、今日はまず、冒険者登録をしにギルドへ行こう」

「はいッ!」


 リエルは、心から嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。


 ――そのおよそ1時間後。


「……すみません……すみません……本当に申し訳ありません……」


 他人が怖く、人目に付きたくないから、とアレンに借りた風雨除けのマントを着込み、目深にフードを被っているリエルは、身を縮めてうつむき、慙愧ざんきの念にうちひしがれていた。


 この状況は何なのか?


 リエルは知らなかったのだ。この大迷宮都市ラビュリントスで冒険者になるには、冒険者養成学校の学生証と許可状、またはAランク以上の冒険者の推薦状を持っていない場合、100万ユニトという大金が必要だという事を。


 奴隷のリエルがそんな大金を持っている訳がない。


 だが、リエルの左手には紋章がある。それは、余裕でエメラルドタブレットの錬成に成功し、冒険者になったからだ。


 では、誰が100万ユニトを支払ったのか?


 それはもちろん、主人であるアレンだ。


 つまり、リエルは、己が無知だったせいで100万ユニトもの大金を主人に出させてしまった事を後悔し、自らを責めているのだ。


「申し訳なく思う必要なんてないよ。結局、俺の命令で冒険者になったようなもんだし」


 冒険者ギルドに着くと、アレンは自分の担当アドバイザーサテラにリエルを紹介して事情を説明し、手続きを頼んだ。そして、その時になって100万ユニト必要だという事を知ったリエルは、冒険者登録をやめると言い出した。


 紋章エメラルドタブレットがなくてもダンジョンに潜る事はできる。モンスターを倒し、魔石を得れば、冒険者ではなくともギルドで換金する事ができる。そうして自分で100万ユニト貯めてから改めて登録にくる、と。


 サテラの話によると、実際に昔は、Aランク以上の冒険者の推薦が得られない場合、『見習い冒険者』として雑用系の依頼をこなしたり、荷物持ちとして冒険者に雇ってもらったりしてお金を貯めて冒険者になる者がほとんどで、冒険者でなくとも魔石をギルドで換金できるのはそのための仕組みシステム。冒険者養成学校ができた昨今では、100万ユニト貯めるのではなく、そうやって入学金20万ユニトを貯めて養成学校に入り、卒業して冒険者になるのが主流との事。


 だが、三つの隠し部屋モンスターハウス攻略と、五日間に及ぶ耐久猛獣草ウルフプラント狩りによって大金を得ていたアレンは、その心意気は見事だと認めつつも、有無を言わさず100万ユニトを支払った。それだけ貯まるまでモンスターを倒し続けたら、どれだけの霊力を紋章に貯める事ができて、幾つの技能を取得できるか、それを考えれば当然の判断だ。


「なぁ、リエル。俺はリエルに相談せずに、〔砲撃拳マグナブラスト〕を買って、その後も霊力弾を買い足したりしてる。俺が、俺の物にお金をかける事について、文句とか苦情とかある?」


 落ち込んでいるリエルをどうにかしようと少し考えてからそう訊くと、とんでもない、というむねの答えが返ってきた。アレンは、我が意を得たりとばかりに頷いてから、


「こういう言い方は好きじゃないんだけど、――リエルは俺の奴隷ものだ」


 そうだよな? と確認すると、ぽっ、と頬を赤らめ、もじもじしつつ頷くリエル。物扱いされるなんて真っ平御免なアレンは、なんでそんな反応? と内心首を傾げたが、とにかく、


「俺が、俺の物であるリエルのためにお金を使う。これに文句とか苦情とかある?」


 そう尋ねると、リエルは、赤くなっている顔を前髪で隠すように俯いたまま、首を横に振った。


 この一幕で、こう言えば良いんだな、と学んだ気になっていたアレン。だがしかし、賢者の塔に寄って職種を決めた後、リエルの衣類や日用品を買うため、サテラに教えてもらった店に寄ろうとすると、これ以上自分のためにお金を使わせる訳にはいきません、と断固たる態度で固辞され、己の考えの甘さを思い知った。




