ふたりの星

ふたりの星

【みっちゃん】


「みっちゃーん!」

 遠くで美少女の声が聞こえてくる。少し立ち止まろうかと考え、少し歩いてから振り向いた。


「…何?」


「何って酷いよー!聞こえてたでしょ?なのにそのまま行こうとしたなんてー!」


 美少女…れっかは顔を膨らませて怒ったような顔をする。出来てないが。身長の低さも相俟って子供が頬っぺたに空気を詰め込んで遊んでるようにしか見えない。


「そうかな?」


「もう…みっちゃんはすぐそうやって私から離れようとするんだから…」


「えっ」


 えっ。私がれっかから離れたいなんて思うわけがない。ご、誤解を解かなければ…。


「そ、そんなことないよ」


「むう…そうやって私に甘いから調子乗るんだよ?」


 私を見上げながらにこっとするれっか。すごく可愛い。神が許すなら撫でまわしてしまいたい。しかし駄目なのだ。れっかが好きなのは身長が高くて髪が黒くてクールな私なのだ。実際今一緒に歩きながられっかは今日も綺麗な髪だねーなんて言いながら私の髪を撫で回している。それは全然構わないのだが、私の地毛は黒じゃない。たまたま高校受験の時に地毛の茶髪を勘違いされると困るからと黒に染めていただけなのだ。「おーい」でも今もずっと染めたままなのはれっかがその髪を褒めたからというわけではない。断じて違う。髪を染め直す度にれっかが褒めてくれることを思い浮かべるわけではない。話がずれてしまった。そう、つまりれっかが好きなのは私の黒い髪であり私自身ではない。私はれっかがしたいことをしてあげたい。「ねえ?」しかし私では駄目なのだ。みっちゃんはクールでかっこいいねえと言われたからそうか、私はクールなのか…と思いクールであることを心がけるようになった。いつでも平常心、乱されることはなく、れっかの理想であり続ける。そのためにもれっかに何をされてもうろたえてはいけない。手始めにそう、まず「ねえちゅーしちゃうよ」


「えっいいよ」「えっ」


 …あっ。


「いい、の?」


 やっ、てっしまった。考え事をするあまりれっかのちゅーという蠱惑的な響きに気をとられ即座に許可してしまった。


「しちゃう、よ?」


 あっ顔が近い、近い…あっ…。


「そこのバカップル二人、公衆の面前で何してるんだ」


「あっももちゃん!ななちゃん!」


 おのれ…邪魔をして…!しかし公衆の面前で不埒なことをしそうだったのは事実なので正気に戻ったことは感謝しておく。


「誰がバカップルだ、お前らの方がよく似合う言葉だろ」


「私たちはそれでいいもんねー?」


「あなたたちは違うものね?私たちは付き合ってるから」


 ニコニコとバカップルを肯定したのがななで、堂々としているのがもも。ももとななはそっくりだが血の繋がりは無く、一目でわかる違いはななの髪がピンク、ももの髪はオレンジということぐらいだ。しかし私たちはそこそこ付き合いが長いため急にどっちかが髪を染めてもどっちがどっちかわかるので叙述トリックには使われない。安心してほしい。


「ちょっと、失礼なこと考えてるでしょ?またぼーっと歩いてるぞ」


「あ、ああ…ごめん」


「ねーみっちゃん、もうがっこー着くよ?起きて~」


 起きてる…のだがそんなことはれっかはわかってるだろうと思いそのまま校門をくぐった。



 昇降口を過ぎ、自分のクラスの中に入る…のだがどうにもこの時間帯にしては人数が少ない。ホームルームの5分前。いつもなら8割は席が埋まってるはずなのだが、数が少ない。いつものグループが居ないからと席で携帯をいじってる人ばかりだ。幸い私はれっかが隣の席なので自分の席に座りながらいつものグループと話すことができる。ももとななは少し席が遠いので机とか壁に寄りかかって話をしている。いつもの光景だ。


「ねえ、れっか…人少なくない?」


「うーん、言われてみればそうだねえ」


 のんき過ぎはしないだろうか?


「電車でも遅れてるんだろう」


 ももだ。


「図書室で自習でもしてるんだよ」


 とななが言う。…まあありえなくはないか。

 しかしホームルームの始まりを告げるチャイムは非常にも鳴り響き、空白の席は遅刻か欠席となったのだった。


(電車とかバスの遅延あるかな…)


 いつ担任が来てもいいように一応机の下に携帯電話を隠して運航情報を調べる。…これといって情報はない。SNSのトレンド。普段はあまり気にしないのだが少し気になって覗いてみた。ええと…。

 トレンドの1位は有名動画投稿者の名前だった。そのワードが今、巷で人気ということだ。それをタップして更なる情報を求めようとする―――


(みっちゃん!先生来てるよ!)


 危ない。携帯を取られてしまっては敵わない。私はすっと鞄の奥にスマホを投げ、担任の話を聞いている振りをした。


「というわけで休んでる先生も多いから自習の時間がいくつかあるけどちゃんとやること!以上!」


 と言い残して担任の先生はどたばたと教室を出ていってしまった。…うん。呆けてたし結局あまり話聞いてなかったな。何の話をしていたんだろうか、という疑問はあったもののクールな女は「今何の話してた?」なんて言い出さないのである。ここは全く触れないのがベスト。


「流行り風邪かねぇ」


「そうかもね」


 推測するに今この場に居ない人たちのことだ。大丈夫。話を合わせられる。どたばたとももとなながやってくる。やめろ…人数が増えた会話で化けの皮が剥がれてしまう。いや人数が増えれば私が喋らなくても済むのでは?よし歓迎だぞももなな…。


「自習してたわけじゃなさそうだね」


「それはそうだろ、先生も休んでるんだぞ」


「三連休の間に何があったんだろうねえ」


「今日は月曜日だからね」


「今この席のあの娘にメッセージ送ったんだけど反応ないんだよね」


「すぐ反応するももちゃんがおかしいんだよお」


「仕方ないだろ、なながいつ連絡来てもいいようにいいようにしてるんだ」


「それなら私だけ通知オンにして他のみんなをオフにしちゃえばいいんだよ!」


「そうだね」


「そうか、そうすればいいのか…」


「いやよくないよ、できるだけ早く反応してほしいときにずっと見てくれなかったら他の人が困るでしょ?」


「む、そうか…じゃあななの通知の音をわかりやすくして音量も上げておこう」


「えへへ…」


 …あれ?適当な相槌でことが済んでしまう…私、必要ないのでは?メンがヘラりかけた私は諦めて本を読むことにした。私が最近読んでいるのはこの『お前――

 と私がギリギリ鈍器にならなさそうな本の紹介を脳内でしようとしていたところに1限目始業のチャイムが鳴った。


 授業風景…なんてものはいつもの通りだった。2回ほど自習があったものの私は真面目な生徒なので普通にまっさらなノートに絵を描いていた。しかし対外的にはクールで通っているので人に見せることはできない。――れっかが妙にニコニコしている気がするが気のせいだということにする。…まあそんなこんなで一日が終わりれっかと帰ることになった。



