エッセイ「普通に考えてみると(五)」
@SyakujiiOusin
第1話
普通に考えてみると(五)
百神井応身
1. パワハラになりがち
「罪なき者、石を持て打て」という言葉がある。
キリスト教徒というわけではないので詳しくは知らないが、ヨハネの福音書 8章7項がその出典らしい。
律法の運用を間違えていた人々を諭すために言った言葉であるという。
人々が姦淫の罪を犯した女性を捕まえ、公衆の面前に引っぱり出し、律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じられていると言う言葉に対して、「あなたがたのうちで罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい」と答えたという故事による。
異邦人だからとか、穢れている者だからと律法によって裁くのではなく、私たちも同じ罪人として相手のことを考えなさいと説いたのだと思います。
TVなどを見ていると、叩く側になった人が、当事者でも関係者でもないのに、よってたかってここを先途とばかりに、槍玉に上がった人を責め立てるのを目にする。
中には「あんたがそれを言うか?」と訊きたいくらいの人も居る。極めて品が悪い。
被害者と言われる人に対しての疑問点などを口にすれば、「加害者を庇うのか」と決めつけられるから、表立って意見をいうこともできない。
行き過ぎると、それはパワハラになる。
追い詰められて死を選ぶよりないということにもなりかねないのだ、ということも考慮して発言するのが人ではないのか?
2.ホントかね
ちょっと古い記事なのかもしれませんが、ネット上にこんなのがありました。
≪昭和34年(1959年)の外務省による在日韓国人に関する調査≫
戦時中の徴用令で来日した者・・・約245人
自分の意思で来日した者・・・約61万人
在日特権とは?
・生活保護優遇・月額最低17万円無償で支給。
・在日朝鮮人64万人中46万人が無職。
・なお仕事を持っていても給付対象から外されることはない
・国民年金全額免除(“掛け金無し”で年金『受給』が可能)
・保険診療内の医療費は全額タダ(通院費も全額支給)
・市営交通無料乗車券給与・・仮名口座可(脱税の温床)
・上下水道基本料金免除
・JRの定期券割引
・NHK全額免除
・特別永住資格(外国籍のまま子々孫々とも日本に永住できる)
・公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得)
・公務員就職の一般職制限撤廃
・永住資格所有者の優先帰化
・公営住宅への優先入居権
・外国籍のまま公務員就職
・犯罪防止指紋捺印廃止
・朝鮮学校、韓国学校の保護者へ年間数十万円の補助金援助(所得に関係なく全額補助)
本当なんだろうか?
これでは、日本に文句を言いまくり、反日活動をしながらでも、日本に居座るわけである。
もしそうだとすれば、良い加減、見直せば!!と思われてならない。
3.ホントは恐い童話
シンデレラは、父親の再婚相手の義母と義姉二人に毎日苛められていた。
母は早くに死に、遺言として「私のお墓にハシバミの木を植えて」と言葉を残していたので、シンデレラは忠実にその言葉を守っていると、あるとき財宝のありかの記載された石版が木の下で見つかった。
さらに彼女は、毎日脚を木の実で丹念に磨いていたので美脚でした
国の王子は、脚が綺麗な女性を探すため舞踏会を開くことを決定。それを知ったシンデレラは、舞踏会前に王子の家来を騙してお城に忍び込み、脚を餌に王子をとりこにした。
舞踏会当日も、見つけた財宝でドレスを購入し、誰にも負けない美脚で王子を独占しました。
その夜、シンデレラは靴を1足、わざと置いていった。
(陰謀を知っている騙された家来は、シンデレラの悪知恵により王子に殺された。)
その後の義母義姉の結末というのは、童話にもあるように酷いものである。
貧困で子供を捨てることを決心した母親という話もある。
だが、何度捨ててもどんなに遠くに置いてきても帰ってくる不気味な子供達なので、ついに母親は子供を殺すことを決意する。
毒の入ったパンを持たせ、森に子供を捨ててくるのだが、もちろん毒に気づいている子供は食べずに、あるやさしいおばあさんの家を訪れます。そこで親に捨てられた子供達がおばあさんと温かく暮らしていました。
ヘンゼルとグレーテルは、やさしいおばあさんをかまどで焼き殺し、子供達に毒入りパンを食わせ毒殺、おばあさんの家にあった財宝と食料を、家に持ち帰りました。
日本の「かちかち山」だって恐い。
お爺さんに捕まって、囲炉裏の上に吊り下げられていた悪狸は、人の良いお婆さんを騙して縄をほどかせ、お婆さんを殺して鍋でその肉を煮たばかりでなく、お婆さんに化けてお爺さんにそれを食べさせた。狸汁どころの騒ぎではない。
『てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ』
ここまでの歌なら恐くはないが、その続きがある。
『それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ』というのである。
実際にそうする慣わしがあったのだという。
4.ミートゥ
Me too というからには、自分も何らかのセクハラ被害を受けているということなのか?
黒い服に身を包み、徒党を組んで押しかけた議員さん達には違和感を覚えた。
大変失礼だが、どんなセクハラ被害を受けたというのだろう?殊に男性議員はどんな被害を受けて me too と言っているのだろう?
大臣の責任だとして辞任要求をし、辞任がなければ国会審議に出席しないというのでは、本末転倒ということにならないか?
セクシュアルハラスメントをなくさなければならないということには同感するが、それならばどうして野党6党だけで集まり、与党議員には声をかけなかったのだろう?
国会の場に禁止法案を提出して審議するという方向に進まねばなるまい。
被害者のことを考えるより先に、政局にしようとするパフォーマンスにしか映らない。
抗弁できない問題として持ち出したパワーハラスメントのようにさえ感じる。
権力者が行政官や一般市民に、客(発注者)が販売者(受注者)に、上司が部下に対してするパワーハラスメントも、その被害は甚大である。
仕事の為に我慢するか泣き寝入りするしかないことというのは非常に多い。
人は立場が上であると思うと、非人間的なことを平気でする。
セクハラは、人によって捉え方が違うから、個々の事案として扱わなければならないことも多そうである。
奇しくも、野党議員さん或いはその関係者に、セクハラを指摘された人がいるのではないのか?
問題解決は、本筋にどこまで迫れるか、ということでやってほしい。
5.ミンピ
十年前くらいまでは、隣国である韓国と仲良くやっていけると思っていた。
それが最近の報道を見るに及んで、韓国は日本に対しては何事にも悪意剥き出しで対抗しようとしていて、将来を見据えた友好関係を考えてはいないのかも知れないと判断せざるを得なくなってしまった。
口を開けば、「正しい歴史を学べ!(彼らが言うだけで、正しいとは思えない。)」と、彼らはことあるごとに言うので、さして興味もなかったかの国の歴史がどんなんだったのかと、おりあるごとに意識するようになってしまった。
どうも彼らが思い込んでいるのは、捏造による反日教育による刷り込まれのように思えてならない。自分らの都合からは一歩も出ない。
ちょっと調べれば、歴史の資料なぞいくらでもあるのに、それを自分たちは調べてみようなどとは思わないらしいし、学校で教わったことと違うことは、頭から否定してしまう頭脳構造になってしまっているように思える。
映画ドラマがあれば、それが真実であるとして疑わないという思考回路も、不思議と言えば不思議に思える。
少し前までは、韓国人だって閔妃(ミンピ)は稀代の悪女だった、と言っていたのではなかったのか?
日本憎しの余りなのか、ミンビすらがいつのまにか歴史捏造で朝鮮の国母扱いになってしまっているらしい。
思惑含みでつくるTVドラマ等が正しい歴史になる国が、韓国ということなのか?
閔妃は、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃であった。
明成皇后(ミョンソンこうごう)と呼ぶのが本来の呼び名で、「閔妃」とは「閔氏の王妃」という意味であり固有名詞ではないが、近代朝鮮史で「閔妃」と言えば、この高宗の妃を一般に意味する。死後、大韓帝国が成立すると皇后に追封された。
国王の正室として強い権力を持ったが、縁故主義と汚職、そして義父興宣大院君との20年以上に わたる権力闘争により政局は混乱し、乙未事変で暗殺された。
この暗殺は、日本がやったと彼らは言うが、顔も知らない相手をどうやって暗殺できるというのか?