 帰宅したアレン達は、早速〔超魔導重甲冑〕の所へ。


 リエルは基本的に他の人の目に付くのを嫌う。手段を選ばずこの古代級のアイテムを手に入れようとする者が現れるかもしれない。ダンジョンへ潜る前にまず慣れる必要がある……などの理由で、〔超魔導重甲冑〕を所有している事は可能な限り秘密にすると決め、他にすべき事を先に片付けてからにしようと後回しにしたが、いよいよ装備してみる事に。


「…………?」


 とはいえ、どうすれば良いのか分からない。


 改めてご主人様の許可を得てから、群青色の〔超魔導重甲冑〕に触れた――その瞬間、リエルの左手の紋章と、鼻も口もない無機質な仮面の目に相当する部分が光を放った。そして、驚いて後退あとずさったリエルの前、その足元に魔法陣が投影される。


「これは……」


 歩み寄ってしゃがんだアレンとその肩の上のリルが、顔を並べてその魔法陣を興味深げに調べ……


「アレン様?」


 ちょっと不安げにリエルが呼び掛けると、アレンは立ち上がって振り返り、他者を安心させる微笑みを浮かべて、


「これは、独自の工夫が見られるけど【位置交換型空間転位トランスポジション】の魔法陣で……要するに、これは、この〔超魔導重甲冑〕の内部に空間転位するための魔法陣だ」


 ご主人様に、大丈夫、と促され、意を決して魔法陣の中に足を踏み入れるリエル。すると、一呼吸ほどの間を置いてその姿が掻き消え、同時に魔法陣も消える。


 そして、肩にリルを乗せたアレンが、急に動き出しても大丈夫なよう〔超魔導重甲冑〕から距離を取って様子をうかがっていると、


〔アレン様〕


 〔超魔導重甲冑〕から、リエルの声が聞こえてきた。


「どんな感じ?」


 アレンが興味津々に訊くと、


〔……不思議です。私は今、球形の不思議な空間にいて、椅子に座っているような体勢でその中心に浮かんでいるんですけど……〕


 そこは『内宇宙』と呼ばれる操縦席コックピットで、リエルの姿はいつの間にか、手足の指先からあごの下とうなじの髪の生え際まで全身を覆う、極薄で伸縮性に富む躰にフィットしたパイロットスーツ姿になっていて、前に表示されているウィンドウには前後左右上下――全方位が映し出されている。


「動かせそう?」

〔はい。どうしてかは分かりませんが、――分かります〕

「じゃあ、外に行こう」


 はい、という返事の後、〔超魔導重甲冑〕が滑らかに動き出した。


 一歩一歩、確かな足取りで、庭へ続く戸を壊す事なく開けて外へ。


 その歩容ほよう――歩き方は、リエルのものではない。


 アレンは、観察しつつのその後に続いて、広大な庭にある露天道場へ。


「はい、これがリエルの武器だ」


 そう言ってアレンが差し出したのは、剣身も鍔もなく、妙に軽い、長さ30センチ程の鈍い銀色の剣の柄のようなもの――〔水操の短杖アクアワンド〕。


 エメラルドタブレットの錬成に成功し、職種を定める際にリエルの適正属性が【水】だと分かった時、〔超魔導重甲冑〕と共にこれも譲渡すると決めていた。


〔これが、私の武器……〕


 手に取り、感慨深げに呟くリエルに、それがどういうものか簡単に説明する。


〔水を自在に操る事ができる武器……〕

「もうその中に大量の水が収納されているから、試してごらんよ」


 もし操り切れず、炎獅子戦の時ように大放出してしまった場合に備え、〔拠点核ホーム・コア〕に指示する用意をしつつ促すアレン。


 しかし、結果から言ってしまうと、それは杞憂きゆうだった。


 はい、と返事をして早速試すリエル。


 その見た目から、アレンは剣の柄だと思ったため剣身を作ろうとしたが、リエルは〔水操の短杖〕と名前を聞いて、後衛用の武器だと思ったのか、それを左手に持って真っ直ぐに腕を突き出し――溢れ出した水が弓を形成した。