 他愛もない、あれが楽しかったとかこれが好きとかなんて話をしながら家に帰り、れっかの家の前で別れた。本当はもっと一緒に居たかったのだが弱味を見せるとつけこまれると親に教わって生きてきた私は「もう少し一緒にいたいな☆」などとは言い出さずに素直に家に入った。勿論その後家で遊ぼうとかくらいは言うべきだったか…などと自己嫌悪に浸るのはもちろん忘れない。それ以外にやることもなくなってしまうとスマホの出番だ。スマホはいつどんなときでも時間を奪ってくれる便利な機械だ。そこで私は朝少し調べようとした動画投稿者のことを思い出した。大して興味はなかったが1分くらいの暇潰しにはなるかもしれない。

 そしてそれは私に1分どころではない暇潰しを与えてくれた。



 曰く、毎日動画を投稿していたのだが最近はペースが乱れていたとのこと。そして昨日、ついに音沙汰が無くなったらしい。

 曰く、一部の過激派ファンが自宅を訪問したところ反応が無かったとのこと(毎日動画を作成するため家から出ることは無く、また住所がインターネットに公開された状態であり来訪者をよく動画のネタにしていたのとこと)。

 ――曰く。それはある商品の紹介動画から起きたことだということ。

 つまり今騒ぎ立てている彼らの主張はこうだ。


『この商品の影響で彼(もしくは彼女)は動画を作れない状況まで追い込まれたのでは?』


 想像に過ぎないそんな妄想話であったが、日も沈み議論が白熱した現在。主題は違った部分になっていた。

 それは『この商品が楽しすぎて他の事に手がつかなくなってしまったのではないか?』ということだ。もともと裏のインターネットでやりとりされていたものを入手し紹介したらしく、あまり有名な代物ではなかったのだそうだ。そもそも裏のインターネットとは―――



「うーん…」


 なんだろう、この感じ。騒動を纏めた記事を読んでいたのだが、いまいち要領を得ない。肝心な情報が伏せられている。興味のある部分だけもう一度読み直してみる。

 何回か読んでわかった。(恐らく)ことの発端である「商品」がなんなのか明記されていないのだ。なんで気が付かなかったんだろう…とは思いつつ、件の動画投稿者のチャンネルを開いてみる。一昨日の22時が最後の動画で、その前は4日前の20時。5日前19時。6日前16時。それ以降は15時を少し過ぎた時間となり、2週間ほど前の動画からはずっと15時ぴったりに予約投稿されているようだ。


「つまりこの動画が投稿が遅れ出す分岐点ってことか」


 タイトルは『深層webで発見した裏世界のVRソフト!?メ…』となっている。長すぎて表示出来ていないようだ。私はこの動画を視聴しようとして―――やめた。

 曰く付きの動画だ。興味本意で開くものでは無い気がしてきたのだ。そもそも私に趣味というものはあまりなく(スマホは暇潰しのためであり決して趣味ではない)、知識として知ってはいるものの動画の視聴はしたことがなかった。ここでこのコンテンツに触れて私のクールさが消えてしまうのは避けたい。そう気を取り直すと私は調べる手を止めて布団に入った。



 朝5時、起床。軽くストレッチをしてパンを焼き始める。それまでの間に顔を洗ったり時間割を確認したりと学校に行く準備をしておく。焼けたらそれをお皿に乗せてリビングに持っていく。


「いただきます」


 囓る。本当に美味しいパンは焼いただけで美味しいのだ。――いや知らないが。私は趣味に乏しく美味しいご飯を食べたいとも思わない。食べらればいいのだ。そうして食パンを1枚味わったらもこもこのパジャマを脱ぎ捨てて制服に着替える。そして所定の時間になるまで待機。その時間になったら今日の荷物を入れた鞄を持つ。鏡で自分の状態を確認…うん。問題はない。みっちゃんに好印象を与えられるに違いない。家を出て少し歩く。交差点の角で立つ。


 ……。


 ………。


 …よし。角を曲がり歩きだす。決して急がず、しかしそれでいて緩めすぎず。ギリギリ普通に歩いてるスピードを維持する。調整に失敗したら思わせ振りに立ち止まる。


「みっちゃーん!」


 遠くで、美少女の声が聞こえてくる。



 始まってさえしまえば1週間なんて短いもので、すぐに金曜日の放課後になった。――まあ、自習が多かったというのもあるかもしれない。月曜日以降、休んだ人が学校に来ることはなかった。幸いだったのはそれ以上の欠席者はいなかったことか。

 私たち一般生徒は気にしなくていい、と言われたものの何が起きているのだろうか。私はその一端を知っている気がしたが表だって公言することはしなかった。私程度が適当に調べて知っていることなどみんなすでに知っているだろう。――必死にそう思い込んだ。私は巻き込まれたくなかった。関係ないところでみっちゃんと過ごしていたかった。


「私たちはこれから遊びに行くからな、また来週だ、ふたりとも。行こうか、なな」


 すたすたと私たちが進む方とは違う道に進んでいくもも。


「またねー!あっ…ももちゃんまって」


 その後ろからなながついていく。


「行っちゃったねえ…」


「ああ、そうだね」


 あの二人は本当に仲がいい。どちらかが欠けてもいけないだろう。比翼連理とはこのことを言うのかもしれないな、と思った。



 家に帰ってもう寝ようか、という時間にななからメッセージが飛んできた。


なな:いまだいじょうぶですか

Mitu:忙しいのだが

なな:いっしゅんで返事しておいていそがしいはないと思います

Mitu:…まあいいが

なな:ももちゃんのすきなものしってますか

Mitu:ああ、誕生日か

なな:ですです

Mitu:私が言うのもなんだがももはななの物ならなんでも喜ぶと思うぞ

なな:それはそうかもしれないですけどできるだけすきなものがいいかなって

Mitu:うーん、ああそうだ

なな:なにかありましたか

Mitu:そういえばももは――


なな:いろいろありがとうございますです

Mitu:いや、いいんだ、ももはあまり人と関わろうとしなかったし友達も私くらいしかいなかったんだ

Mitu:これからも一緒にいてあげてくれ

なな:はい!わたしのほうでもかんがえてみます

Mitu:頑張ってな、お休み


「なんて、私が言えた言葉ではないかもしれないね」


 そう…呟いて、部屋の電気を消しスマホの電源も切った。



 ちゅんちゅん。


「おっはよー!!」


「あと…さんじゅうびょう…だけ…」


「朝起きるときもストイックだねえみっちゃん…」


 …みっちゃん?…私をそう、呼ぶのは…。


「おはようれっか、どうしたの?私を起こしに来るなんて」


「すぐ起きたねえみっちゃん…えへへ…だめ?」


 だめじゃないよ。毎日起こしに来てくれたら私毎日シャキッと起きれる気がするよ。一緒に暮らそうよ。


「だめじゃないよ」


 …最後まで言わなかった。えらい。それにしても驚いた。念のため睡眠前から睡眠中、起きるときまでクールでいられるよう訓練をしておいてよかった。万が一の事態というのは起こりうるのだ。そう、れっかが私の部屋までおはようを言いに来るとか、ね……。


「よかったー…嫌われるかと思ってびくびくしちゃった」


 れっかは美少女なのに自己評価が低い。あまり褒めると機嫌が悪くなってしまうので丁寧な対応が大切になる。


「起こしに来てくれたんでしょ?そんなことで嫌いにならないよ。それで今日はどうしたの?私の部屋に来るなんて」


 ましてや私は布団の中である。添い寝がしたかったのかな?