朝鮮専門家であった米国のジョージ・トランブル・ラッド博士は、閔妃について、「頭は良かったが朝鮮の玉座にとって恥となるほど最も残酷な人物であり、何年も国王の父である大院君と政争を続け、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきた。」としている。
崔基鎬は自著『韓国 堕落の2000年史』において、閔妃は自身の権力欲のみで庶民の生活を思いやることは無く、恩人であった大院君を追放し、清国の袁世凱をそそのかして逮捕させたり、ある時は日本に擦り寄り、ある時は清国に接近し、清国を捨てると今度はロシアと結んだりと、智謀家ではあったが、倫理感が無く、『背恩忘徳(恩に背く裏切りをする行為)の生涯』だったとしている 。
2005年9月2日、韓国人ジャーナリストの金完燮がその著作の中で歴史上の人物である閔妃のことを、 「朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物」などと評論したことに対して、ソウル中央地裁から名誉毀損であるとして閔妃遺族らへそれぞれ1000万ウォンを支払うよう命じられたというから、他国のことだからとやかく言えないが、論理的判断とは程遠く感じる。
他国の歴史だからどうでもいいと言えばどうでもいいが・・・
6.わざおぎ
俳優のことを古事記では「わざおぎ」と書いている。
アメノウズメノミコトが天岩戸の前で踊ったというくだりにでてきます。
「わざおぎ」と言う字を漢字で書けといわれても殆どの人は書けないだろうし、「わざおぎ」といわれても意味だって理解できない。
俳(わざ)というのは物真似のことらしい。
優というのは、優しいとかすぐれているとかの意味で現在では使われるが、漢字をみると憂いという字と人とに分かれることが判る。
そこから解かるように、悲しんでたたずんでいる人の横に、さらに人がよりそっている形が「人偏に憂」の「優しい」、「優(おぎ)」という字です。
悲しむ人の側で、その人の悲しみに心を痛め、わが事のように悲しんであげる心のうちに、人の「やさしさ、気遣い、思いやりの深さ」を感じたということではないでしょうか。
だから、アメノウズメノミコトは、芸人や役者の神様として祀られているのだという。
7.遺伝子が違う
外見からはわからないが、日本人と中国人・朝鮮人とは、遺伝子が違うのだという。
父系の遺伝子であるY染色体を調べると、それがわかるのだとか。
中堀豊・徳島大学教授らの研究グループによれば、Y染色体のYAP多型は東アジアでは日本人にしか見られず、昔からいた人たち特有のものと考えられている。
アイヌ人、沖縄人で頻度が高い。アイヌ民族の88%にYAP+がみられるという。
朝鮮や中国には完全にない遺伝子で、ユーラシアでもほとんど見つからず、日本以外で唯一見つかるのはチベットだけであるという。
YAP因子はY染色体のDNAのある特定の場所に挿入された、およそ300の塩基からなる特定遺伝子。Y染色体を形成するDNAは父から息子へと遺伝していく。
YAP因子は1万6千年前に日本に住んでいた縄文人の男系男子により、代々受け継がれてきた。
このことから、YAPがあるのが縄文系男性、ないのが弥生系男性と判断できると結論づけているらしい。
争いを好まず、自己犠牲ができる遺伝子なのだという。
8.何も引き出せない
身を修め、自分自身の精神と肉体を磨き続けるという教育というものがあったから、日本はこの小さな島国も関わらず文明開化以後に急激に発展を遂げ、欧米列強と対等に戦える国力を持つに至った。
その強すぎる日本人の精神的基盤となっている教育勅語は、それを恐れたアメリカにより廃止されてしまったが、日本人の倫理観として色濃く残ったものが民度の高さを維持する遠因となっているように思える。
なんと、日本でGHQが消し去った教育勅語がアメリカでは今、『The Book of Virtue』という本となっていて、聖書に次ぐベストセラーになっているのだという。
その全てが良いとは言わないが、人として育つのに必要だと思われる理想が掲げられていると思える。
教育勅語に基ヅく教育を謳い文句に掲げた籠池氏は、どうもその本質は違うところにあったように思えてならない。
天皇陛下の名を騙るくらいだから、安倍昭恵夫人を利用しようとするくらいのことは朝飯前にやってのけたと思えるし、補助金詐欺もやったことが明らかとなってしまっている。
その籠池氏のどこを信じられるとしているのか解らないが、野党もマスコミも利用できればなんでもよいとして臆面もなく使っているのではないのか。
そもそもの発端は籠池氏の小学校を潰したいことから浮かび上がってきた土地問題ではなかったのか。
佐川氏を国会に呼んでの証人喚問も、野党議員は酷かった。
隠し玉があると豪語していたがどうだったというのか。
何とか引っかけ手を使って言質をとろうとする質問に終始し、それができないと捨て台詞のような言葉を吐いて質問を終わらせるしかなかった。
自白以外は証拠がないとするなら、どっかの国の時代劇ドラマそのものではないか。
嫌がらせのように安倍夫人の名を繰り返しても、得られた結果は政治家の関与も安倍夫人の関与もなかったという証言だけであった。
偽証罪に問われる場であるから、それが嘘であるとは思えない。
「国民が期待する証言はえられなかった。」と野党議員はコメントしているが、嘘を言えという意味と同義語ではないのか。
文書書き換えは犯罪となるだろうが、土地取引に違法性はなかったということらしいから、問題点を整理して追求して欲しい。
総理が土地取引に関与していたとは思えないし、文書の書き換えは野党やマスコミにあらぬ疑いをかけられるのを避けようとしたというのが本音なのだと思えてならない。
真実を明らかにしようというよりは国会を空転させるのが目的のようにさえ見えてくる。
土台無理筋なのである。
そんなことをやっているうちに、どちらかと言えば野党側に不利益なことが証拠付きで次々浮かび上がってきそうな気配が濃厚となってきているのではないのか?
拳を振り上げたのはいいが、おろしどころがなくなったようにしか見えないのでは、困る。手に余るのなら司法の手にゆだねて欲しい。
9.何をどこまで信じるか
納豆が体に悪いとか、バナナは血糖値を上げるから良くないとか、専門家らしき人たちが最近まで言っていた。
極めつけは歳をとってからの肉食で、絶対に慎むべきだといわれていたが、これも最近になって覆り、積極的に摂るべきだというようになった。
炭水化物や動物性脂肪の摂取についても、摂れとか摂るなとかテレビの健康番組に出てくる医者ごとに言うことが違うから、どれを信じてよいやら困る。
先日気の合う仲間の集まる親睦会があったのだが、一人が定刻になっても来ていないので、電話してみた。すると、行く先が判らなくなってしまったのでタクシーに乗って自宅に帰ろうとしているところだという。そこで、運転手さんに替わって貰って場所を説明し、帰り道は私が一緒するので心配しないで来てくれと言ったところ、少し遅れはしたが喜んで会場に現れた。
皆に会って話をしたいということはその通りであった。
彼が言うのに、少しボケがきているとの自覚があるので薬を飲んでいるのだが、今まで1錠であったのを3錠にしてみましょうという医者の奨めに従ってそうしたら、わけがわからなくなってしまったのだということであった。
いかに何でも、急に3倍量に増やすのは無いんじゃないだろうか。
同席していた80歳過ぎの長老が「私の兄が7年前に癌にかかり、余命1年だと宣告されたのだが生き延びて、3年前に言われたのは、癌は全て消えてしまった。」とのことであった。
その後なんの問題もなく過ごしていて、急に入院することになった前日まで車を運転していて平気だったのだが、入院するや1日で死んでしまった。全身に転移していてどうにもならなかった。」と医者は言ったらしい。
そりゃないだろうと、心底憤慨したとの話しであった。医者の何を信じろというのか、という意味である。
自分もいろいろ医者が病名をつけられ、毎日9種類の薬を飲むことになっているが、どこまで信じていいかわからないと言いながら元気に笑っていた。
錠剤というのは大抵が硝酸塩基であろうから、多量の服薬が肝臓や腎臓に影響を及ぼさないだろうかと気にかかる。
「ところで貴方は薬を飲んでいないのか?」と聞くから「お蔭さまで何の薬のお世話にもなっていません。」と答えたところ、「でも顔色を見ると血圧は高そうだが?」と、さらに聞かれたので「ええ、160くらいです。」と平気な顔で応じたところ、同席していた人たちが異口同音に「そりゃ高いんじゃないのか?」と心配してくれた。
そこで、「そうですよね。つい最近までは130以上は高血圧と言ってましたよね。でも近頃はそれが147以上と、医者がいつの間にか言うように変わっちゃって。それよりなにより医者の言う血圧まで下げるとかえって具合が悪くなってしまうので、私にはこれ位が丁度いいんです。」と説明した。
血圧だって個人差があるのではなかろうか?
医者がいなくては治せない病気というのは確かにあるが、言うことがころころ変わるというのは勘弁してほしい。
10.外国人の国保
医療目的で来日する外国人は、国民健康保険(国保)に加入できないため、「留学」などと入国目的を偽って国保に加入し、1~3割の自己負担で高額な治療を受けて帰国する不正な事例が増加していることが5日、複数の医療関係者への取材で分かったのだという。
それら患者の多くは中国や、その他のアジア地域から来ているとみられている。
厚生労働省もこの事実を把握しており、国保の制度や運用の改善など対応策の検討を始めたというが、的確迅速に対応して欲しい。
複数の関係者によると、悪用がみられているのは、肝炎の治療や高額な抗がん剤、移植医療など。がん治療薬「オプジーボ」をはじめ薬剤の高額化が進む中、政府が進める医療ツーリズムで日本の公的医療保険制度が悪用されればさらなる医療費増大につながる。
関係者は「保険制度の隙間を埋めるだけでなく、在留資格の適正な管理も必要だ」と訴えている。
医療目的で来日する外国人は本来、医療滞在ビザを取る必要がある。国保に加入できず医療費は全額自己負担だ。しかし、「留学」や「経営」などと目的を偽ってビザを取得し、日本で国保に加入した後に高額な治療を受け、帰国するケースがあるという。
日本の行政は、抜け穴が多すぎないか?善良な日本人が保険料の増額に苦しんでいるのに、その原因の一つがこれでは納得がいかない。
後期高齢者が、医者にかかるのを医療費の負担を考えて躊躇っている現実があるのであるから、放置して置くわけにはいかない。
11.外国人の政治活動
首相官邸前でデモが行われることがあるが、そのデモの中には多くの外国人が混じっていると言われる。
マスコミがそれを知らないわけはないが、何故かそれは報道されない。
外国人が日本国内において政治活動することは許されているのだろうか?
結論から言えば、在日外国人に政治活動を行う権利はない。極めて当然だと思う。
選挙運動(ビラ配りやポスター貼り、演説なども)も違法である。
外国人とは、日本国籍を有さない者ということ。
公職選挙法では、「選挙権及び被選挙権を有しない者の選挙運動の禁止」に第百三十七条の三「第二百五十二条又は政治資金規正法第二十八条 の規定により選挙権及び被選挙権を有しない者は、選挙運動をすることができない。」とある。
外国人は日本国籍を有しておらず、それにともない選挙権・被選挙権も有していないため、選挙運動は違法行為にあたるのである。
それでは、政治活動はどのような理由で認められていないのだろうか。
マクリーン事件というのがある。この事件は1970年代に起きた。
日本における在日外国人の政治活動の自由と在留許可をめぐる裁判である。
判決では、「外国人の基本的人権は在留制度の枠内で保障されるにすぎないのであり、在留期間中の合憲・合法の行為を理由として、法務大臣は在留更新不許可処分を行うことができる」
「外国人の政治活動の自由はわが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等を除き保障される」となった。
この2つ目の判決に注目である。在日外国人の政治活動は、国に関する政治的な動きには携わってはいけないというものなのだ。
つまり、政権や政党に対し意見を述べたり、特定の政党を支持あるいは不支持活動を行ったりするなどは出来ないということである。もちろんビラ配りやポスター貼り、演説その他インターネットにおける政治活動も、国政に関することは禁止である。
当然といえば当然だ。もし悪意ある外国人が政治を乗っ取るために日本に入国していた場合、外国人に政治活動の権利があるとすれば国が崩壊させられる危険性がある。
在日外国人内部で自治的な動きのために政治活動が許可されるのみなのはどこの国であっても同様の扱いである。
外国人が国に対しに参政権を要求することも、政治活動の一環であるため本来は違法である。
近年では「反安倍政権」を掲げ、在日韓国・朝鮮人らが国会前や地方でデモを起こしているが、これも本来であれば違法行為である。
違法になるべきはずの在日外国人の内政干渉、争乱・内乱行為が見過ごされてしまっているのが実態ではなかろうか。
沖縄などで過激な行動をする人の中にも外国人が混じっているということも、以前から取り沙汰されている。県民が迷惑しているということは、ニュースとしてとりあげられない。
在日外国人の政治活動が違法であることを多くの人が知れば、声を挙げる人々も現れ、本来違法である行動・行為の数々がきちんと違法だと認められ、正しい政治が行われるようになっていく可能性はある。
まずはより多くの人々が在日外国人の権利・権限を理解することが必要といえるだろう。
12.外国人への生活保護
報道されることが少ないから知らなかったが、むかし長田区役所襲撃事件というのがあったのだという。
在日が区役所を集団で襲撃して生活保護を強奪したのが始まりだという。
戦後、朝鮮人が日本人に行った暴行・強姦等による謝罪と賠償は一切無いのは何故なのだろう?