 おそらく、奴隷に身をやつす前に弓を扱った経験があるのだろう。〔超魔導重甲冑〕が弓を構え、矢をつがえる事なく弦に指をかけ――その時、アレンが、ん? と思うと同時に、リエルも、え? と声を上げた。


 アレンのほうは、それまで機械的だった〔超魔導重甲冑〕の動作が、突然人間的になったような気がしたからで、リエルのほうは――


「どうかした?」


 その問いかけに対して、はい、と返してから、水の弓を構えたり、歩き回ったりして……


〔移動している時は、椅子に座っているような楽な体勢で浮かんでいて、考えただけでその通り動くんです。でも、弓を引こうとすると勝手に体勢が立っている状態になって、その途端に視野が切り替わって、自分自身が〔超魔導重甲冑〕になったみたいな感じになるんです〕


 乗り物に乗っている状態から、全身鎧を装着したような状態になったという事だろうか、と想像し、それで気配が変化したのかと納得して頷くアレン。


 その後は、アレンが〔拠点核〕にめいじて用意させた的を、水の弓だけでなく水の矢を作って次々正確に射抜いたり、それって剣の柄にも見えるよね? と促されたリエルが、〔水操の短杖〕を水の弓から全長2メートルを超える水の大剣にして振り回したり、午前中いっぱいを使っていろいろ試した。


 そして、〔超魔導重甲冑〕を脱ぐというか、降りるというか、除装する際は、〔超魔導重甲冑〕が掻き消えるとほぼ同時、入れ替わるようにリエルの姿が出現し、その左手首には装飾品のようなブレスレットが。〔超魔導重甲冑〕を装着するというか、搭乗するというか、装備する際には、そのブレスレットに何かするのではなく、紋章のメニュー画面を操作するらしい。


 除装する際、自動的に【異空間収納】のような〔超魔導重甲冑〕に備わっている機能の一つ――【格納庫】に収納された〔水操の短杖〕も、メニュー画面での操作で出し入れができるとの事。


 〔超魔導重甲冑〕を装備している時、弓と大剣の扱いが初心者とは思えないほど様になっていたので、一応確認のため除装した状態で同じ事をやってもらった結果、鎧に備わっている機能で動作が補正されていたのだという事が分かった。




 午後になって昼食と休憩を挟み、早速ダンジョンへ向かおうと進言するリエル。


 確かに、〔超魔導重甲冑〕の性能は想像を遥かに超えていた。これなら大丈夫だろう。しかし――


「俺は、奴隷商館に行ってくるから、リエルは〔超魔導重甲冑〕と〔水操の短杖〕の扱いに慣れるための練習を続けてて」


 午前中、その様子を窺いながら考えていたアレンはそう告げ、リエルは、この段に至ってようやく自分が何を求められて買われたのだったかを思い出し、血の気が引く思いでダンジョン探索と家事を両立できると主張した。しかし、


「無理をしても仕方がない」


 真剣な表情のアレンに落ち着きのある声音こわねでそう語り掛けられると、咄嗟とっさに何も言い返せず、


「人が健康状態を維持するには、十分な休息が必要で、強くなっても、実力を発揮できなければ意味がない。道場で稽古して、ダンジョンで実践して、帰宅してから家事もして……そのどれもおろそかにせず、十分な休息をとる事が、本当にできる?」


 稽古の様子を拝見しただけで相当な実力者だと察しが付くご主人様は、それが難しいと判断したからこそ奴隷じぶんを買った。


 強くなりたいと思った。理不尽に抗える力が欲しいと思った。でも本当は、一番最初は、仲間が見付からないと肩を落とし、精霊獣リルに心の癒しを求めるご主人様に喜んでほしい、ただそれだけで…………己の浅はかさを恥じ、自らを責めるリエルにはとても、できる、とは答えられなかった。