「えっとね」


「うん」


「あ…あの恥ずかしいんだけど…」


「うん」


「デ…」


 で?


「デートしてくれませんか!」


 なんだデートか。


「いいよ、どこに行きたいの?」


 れっかもかわいいところあるなあ。


「と…隣の駅のマカロンやさんに行きたくて!み…みっちゃんがよければ一緒にいってほしいなって!」


「わかった、それが言いたくて朝から私の部屋まで来ちゃったんだね?」


「うん…あの…そのお店が今日からで早く行きたかったけど一人じゃ行けなくてね…あのね…」


「れっかは可愛いね」


「かっかわいくなんてないよ…こんな女…」


「可愛いよ」


「みっ…!みっちゃんどんな子にもそんなこと言うでしょ!たっ…たらし!」


 そんなことないよれっかにしか言わないしれっかにしか思わないよ。


「じゃあ着替えちゃうね、少し待ってて」


「うん!」


 ……。あれ?…えっと。れっかは私の椅子に座ってにこにこしている。つまり…つまりれっかに生着替えを見せなければならないってこと…かな?あ…う…い…いいよ…?れっかが私の着替えをどうしても…どうしても見たいなら恥ずかしいけど私頑張るから…れっか…みてて…。

 私は意を決して布団から起き上がり、私服をたんすから用意する。ちらっとれっかの方を見るとスマホを取り出していた。えっ撮るの…?しかしここで狼狽えてはいけない。私はもこもこのパジャマを脱ぎ捨ててジーンズを穿こうとする。れっかはスマホをこちらに向けていた。撮ってるよお…。それでもめげずに私はどこかのバンドのTシャツ(譲ってもらったものなのでよくわからずに普段着にしている)を着てから黒い上着を羽織った。


「もう大丈夫?じゃあ行く?」


 れっかはもうスマホを構えていなかった。…結局写真を撮られていたのだろうか。私は結局聞くことはできなかった。恥ずかしがっていたのには気づかれていないだろうか。クールであろうと決めたときからポーカーフェイスを心がけてきた…問題はないはずだ。


「大丈夫だよ、行こっか」



 そういえば全く時間を確認していなかったが午前10時を回った頃だった。寝た時間も確認してない…。ななと話しすぎていたのかもな。今日が休みでよかった。

 いや…でも休みの日でも目覚ましはいつも通りかけているはずだがどうして鳴らなかったんだろうな?5時間は寝過ごしだろう…いや眠すぎて目覚ましを寝ながら止めてしまう人間もいるらしいし…うん大丈夫だな。


「ねえみっちゃん…」


「?どうしたの」


 れっかがある集団を指差している。目を凝らすと全員が灰色の帽子みたいなものを被っていた。


「あれがどうかした?」


「あの人たち…なんか揉めてる…?」


 よく見ると複数人で誰かを囲ってるように見える…うん。誰もが遠巻きに見ている。私が行くべきか。


「れっか、ちょっと待ってて」


「あっ待ってよみっちゃん!」


 謎の集団にそれとなく近づいていくと灰色の帽子だと思ったものは頭を覆うヘッドセットのようなものだった。――本当はヘッドセットが目まで覆うはずだったのだろう。全員が目の部分に当たるパーツを雑に剥がし、片目だけが見える状態になっていた。


「うぇ…あれ…なに…?」


 みっちゃんがそう漏らす。しかし私は頭をよぎるものがあった。――それが何故かはわからないが。

 VR。その機械はVRゲームを遊ぶときに装着する器具に酷使しているように感じた。

 謎の集団の一人が言う。


「さあ、あなたも一緒にこれを買って未知の体験をしませんか」


 …つまり。彼らはVR機器の販売促進活動をしているのか?それにしてはやり方がなんとなく胡散臭い。


「みっ…みっちゃん…や、やめとこ?」


 れっかもなんとなく淀んだ気配を感じたようで怖がっている。…彼らは恐らく関わらない方がいいタイプだ。


「そう、だね」


 ひと呼吸おいて謎の集団に向かいかけた足を逆方向に進ませる。後ろの方では近づいてしまった人を囲い必死に勧誘する集団とそれを横目で見るだけでなにもしない人々の姿があった。



 ICカードを改札にタッチし、電車に乗る。休日だが電車に人は少なく、私たちは一緒に席に座ることができた。


「…」


 無言。まあ電車で騒ぐわけにはいかないから普通なのだが…私の頭にはさっきの光景が浮かんでは消えを繰り返していた

 ――何故。私はあれをゲームの機械だと最初の印象で感じたのか。そんなことが思い出せずにいた。


「えー?漆黒の堕天使が捕まったのって知ってる?」


 電車の中の喧騒に突っ込みそうになってしまった。どういうことなんだ…。


「知ってる知ってる、本名佐藤風ってやつでしょ?」


 …ええとつまり。堕天使を名乗る一般人が捕まったのか。恥ずかしくないのかな。


「ねえ…みっちゃん?」


「うん?何?れっか」


「…みっちゃんは捕まらないよね?」


「えっ?」


 私、れっかに捕まりそうな人間だと思われてるのだろうか?


「どこか行ったり、しないよね?」


 …捕まったって話聞いて想像しちゃったのかな。


「行かないよ」


「…そっか」


 扉の上のモニターに目的の駅の名前が写し出された。


「もうそろそろ着くよ、行こっか」


 私はれっかに微笑む。…うまく出来ているかはわからないが。


「マカロン、食べたいんでしょ?」


「うん!」


 れっかの手を取るとれっかはこの日一番楽しそうな表情で頷いた。



「へえ…これがマカロン…」


 店はマカロンの形をしており、とても目立つ。私のような俗世に疎い人間でもマカロンとはこれだ!というイメージをこれでもかと植え付けてくれる。

 …実を言うとマカロンが何かよく分かっていなかった。ここに着くまで普通にパスタの一種だと思ってた…のだが「それはマカロニだよ」と頭の中のれっかが囁いた。れっかは私のことをポンコツだとは思ってない(はず)なので本物のれっかはマカロニについてなにも言わなかった。


「固いかと思ったら柔らかくて不思議な感じだね」


「でしょ?日本じゃまだここにしかないんだよー」


「へえ、それは貴重だね」


 マカロン…希少価値が高いのか…材料を取れる場所が限られているのかな?作れる職人さんが少ないのかな?