役所が認定を渋ると在日が大勢押しかけ、差別だ!お前らに親は虐殺された!と、真偽は定かでないことを含め、 泣く!わめく!叫ぶ!などの大騒ぎをした。
果ては社会党、共産党、民主党、公明党市議が、さらにはプロ市民団体も押し寄せ、担当職員を怒鳴りつけ貴様はクビだ! と怒鳴りまくり、深夜まで担当職員の自宅にまで嫌がらせ電話がえんえんと鳴り響くような状態だったらしい。
在日朝鮮人の生活保護は、社会党村山政権時代に、日本の役所に外国人(在日朝鮮)職員を、 一定枠以上を毎年必ず採用させる義務を市町村役所に制度化した。
その結果、在日朝鮮人職員は好んで、生活保護の窓口に就き、彼等の支配が始まった。
社会保障の業務はほとんど在日職員の縄張りとなってしまったのだという。
旧社会党、共産党、 民主党、公明党など市議と組んで生活保護、社会保障にタカリ放題だというから始末が悪い。
行政も在日に都合のいい法案を通し、タカリ放題となっているようなことが残っていないだろうか?
13.泣く
この暑さが続いているというのに、夜にはコオロギが鳴いている。どうなっているんだろう?
日本語で「泣く」という語に関連するものには、鳴く・啼く・哭くなどの文字が思い浮かぶ。
漢字で書けばそうだが、言葉の音だけで言えば「なく」という一語だけである。
動物や虫が鳴くのもそうであるが、大抵は副詞がついて、どんな泣き方なのかが説明される。
わんわん(人間)・ワンワン(犬)・ニャアニャア・チュンチュン・カァーカァー・リンリン等々。
英語で泣くを表現するものには、 cry / weep / sob / wail / whimper / shed tears などの表現があり、それぞれ意味が違う。すなわち「泣く」を表す動詞の数は多いように感じる。
動物の名前なども、日本語では子牛・雄牛・雌牛・野牛などのように、本体が牛であるなら一語つけるだけで整理できるが、英語はcow, beef, cattle, bull, ox, calfなど様々な表現があります。
名詞も数が多いということになる。
どちらが良いのかは判らないが、論理的に考えるときには本体が何であるのかが解っていたほうがよさそうに思える。
では、語彙数はどちらが多いのかというと、日本語の数が少ないということではなさそうだから、言葉というのは単純には比べられない。
14.言葉に含まれる毒
言葉には残念ながら毒が含まれていることがあるのだということは、理解しておいたほうがよい。
普段から何気なく自分も使い他からも聞かせられていて意識もしないで過ごしているが、解っているのと解らないままでいるのとでは、大きな違いが出てくる。
「君には無理だと思うよ。」こんな言われ方をしたら、その指導者からは躊躇わずに早く離れ、他の指導者を探したほうが良い。自分には合わないのである。
彼は、自分の能力では君の能力を伸ばすことができないと言っているのだから仕方あるまい。
確かに、持って生まれた才能というのはあるだろうし、他の者より少ない努力で成功を収めることができる人というのは居るが、彼が何も努力しなくて成功しているわけではない。
そのための才能が足りなくても、並外れた工夫と努力をすることで成功した人は数多く居る。
長く続けられることこそが才能であり、本当にやりたいことであれば、努力し続けられる。途中で諦めた人は、それが本当にやりたいことではなかったということである。
簡単に慰めの言葉をかける人というのもいる。
「君は精一杯度量した」だとか、「君が悪いんじゃない。世間が・学校が・環境が・政治が悪いからだ。」などなど。
本当にそうなのだろうか?
最後まで諦めず、血の滲むような努力をして成功を収めた人たちが居ることをどうやって説明するというのだろう。
弱者が集まって傷をなめ合うことで、仲間を増やしたところでどうなるわけではあるまい。
苦境を跳ねのけた人たちは、他の悪口を言うどころか周りに感謝することが多いという事実を無視できないではないか。
力及ばず成功を収めることができなかったとしても、成長はしているということは確かであろう。
成功者は、言葉を選んでいるように感じる。本来のエネルギーを持つ言葉を努力の中で見つけ、身に着けているのだと思う。
15.言葉狩り
パソコンで文書を書いていると、変換できない熟語が沢山ある。
その多くは差別用語だからということらしいが、どう考えてもそれらは普通名詞であって、差別ではなく区別するためにできて使われていた言葉なのではないのかと思えてならないものが多い。
最近使われなくなったものには、スチュワーデスだとか看護婦などというものがある。何故それがいけないのだろう?
近頃は北朝鮮と言っても咎められないが、数年前までは北朝鮮人民共和国といわなければならなかった。
完全に使われなくなってしまっているように思えるものに、第三国人というのがある。これを使うと悪人のように言われる。
しかしこれはそもそもが行政用語であって、戦勝国と敗戦国のどちらにも属さない国のことを便宜上表すためにできた言葉であった。差別用語とは言い難い。
彼らが戦後、不当行為を繰り返し、暴れまわったことで嫌われるようになったことは確かである。
馬鹿でもチョンでも、というのも駄目だという。チョンが朝鮮を表すからだというが、チョンというのは〻のことであり、朝鮮人など居なかった江戸時代から使われている。
意味は取るに足りないというくらいの〻ということである。
部落というのも駄目だというが、子供の頃は、住んでいた村の区分けのために何の問題もなく使われていた。未開放部落と混同するからだということらしいが、返って浮き彫りにしてしまっていないだろうか?
ことほどさように、言葉狩りをし過ぎて、日常生活を阻害してしまっていることはないだろうか?
こういうことを言うと、どっかから責め立てられるから、それを恐れて誰も口にしないが、冷静になって考えてみることも必要なのではないか、と思えてならない。
言葉狩り~「放送禁止用語・出版禁止用語一覧」というのが、ネット上に出ていた。
禁じられているものだけでなく、嫌疑のかかっている用語も集めてます、ということであるが、どうも禁止というよりは、騒ぎ立てる人が居るからそれを避けて、自粛して使わないということらしいのである。
アイヌ系/合いの子/明き盲/アル中/按摩/家柄/イギリス/弄(いじ)くる/遺伝・遺伝子/田舎/移民/インディアン/インディオ/氏より育ち/うすのろ/うたぐる/裏日本
駅弁大学/エスキモー/穢多(えた)
沖仲仕/唖(おし)/唖(おし)問答/落人(おちうど)部落/落ち零(こぼ)れ/表日本/オランダ/隠亡(おんぼう)/隠亡
外人/家系/稼(かせ)ぎ/稼(かせ)ぐ/稼(かせ)げる/片足/片腕/片跛(ちんば)/片手/片手落ち/片目/片目が開く/片(かた)端(わ)/ガチャ目/がっぷり四つ/皮切り/河原乞食/看護婦
北朝鮮籍/~きち/気違い/気違い茄子/気違い水/~狂/狂気/狂器/狂人/漁夫
くず屋/クラクション/群盲
芸人/下衆/血統/毛唐/毛並み/下男/下人/原住民
後進国/興信所/工夫/黒人/五体満足/小使い/小百姓/高麗鼠/小役人/混血
雑役夫/サラブレッド・サラブレッド並み/三国人
色盲/支那/支那人/支那そば/シナチク/支那料理/士農工商/ジャグジー(風呂)/住民/住民運動/女医/障害者/小乗仏教/女工/食人種/処女航海/処女作/処女峰/女中/
白(しら)子(こ)/シンナー遊び/新平民
ずべ公/滑り止め(受験)
精神異常/銭(ぜに)っ禿(ぱげ)/傴僂(せむし)/鮮人/潜水夫/僭窃(せんせつ)/掃除夫・掃除婦/早発性痴呆症/外回り
高砂族/宅急便/~だてら/他力本願/男工
知恵遅れ/血筋/痴呆/チャック/中老/ちょん/チョンガー/跛(ちんば)/跛
聾(つんぼ)/聾(つんぼ)桟(さ)敷(じき)
低開発国/低能/出稼(かせ)ぎ/丁稚/父(てて)無(な)し児(ご)/テトラポット/手ん棒
同和/土方/特殊学級/特殊部落/床屋/屠(と)殺(さつ)/道産子/土人/土俗/土百姓・呑(どん)百姓/共稼(かせ)ぎ/吃(ども)り/
内地/南鮮
ニグロ/二号/妊婦/人夫/人夫出し
奴婢(ぬひ)
ネ・サ・ヨ
農夫
跛(びっこ)/人食い人種/非人/百姓
風太郎・ぷう太郎/不具/父兄/ブス/踏切番/部落/部落民/フリスビー/浮浪者/文盲/文盲率
平民
坊主(僧)/報道官/ホームレス/北鮮/呆け/ポン引き
町医者/万歩計
未開人/南朝鮮/耳聾(つんぼ)
妾(めかけ)/盲(めくら)/盲(めくら)撃ち/盲(めくら)壁/盲(めくら)検査/盲暦(めくらごよみ)/盲(めくら)探し/盲(めくら)判/盲(めくら)飛行/盲(めくら)窓/盲(めくら)滅法
盲(もう)唖(あ)/盲射(もうしゃ)/盲信(もうしん)/盲進(もうしん)/盲爆(もうばく)/盲目(もうもく)/耄碌(もうろく)
藪(やぶ)医者/藪睨(やぶにら)み
よいよい/用務員/四つ/四つ角・四つ辻/四つ相撲(ずもう)
癩者(らいしゃ)/癩(らい) 病(びょう)
漁師/猟師
ルンペン
令(れい)嬢(じょう)/レントゲン技師
牢人(ろうにん)/路地
一渡り読んでみたが、どうしていけないのか理解できないものも多い。英語に置き換えて、クレイジーだとかブラインドと言うのは問題なしとするなら、その疑問は尚更のこととなる。
差別ではなく、区別の必要上できた普通名詞が多いように思えてならない。
16.五大明王
歌舞伎の市川團十郎といえば、「成田屋」が屋号。市川家は、成田山新勝寺近くの出なのだという。成田山の不動明王の「睨み」がお家芸とされている。
明王とは、仏像を分ける時に使う言葉で、如来、菩薩、の次の分類名になります。
如来が通常の姿でいたのではいうことを聞かない衆生がいたら、屈伏させることを目的に、忿怒の姿に変身したものが明王で、密教の尊像とされる。
大日如来の命を奉じ、非常に強い力を持ち、悪を打ち挫き仏法を守る存在との意味付けがされている。
火生三昧という炎の世界に住んでいて、人間界の煩悩や欲望が仏の世界に波及しないよう、聖なる炎で焼き尽くすと言われています。
不動には、五大明王と呼ばれる「不動明王」・「愛染明王」・「孔雀明王」・「烏枢沙摩明王」・「降三世明王」などがいて、おのおのその働きがわかれている。
目黒や目白は有名であるが、東京には、五色不動というのがある。
目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の五つである。
17.悟り
神と仏はどう違う?
