第3話心渡りの探偵

出勤したマミは役所の人間たちの異様な視線に刺された。

肌に痛いほどの視線。

普段あいさつをかわす同僚も言葉数が少なく、わかりやすいほどに避けていた。

なんだか異様な空気に区役所内が包まれていた。

訳もわからずにいたマミだったが、朝礼の後、窓口業務につくことなく、係長に呼び出された。

「実はな、こんなものが送られてきたのだよ」

ゆっくりと吐き出すように女の係長は言った。その顔には、ある種の決意じみた表情が浮かんでいた。

机の上には、一通の封筒と数十枚の写真が置かれている。

そこには、いろいろな男たちと腕を組むマミの姿が写っていた。

マンションの一室に入ろうするマミの姿。

ホテルに男と入ろうとするマミの姿。

約束した五人の男たちとのそれぞれの写真であった。

「ここ最近、こういうのがしょっちゅう送られてきてな。プライベートは自由だから、私はシュレッダーにかけて捨ててたんだが、所内の者が間違って開けてしまったんだよ。今日はもういいから、帰りなさい。しばらく休んでかわまわないよ。その後のことは、私でよければ話をきこう」

係長はゆっくりと言った。それは彼女なりの優しさだったのかもしれない。だが、その優しさがマミにとどくことは永遠になかった。


憎しみと恨みの炎がじわりじわりと心の中を渦巻いていた。

犯人はわかっている。

あのつまらない男だ。

根拠のない自尊心だけをもったつまらない男。自分をよくみせるために他人を引き合いにださなければそれを証明できないクズみたいな人間。

何らかの手段でマミの行動を監視し、それを写真におさめた。

もう、区役所では働けない。

自分の心のままに生きるやり方を世間や社会が受け入れないのは、頭のかたすみではわかっていた。

でも、自分たちさえよければ、それでよかった。誰にも迷惑をかけていないのに。

悔しさで涙があふれ、化粧がくずれるのもいとわず、手の甲でそれをぬぐった。


見つけ出して必ず殺して、食ってやる。

区役所をでたマミは誰かに聞こえてもかわまない、そういう気持ちで曇った空にむかって叫んだ。


誰もいない区役所。

空気がひんやりと冷たい。

古いエアコンがゴウゴウとその存在を証明していた。

天井の蛍光灯がちかちかと消えたりついたりしていた。

ここは現実ではない夢の世界。

窓口の机に足を組み、マミは腰かけていた。

足元には五匹の犬がひかえるようにして、座っていた。

セントバーナードはうっすらと眠り、シェパードは周囲を警戒していた。

しばらくすると区役所の自動ドアを開け、一人の男が入ってきた。

安物のスーツを着た痛んだ茶髪の男だった。

瞳の色がどこか濁っていた。

「おい、マミ、ここはどこなんだ」

かすれた声で男は言った。

「さて、どこでしょうね。強いて言えばあなたの死への入り口かしら」

マミは言った。

これからこの男をくらう。私をおとしめたあの男を食らい尽くしてやる。

そう思うと口の中が涎であふれ、お腹がぐうとはしたなく鳴った。

「なあ、すまないよ。ほんのでき心なんだ。あれでおまえが奴らと別れてくれる思ったんだよ。俺のところに戻ってくるって思ったんだよ」

涙をにじませ、彼は言った。突如わけもわからぬ世界に迷いこみ、とてつもない不安に襲われていた。それが自業自得とは知るよしもない。

「許さないわ。あなたは私の世界を壊したのよ。だから、あなたを殺して、食べるのよ」

冷酷にそう言い、マミは左手を軽くあげる。それをおろせば、犬たちは一斉に襲いかかる。


「あのぉ、おとりこみ中のところすいません。ちょっとよろしいですか」

場違いなほど明るい声でしゃべりかける男がいた。

濃い茶色の羽織りに縦じまの袴。中折れ帽子を深くかぶり、丸眼鏡をかけていた。手には古びた文庫本。

その顔つきは女性のように優しげだ。

ほっそりとして背がたかく、皮のブーツをはいている。

その声の方向にマミは視線を送ったが、男はすでにそこにはいなかった。

とごにいったのか、探そうとした瞬間、彼が視界にはいった。

彼女のすぐ右隣に座っていた。

「どうも夢魔のお嬢さん。どうやら、淫魔もまじってるようだけど、まあ、いいや。僕はね、こういう世界専門の人探し屋なんだ。人呼んで心渡りの探偵夢野Q作。そこのラブラドールの人。犬に人ってのもおかしいけどね。そのラブラドールの人の妹さんに頼まれてはるばるやって来たというわけさ」

そう言うと男はにこりと笑った。

「それでだね。ちょいとお願いがあるんどけどね。そのラブラドールの人だけでも帰してくれないかね。彼も就職が決まったばかりだし。彼さえ帰してくれれば、僕の仕事はおわるんだけどね」

Q作はマミに問いかける。

マミはラブラドールとなったミツルの顔をじっとみつめた。犬はだまって首をふる。

「いやだって」

ふふっとマミは笑う。

「それは困ったな」

中折れ帽子をとり、癖の強い頭髪の頭をかいた。

「おい、あんた。助けてくれよ」

懇願の眼差しで安物のスーツを着た男は言った。

「嫌だよ。そいつは契約外だ。僕が依頼を受けたのはそこのラブラドールのミツルさんを探しだすことだからね」

そう言い、にべもなくQ作は断った。

「そ、そうだ。昔、聞いたことがある。夢食みさん、夢食みさん、夢食みさん。お願いします。悪い夢を食べて下さい」

震える声で男はいう。

その言葉を聞いたQ作はあちゃーと言い、顔を手で押さえた。

「せっかく話し合いで解決しようとしたのに、面倒なのがくるじゃないか」

と言った。


「やあ、呼んだのは君かい」

妙に甲高い男の声が響いた。


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