「これは是非後世に受け継がないと…」


「みっちゃんがマカロン食べれたなら後世に受け継がなくても大丈夫だよ、あとこの店が日本でここしかないだけでマカロン自体はおうちでも作れるよ」


 そう、だったのか…。


「そうなんだ、これはいいお菓子だね」


「えへへ…」


 この店は今日開店で既に何人かの女の子たちが並んでいた。れっかは調整してちょうどいい時間につけるようにしていた、と言うが私の準備の時間も含めて調整していたのなら時間の管理能力がすごすぎると思う。あまり大々的な宣伝をしておらず、真のファンしか来ないだろう、とも言っていた。

 いま私たちはお店でいくつかマカロンを買って食べながら元来た道を戻っている。…まあまあ買ってしまったな。ひとつひとつが小さいからすぐに食べれる。何日持つかな。


「今日はありがとね、いきなりだったのに」


「全然。構わないよ」


 れっかは駅で私が手を取ってから手を離さない。――まるで一度離せば二度と取ることはできないみたいに。…考えすぎか。


「ねえ、みっちゃん」


 何?


「わたしのこと―――――」


 本当に残念だが、私はこのときれっかが何を言ったのか聞き取れなかったし、覚えてもいなかった。



 気がついたとき、私は自分の部屋のベッドの上でパジャマを着て寝ていた。窓から見える外は暗く、一日の終わりを示していた。


「…これじゃあ」


 今日のデートが夢だったみたいじゃんか。


「れっかに、聞いてみようかな」


 今日遊びにいったよね?って?…歯噛みする。私はそういうことを言う人間じゃない。

 結局、わたしはれっかになんのアクションも取れないでいた。


「まあ…明日も休みなんだし…明日…考えれば…」


 悩んでいるうちに眠気が回ってきて(今起きたばかりだってのに)わたしはそのままもう一度布団に入って寝てしまった。


[newpage]


 …。


「えっ?」


 今、何が。前後がわからない。頭がふらふらする。私が今立ってるのか座ってるのかもわからない。揺れる。揺れる。体が揺れる。

 ふと空気が体を包み込んだ。


「…え?」


 これは、落下だ。私は今、落ちている。床に、ぶつか、る――と思ったところで目が覚めた。ああ、夢か…と安心したが、その安心が偽物だったという事実にすぐに直面した。


「ここは…どこ?」


 冷たい床に倒れながら私は呟いた。私が寝ていた部屋はコンクリート打ちっぱなしで薄汚れた部屋。私が先程まで寝ていた(と思われる)ベッドは段ボールと一枚の毛布でできていた。


「なんだこの劣悪環境…」


 服装は…パジャマかと思ったら普通の私服だ…そもそもさっきまでなにしてたっけ。えっと…うん。自分の部屋で寝ていた。おわり。…なにも解決できてない。幸い監禁されてる訳じゃないっぽいのでとりあえずこの部屋を出る。廊下は右と左に続いている…。どちらに進むべきか。


「なんとなく…左で」


 それからも何度か分かれ道があったが直感で進んでいく。すると上に向かう階段が出てきた。…つまりここは地下か?今までの道に窓がひとつもなかった。地上の建物としては若干不自然だ。上がれば外に出られるかもしれない。そんなわけで階段を登っていく。太陽の光。何故か久しぶりな気がする。まあいい。光が漏れだす扉を私は開け―――。扉が私の目の前で開く。


「…みつ、か?」


 ん…もも?若干やつれたように見えるがどうしたんだろうか?


「れっかはどこにいる」


 急にまくし立てるもも。


「え?」


「私は…あそこまで行かないとならない」


「ちょっとまって、私にもわかるように説明してくれ、私はなんでここにいるの?というかここは何処だ?」


「あ…?お前…記憶が」


 きおく?…記憶。府に落ちる。


「ああ、私は記憶、が抜けてるん…だ

な?」


「お前は冗談を言うような奴じゃない」


「じゃあ、教えてくれない?ここは何処?」


「答えない。私は急ぐんだ」


 ももの目は既に私を見ていなかった。


「え…?」


「お前に用はない。れっかは何処だ」


「しっ知らないよ!私も探してるんだからさ!」


「は…?一緒にいなかったのか?昏睡状態のお前の横にいなかったのか?」


 なんだ…それ。何が起きたのかさっぱりわからない。ももは私を押し退けて建物の何処かへ行こうとする。


「せめて!」


「…なに」


「私もれっか探すから少しだけでも教えてよ…」


「お前がいつから記憶が無いのか知らないが」


 ももは前から無愛想だったが、昔から仲良くしてた私にはわかる。今の彼女には余裕がない。


「ABは甘い毒で世界を滅ぼした。私には解毒薬が必要だ」


 甘い毒。解毒薬。それを、欲しているのはきっと。


「私は…ななを元に戻さないといけない」



 この建物には随分と物騒なものが置いてあった。簡単な機械を壊すことのできる装置、ハンドガン、ナイフ、小型で危険なもので私が思い付くものならなんでもあった。

 ももはそれらを回収しながら話をしてくれた。一ヶ月ほど前、ABって会社が『至上の娯楽品』を売り出した。これは装着するだけでどんな娯楽にも勝る喜びを提供するってもので、そのテクノロジーのわりにはかなり安く売ってた。ももによると目的は金儲けではなく普及であり、赤字だろうが関係はなかったのだろうとのこと。


「まあそれを言ったのはお前だが」


 …そんなこと言ったっけ。

 しかし会社が大きく売り出す前に同じものが出回っており、とっくに国の中枢まで侵略が進んでいた。様々な機関の上層部が『至上の娯楽』の手に落ちており、長期間隠蔽されたことで対策を打ち出すのが遅れすぎた。この『至上の娯楽』はいわゆる中毒性があり、一度使ったものはだんだん装着する時間が長くなり、装着してない間はこの機械のために様々な手を尽くすようになるとのこと。

 ある程度出回った段階で大きく宣伝を行う。非合法な手段でなく、どんな場所でも入手できるようになり加速度的に装着者は増えた。


「やはり一番の問題は奴等に物を売る気がなかったことだ。どんな層でも購入できたのが普及の原因になった」


 各国のトップが対策協議を始めようか、と言い出した頃には機能しなくなった国が現れた頃であった。


「…手遅れ、だね」


 私は重々しく相づちをうつ。

 ももは続ける。


「装着者はいかに長く機械をつけていられるかしか考えられなくなる。中には狂信者、と呼ばれる他人に装着を強制するものも出てきた」


 夢だった…かもしれないが。れっかとマカロンを買いにいったあのとき。頭に機械をつけた彼らはその狂信者だったのではないだろうか。人を囲っているように見えたのは…そのあたりの人にむりやり機械をつけさせて仲間に引き入れた…とか。