西洋における神は、万物の創造主ということなのであろうが、日本における神は「畏るべきもの」と言う方が、当を得ているように思う。
日本の神様は、2例2拍手1拝、仏さまは合唱というのがお参りの作法ということになっているが、これは明治以降のことで、その前の神仏習合の時代は、どちらも合唱するということであったらしい。
仏は、悟りを開いて宇宙の真理に目覚めた者、ということになっている。
この悟りというのには段階があって、これを「さとりの52位」と言う。
それぞれのさとりはどんな名前かといいますと、
1段目から10段目を「十信」、
(1段目を初信、2段目を二信、3段目を三信……10段目を十信)
11段目から20段目を「十住」、
(11段目を初住、12段目を二住、13段目を三住……20段目を十住)
21段目から30段目を「十行」、
(21段目を初行、22段目を二行、23段目を三行……30段目を十行)
31段目から40段目を「十回向」
(31段目を初回向、32段目を二回向、33段目を三回向……40段目を十回向)
41段目から50段目を「十地」、
(41段目を初地、42段目を二地、43段目を三地……50段目を十地)といいます。
51段目は、ほとんど仏のさとりと等しいということで、「等覚」と言われます。
そして一番上の、下から数えて52段目のさとりが、「仏覚(ぶっかく)」と言われ、まさに仏の悟りということになる。これ以上、上が無いということで、「無上覚(むじょうかく)」といわれたり、妙なるさとり、「妙覚(みょうかく)」とか、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」ともいわれ、仏のさとりには色々な名前があります。
ここまで修行でき悟りを開いて仏の境地に至るのであるから、求める方向性が違うということなのかも知れません。
18.国名を呼ぶときの差別
朝鮮人と呼ぶのは、差別用語とは言えまい。特に蔑称と言えるような言葉では無いのではなかろうか。
現代においては、外交交渉などの公式の場において「倭」「倭人」が用いられることはないが、中国や韓国・北朝鮮などでは、日本や日本人に対して侮蔑的な意味を込めて「倭」を用いることがある。
また、侮蔑感を強めるために、中国では「倭寇」や「倭鬼」、韓国・北朝鮮では「倭奴(왜노、ウェノ)」または、「ウェノム(왜놈)」(놈は漢字の当てられない朝鮮語固有語)、または、単に「倭(왜、ウェ)」などの表現がなされる場合があり、差別用語でもある。
たとえば韓国では、小学生用の国語辞典でも「倭奴・ウェノム」は載っており「日本人を罵っていう言葉」と注釈がある。また教学社『初等学生学習国語辞典』や斗山出版『東亜初等新国語辞典』での「倭人」項目には「日本人を見下していう言葉」と説明されている
中国人への蔑称は「垢奴(テノム)」であるというが、韓国には他国の殆どに蔑称があるのだという。
韓国人乃至は在日朝鮮人は、口を開けば日本人に差別だ差別だというけれど、自らを省みることもなしにそれを言うのでは何ともなるまい。
差別を考える人は差別されるのである。
19.桜の葉
桜餅が店頭に並ぶ季節となりました。
桜餅に使われるこの桜葉には「クマリン」という成分が含まれているのだという。
血流を改善する効果クマリンには、血液を固まりにくくする作用があります。そのため、 脳梗塞や心筋梗塞の原因のひとつである血栓を防いでくれます。 クマリンは、血液の流れを良くすることで、リンパ液の循環や血流を改善する効果があるといえます。
クマリンには芳香、抗菌作用に加え、血圧低下作用、アルツハイマーの防止や回復、ガンの抑制作用といった効果があるのだといわれている。
また、この成分には神経に対する鎮静や、興奮反射を弱めるなどの作用も期待でき、他にも催眠作用やアロマ効果までもがあるらしい。
医学知識があったとも思えない昔の人たちが、これを使っていたということは、どこから得た知恵なのだろう?
桜餅に使われる桜の葉っぱは、主に大島桜。
これを塩漬けにして保存し、和菓子屋さんでは年を通して使う。
20.山林を守れ?
地球環境が危機的状況だということで、それは森林保護運動にもつながった。
森林破壊が進んでいる、だから自然保護をもっと行わなくてはならない。緑を大切にしなくてはいけない。
緑を求め開発を弾劾する声は絶えないし、おそらく、これらの意見に正面切って反対する人はいないだろう。
しかし、同時にこれらの風潮に何か胡散臭さを感じている人もいるのではないか。
一時期、「マイ箸運動」というのが流行った。使い捨ての割り箸は、木材の無駄遣いだからというので、正義の味方を標榜する人たちは自前の箸を携行した。
割り箸は間伐材を利用するものであり、間伐が山林を守るのだということを理解している人は殆どいなかった。
山を守るということは、木を伐らないということと同一ではあるまい。
きれいごとのスローガンに安易に乗ってしまったということなのであろう。
そればかりが原因だとは思わないが、結果として日本の林業は衰え、山林が荒れるにまかされるようになったようになった。
計画的に植林と伐採により保たれていた山林の樹木はそのサイクルが乱れ、杉などが増えすぎて、花粉症の原因となっているのではなかろうか。
日本の樹木を伐るのは罷りならぬというので、海外からの輸入に切り替えたというのでは、本末転倒で身勝手が過ぎるように思えてならない。
手入れされていない山は、颱風などによる大雨で崩れる可能性が高いように思える。
田圃もそうである。
コメ余りだとかいうことで、極端な減反政策が続いた。
長く放置された田んぼには樹木が根を張り、田んぼの底を抜いてしまった。田としての機能が壊れてしまったということである。
田圃の持つ保水能力が洪水を防いでいたのだと思えなくもないが、壊れてしまった田圃を今から取り戻すのは容易ではあるまい。
自然保護は大事だが、ウソっぽいものも多い。でも「絶対の正義」としてふりかざされる自然礼讃の意見に反論できないでいる間に、事態は進んでしまう。
だが、胡散臭さを感じたら、思い切ってそもそも主張が間違っているからだと考えてみてはどうだろうか。
本質がどこにあるのかを自分でも考えて判断するようにしてみる。付和雷同して尻馬に乗るだけですまさないようにすることで、バランスのとれた考え方になるように思える。
21.四大宗教
日本人は無宗教であると言われ、日本人自体もそうだと思っている人が多いが、本当にそうなのだろうか?宗教に依らず倫理観と道徳感を持ち備え、民度が高いというのはどこから来るのだろう?
宗教はないと言われるが、信心はある。神を敬うことが浸みついているから、日本人は国内国外を問わず神社詣でを好む。他国の神社や墓であっても、通りすがりにでも頭を下げ手を合わせることが自然にできる。
そんなことができる民族は、日本人以外にはないように感じる。
世界には、三大宗教とか四大宗教とか呼ばれるものがある。
信者数でみると、1位 キリスト教 19億人. 2位 イスラム教 10億人. 3位 ヒンズー教 7億6千万人. 4位 仏教 3 億4千万人いると推定されている。
細かなことは抜きにして大まかに調べてみました。
ユダヤ教は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。
『タナハ』、『ミクラー』と呼ばれる書を聖典とする。これはキリスト教の『旧約聖書』に当たる書物である。ユダヤ人であることだけで救われると信じていた。
キリスト教は、イエスを救済者キリストと信じ,イエスの行動と教えを中心に神の愛と罪の赦しを説き,旧・新両聖書に基づき個人と社会の再生を促す宗教。
Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救世主)として信じる。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多くは「父なる神」と「その子キリスト」と「精霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。他の宗教をイズムというが、キリスト教のみクリスチャニティという。
世界にはイスラム教徒が13億人いると. いわれている。
7世紀にムハンマドが創始した宗教で、イスラームともいう。
聖典であるコーランに基づく信仰、儀礼をもつ。
クライシ族出身のムハンマドは,610年にメッカ近郊で天使ガブリエルの声を聞いて以来しばしば天啓を受け,アッラーの預言者のとしての自覚を深めた。イスラムとは「神に帰依すること」を意味し,その信仰の中心はアッラー,天使,預言者,啓典、最期の審判などを信じることである。イスラム教徒は自らをムスリムと呼ぶ。ムスリムはアッラーの前で等しく平等であるとされ,この平等主義が,イスラム教が世界宗教となった理由の一つと考えられる。
イスラム教は武力征服や貿易商人の力によって各地に広まり,今日ではアラビア半島を中心に,アジア,アフリカ,ヨーロッパに信者が多い。
聖典「コーラン」やムハンマドの言行を記録した「ハディース」などが教義。
上記三つの神は、万物を創造した唯一絶対神であり、人はその死後、最期の審判により天国に行くか地獄に行くかが決まる。
神と人をつなぐのは、預言者と呼ばれる神の啓示を聞くことができる者である。
ヒンズー教は、もっとも古い組織化した宗教の一つです。その聖典は、紀元前1400年から1500年にまで遡ります。ヒンズー教は、何百万という神々を持つ最も多様で複雑な宗教の一つでもあります。インド・ネパールの民族宗教といわれている。
仏教は、万物の創造主というのは想定していないようである。
一切法(万物)は因縁生、即ち、万物は原因が縁に触れて結果を顕すのであり、それを理解できるようになることをもって悟りだとする。全てが理解できた者を仏という。極めて哲学的な教えだということになる。
多分、日本人の大多数は仏教となのだろうけれど、最近の人は特定の寺や団体に属さないでいるから仏のなんたるかを学ぶ機会は少ないし、大して信じているようにも見えない。
せいぜいが、ウチは~~宗だと言うくらいのものである。
それでも仏さまを粗末にすることなく敬う。普段の行いの中にその教えは溶け込んでいて、自然に人の則を犯さないで過ごしているのだと思われる。それで良いのだと思っている。
22.資源大国
中東の資源大国である石油産出国は、今も王政の国が残っているやに聞きます。
その全部がそうかどうかは知りませんが、その国の国民は豊かに暮らせているのだとか。
資源をめぐって西洋列強の力が入り乱れた歴史があることは確かでしょうが、資源の開発や発掘については、自国にその技術はなかったと思われることも事実であった。
現代においてはその利益が搾取されているようなことはないように感じます。
実は鉱物資源大国であるといわれる北朝鮮も、自国にはそれを発掘する技術がないのだといわれています。
政情が安定していて、先進国との国交が正常平穏に結べていたら、国を豊かにする潜在力はあるのだと思うが、かの国に経済的余力を持たせたらどんな国になるかと予想したら、とてものこと、積極的に援助できにくいということも又確かなことだと思われる。
核兵器の開発に使われ、それが周辺国への恫喝にも使われるということになったらたまったものではない。