 承知したむねと、要望を一つ――新しく迎える奴隷も女性にしてほしい、と伝えるリエル。ご主人様以外の異性と一つ屋根の下で生活する不安を訴えると、アレンは真剣な表情で了解した旨を伝えてからリルを肩に乗せて出かけ…………1時間ほどで帰ってきた。


「ただいま~っ」

「みゅ――~っ」


 〔超魔導重甲冑〕を装備しての動作に慣れたので除装し、庭の露天道場で、自分でも意外なほど気に入った〔水操の短杖〕を使いこなすための練習をしていたリエルは、聞こえてきた声に手を止めて振り返る。すると、そこには、肩に精霊獣を乗せたご主人様と小柄な人影が。


 リエルは、そちらへ向かって小走りに駆け寄り……息を飲んだ。


「お互いに自己紹介して」


 そう促されて、自分から名乗るリエル。そして、


「……レ、レトと、申します……よ、よろしく…お願いします……」


 髪と馬のような尻尾の毛の色はくすんだ灰色で、手入れの手間を惜しんだかのように後ろ髪は肩の高さでバッサリと切り落とされており、前髪だけが長い。躰のほうは、痩せており、その部分だけ体毛が生えているのか、それともそれ以外の部分が抜け落ちたのか、露出している手足には人の肌と獣の毛皮の両方が見受けられる。


 長く伸ばしている前髪で顔を隠し、委縮しきって聞き取りにくい声と貫頭衣のような粗末な服を身に着けた躰を震わせながら『レト』と名乗ったのは、人間族とも、獣人族とも言えない、心ない者が『異種族交配の失敗作ファンブル』と呼ぶ、歪みを抱える少女だった。


「あの、アレン様……」


 リエルは、そんな少女をまじまじと観察した後、ひょっとして気付いた上で彼女を選んだのかと尋ねようとして、


「ん?」


 アレンの表情を見て頬を緩め、いいえ、何でもありません、と首を横に振る。自分の時と同様、彼にとって重要なのは能力であって、容姿ではないのだ。


「じゃあ、レトの部屋を作ってくるから」


 アレンはそう言ってレトをつれて家の中へ入って行き、ご主人様と精霊獣、そして、自分同様、この上もない幸運に恵まれた少女を見送ったリエルは、練習を再開した。




 二人に気を遣わせないため、そんな事はおくびにも出さないが、年頃の娘さん達と同居する事へのかすかな戸惑いや不安、自分の事は主人だからか信頼してくれているようだが、他人、特に男性に対して恐怖や不信を抱いているリエルやレトへの気遣い……それらを感知した〔拠点核〕がアレンのイメージを補完した結果、平屋だった家は2階建てに。


 リエルとレトの部屋の他に、トイレや洗面所、給湯室のような小振りなキッチンなど、独立した居住空間が2階にでき、家の中はつながっていても主な動線が分けられた事で、ほどお互いを意識しなくても済むようになった。


 そして、その日の夜。夕食が済み、アレンが夜の稽古を始めた頃。


「――呪いですね?」

「~~~~ッ!?」


 1階の広い厨房キッチンで夕食の後片付けを終えて一息ついたところだったレトは、唐突だった事とその内容に、ビクッ、と躰を震わせて慌てて振り返った。すると、そこにいたのは先輩奴隷の――


「リエル様……」

「敬称なんて必要ありません。私達は同じくアレン様に仕える者。私の事は『リエル』と呼んで下さい」


 そう言って微笑みかけるリエル。そして、その表情にも、瞳にも、既に見慣れてしまった自分へ向けられる嫌悪感がまるで見られない事に戸惑っているレトに、重ねて問いかける。