「あと、装着者は何もしなくなるか狂信者となるかどちらかだ。狂信者は基本的に機械を勝手に改造して『至上の娯楽』を受けながら活動している」


 ももはそれっきり無言で部屋を探す作業に戻った。


「あの…状況はわかったけど結局今ってどうなってるの?ももは…何がしたいの…?」


「ななが機械をつけられた」


「いつ…?」


「…」


 ももは喋らない。小走りでれっかを探し続ける。ももは余裕がない表情をしているものの、私の想像より冷静だった。ななに…本人は認めないかもしれないが…依存しているももはななが失われたら何もできないと思っていた。


「ななが…私を見ようとしないんだ」


 ももは再び話し出した。


「メルタは…メルタは…としか言わないんだ」


 私はももに何て言えばいいかわからなかった。私には実感がない。人が全くいない街を見て現実感がない、としか感じることができない。


「わたしはななに機械を渡すことにした。あのままじゃ死んでしまいかねない、ななには生きていてもらわないと困る」


 …私が機械を着けていないのはただの偶然だ。


「私だけが世界に取り残されたのは偶然だ。機械を着けるのが楽だと思っても、怖い」


 ももは私が考えていたことに似たことを言った。窓から外を眺める。れっかや物を探してもう5回は階段をみつけて登っただろうか。道路の真ん中に頭を灰色の機械に包まれた人が横たわっている。死んでいる訳じゃなく、ただ…死んでいるように幸福を味わっているのだという。


「あれが幸せなんだろうか」


 私はふと呟いた。AB…だっけ。例の会社の目的は機械の普及。緩やかな人類の滅亡である。しかし、全人類に普及させたあとの目的って一体…。


「おい、みつ」


「…っ!何か見つけた?」


「みつへ。お前への手紙だ」


 私はももに渡された封筒を開け、中の手紙を読む。



 merta terrible。アブダクション・プロダクションの開発した今メルトテラーを着けてない人達は呼びたくもないあのVR機器の名前。あれは着けた人に誰も感じたことのない快楽を植え付けさせ、それから逃れられなくするための人類終末機構。一度でも体感すればもう一度着けたい、もしくはこれを他人にも教えたい、という心理にとらわれて感染者を増やす。人類は静かで幸せな終焉を迎える。



「えっ何これ」


「何が書いてあったんだ」


 苛立たしげにももが言う。私がメルトテラーのことが書いてあった、と告げると彼女は露骨に嫌な顔をした。


「まともな人間…なんてのはあんたとれっか以外にもう見てないが…まともな人間はあれの名前なんて呼びたくないし聞きたくないに決まってるさ」


 しかし先程までいた(らしい)れっかがこんなことをするだろうか?私宛の封筒でありながら私の手に渡ることを想定してないような手紙…。


「ただでさえ愛する人があれの名前しか呼ばなくなってしまうってのになあッ!!!」


 ガンッ!と机を叩く音が部屋に響く。私は…無関心を装うことしかできなかった。


「れっかはいないな」


「そう…だな」


 私が同意する。


「れっか…何処に行ったんだよ…私に協力してくれるって話はどうしたんだよ…!」


 れっかはいなかった。ももは私がこの場所にいたことを知らなかったらしく、れっかはいるのに私がいないことを完全に失念していたらしい。


「あっ…今まで思い付かなかった…スマホは?私持ってないんだけどももはどう?」


「…無くしたのか、まあもうそろそろ使えなくなる、関係ないだろう」


 …?使えなくなるってどういうこと?


「少し前に私の契約してる通信会社の電波が受け付けなくなった。システムを管理する人間がいなくなったんだろう」


 ももは私に充電が残り10%のスマホを見せた。圏外だ。


「電気も昨日止まった。常に維持、管理が必要な発電所なんかはあと少しで限界になって爆発でもするかもな」


 しれっと問題をあげるもも。


「ああ…やっぱり電気ないんだ…さっき太陽光充電池バッグに入れてたもんね」


「他に絶望的な状況を言えばいくらでもあるんだが…これから問題解決に向かおうって頃に士気をさげてもしょうがないからな」


 …問題解決?この人類滅亡します!って大量に説明されたあとに?


「何をする気…?」


「無論、ABの本社に乗り込むのさ」

 …本社。


「あそこにはこれを引き起こそうとした主犯がいるはずだ。国の機能もとっくに止まってるし警察組織なんかもそれよりも前に掌握済み。…私は。あそこでふんぞり返ってる社長さんを殴り飛ばしてななを治してあの会社を潰す」


 ももの目は正気じゃなかった。しかしそれでいて強い決意を感じさせた。


「私もついていくよ」


 気づいたときにはそう声が出ていた。


「れっかがももと協力するって言ってたんでしょ?みつからないれっかの代わりに、私が」


 ももはにやっと笑った。…少し見ないうちに笑い方がいやらしくなっている。


「ばーか、最初から着いてきてもらう気に決まってんだろ」


 わあ…まじかあ…。



 私も準備を整え、この街を出て少し歩いた頃。


「そういえば本社ってどこにあるのさ」


 そういえば聞いてなかった、とももに質問した。


「へえ…なにも聞かずに着いてきて頂けてるのか、クールだクールだと言うわりには即断即決じゃないか」


「そ、そんなことはいいから早く」


「もう見えてるよ」


 そう言ってももは指を指す。それは山林の中に突然存在する大きなビル。ABとロゴが壁に大きく描かれている。


「見えてるとはいっても少し距離がある。ここまで来るのにもたくさん狂信者に会った。逃げる準備を常にしておけ」



「なんてももは言ったけど」


 誰にも会わずにABの本社の正門までたどり着いた。


「いやおかしい…わたしがここまで来るのに何人も目の部分を壊したヘッドセットつけたやつらに追いかけられたぞ…それにこんなに警備が手薄なものか…?」


 ももはまだ訝しげだ。


「いいじゃんいいじゃん、運が良いことに悪いことなんてないさ」


 来ないでくれー、来ないでくれー、と心の中で念じていたという事実を葬り去り、私は正門をよじ登りももに手を差し出す。


「ほら、とりあえず一番偉いやつが好きそうなあのビルの最上階まで行ってみよう?」


 ももは若干不服そうだが従ってくれた。

 中に入りはしたものの、流石に警備の手があり(全員メルトテラーをつけながらである)思ったように進むことができない。


「常にメルトテラーで幸福だから常に休憩してるようなもの…なるほどね、労働の効率も上がってるわけだ」


「あれを褒めるな…何人が見せかけの幸せの犠牲になってると思ってるんだ」


 本気で良いと思ってるわけないだろう。無駄口のひとつもしてくれないので情報収集のしようがない。


「そう言えば」


「どうした?」


 唐突に思い出したようでももが話し出す。


「ななが私の家に来るって言った日――私の誕生日の日だ――になながいつまでたっても家に来ないものだから迎えに行ったんだ。自分から誘っておいてすっぽかすとはいい度胸してるな…って」