世界から信用されないと経済発展は難しい。
日本は資源が少ない国であるとされてきたが、領海やEEZを含めたら、そこに眠っている資源は膨大なものなのだという。近代の技術はそれを採掘することが可能になってきているという。ぜひ、その資源の使い方も含め、世界の範たる国になって欲しい。
23.資質がないことはない
かつて、日本が朝鮮併合した当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、こう言いました。
「日本による野蛮国・朝鮮の解放は、人類にとって幸福になるばかりか、それは、White burdenならぬYellow burdenを担う日本の明らかな運命・Minifist Destinyではないのか。
ましてこれに対する一撃すら与えることもできない無能で野蛮な民族、集まれば争い分裂することを事にしている朝鮮人に、仮に統一国家が形成できたにせよ、朝鮮がアジアにおいて、何の脅威にもならない、と判断した」
日韓併合は、当時の経緯をいろいろ探ってみると、知らないでいたことが種々わかってくる。
このころから全く進歩していないどころか劣化して余計に野蛮人、未開民族になってしまっているように感ぜられるのは、教育の方向付けに問題があるように思えてならない。
殊に、日本に対しては、何でもかんでも躍起になって文句をつけたがっているように見える。
それが高じて、世界に対しても同様なふるまいをしているかにも見える。
嫌われるようなことばかりをしなければ、世界から認められるための資質がないとは思えないから、残念なことである。
24.事実を無視するのでは
調べれば調べる程に、知らないでいて間違って教え込まれていたことが明白になって来ることが多いと感じる。
<日帝が朝鮮で35年間にしたこと>ということで、さもさも日本が朝鮮に悪い事ばかりしたように彼の国はいうけれど、事実はこう言っちゃあなんだけど、感謝されて然るべきことの方が多かったのではないのか?言うなれば、未開状態から近代文明への道を開いたのだ、ともいえるのである。
下記にリストしたこんなくらいのことは、さして苦労しなくても簡単に調べることができる。
それなのに、ネット普及率がご自慢な韓国人が知らないでいるということには驚くほかない。
それとも知っていて恍けているということなのだろうか。
文字が読めないわけではないとしたら、自分に都合が悪い事には目をつむって知らない振りをするのを可とする洗脳教育がされているということになる。
もっとも、日本だって左翼教育に毒された人たちによって、歴史事実から目を逸らされてしまっている人が多いから、大きなことは言えない。日本だって似たようなものである。
しかし、日本人の「良心と親切」が朝鮮人の妄想的プライドを傷つけ、それが返って反日活動へと駆り立てているのだとしたら、どうにも対応の仕方がない。放り出しておくしかなくなる。
朝鮮人の人口が、李氏朝鮮時代と比べて二倍に増えた。
平均寿命が、24歳から30歳以上伸びた。
人口の30%を占めていた奴婢という奴隷層が開放された 。
幼児売春、幼児売買が禁止された。
家父長制が制限されて、家畜扱いだった朝鮮女性に名前が付けられるようになった 。
度量衡が統一された 。
8つもあった言語が統一され、標準朝鮮語が作られた。(日帝支配まで朝鮮には統一された言葉もなかった)
朝鮮語教育のための教科書・教材が、日本から大量に作成されて持ち込まれた。
5,200校以上の小学校を作った 。
師範学校や高等学校が1000以上作られた。
239万人を就学させ、識字率を4%から61%に向上させた。(それまで文盲率96%)
大学、病院を作った。(李氏朝鮮時代には近代的な病院が無かった)
カルト呪術医療を禁止した 。
上下水道を整備し、泥水をすすり、下水垂れ流す生活が改善された 。(李氏朝鮮では上水道も下水道も無く、世界一不潔な国だと言われていた。)
日本人は徴兵されて戦地で戦ったのに、兵役を免除され内地の勤労動員で許された。(これが強制連行の実態、戦地で戦うかわりに労働で済ませた)
志願兵の朝鮮人が戦死した場合は、日本人と等しく扱い英霊として祭った。
鉄道を3,800Kmも整備した。(李氏朝鮮では鉄道はなかったし、道路整備されていなくて、狭くどうしようもなかった。)
港をつくり、ダムをつくり、電気を引いた。(李氏朝鮮に電気はなかった)
会社が作られるようになり、物々交換から貨幣経済に進化した。(物々交換経済だった)
二階建て以上の家屋が作られるようになった。(首都ソウルでも弥生人の家と変わらない藁ぶきのものが殆どだった。)
入浴するように指導された。(李氏朝鮮時代朝鮮人は風呂にはいる習慣がなかった)
ハゲ山に6億本以上の植林をした。(乱獲、乱伐採により山に木がなかった、)
潅漑用の溜池をたくさんつくった。今ある溜池の半分以上は当時日本が作ったもの である。)
河川と橋が整備された。(李氏朝鮮には堤防も橋もなかった。そもそも道がなかったし、有っても狭くてどうにもならなかった。)
耕作地面積を二倍に増やした。
近代的農業を教育し、一反あたりの収穫量を3倍に増やした。(技術教育)
糞を食ったり、乳を出して生活するのが恥ずかしくなった。(羞恥心が目覚めた)
これらを全て無視するどころか、捏造した逆のことを事実のようにして、恨み事ばかり教え込むからおかしなことになってしまっているのではないだろうか。
現在だって、日本抜きに成り立つような状況であるとはとても思えない。日本から嫌われてしまって何ができるのか?考えたほうが良い。
日本人が手を出さなくても、自分たちでそれはできた、と言い張るのは、抗弁にすらならない。
25.七面鳥の常識
七面鳥というのがいる。
ご存知の通り、クリスマスの時などに食べられるかなり大型の鳥であるが、この鳥は喧嘩っぱやくてよく戦う。
しかし彼等には仲間内に暗黙のルールがあって、戦いの途中でとても敵わないと感じた側は、座り込んで降参の姿勢を示す。そうなると相手はそれ以上の攻撃はしない。
ところで、この七面鳥と孔雀を戦わせるとどうなるか?
大抵は孔雀が圧倒的に強い。
そこで七面鳥は彼らの常識に従って地面に蹲り降参の姿勢をとるのだが、それによって孔雀が攻撃をやめるということにはならない。
自分達の常識や暗黙のルールが、他では通用しないということである。
日本人はお人好しだから、他国の宗教やイデオロギーの本質を理解しないで、こちらが善意でいれば相手もそうすると思い込んでいる。というか、マスコミや識者?と言われている人たちによって思い込まされている。
彼らの口癖は、「バスに乗り遅れるな」と「日本が孤立する」であるが、そんなことはない。
何よりも、日本が譲れば丸く収まるということにしたいらしいが、主張すべきはキチンと主張しないと、返って信用されない。
日本人の常識が、世界中で通用するわけではないというのは、理解しておいた方が良い。
少なくとも、諸外国人の信じている神というものがどんなものなのかということや、イデオロギーの違いが作り出している社会がどんなものなのかということについて、触りの部分だけでもよいから学んでおいたほうが良い。
26.呪文
呪文というものがある。そもそもが、呪文というのは意味が解って唱えるものではない。
言葉というものが全ての始まりであるという認識がないと理解できない。
言葉を発することで望むことを叶えようとするのである。
初めに言葉ありきというのはそういう意味であり、いうなれば神様ごとに入るには理屈ではなく言葉からであって、そこが解らないことには進まない。
幸せになりたかったら唱える呪文は「ウレシイタノシイアリガタイ」である。
人の現状は、苦しみであれ楽しさであれ、その人のありように釣り合っているから、その人の身に現れる。
現れたらそれによって気づけということであり、気づいたらどうするかということになるのだから、不平不満グチを言葉に出して言うなどはもってのほかのことになる。
折角現れたことで消え去る機会を得られた苦悩というものに対しても、わざわざその苦しみを掴みなおし、それが業(ごう)となって自分の周りをまわることになるばかりでなく、更にもっと深い苦しみとなっていく。
何故なら、その時に吐く言葉に毒があるからである。言葉は現実化する。
悪い想念で悪い言葉を口に出していると、それは全て自分のこととなって降りかかる。
そういう人達の特徴は、自分のことばかりを言っていて、人の言うことは聞かない。場合によれば身勝手である自分のことを解かってくれないと言って人を責め立てることすらする。
不平不満グチ文句ばかり言っている人が居たら、関わり合いを避けた方が良い。そういう人は友達でも何でもないから、離れることに躊躇う必要はない。
さもないと、自分のエネルギーを全て奪われることになる。縁なき衆生としての見極めということである。
そのときにも唱える呪文は「ウレシイタノシイアリガタイ」である。
27.デハの守
「デハの守」と揶揄される人がいる。出羽守のことではありません。
「どこそこの国“”では“こうなってる。だから日本もそうすべきだ。」という言い方をする人を指して、「出羽の守」と呼ぶのである。
とりわけ、知識人であると自称している人ないしは知ったかぶりをする人にそれが多く、「だから日本はだめなんだ」という上から目線のもの言いをするときの論拠にする。
他所の国の例をもってきて、日本人に別のあり方を示すことは、悪いことではないが、今の日本とは違った別の状況が世界にはあるということを示すだけのことであり、現実の状況を相対的に捉えることが可能になるというだけのことである。
他所でそうなっているのは、歴史や社会構造や文化的にみたときの全体バランスがその国ではそうだということであって、一事象を抜き出して捉えてみてもどうにもなるまい。
彼等は、その他国の例がなぜ日本の状況にも適応できると思うのか、どうすれば日本の現状を改善できるのかを具体的に示すことは決してしない。
例えば、ドイツは労働時間も短く、有給休暇の完全消化している。それに引き換え「日本は社畜の国で駄目だ。だから経済もうまくいかない。」と声高に主張する人がいるが、それをもって日本がドイツに全て劣っているという結論にはなるまい。
劣悪な労働環境が存在しているのを改善しなくてよいという心算はないが、具体的な実現のためのプランを示さなければ、説得力を持たない。
出羽守の多くは、得てして共産主義的発想でそれを主張することが多いように見受けられるが、共産主義をとっている国のどこが理想の国だと言えるのか?
「ではの守」の全てが悪いとは思わないが、中に首をかしげざるをえないものが多いのも事実であろう。
"ではの守"は、身近によく見かけますが、そういう人に限って、"それなら日本の良いところは?"と聞くと、途端に黙り込んでしまう。日本をくさすこと自体に喜びを見出しているような姿勢には、大きな疑問を覚えてしまうのです。
28.女を貢物にした
韓流ドラマ華やかなりし頃、「奇皇后」というのがあった。
ドラマであるから虚実とりまぜてということではあろうが、かの国のドラマ特有の権謀術策が渦巻く、観ていて胸糞が悪くなるものの一つではあった。
よせば良いのに、腹を立てながらも全編見たというのが、今にして思えば不思議である。
そこで「貢女」というものを知った。女を貢ぐって何なのだ?
