第十七報 風花
その翌日すぐに副宰相から連絡が来た。俺は年明けから異動することになり、正式な辞令は直前に下るそうだ。仮辞令も送ってくれた。
『決行はいつかな?』
そんなことが文の最後に書かれていた。
ああ、もうすぐカトリーヌと毎朝執務室で無言のまま二人きりで過ごすこともなくなってしまうのだ。
俺は来年からはカトリーヌと幸せラブラブのイチャイチャバカップルになるか、フラれて傷心を癒すために宰相室での仕事に専念するかのどちらかだ。
大抵年末はせわしなく過ぎて行くものだが今年だけは時間が経つのが非常に遅く感じられる。
そんなある朝のことだった。自席でコーヒーを飲みながら新聞を読んでいたところ、いつものようにカトリーヌも出勤してきた。ああ今朝も君は可憐で美しい。
「お早う、クロトーさん」
「お早うございます」
彼女は何だか疲れ気味のようだった。
「どうしたの、顔色が少し悪くない? 心配事とか? それとも風邪でも引いたの?」
「昨夜少し遅かったので寝不足気味なのです。ご心配には及びませんわ」
な、何だと?
『彼が昨晩とっても激しくて寝かせてくれなかったのですぅ……うふふ♡』
そんなことはないと切に信じたい。大体、カトリーヌは気だるい感じではなく何だか浮かない顔をしている。
その日の夕方は定時で終われそうだった。もう既に同僚たちは半分ほど帰宅して執務室は静かになっていた。
「ガニョンさん、お疲れ様です。お邪魔して申し訳ありませんけれど……」
カトリーヌに声を掛けられた。珍しい、書類の手直しでも頼まれるのだろうか。
「ああ、いいよ。私ももう終わったから。クロトーさん、今朝より顔色良くなったのじゃない?」
「はい、ありがとうございます。あの、数分ほどお時間頂けますか? お話があります」
「私に話?」
「ええ、とても大事な、個人的な話です」
てっきり仕事の話だと思っていた俺は不意をつかれ、動揺で筆を落としてしまった。個人的な話って言ったらもしかしなくてもあれに決まっている……
『ガニョンさん、好きです! 貴方のことを考えるとこの体が熱く
もちろんだ、生憎今日は勝負下着を履いていないが、肝心なのは中身に決まっている。俺の自慢の大砲は君へと打ち放つためにいつでも準備万端だよ。発射予行演習とイメージトレーニングだけは一人で何度も繰り返している、任せてくれ!
『それってタダのオ〇ニーに妄想って言うのじゃない、やだぁ非リア充!』
そう思ったのは誰だ! あ、読者の皆さんのほとんどですか、すみませんね、悪かったですね!
とにかく、周りにまだ人がいるこの場所で愛の告白をさせるわけにはいかない。
「えっと、そんなことだったらここで話すのはまずいよね。外に食事に行こうか?」
カトリーヌは少々驚いた顔を見せたが、嫌がっている様子ではない。むしろ喜んでいる、と切に願いたい。
「はい、そうですね」
「じゃあ行こう」
自然と笑みがこぼれてしまう俺だった。
「西門から出ようか、君の荷物は宿舎に置いて行く?」
「いいえ、このまま持っていても重たくありませんから大丈夫です」
王宮の西門を出たところで彼女に聞いた。
「何か食べたいものはある? 好き嫌いは?」
俺は君が食べたい。他には何もいらない。
「私は特に希望も好き嫌いもないです。でもそうですね、寒いですから体が温まるものがいいでしょうか」
一番体が温まるものと言ったらティエリー君の熱い抱擁だよ!
「お酒は飲めるほう?」
「少しでしたら」
初デートのカップルみたいな会話だ、と浮かれてしまうのはしょうがないだろう。
歩いて近くの食堂に入り、静かに話が出来る席にしてくれと給仕に頼んだ。
カトリーヌが脱いだ上着と帽子を俺は外套掛けに掛け、店の奥の席に案内されると彼女の椅子を引いて座らせる。こんな些細なことに一々恐縮してお礼を言うカトリーヌが愛しくてしょうがない。男慣れしていない証拠だ。実にイイ、イイぞ。
「葡萄酒でも飲む? それとも熱い飲み物がいいかな?」
「では赤葡萄酒をいただきます」
「じゃあ私も葡萄酒にしよう」
実は酒をそこまで飲みたい気分ではなかった。目の前のカトリーヌにもう酔っているからだ。
前菜が運ばれてきて食事が始まった。彼女の灰色の目と時々目が合って、胸がいっぱいで料理も酒も味が分からなかった。
俺は彼女と二人きりで食事というシチュエーションにすっかり浮かれてしまっていた。そこでにこやかに微笑んでいたカトリーヌが真剣な顔になって口を開く。
「ガニョンさん、私昨夜大変なことを聞いてしまったのです」
「大変なこと?」
何だか風向きが変わったようで、めでたい気分の俺は少し我に返った。ガニョンさんのことがずっと好きでした♡という雰囲気には程遠い。
「ローズさんがその、職場の同僚たちから嫌がらせ、しかもかなり悪質なものを受けているようなのです」
「まだ続いていたのか?」
大事な話とは職場いじめに遭っているローズのことだったのか、と俺は冷水を浴びせられた気分だった。
「話していいのか迷いましたけれど、やっぱりお知らせした方がいいと思ったので……」
カトリーヌの同期の馬鹿女がマキシムとのありもしない情事をローズに
「分かったよ。知らせてくれてありがとう。ローズが就職した時から俺も気になっていたのは確かだよ」
しかし、大いに期待をしていた俺のショックは計り知れない。思わず自分のことを俺と言ってしまったのにも気付かなかった。
***ひとこと***
カトリーヌ編では最後まで紳士的で優しいティエリーさんでしたが……
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