「へえ、でもなながそんなことするとは思えないね」


 私は思ったままのことを言う。そういえばななにももへのプレゼントの相談をされたなあ…。


「そしてななは自分の部屋であの機械をつけて寝てたんだ」


 …。


「その時なにをしたかは覚えてない。次の日お前らに助けを求めた。そしたらその夜あんたたちは言ってくれたんだよ、『ABに乗り込んで会社を潰しちゃおうよ!』…ってな」


「あんたたちってのはつまり…わたしとれっか?」


 ももは頷いて続けた。


「嬉しかったんだ。警察は取り合わないしニュースでは誰も報じてない。でもお前ら二人は一緒にななを助けたいって言ってくれたんだ」


 今の私は覚えてなかったが…きっと私は言うだろう。人にかっこよく思われたい、かっこよくありたいと思う私は大切な友達のためならどんなことでもすると思う。


「…!」


「…?もも、どうかした?」


 ももは充電が切れそうなスマホを取り出して操作している。


「この場所、ネットワークがある。れっかからのメッセージが届いた」


「れっかから!?なんだって!?」


 ももは興奮しながらもしっかりと読み上げてくれた。


「今、ABのビルの地下にいるって…出られない状態だから来てほしいって」


 私はももがそういった瞬間駆け出していた。“れっかがどこにいるのかわからない”状態では何もしようがないが、どこにいるかわかるのであれば私はもう迷わない。一刻も早くれっかに会いたい。私が寝ている間の世界の変化についてれっかから確かめたい。ビルに入ろうとすると、目の前にメルトテラーを着けた警備員がいる。…邪魔だ。しかし止まるわけにはいかない!


「私はれっかに会いに行く!そこをどけ!」


 必死に叫ぶ。例えこいつが押さえつけてこようとも吹き飛ばして先に進んでやる。――と息巻いたが…警備員は私に向かってお辞儀をして自動ドアを私より早く開け、一緒にエントランスまで入ったかと思うと左を指差した。


「は…はあ!?」


 意味がわからなかったが止まってはいられない。そして警備員の動きが頭に残っていたせいで刺された通りに道を左に曲がってしまった。


「罠だったらどうするんだよ…!」


 しかし引き返すのも時間の無駄だ。そのまま進んでいく。そして突き当たりには下に向かう階段があった。


「よ…余計に意味がわからない…」


 なんで警備員が地下への道を教えてくれたのか全くわからなかったが偶然に感謝して階段をかけ下りた。地下は倉庫になっていて、足音が響いていた。――どうせメルトテラーをつけた警備員だろう。…メルトテラーの装着により頭が悪くなっているとかはないだろうか?いや、もういい。私は一番簡単な処断に出ることにした。


「れっかーー!!!どこだ!!!返事をしてくれ!!!」


 叫んだ。倉庫中に私の声が響き渡り、警備員と思われる足音が走ってこっちに向かってくる。くそっ…。流石に気づかないほど頭が悪くはなかったか…。

 れっかには聞こえただろうか。侵入者がいることはバレたはずだ。いったん近くの空の段ボールをひっくり返してその中に隠れる。気付かれるか…?足音がすぐ近くで止まった。来い。この段ボールを上に持ち上げた瞬間反撃に出てやる。

 しかし私はそこで気付いてしまった。武器はももが全て持っていた、ということに。丸腰で…やれるか?段ボールが持ち上げられていく。足からして警備員。ああ…駄目だったか。しかしまだ終わらない。不意討ちで殴りかかってや――


「みっちゃん!手を!」


 …すぐ近くから、美少女の声が聞こえてくる。

 すぐさま段ボール自分で持ち上げて手を出す。謎の美少女につかまれた手は私を連れて倉庫へ来た方向へと進んでいく。


「れっか?」


「みっちゃん」


 わたしたちは警備員に追いかけられながら微笑みあった。



「あ来た」


 一階エントランスまで戻るとももが壁に寄りかかっていた。


「おお、れっかと合流したのか。無鉄砲に飛び出すからどうしたものかと…おい、何故走ってる」


「説明は後で!逃げるよ!」


「おいおい…本社まで来て逃げるわけないだろ…」


「そうだねっ、ももちゃん…みっちゃん、最上階までこのまま行くよ 」


「…うん、仰せのままに」


 私たちは外に出ずにまっすぐ走る。すぐ上への階段が見えてきた。


「階段しかないの!?」


 私が思わず叫ぶとれっかがすぐに答えた。


「いや…途中まで階段で行ってみよう」


「れっかぁ!後で必ず急にいなくなった理由答えろよ!」


「うん、約束する。ななちゃんを治したら何してたか話すからとにかく今は上を目指そう」


「…ななを治してくれ。約束だぞ」


 階段を二段飛ばしで走っていく私たち3人の後ろには大量のメルトテラーをつけたいわゆる狂信者たちが追いかけてきていた。


「おいおいおい!予想より多くいるんじゃないか!?本当に大丈夫なのかれっかぁ!?」


「大丈夫…大丈夫だから」


 私はふたりの会話のほとんどを理解できなかったが、とにかく階段を上り続けた。


「わたし、今、このときのためにビルの間取りは覚えてるから」


「そうだったんだ、なら向かうべき場所も?」


「うん、わかってる。記憶が抜け落ちてるのにこんなことさせちゃってごめんね?」


「いや、いいんだよ。私はれっかのためにするのが楽しいんだから」


「…」


 ももがかなり不機嫌になっている。…触れないでおこう。


「次の扉を入るよ」


「了解、れっか」


「…ん」


 後ろの狂信者はすごい量だった。しかし大のおとなでありながら本気で走っているようには見えない。


「メルトテラーで幸せだから本気で労働をしようとは思えないのさ。彼らは既に満足している」


 慈しむような顔でももが言った。さっき私が言ったのとは真逆だったのか。


「ここ!曲がるよ!」


 れっかが声をかけた瞬間階段を上り続けるのをやめて進路を急に左に変える。曲がった先で待ち伏せし、曲がってきた狂信者を突き飛ばす。階段にぎゅうぎゅうに詰められた人々がドミノ倒しで動けなくなる…という作戦だった。