ウィキペディアによると、貢女(コンニョ)とは、やるにことかいて、一般に女性を朝貢の品として献上することである。
幸いにして後に帰国が出来た女性であっても、朝鮮国内では還鄕女(ファンヒャンニョ)として蔑視・差別待遇を受けたというから気の毒過ぎる。
現在でも朝鮮語・韓国語で女性を節操のない女だと罵倒して卑下する言葉として用いられるファニャンニョンの由来となっているのだという。
5世紀に高句麗・新羅から中国の北魏に送ったという記録があるというが、朝鮮から貢女の献上が最も盛んに行われたのは高麗後期から李氏朝鮮時代にかけてだった
高麗時代の献上先は蒙古(元)・契丹・明などであり、貢女だけでなく、使臣への賄賂も含め多くの朝貢を強いられていた。
高麗時代の1番目の資料は結婚都監を置き、140名の貢女を行い、2番目は貢女確保のために国中の婚姻が禁止されて、3番目に資料では寡婦處女推考別監という役所を設け組織的に対応していることがわかる。
要するに国を挙げてこの屈辱的行いをしていたということになる。
中国本土の使臣によって私的に連れて行かれたケースを含めると、朝鮮半島から献上された貢女は数えきれないほどの数にのぼると言われている。
朝貢は高句麗と新羅に始まり、高麗末以降に盛んに行われた。特に朝鮮第3代王である太宗と息子で世宗大王として韓国で最も評価されている朝鮮王である世宗の在位当時が朝貢も最も多かった時期であった。
朝鮮では選抜機関を設置していたし、明の巡察使が各地を物色した。貢女候補に選ばれると娘の顔に薬を塗り傷を付けたケースや出家させるケースもあり、娘が生まれると幼児のうちに嫁がせることまであった。
そのため、李氏朝鮮時代には朝鮮王が「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」法令を下した。李氏朝鮮3代王の太宗8年には、処女30人が選抜されたが、中国の使臣は「美しい女がいない」として罰しようとし、娘たちも指名を避けるため、障害があるかのように装い、太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者など、選抜から免れようとした者」を罰する号令を下した。
属国の悲しさといえばそれまでだが、国王が国民の為に命がけで抵抗する気概を示さなかったことは確かである。
長き時代にわたってこれが続けば、国民の意識に今に至るゆがみが生じたこともあったに違いない。
29.小さな島だから?
小さな島のことで争うくらいなら、上げてしまえば良いという人がいる。
竹島然り尖閣然りである。
しかし、外国からの不当な要求に従っていれば、次は対馬を、沖縄をということに繋がるのであって、それを考慮に入れないで、目先の平和のみを考えることはできない。
国土を守るということは、国の根幹に関わることなのである。
尖閣諸島
尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式に日本の領土に編入した。
同諸島は爾来歴史的に一貫して日本の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれている。
以上の事実は、日本の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものである。
なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し、従来何等異議を唱えなかったことからも明らかである。
また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点は、いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえない。
尖閣沖に石油が埋蔵されているとされるようになってから、中国がその領有を主張するようになったのであって、日本固有の領土であることを放棄するわけにはいかない。
中国公船?などという表現でごまかしているが、軍船である可能性は非常に高く、潜水艦などによる領海侵犯も度々あるという。
軍事力による挑発には、それを恐れて引き下がるということにはならない。
30.植民地?
彼らが言うように、日本が韓国を植民地にしたというなら、ヨーロッパ先進諸国がアフリカ・インド・アジア諸国にそうしたように、富を奪っていたということになる。
実は日本と朝鮮でどれだけ富の異動があったのか、松木国俊という人が算出しているのだという。
答えは、「マイナス」63兆円。
日本はむしろ、朝鮮にむしり取られ、朝鮮の発展のために身を粉にして働いていた。
染料がなくて白の乳出し木綿服しか着ていなかった彼らに文明を伝え、父親が嫁入り前の娘を「試し腹」と称して犯すのが習慣となっていた国に倫理を教えた。
教育制度、インフラ整備など、近代化のためにどれだけ力を傾注したことか。
朝鮮が日本に感謝をすることはあっても、恨まれることなど何もない。
次から次へと要求を繰り返し、捏造まがいで恨みごとを教育して日本を貶めることに躍起となっているエネルギーを建設的につかったら、幸せになれるのにと思ってしまう。
それよりなにより、植民地という言葉を安易に使いすぎていないか?植民地がいかなるものであったのか、ということを知りもしないで口にする日本人が居るが、西欧植民地支配国がその植民地で現地人に対し何をしたのかということを知りもしないで、ものごとを一括りにはできまい。
31.人類
40万年~25万年前に種として枝分かれした人類は、およそ20種類はいたのだという。
ネアンデルタールとか、ホモサピエンスは有名だが、他は余り知られていない。
生き延びたホモサピエンス以外は絶滅してしまったのだというが、それはどうしてなのだろう?
種としてのヒトは、猿から進化したのだとは思い難いが、進化図を見て育った年代だから、どうなのかの理解はできていない。
なにせ、猿は人間より毛が3本少ないのだといわれて、それを信じていたこともある。
お椀の舟に箸の櫂で都にのぼった一寸法師や、山を一跨ぎしてしまう大男(どういうわけか大女は出てこない)ダイダラボッチの御伽噺を聞いて、それも居るのだと思っていた。
ダイダラボッチは、日本の各地で伝承される巨人のことを指している。類似の名称が数多く存在するが、山や湖沼を作ったという伝承が多く、 元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられているのだという。
コロポックル(アイヌ語: コㇿポックㇽ korpokkur)は、アイヌの伝承に登場する小人である。アイヌ語で、一般的には「蕗の葉の下の人」という意味であると解される。
ヒマラヤの雪男だとか地底人というのを真剣に探している人たちが居るのだと聞くと、ロマンを感じてしまう。
全世界に200国弱にわかれて住む人口は、およそ74億5千万人と言われるが、人類の未来はどこに向かって進むのだろうか?
進化論を信じれば、新人類というのが突然変異で出てくるということになるが、そんなことは想像しにくい。人類の誕生は解明できていない。
32.水
世界に8個所あると言われる長寿村には共通点があるという。
一般的に、健康で長生きするためには、豊富な食べ物や最新医療の設備などが不可欠と思われていますが、世界的に長寿で有名な場所には、豊富な食べ物や最新医療を受ける施設はなく、近代文化の恩恵もないことが多いのだという。
1973年に「 ナショナル・ジオグラフィック誌」で紹介された長寿村は、8箇所あります。しかしこの8箇所すべてが発展途上国であると紹介しています。
ここでいう長寿とは「100歳を超える人が、元気で生活している人の人数が多い」ことを指しています。
そのいずれの地も、ミネラル豊富な水を何千年もの間、灌漑(かんがい)として使い土地を豊かにしてきているし、その土地で育つ植物が豊富なミネラルを吸収することで、ミネラルは無機物から有機物に変えられます。勿論飲料にもしている。
70歳の長寿をまっとうした伊達政宗は、日頃、大茶碗で水をたくさん飲んでいたという。この「飲水療法」も、体に害のない身近な健康法であるが、領内の長寿者を集めて調べたところ、良い水を沢山飲んでいるということから実践した健康法らしい。
人間の身体は、約65%が水分でできています。
脳の約80パーセント、網膜の約90パーセントは水で構成されているのだという。
そのため、水と健康の関係が世界中の人から注目されることになるのは当然といえよう。
水は無害ですし、水分をとることによって尿などで排泄を促します。デトックス(排毒)効果が期待できます。特に寝起きは、汗や気道や皮膚から蒸散する不感蒸泄(ふかんじょうせつ)と呼ばれる水分を補うためにも水を飲んだ方がいい。年齢を重ねると渇水感も鈍くなるため、意識的な水分補給を心がけたいものです。夏などには熱中症対策ともなる。
ボケルのは、水分の摂取量が少ない人に多いらしい。
家人が気を付けて、水であれお茶であれジュースであれ、食べ物以外に1日に1.5リットルほどの水分を摂らせ続けると、かなり改善するのだという。
33.相談事をもちかける
相談事を持ちかける人というのがいる。
基本的に、こういう人は、どんなに親身になってどんなに良いアドバイスをしてあげても、その通りにすることはまずない。
最初から聞く気はないし、自分を変えようとする気もない。
自分の不平不満グチを言いたいだけのことが多い。
そもそもそういう状態になっているのは、自分に一番釣り合っているからそうなっているのであって、鏡に映っている姿そのものなのではなかろうか。
自分が気づいて自分を変えることができれば、劇的によくなる。
昔はよく相談事をもちかけられた。
私が仲人をしたのでも、相手として紹介したのでもないのに「うちの旦那はこうなんですああなんです。」と言い立てるのである。
その旦那のことを知っている場合に特に思うのが、どちらかといえば頑張っている良い旦那じゃないか、ということである。
人が自分の思っている通りにならないといって不満をいったところで、ますます仲が悪くなるだけであるのに、それがどうしてもわからないのである。
普段使っている言葉に毒を含んでいないだろうか?
それはそのまま具現化し、全て自分のところに返ってくるというのが、言葉の持つエネルギーなのである。
至らないところばかりに目をつけて文句を言う前に、口には出さなくても家族のために頑張っている旦那の良い所に気づいて、どんな小さなことであっても感謝の気持ちを持つと、使う言葉が違ってくる。
良い言葉は良い結果を引き寄せるエネルギーがある。
良い言葉遣いをしている人には、幸せが向こうからやってくる。
34.南京事件がわからない
南京事件には、どうしても釈然としないことがついてまわる。
日本軍は南京攻撃前に「これから日本軍が攻撃に入るから一般市民は逃げなさい」とビラをまいている
これにより南京の一般市民はドイツ人ラーベが管理していた国際安全区に逃げ込んでいるのだという。
さらに松井総隊長は、欧米記者を含んだ国内外の記者に2度にわたり記者会見をしているが、虐殺があった等との文言は一切ない。
南京外国人会はほぼ毎日、「市民重大被害日報」を日本大使館に出していたが、戦闘員以外の目撃された殺人は合法的処刑の1件のみらしい。
便衣という、国際法では禁じられていた軍服を着ていない軍人の跋扈は酷かったという。
シカゴデイリーニュースのスティール記者とNYタイムスのガーディン記者が南京城内に入ったが、「欧米人が目撃した殺人は1件もない」と報じている。
死体の写真はガーディン記者が残した戦闘員の死体写真のみ。
東京裁判ではジョン・マギー牧師は「殺人事件は1件だ」と証言したが、彼の日記には「実際に殺人を目撃した訳ではない、見ていない」と記載されているのだとか。
これで、20万都市といわれた南京市で、どうして30万人もの死者が出たと言い張れるのだろう?