「その姿は呪いのせいなのでしょう?」

「ど、どうして……?」

「貴女からは、少し前までの私と同じ気配を感じます」

「同じ……?」

「その呪いを解きたいですか?」

「と、――解けるんですかッ!?」

「その呪いが、みずから受け入れたものでなければ」

「自ら受け入れる? 呪いを?」

「私に呪いをかけたのは、母でした」

「…………ッ!?」

「私を逃がすためだと言って、父が私を奴隷にとし、男達の情欲のけ口にされないようにするためだと言って、母が呪いで私を醜い姿に変えたんです。そのおかげで他の奴隷に混じって逃げ出す事ができたのですが……当時は両親を恨みました」


 貴女はどうですか? と問われたレトは、


「わ、私は……私は、自分に与えられた役目を果たしたかった……ッ! それなのに……それなのに……~ッ!」


 うつむき、強張こわばった躰が震え、握り締めた手に力がこもる。


 その様子を見たリエルは、どうやら大丈夫そうだと頷き、確認する。


「本当に解呪してしまっても良いのですか?」

「え?」

「私は、他者にかけられた呪いを解く事はできても、自ら受け入れた契約を解除する事はできません」


 そう言って、自らの喉にある呪印に触れながら、


「呪いを解いても、奴隷のままです」


 リエルが言わんとしている事を察して息を飲むレト。


 奴隷として商館にいたのだ。女の奴隷が男の主人に何を求められるか、分からないはずがない。


 さげすまれる事のない本来の姿に戻りたい、という思いと、呪いによって醜く変貌しているからこそ貞操が守られているのだ、という事実に葛藤し……


「ついてきて下さい」


 リエルは、そんなレトを促して厨房を後にし…………足を止めたのは、共有スペースの広々としたリビング。


 そこは現在、レトを迎えて改装する際、鉄道列車トレインの車窓にもちいられていた大きな一枚板のガラスを思い出したアレンが、ドアを含めてその一面を思い切ってガラス張りにした事で、広大な庭を望める開放的なリビングになっている。


 リエルは、大きな一枚板のガラスが嵌め込まれたドアの横に立ち、その隣に並んだレトが、先輩奴隷の視線を辿たどってガラスの壁の向こうへ目を向ける。


 その先にあったのは、黙々と稽古を続けるご主人様アレンの姿。


「私は、命を惜しまず、身も心も捧げてアレン様にお仕えすると決めて呪いを解き、本来の姿に戻りました」


 そう言うリエルの美貌には、意識的に作ったものではない、自然に浮かび上がった微笑みがあり、


「ここにいる限り、急ぐ必要はありません。アレン様は、相手の容姿で態度を変えたりしませんから」


 そうだったでしょう? と言われて、レトは、奴隷商館で出会った時、真っ直ぐに自分を見詰めるその人の目を見て、自らにかけられた呪いが解けているのではないかと思い、同じ部屋にいた女奴隷達と奴隷商人の目を見てそうではないのだと分かって愕然としたのを思い出した。


『…………』


 二人の奴隷は、しばらくの間、言葉もなく並んで自分達の主の姿を見詰め……


「…………リエルさん」

「はい」

「決めました。私も――」




 ――翌朝。


 朝稽古を終えたアレンは、所有地の見回りおさんぽから戻って待っていたリルと合流し、一緒に家に隣接する厩舎きゅうしゃへ。


 〔高機動重戦騎ドラグーン〕のシグルーンは、馬の姿をしていても機械。気にする必要はないとは思うのだが、ずっと厩舎に入れっぱなしはどうにもかわいそうな気がして、最近、稽古終わりにリルと共に騎乗し、朝の澄んだ空気の中、広い庭を駆けるのが日課に加わった。