「よし、これでしばらくこの階段は使えない!」


 ――とはうまくいかなかったようだ。倒れた狂信者を踏みつけて別の狂信者が扉を越えてくる。

 ドミノ倒しにはならなかった、向こうの被害は軽微である。


「ど…どうしよっか…みっちゃん…」


 くっ…今から逃げるには近づかれ過ぎた…。どう、すれば…。


「私」


 ももが一歩前に出た。


「私、みつがいた所から色々持ってきてるから」


 ももが背負ってたバッグからナイフと銃を取り出す。私が覚えてる限りだとあと機械を使えなくする手段もあったはずだ。


「ここでこいつらを止めておく」


 わたしたちに、そう告げた。


「ま…待ってよ、そんなこと私がすればいいじゃんか…ももはななのためにしなくちゃいけないことがあるでしょ…?」


「れっかはビルの道がわかる。みつはれっかの近くにいないと駄目だ。道がわかるれっかを守ってあげて」


「なんで…一緒に行こうよ」


「私は…私がしたいことはふたりがするって約束してくれたから。ねえ、早く行かないと誰もなんとかできなくなるでしょ?早く」


 すでに狂信者はももに襲いかかってきていた。私とれっかは少し離れたところで見ていることしか出来ない。


「ももちゃん!…ななちゃんは!?どうするの!?」


「れっか、頼むよ…私は後で行くから。今は」


「…。わかった」


「れっか!」


「ななちゃんは治す。だから…また後でね」


「れっか!もも!」


「急ごう、みっちゃん」


 ここで立ち止まっていても何の意味もない。折角ももがこいつらを止めてくれてるのに。


「ぐっ…!」


 私は、れっかと一緒に走った。狂信者の全員が、まだ誰もつけてないメルトテラーを持ちながら襲っていたことは必死で考えないようにした。



「ここの階段で1階下がってエレベーターに乗ろう」


「…うん」


 今このビルのほとんどの人員が先程の階に割かれている。だからひとつ階を降りてからエレベータに乗ることにした。れっかは一網打尽の作戦が失敗してももを置いていったことをひどく後悔している。今の彼女を動かしているのは別れ際に確めた約束。ななを治すために最上階に向かう。メルトテラーを停止させる。それが彼女の原動力になっている…。

 しかしそこに私がいるから、ということもあってほしいと願いながられっかの手を繋ぎ続けた。

 さっきより階下のところは全員階段で向かい、上のところは下に向かうエレベータか階段で向かっていると予想できたので、この上に向かうエレベータは平和そのものだった。途中で誰かが乗って来ることもなく、最上階まで辿り着く。


「これで、なんとかなるんだよね」


 れっかに囁く。


「…うん。これでわたしたちの目的が叶うの」


 れっかがやり遂げたような顔でにこやかに笑う。

 ちん!と音が鳴りエレベータの扉が開く。

 そこには――大きな機械があった。そして1ヶ所だけ、あとから嵌め込んだような部分があった。全体的に黒っぽい機械だが、その1ヶ所はピンク色だったのだ。れっかはゆっくりとそのピンク色の後から着けたような部分へ進んでいく。私は後ろからついていく。


「あれ?そういえば社長は?」


 私はれっかに聞く。


「社長室?ひとつ下の部屋だよ」


「…そう。見てきてもいい?どうして、こんなことをしたのか…とか問いただしてみたい」


「…わかった。でもこれを持っていって」


 れっかは長い棒を渡してくれた。


「警棒だよ。護身はできると思う。私はこの機械を何とかしてくるから、すぐ戻ってきてね」


「ありがと、れっか」


 しばらくの記憶は飛んでいたけれど。それでも、なぜお金ではなく人類の堕落を目論んだのか…聞きたかったから。



 最上階にはエレベーターでしか行けなかったらしく階段はなかった。しかたなくエレベーターで一つ下の階に向かう。すぐにちん!と音が鳴り扉が開く。この階は社長室があるのみで、社長室の広さを感じさせられた。そんなことをする必要がない相手だとはわかっていても、ノックをしてしまう。こんこん。


「失礼します」


 扉を開ける。窓際に日の光を浴びた、私に背を向けている姿が見えた。逆光でかなり眩しい。


「ええと…」


 名乗った方がいい気がしたが、なんて名乗ればいいかわからずどもってしまう。


「あなたの目的はなんだったんですか?今私のす…こ…と…な…仲間が上の階の機械を止めてます。あなたの目的は叶うことはもうありません。大人しく、従ってください」


 れっかから受け取った警棒を振って威嚇する。

 社長は、私に背を向けたまま何も答えない。


「…聞こえてますか、あなたの目論みは叶いません、一体なぜこのような」


 そこまで言って気が付いた。逆光で見にくいが、社長の頭には、メルトテラーが、つけられていた。


「………は?」


 急いで近づくと社長…いや社長室の人物はただ、椅子に座ってるだけで完全に意識が存在しなかった。


「つま…り……この人は偽物?いやそれとも…元々これは怪しい企業…。社長が怪しいのは当たり前で…実際は社長を操っていたこの会社の上層部の人間がいる…?」


 考えが堂々巡りになる。…いったん、れっかに話を聞いてもらおう。メルトテラーをばらまいたのは結局誰なんだ?



「れっか…社長、メルトテラー着けてた」


「ええっ!?そっ…か…じゃあ誰に話を聞けばいいのかな…」


 れっかはずっとピンクの機械を触っている。


「監視カメラを見てみたんだけど、このビルにまともな人間は全然いないみたい」


「そっか…」


 あからさまに怪しい場所に身を隠さないのは通りにあっている。メルトテラーをばらまいて後は会社とは違う場所に潜む…わたしたちじゃ手の出しようがない。


「れっか、機能って止められそう?」


「みっちゃん、これ、みて…」


 れっかはスマホの映像を見せてきた。

 映像には、残党狩り、としてまだメルトテラー着けてない人たちに強制的にメルトテラーをつけさせて幸せになってもらっているらしい。


「この映像、どこで?」


「この大きい機械と繋げたらデータがあった…ネットワークで全てのメルトテラーと繋がってるのかも」


「でも…機能を停止してもこれへの依存は消えないよ、みっちゃん…」


 えっ……失念していた。メルトテラーで幸せにする機能を止めることはできても、これによって生まれる依存性は治すことが出来ない。

 …まあ、依存先が存在しなくなるためそれへの解決法はないが、煙草や薬への依存を抜くために適切な治療が必要だとは聞いたことがある。しかも今回の例は対象者が1億人じゃ足りない。全世界への普及が進んでしまっているとのことで、完全に多数派だ。まともな人間側が少なく、メルトテラーに対して対応できる力が無い。


「わたしたち、なんとかできるのかな」


「…」


「ねえ、みっちゃん」


「何…?」


「もう、諦めてもいいかな?」


 れっかは疲れきってきた。機械をうまく操作できなかったのか、手には力が入っていない。やる気がなくなってしまった、そう感じた。

 私は既に手遅れになった世界をどうしようと思っていたのだろうか。私たちだけじゃ、どうすればいいかなんて思い付かない。学者先生や偉い人たちが対応すればよかったのに。でも彼らは真っ先に標的にされた。解決されては困るから。…なんで困るんだろう。結局ABは何がしたかったんだろうか。