落城の翌日には屋台も出て、人出でにぎわったというから、人口以上の死者がでたとも思えない。
そんな話が何かのキッカケで始まったとき、同期生の一人が喧嘩腰で「あれは本当だ。俺は南京に旅行したことがあるが、その時に現地の老人が涙ながらに語ってくれたのをみているから嘘とは思えない。」というのである。
「戦争があったのだから、一人も死ななかった、というのではない。涙ながらに言うことは真実だとしたら、歴史の検証にはならないだろう?」と尋ねてみたら、「翌日、その時の死者を葬ったという場所も案内してくれたが、そこは人骨累々だった」という。
そこでさらに訊いてみた。「その人骨というのは、南京戦争のときの死者だとどうして判ったの?そこにあったのは、30万人分の骨だったの?俺は、戦争の責任逃れの話をしたいんじゃなくて、事実はどうだったのかを知りたいだけなんだ。」」
障りのある比較ではあるが、人口密集地に原爆を投下してでも、その死者は20万人。
鉄砲だけで30万人も斃すことができたら、戦争に負けることはない。
苦しいことであっても、事実を知ることで乗り越えていかねばならないことはある。
35.日王
李ミョンバク前々韓国大統領のときに、初めて耳にした。
韓国マスコミ等では、日本の天皇陛下のことを「日王」と呼ぶらしい。くだらないけれど、仰天の深い理由があるのだという。
朝鮮は、周知の通り長い間中国の属国でした。李氏朝鮮の王さまを誰にするかの決定権は、自国ではなくなんと中国にあった。
中国の顔色をいつも朝鮮の王様はうかがっているしかなかった。
朝鮮が独立できたのは、日本が『日清戦争』に勝って、清に、朝鮮の独立を認めさせたからである。そんなことも、韓国人は知らないでいるらしい。
日清戦争のしばらく前、中国が鬱陶しいと感じていた朝鮮国王はロシアに接近し、その軍事力で中国の干渉を躱そうと考えた。
そのとき、清から派遣されていた袁世凱によって、時の王は「廃位」を仄めかされていたのだという。中国の皇帝でもない、一介の軍人によってである。
このことから、偉さの順に並べると、中国(清)皇帝 > 中国皇帝の部下 > 朝鮮国王だったということが明らかに解かる。
朝鮮の立場から見ると、日本の「天皇」は「天」「皇」という字が入っているので、中国皇帝と並び立ってしまうということになる。
朝鮮には大した根拠もないのに、昔から日本に「文化を教えてやった」「自分たちは、日本よりエライ」、日本から見れば朝鮮は敬うべき「兄の国」(儒教的な考えだと兄は絶対に弟よりエライ)と思い込んでいた。
それなのに、天皇という名前を認めると、自分たちの方が「下」になってしまう。
「でも、日王なら、自分たちと同レベルだから、許せるニダ!」ということで、わざわざ日本の地位を引きずり下ろしたつもりになって悦に入っていたということになる。
明治初期に「征韓論」が巻き起こったのも、「幕府を倒し、明治政府をうち立てた日本」が、李氏朝鮮に挨拶の書状を持って行ったところ、「天皇」の名前に朝鮮がびびって、使者を追い返したという無礼なことが、たび重なったからだということになっている。
書状を受け取ってしまうと『天皇』を認めたことになり、中国さまに何を言われるかわからないということを恐れればそうなるのかも知れないが、いうに事欠いて「おまえらみたいな野蛮人とはつきあえん」みたいなけっこう失礼なことを言って突き返してきたのだという。
まあ、その頃の朝鮮の立場を考えると、それもしょうがなかったかも知れないが、いまだにその頃から頭の中身が進歩していないということでは情けない限りではないのか?
37.彼岸には
彼岸には 訪ね来りて名を告げよ 願いの幸を運び届けむ
お願いがあって神社にお参りするとき、正式参拝で神主さんに祝詞(のりと)を奏上してもらったことのある人はお気づきだと思いますが、「○○に住いなせる○○が、これこれの願い事を申し出ています。」と、必ず住所氏名と願い事を神前に告げます。
神様は何でもお見通しなのだから、いちいち名乗らなくても、黙って祈れば通じる、ということではないのです。
昇殿参拝ではないときでも、神前で鈴を鳴らしたら、願い事をする前に、どこそこに住いなせるなんのだれそれでございますと、神様に名を告げるのが作法です。
これだけでも、願い事の通りがよくなる。
神主さんは、神様へのお取次ぎ役。個人で神様に願い事を述べるのは、平社員が社長に直接何かを要求するのと同じで、聞いてもらえることが殆ど無いのと同じです。
仲介者や紹介者がないと、世間一般の人間関係がうまく運ばないことは、ご存じの通りです。
手順と言うものが必要です。
それと同じことで、修行が行き届いたご先祖様は、神様や仏様に子孫の願うことを親身になって取り次いでくれる役目をしてくれます。
そういうことを知っている人は少なくなったし、敬うということに気を使わない人にわざわざ教えてくれる人というのは殆どいなくても当然ということになる。
お彼岸にお墓参りに行かれて、何かを気づいたという方は多いと思います。
「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言われますが、これは天候のことばかりでなく、日常の厳しい気がかりについても同じことかもしれません。
心を開いて素直に聞けば、普段の日常を過ごしている中で、ご先祖様が伝えてくるヒントやアドバイスが今までにも沢山あったのだと思い当たることが多いことでしょう。
ご先祖様のお参りをしているとき、何かを思い出したり、何かをふっと思い浮かべたりすることがあると思います。
実は、それが大事なことであることが多いようです。
墓石が汚れていると気づいた人は、お盆までには自分で墓石クリーニングをしてみると良いでしょう。清浄であることは、始まりのときにはいつでも重要です。
38.腹に一物
数字を使った表現というのがいろいろあって面白い。
数字ではないが、最近、名前の後ろに△をつけるというのがある。〇ではないのに誉め言葉なのだという。
三角形というのを、~さんカッケイ(格好イイ)ということなのだという。
腹に一物両手に二(荷)物というのがある。
腹黒い人が荷物を沢山持っているのを揶揄してのことか?
酒と女は2ゴウ(合・号)まで、というのは、かなり年取っている人たちが、酒を進められたときの断り文句で昔は使った。
2升5合というのも昔は使われた。升升半升(益々繁盛)という語呂合わせであった。
この手のものは、探せば沢山出てきそうである。
39.毛沢東が書いたものと違う
南京大虐殺も捏造なのではないのか?
1949年に毛沢東が建てた南京虐殺の記念碑には、他の誰でもない毛沢東の自筆で
「国民党政府は雨花台において、かつて30万人の共産党烈士を虐殺した」と書かれており、40代以上の中国人は「蒋介石が革命軍集と共産党員30万人を殺した」と教えられてきたのだという。
それが江沢民が国家主席となった1980年頃から「南京大虐殺は日本人が行った」事に変更されてしまった。
その前に毛沢東夫人らによる文化大革命というのがあって、先祖返りするくらいの過去時代に戻ってしまったということもあろう。
そんなことも影響して、外部に敵をつくらなければならないような政治局面にあったのだと思うが、捏造歴史を教え込んだことには問題があろう。
いまも中国の若い人は、捏造されたそれら歴史を教えられていて、真実を知らないまま、日本のことを悪く思っているのではないのか。
同盟通信 前田雄二記者の回想
「南京大虐殺というのは30万人という数は別にしても、主として住民婦女子を虐殺したものだ。
ところが住民婦女子は全部「難民区」内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあり、入城4日目には私たち全員はこの支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。
住民居住区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていた。こういう中で万はおろか、千あるいは百をもって数えるほどの虐殺がおこなわれるなどあり得るはずはない。
捕虜の処刑はあったが、それは戦闘行為の枠内で論ぜられるべきであって、非戦闘員の大量虐殺の事実はなかった。
それがさも事実があったかのように伝えられ、教科書にまで記載されていることは見過ごしていいことではない。
なぜ歴史がゆがめられたのか。それは戦後の東京裁判史観によるものだろう」
朝日新聞 橋本登美三郎上海支局長
大虐殺があったと言われていますが、南京の様子は?
「南京での事件ねえ。私は全然聞いていない。もしあれば記者の間で話しに出てるはずだ。
記者は少しでも話題になりそうなことは話しをするし、それが仕事だからね。
噂として聞いたこともない。
朝日新聞では現地で座談会もやっていたが、あったのなら露骨でないにしても、抵抗があったとかそんな話が出るはずだ。南京事件はなかったんだろう」
当時の報道規制をどう感じましたか?
