第6話 かぜ と りゅうじん


「ごほっ、ごほっ……」と、咳き込む声。

 小さく聞こえるはずもない声なのだが──


「龍神、大丈夫?」


 トモリは袖を遠慮がちにつかんで、龍神を呼び止めた。彼は「やってしまった」と視界がぐるぐるする中で後悔する。白銀の長い髪、不愛想な顔、陶器のような白い肌、黒の軍服姿の彼はちょうど仕事を終えて帰宅したところだった。

 玄関から最短距離を通ったと言うのに、一番気づかれたくない相手に見つかったのだ。


「……大丈夫、です」


 龍神は返事をすると、出来るだけ早く話を切り上げて部屋に戻ろうとする。階段を上がるのだが──


「風邪? へーき? 熱は?」


 トモリは龍神の周りをちょろちょろと、くっついてくる。

 彼はいつも夜遅くに帰るので、十五時過ぎに家に戻ってきたことが嬉しかったのだろう。本来であれば龍神自身も天にも昇るほど嬉しいのだが、風邪の時は出来るだけトモリの傍にいたくないのだ。


(姫に風邪が……。喉が弱いから……うつったら、また熱が……)


「龍神? 私にできる事、ない?」


 遠慮がちに、けれど真剣に訴える瞳。龍神は胸を押さえながら、唇を開く。


(眠るまで手を握っていて欲しい。声が聴きたい、そばに──)


 熱のせいか感情が渦巻いて、気持ちに制御がつけられない。


「……はなし、が……し……たぃ」


 龍神の言葉にトモリは目を輝かせて「わかった!」とぴょんぴょん跳んだ。


「じゃあ、準備してくる!」


 そういうとトモリはバタバタと階段を下りて行ってしまった。



 ***



 龍神は寝間着に着替えると、そのままベッドに横になった。

 閑散とした畳の部屋。唯一この部屋で異様なのは四台のPCモニターだろう。


(水分は取った……。あとは大人しく眠っていれば……)


 龍神とは言え、人間の──生身の体である以上、病はある。特に、邪気による影響も受けることもあるのだ。


 コトン、とベランダから物音がした。


(……鳥? それとも森の動物か?)


 ベッドに横になると気だるさが一気に押し寄せてくる。


「…………」


 コトン……

 龍神は妙に気になって窓を開けると──


「あ!」


 一反木綿にぶら下がって、二階のベランダによじ登っているトモリがいた。


「な、なにをしているんですか!?」


 龍神の大きな声に、びっくりしたトモリは──

「ひゃうっ!?」とよじ登っていた手が離れた。


「あ」

「にゃ」


 一瞬だけ浮遊するも重力には逆らえず落ちる。


「とも──姫!」


 龍神は反射的にトモリの両手を掴んで、ゆっくりとベランダへと引き上げた。


「…………なに、しているんですか?」


 ニッコリと笑っている龍神に、少女は全身から汗が噴き出す。


「あの、えっと……サンタさんごっこ?」


「心労を増やすのは、ほんとーーーーに、やめていただけますかね」


 優しい声音だからこそ、余計にトモリは涙目になりながらこくこくと頷いた。


「ごめんなさい」


「わかればいいです。遊ぶなら、危なくないように」


「はぁい」


 そっとトモリを下ろすと、少女が手に何か持っていることに気付く。


「龍神、これあげる」


 手渡したのは紙コップだった。いやよく見るとコップの底には糸を通してある。


「……もしかして、糸電話ですか」


「うん。テレビでやってた! これならお外でもお話ができる!」


 目を輝かせるトモリに、龍神は顔を伏せた。


「それでこの寒くなってきた時間に、ずっと外から話すつもりだったんですか?」


「あわわわ……。ダメですか?」と、目が潤むトモリに龍神は大きく息を吐くと──根負けしたと言った顔で、少しだけ目元が緩んだ。


「いいえ。でも、やるなら部屋の外にしてください」


「はい」


 トモリは大きく頷いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る