 これがなかなか爽快で……


 ――それはさておき。


 シグルーンを厩舎に戻したら、今度こそ真っ直ぐ浴場へ。


 お風呂大好きなリルと共に、のびのびぬるめの湯に浸かり、冷水を浴びて身を引き締めてから上がると、衣服を身に纏ってリビングと隔てる物のない隣の食堂ダイニングへ。


 すると――


『おはようございます』

「おはよう。――って誰ッ!?」


 朝食の準備が整えられたテーブルの横で、リエルともう一人、見目麗しい女性が佇んでいた。


「『レト』です。これが私の真の姿」

「真の姿ッ!?」


 内心で、またッ!? と驚き、レトといい、リエルといい、この都市の女性はみな、普段は仮の姿で生活しているのだろうか? などと考えながらその姿をよく観察する。


 身長はおよそ140センチ。成長途中なのではなく、頭部も、華奢な躰も、しなやかな腕や脚も……全てが小作りな、まさに妖精のような可憐で麗しい乙女。


 目はぱっちりと大きく、瞳は銀色。人と同じ位置にある獣耳はエルフのものに似て長くとがっており、リエルに少し整えてもらったらしい癖のない髪と尻尾自体は短いのだが毛は長いその尻尾の毛は、共に刃にも似た美しい白銀で、肌理きめ細やかな柔肌はミルクのように白く、露出している手足には、蔓草つるくさか風、または流水を彷彿ほうふつとさせる銀色の神秘的な紋様が浮かんでいる。


 この大迷宮都市で一、二を争うと評判の奴隷商館の一方で、一番料理が上手くレパートリーが多いというリエルを買った。という事は、その店にはリエルより劣る者しかいない。故に、この大迷宮都市で一、二を争うというもう一方の奴隷商館へおもむき、迷わず一番料理が上手くレパートリーが多いという歪みを抱えた少女を買おうとして正気を疑われ……既視感デジャヴかと思うようなやり取りをして、向こうの言い値の3万2千ユニトで購入したのだが、はっきり言って別人だ。


「アレン様」


 ここが〔拠点核〕によって管理されている自分の領域で、その細い首の呪印がなければ自分の奴隷だと信じられたか分からない美少女――レトが前に進み出て、自分の胸に手を当て、


「私は、妖精の戦士ヴァナディースです」

戦闘妖精ヴァナディース?」


 アレンは、そう呼ばれる存在の事を、以前、師匠と老師の昔話で聞いた事があるのを思い出した。


 まず、一言で『妖精』と言っても、人型のものだけでも、人に近いか、精霊に近いかで呼び名が変わり、その中で最も人に近いのが妖精族『エルフ』。次に、身長15センチほどで、背中にちょう蜻蛉とんぼのようなはねがある姿で知られる『妖精』または『小妖精』は、実体を有し、力場がその形に収束したものであって背に直接翅が生えている訳ではない『フェアリー』と、より精霊に近く実体を持たない霊的存在である『ピクシー』に大きく分けられる。


 そして、『戦闘妖精ヴァナディース』とは、フェアリーの特殊個体。


 小さくか弱い印象があるフェアリーだが、その実、天地自然を操る強大な力を有している。だが、平和を好み、闘争を嫌う彼らにとってはむべき力。しかし、外敵から村を守るには力が必要。そこで、守護者として選ばれた1名に一族全員の戦うための力が譲渡されて生み出された存在――それが戦闘妖精だ。


「私は、戦うべき時に戦えませんでした。だから、今度こそ……」


 レトは、騎士のようにアレンの前で片膝をつき、こうべを垂れて宣誓する。


「この身を盾に、命をつるぎに、心を尽くしてお仕えする事を誓います」


 大袈裟過ぎる気はするものの、その気持ちは嬉しい。だが――


「ひょっとして、レトは俺と一緒にダンジョンに潜るつもりだったりする?」


 家事に専念するんじゃなくて、と続ける間もなく、バッ、とおもてを上げたレトは眉尻だけでなく獣耳まで下げて、


「だ、ダメでしょうか?」


 今にも泣きだしてしまいそうな顔で訊いてきた。


 それに対して、内心ではため息をつきつつも首を横に振るアレン。レトが本当にそれを望むのなら反対はしない。反対はしないが……


「二度ある事は三度ある、っていうし……どうしたもんかね?」


 そう問うと、肩の上にいるリルは、みゅ? と可愛く首を傾げ、似た境遇の少女を不憫ふびんに思っただけでご主人様を困らせるつもりはなかったリエルは、アレンのほうへ顔を向ける事ができなかった。

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