「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし書いていたよ」
新井正義記者の証言
「我々が南京にいたとき、大虐殺なんて聞いた事も無かった。僕は虐殺とかそういう現場をみたことがないんだな。
死体は見た。兵士の死体だ。便衣の者もいた。」
現場を知る記者はないと言い、中国や戦後の朝日新聞はあったと報道するけど矛盾があるよね。
こういう証言があったにも拘わらず、拡散されるどころか無視された。
どう調べてみても、どう考えて見ても、矛盾点が多すぎるように思うのだが、日本人の知識人?といわれる人たちが、中国のプロパガンダ的主張を丸呑みしているのでは何ともなるまい。
そういう意味では、日本を訪れて実際の日本を経験した人たちは、違った見方ができるようになっているように思える。何より中国に帰りたがらないということで、それと知れる。
40.幼子たち
マンションの上の階から、階段を下りてくる足音がしました。
一番最初は赤ちゃんをおんぶしたお母さん、続いてまだ幼稚園生と思われる女の子とその妹。
まだ覚束ない足取りで、一段一段一所懸命おりてきたが、その姿が何とも言えず可愛らしかった。
この年頃の子供は、文句なしに可愛い。
母親は、幼子たちに決して急かすようなことは言わなかった。
見守るともなく見守っていたのだが、一番下まで降り切ったので「エライネ。ちゃんと降りられたネ。」と褒めてあげたら嬉しそうに笑いました。
お出かけの支度のようだったので、「かわいいネ。行ってらっしゃい。」と声をかけると、「行って参りますは?」と、母親が幼い子供たちに挨拶を促した。
可愛がられている子供は、笑顔や仕草が愛らしい。きっといい子に育つに違いない。
41.領土を守らない
中国は、長い歴史の中で「易姓革命」という王朝交代を繰り返してきた。
易姓とは、前の政権を根絶やしにしてしまうことである。
戦いで勝った者が新しい皇帝を名乗り、前王朝の関係者や施設を抹殺・破壊して、自分たちに都合よく歴史を書き換えてきたのが、その歴史である。 前の歴史が残るわけがない。
だから、中国4千年の歴史という言い方は妥当とは言い難い。
中国は第2次世界大戦までは諸外国からの侵犯を受けたから、その記憶が強いからか、今度は外に対して打って出ようとしているかに見えなくもない。
しかも、現在の“共産党王朝”も、歴史をねじ曲げることに何の躊躇もない。
現に中国は、国連で「尖閣を日本が盗んだ」と演説したりもしているし、米紙「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」に「尖閣は中国領」という広告を掲載し、米政府や議会関係者に盛んにロビー活動を行ってもいる。
あろうことか、日本人にも尖閣は中国にやってしまえという人がいるに及んでは、先々が思いやられる。国論を統一して一致団結しなくては、領土は守れない。
42.隣国だからといって
正しい日韓間の歴史を調べようとすると、いくつかの認識違いがどうしても出てくる。
彼らは頑として否定するが、500年間中国の属国であり続けた李氏朝鮮は、国民が李王と両班に搾取し続けられた奴婢と呼ばれる賤民が多かった。
100年前、女性は乳出しチョゴリを着、藁ぶき屋根の家に住むしかないような生活を強いられたうえ、ロシアの脅威にさらされた結果、自国では対応できず日本に併合を願い、何とか体面を保とうとした。
日本では韓国との併合に反対を唱える者も多かったが、条約を締結し国際社会からも認められて併合した。
その後、日本国民の血税を使い、あらゆるインフラ整備をして近代化をはかり、戦後は日本からの支援でまがりなりにも、民主国家の体裁を保てていた。
にもかかわず、台湾のように感謝の気持ちを表すこともなく、捏造が発端である従軍慰安婦問題や不法占拠以外のなにものでもない竹島問題で、日本に対し不当な要求をし続けている。
朴正煕元大統領の談話というのがある。
日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。
すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。
日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も、私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。
福沢諭吉「脱亜論」 1885年3月16日 時事新報
日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
地球規模で情報が行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、 過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
百年以上前にこの卓見。今も変わってはいなさそうである。
43.歴史に学ばない
その昔、今の言い方で60年安保闘争というのがあった。
日米間で結ばれていた安全保障条約は、サンフランシスコ講和条約とともに結ばれたものであり、戦勝国米軍の日本国内およびその付近への駐留・配備を認め、条約の失効は日米双方の認定を必要とするが、米駐留軍は日本防衛の義務を負わないという形式で、その内容は、駐留米軍は極東における平和と安全の維持、日本政府の要請に応じて国内の騒擾や内乱の鎮圧、日本に対する外部からの武力攻撃の阻止に使用することができるというものだったが、敗戦国に押し付けられた著しく片務的な条約であった。
この安全保障条約の内容を改定しなければ、日本は完全に独立することはできない、と考えるのは普通のことであったろう。
1957年の総理大臣に就任した岸信介はこのように考え、対等なものにするために動き出した。
ここで、在日米軍の配置に関して
・日米が事前に協議すること
・安保条約と国連憲章との関係を明確にすること
・条約の期限を明確にして条文に盛り込むこと
この3点を求めた。
特に気を使ったのは日本国内で米軍が勝手に行動を取らないようにすることであった。
そのために、部隊の配置などの変更があれば日本に事前に知らせるだけでなく、協議することを要求したのである。
また、アメリカに守ってもらうだけではなく、日本に駐留する米軍は日本も防衛の責めを負うということを明確にしようとした。「守ってもらう」ではなく「お互いに守り合う」ことで力関係の均衡化を目指し、日本の独立性を強めようとしたのである。
1960年1月9日、新しい安保条約が結ばれた。
その時の正式名称は、「日本国とアメリカ合衆国との相互協力及び安全保障条約」ということになった。
<新安保条約の内容>
・日本が侵略された場合には、アメリカ軍は支援義務があることを規定
・しかし、日本のアメリカ軍への協力義務は、はっきり書かれていない
・日本と日本国内にある米軍基地に対する武力攻撃に対しては、日米両国で共同で対処
これによって旧安保条約とは違い、アメリカ軍の防衛義務については明確にすることが出来たのである。
しかし、この時の反対闘争というのは激烈で、全学連などの左翼過激集団をある意味で煽ったのは、今と同じく新聞各社であった。
テレビの司会者として有名であるT氏もその時騒いだ口であるが、その彼がいみじくも後に言っているように、法案の条文なぞ読んだこともなく、騒いだ人たちの殆どが同様であったという。
内容的にまともであり、反対するようなことではなかったから、次の1970年改定時には何の騒ぎも起こらなかった。
岸信介氏がA級戦犯であったことを挙げて、条約の内容ではなく、情緒的に反対運動を過激化させた側面もあったように思われる。
昨年9月に成立した安全保障関連法についても同様であろう。
憲法が禁じる武力行使に当たるとして、これまで認めていなかった集団的自衛権の行使が可能になるということに反対だというが、国の法としては極めてまともだと思える。
しかし、これもマスコミと左翼系の人たちが大反対した。ありえようもない徴兵制が復活すると言い立てて、感情的に煽った。
今彼らがやっているとことといえば、森友・加計問題である。どうつついてみても違法性が立証できないことを、疑わしい疑わしいとして、他に重要な問題があるにも拘わらず、政局にしたいがためだけでいつまでも騒いでいるようにしか思えない。
歴史に学ばなければならないのは、我々国民なのではないのか。
いつまでも他人の言うことに引きずられたままで、自分で考えることをしないでよい筈がない。
44.綺羅星
もうすぐ七夕。星まつりが諸方で催される。
「キラ星の如く」という表現があるが、これはキラキラ光る星のように、というわけではない。
だから、キラ星ではなく、キラ、星の如くと言うのが正しい。
「きら」は漢字で書くと「綺羅」
「綺」は綾織りの軽い絹、「羅」は透けるような薄い絹のことであり、そこから「綺羅」という言葉は、「美しい衣服。または美しい衣服で着飾った人」という意味で使われる。
それは「華やかな美しさ」「盛んな権勢」を表し、「権力のある人」「優れた人」を指して使われるようにもなった。偉い人が一堂に会しているときの表現である。
すなわち「綺羅星の如く並ぶ」というのは、「立派で優れたもの(人)や華やかなもの(人)が、たくさん集まっている様子」という意味になるのである。
まあ、最近はこんな表現を見かけることは無くなってしまったが・・・
45.万葉集
ご存知、約4500首詠まれていると言われる日本最古の和歌集「万葉集」を、「まんようしゅう」と読むか「「まんにょうしゅう」と読むかであるが、今では「まんようしゅう」と読んでいることの方が多い。かつては「マンニョウシュウ」であったのだという。つまり、室町時代以降の連声という読み癖で読んでいたからだそうです。
その当時の音がどうして判るのかは解りませんが、『万葉集』の読み方の変遷を辿ると、次のようになるのだといいます。
一、A マニエフシフ(奈良から平安初期)
B マンエフシフ(奈良から平安初期)
二、マンエフシウ(平安から鎌倉)
三、A マンヨウシュウ(室町以降・現在の通行の訓み)
B マンニョウシュウ(室町以降・連声の作用)
どう読むのがよいのかについては、学者により諸説あるが、もし、マンニョウシュウその他当時の音で読むとしたら、収録されている和歌の全てをその当時の音声で読まなければ統一がとれないことになる。
専門家でもないのにそれをする意味というのがあるかどうかということになる。
46.カラスは孝行と鳴く
What does the crow say? 烏はなんて鳴くの?
かわい かわいと鳴くんだよ、というのは童謡の歌詞で、一般的には「カア カア」と鳴くということになっている。
白楽天に「慈烏夜啼(じうやてい)」という長い詩がある。
慈烏其の母を失(うしな)い
唖々(ああ)として哀音(あいおん)を吐く
声中告訴(こくそ)するがごとし・・・・・
未だ反哺の心を尽つくさずと(慈烏は育ててくれた母を亡くし、カァカァと悲しげに鳴く。その声はまだ恩返しができないと訴えているようだ)と詠んだ詩である。
慈烏(じう)とはカラスのことである。このことから、烏はカアカアではなくてコウコウ(孝行)と鳴いているのだとする。
神話や伝説に登場するカラスは、太陽と密接なかかわりを持っていることが多い。カラスを太陽の使いと位置づけるものであり、世界各国に共通しているものだという。
朝、夜明けとともに人里に現れ、夕方日暮れとともに山へと去っていくカラスは、古代の人々の目には太陽の使者として映っていたのかもしれない。
しかし、現代においては、カラスを好もしいものとして見る人は少ない。群れてゴミを漁ったり騒々しくなくことや、黒い姿形が違うことを連想してしまうからかも知れない。
47.ゆ~ふぉ!
UFO目撃談っていうのをかなり聞く。私も何回か、そうとしか思えないものを見たことが有ります。
超常現象っていうのはありますよね。
理解を超えるから無いとしてしまっては、狭すぎるのではないかと思います。
なんかわからないけど、有るんじゃないかという物って、世の中には他にもかなりあるんじゃないでしょうか。
48.花に手をつける
中足をつけるのに、手をつけるとはこれいかに。
ぼたんのような おぜふさん しっぽだすぜと(シャッポぬぐぜ、ではありません。)浜松屋
(牡丹の花自慢をしてきた友人へのコメントから)
そうなんだよね。どうみても葉っぱは牡丹。しかしながら、この時季の牡丹は藁囲いがしてある筈だし、新種ってこともあるから・・・。
上野の東叡山寛永寺というか上野東照宮というかの牡丹園には、世にも珍しい(それほどでもないか?)緑色の花を咲かせる牡丹があります。
珍しいといえば、 “ヒマラヤの青い芥子”というのも、最初に見たのは10年ほど前、日光の金精峠を下ったあたり、丸沼近くのペンションの庭で一株だけ咲いていたのでした。 その後、そこらじゅうでみかけるようになった。
名も無い花というのはないというが、名も知らぬ花っていうのは、人知れず咲く雑草の類だったのですが、今は新しい品種の花が次から次にでてくるから、わけがわかりません。
49.では、何が信じられるか
まず最初には、いまここに自分が在るということ。
そこから始まる。
生まれたからには、間違いなく親がいて、先祖が有るということ。
なにか役目を持って生まれてきているに違いない。幸せになるためであるに違いない。
50.プラス思考って?
プラス思考ということがよく言われます。
人間は、放っておくと考えの75パーセントはマイナス面のものになるのだとか。
そこで、ものごとをポジティブに捉えなさい、ということになるのだが・・・
やってみればわかりますが、得てして空元気というか上っ滑りというかになってしまって精神の内側にまで入っていかないことが多い。
それはそうでしょう。世の中のことは、プラスマイナス・正負・陰陽・美醜、対語となるもの全てセットなのですから。
それでも、善は悪に勝つとか、どちらかに優位性を持たせることはできそうです。
潜在意識の世界は、思考するものは正負善悪構わず実現してしまうというから、思いかたというのは重大です。
まず、信じられるものを作り、信じられるように動き、そして信じるということに気づかねばならないようです。
エッセイ「普通に考えてみると(五)」 @SyakujiiOusin
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