 私が何をすればいいかわからなくなってしまったとき、れっかが言った。


「ねえ、みっちゃん。わたしたちだけが人間だったんだよ。みんな変な機械なんかに支配されて。わたしたちがたまたま機械をつけられなかったんじゃなくて、私たちが本物の人間だから支配されなかったんだよ。きっとそうなんだよ」


「れっ…か?」


「好き。みっちゃんが好き。みっちゃんは気づいてなかったかもしれないけど、みっちゃんだけが好きなの。こんな私に可愛いって言ってくれるし、私の我が儘も聞いてくれるみっちゃんが好き。みっちゃんはかわいくてかっこよくて…ときどき抜けてて。そんなところが好きなの。だからお願い。私と一緒に、幸せに暮らしてくれませんか」


 私は、れっかに懇願に近い告白をされた。


「うん、どんなときでもれっかのことしか考えることが出来ない。私は、れっがが好き…だよ」


「………私たち、両思いだったんだね、私だけが好きなのかと思ってた」


「私も」


「えへへ…みっちゃん。私のために、毎日楽しく過ごしてくれますか」


「れっかがそう望むのならば。喜んで」





~~~~~~~~~~~~~~~~~~





【れっか】


 出会ったときから恋に落ちていた。地毛のほんのり茶色い髪。女子にしては高い身長。何にも興味なさそうな顔をして困っている人を助けずにはいられない。女の子の笑顔が好き。ある時髪を黒く染めたときに、褒めたらそれからずっと黒く染めてるのも好き。普通は嫌がりそうな私の我が儘でも微笑んで願いを叶えてしまう。そんな彼女を毎日見てほかの人たちとは違う、と感じるようになった。


 私は自分が頭が良いことを理解していた。それでいてテストや授業は手を抜いた。過ぎた天才は排斥されることを知っていたからだ。私は彼女が髪を初めて染めた頃、ある装置の設計図を作っていた。名前はTerrible。


 その名の通りの恐怖の象徴を目指して設計図を完成させた。着けたが最後、依存性の高い幸福な快楽を流し続けるものだ。最終的にはこれを着けてないと生きられなくなる。私はこんなもの着けるのは遠慮しておきたかったため、試作品を作ったときは実験台として何人かのクラスメートを使わせてもらった。


 しかし問題が発生した。私の力では量産化できなかったのである。そこで泣かず飛ばずのアイデアに欠けた会社に売り込み、その実用性が認められたためデータと権利を売り払った。しかし、この装置の根幹である対象者を意のままに操る機能(最終計画と名付け、常に手元に置くために腕時計型のスイッチにした)の存在は伏せておいた。


 また、もしものことがないように、セーフティとしてある程度装着した人物を操れる装置を用意した。これも秘密だ。すこし大きめなもので、私の部屋においておいた。忘れないうちに彼女の言うことを聞くように設定しておく。


 完成品はMerta Terribleと名付けた。溶けだした恐怖…をもじったものだ。彼らは私のアドバイス通り闇オークションで売り払い、知ってる人は知ってる都市伝説にまで押し上げてから大々的に売らせた。


 そんなときだった。家に帰ると鍵が壊され、私のセーフティが奪われていた。私の情報を隠して取引したはずだが、あの会社にはバレているらしい。私はななの家に正面から入り、手元に置いてた試作品をななに着けた。翌日ももが相談してきたのでこれを口実に会社に乗り込むことにした。目的はもちろんセーフティの奪取、ついでに最終計画の実行だ。


 …彼女は。連れていくには危険だった。装置に関する記憶を操作し、最終計画が完了するまで休んでいてもらうことにした。ももを盾にしてアブダクション・プロダクションに向かい、誰を敵に回したか教えてやることにした。


 失敗だったのは、彼女が早く目覚めてしまいももと一緒に乗り込んだことか。彼女には安全な場所で待っていてほしかった。私が記憶の処理をしつつ、会社の中を調べていたらももからの連絡により状況を把握して戻るに戻れなくなってしまった。


 尊い犠牲もあったが、私はピンク色のセーフティに再会することができた。奴等はパーツが抜けてると思い込んでいたらしいが、セーフティは手元に置いた方が都合がよかっただけに過ぎない。最終計画を実行するとセーフティに登録したもの以外を襲うようになってしまうためセーフティの目の前で実行したかった、というだけなのである。


 そして今、私たちは最終計画を実行した。止まっていたシステム、施設は私たちに操られ動いている。私たちは生活に不自由することはなくなった。

 そういえば、Merta Terribleの生産の自動化に成功した。自動工場はこの地球上の各地に作られ、Merta Terribleの数は世界人口を上回った。わたしたちのために70億人が働いている。人口も管理している。適切な家畜の数を保つために調整が必要なのだ。事故で失われれば補充する。収穫には15年近く必要だがそれを見越しての家畜の生産計画だ。一度全ての家畜を動員し世界中くまなく残党がいないか探させたことがある。その活動により今この地球上に真なる人類はふたりである。この星に存在する生物は全て、私たちが死ぬまで尽くし続けるのだ。



「ねえ…みっちゃん…幸せ?」


 私は愛するみっちゃんに聞く。私は彼女のために生きていけたいるだろうか。


「ああ、もちろんだよれっか」


 にこっと、本当に楽しそうに笑う彼女。本当に私なんかが、私なんかのために彼女が笑ってくれていいのだろうか。


「心配しないで。私はれっかのために、れっかと一緒に過ごすことが一番の幸せだから」


 彼女は私に甘い言葉を言い続ける。夢じゃないだろうかと毎日思ってしまう。


「本当に?」


「本当だよ」


「みっちゃん可愛い女の子好きじゃん…だから…」


「へえ…やっと自分が可愛いって認めてくれるんだ」


「ちっ…!ちがっ…!そそそういうことじゃなくてえ!」


「はい、じゃあこれなら信じてくれる?」


「信じてないわけじゃ…ちょっ、えっ」


 私が言い訳をしようとするとみっちゃんは私の口に口をくっつけてきた。こ…ここここれってき、きききっすってやつでは…?えっ…。えっ。


「ぁう…」


「どう?満足した?」


 にこやかな顔で私に勝利宣言をするみっちゃん。くっ…!自分だって恥ずかしがってくるくせに…。


 だから私はその余裕そうな顔に自分からキスしてやることにした。驚いた彼女の顔。でもまだこれで終わりにしてあげない。

 舌を入れる。ほら、余裕な顔が崩れてきた。怖じ気づいて口づけだけにしたのはバレてるんだぞ!私が離してあげると彼女は顔を真っ赤にして、涙目で私を見つめる。


「ひっひどいよ…れっか…」


 私はくすくす笑って耳元で囁く。


「嫌だった?嫌なら嫌がってもよかったんだよ?」


 私は彼女がなんて返すかわかっている。クールな彼女も私にかかれば。


 きっと――


「い…嫌じゃないです…」


 と真っ赤な顔で答えるはずだから。

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