第十一報 青嵐


 その後はローズとギヨームと三人で他愛のない話をしながら庭を歩いて居間に戻り、皆で夕食をいただいた。マキシムの馬鹿はまだ居座っている。遠方から久しぶりに帰ってきて、すぐに家に帰らず何をしているのだ。


 俺達男性は固まって座り、補佐官の奥方やローズと彼女の妹は食卓の隅に座っていた。


 先程庭から戻って来た時からマキシムはローズをガン見している。分かり易い奴だ。食事が済み、俺は補佐官に挨拶して帰宅しようと玄関に向かった。


 先程まで俺の隣にいた筈のマキシムが消えていた。居間の方へ探しに行こうとしたら、目の前にいた。彼は階段を上ろうとしているローズを呼び止めている。


「よお、お前な、いつの間に文官男子をはべらせるようになったんだ?」


「しぃー! マックス、何大声出しているのよ! まだどなたか残っていらっしゃるかもしれないじゃないの、失礼よ!」


 益々分かり易いな、コイツ。


「そうだぞマックス、帰るぞ。全く私が少し目を離した隙に……早く帰宅して父上と母上にきちんと顔を見せろ!」


 そして俺がマキシムを引きずるような形で屋敷の外に出た。馬車の中で奴に何か聞かれるかと思ったが、ムスッと黙ったっきりで何も言わないので放っておいた。




 次に屋敷に呼ばれた際、ソンルグレ補佐官は俺に歌劇の券をくれた。かなりいい桟敷席である。


「ティエリー、音楽に興味あるよね」


「はい。私が音楽を志していたことまでご存じでしたか」


「うん? あ、そうだったの?」


 とぼけているがこの人は何でも知っているのだ。上司に対して失礼だが、煮ても焼いても食えないとは本当だ。


「私と妻は用事があって行けないのだよ。ローズは行きたがっているけれど」


「私にローズさんを誘え、と?」


「いや、その券は君に差し上げるのだから、意中の女性を誘うなり、人にあげるなり、君の好きなようにすればいいよ」


 俺がローズを舞踏会に誘ったことは補佐官にはもちろん報告しておいた。彼はただ一言へぇ、と反応して面白がっているようだった。


「ありがとうございます」





 補佐官や俺がマキシムにローズをこの歌劇に誘えと言ってもアイツのことだから素直に実行するかどうか怪しい。その上、マキシムに歌劇なんて馬の耳に念仏の同義語だ。開演直後にいびきをかきながら寝てしまうに違いない。連れが恥ずかしい思いをするだけだ。


 そう言えば少し前、うちの部屋の遊び人エリックがカトリーヌにまた懲りずに声を掛けていた。彼女を同じ歌劇に誘っていたのだ。


「ねえねえカトリーヌちゃん、今度さ、王都劇場に歌劇を一緒に見に行かない?」


「もしかして再来週の公演ですか?」


「うん、そうだよ」


 俺は耳をダンボにして聞いていた。俺でさえデートにも舞踏会にも誘えないのにコイツは……お前に音楽や演劇など、芸術が語れるもんか……カトリーヌが奴の毒牙にかかるのを俺は指をくわえて見ていないといけないのか……


「お誘いありがとうございます。でも私、悲しいお話は苦手なのです」


 確かにこの演目は身分違いの男女が駆け落ちをするが結局は結ばれない悲恋ものだった。


「泣きたくなったら俺の胸を貸すよ」


 お前がそれを言うと痴漢行為をするよ、に聞こえるぞ。


「……遠慮しておきます」


 ひそかに俺はほっと胸をなで下ろしていた。エロック、これ以上カトリーヌにちょっかいを出すようだったら異動させるからな。


 俺だってこんないい券が手に入ったのだからカトリーヌを誘いたい。しかし、彼女は悲恋ものが駄目だという。喜劇なら、俺が誘っても承諾してもらえるだろうか。




 結局俺はローズを歌劇に誘った。ローズはことの他喜んでくれた。もちろん誘ったのが俺だからではなく、純粋に観に行きたかったらである。俺自身も個人的興味から観たかった。


 こうなったら当て馬に徹して、うちの弟とローズをなんとしてでもくっつけてやる。補佐官だって可愛い娘の恋を叶えてやりたいのだろう。マキシムは一応彼に娘の相手として認められているということだ。


 歌劇には二人共大満足で劇場を後にした。




 ローズの妹マルゲリットが悲劇は観たい気分ではないと言い出したから、ローズも遠慮してどうしても行くと言えなくなっていたと教えてくれた。だから俺に誘われて丁度良かったとも。


 やっぱり俺は補佐官にいいように踊らされているが、まあいいさ。


 その歌劇の後でローズをソンルグレ家に送って行った時が傑作だった。なんとソンルグレ家の玄関前でうちの馬鹿マキシムが仁王立ちでローズの帰りを今か今かと待ち受けていたのだ。奴のその時の顔と言ったら……いつ思い出しても笑いが止まらなくなる。


「おやおやおや、誰かと思ったら……親愛なる弟マキシム君じゃないか。君がペンクールから帰ってきて以来、自宅では滅多に顔を合わせることもないのに、ここソンルグレ家ではやたら良く会うねぇ」


 笑いをこらえるためにニヤニヤ顔になるのは許してくれ。


「兄上、コイツとどちらまで?」


 マキシムは俺に掴みかからんばかりの剣幕だった。


「まあまあ、そんな怖い顔するなよ。若いお嬢さんの前だよ」


「あの、こんばんは、マキシムさん」


 マキシムの奴はローズまでギロリとにらんでいる。


「とりあえず中に入ろうか、玄関前で立ち話もね。もう外は真っ暗なのだし」


 俺はローズの腰にそっと手を添えて屋敷の中に入った。不貞腐れた顔のマキシムが俺達の後に続いた。


「ティエリーさん、今日はありがとうございました。とても楽しかったです。えっと、マキシムさんも、その、お休みなさい」


 マキシムはまだ不機嫌そうな顔でローズの全身をねめつけるように見ている。そりゃあな、彼女が普段よりもお洒落をしているのが気になるよなぁ。そこでマキシムが口を開きかけたところに補佐官が書斎から出てきた。


「ローズ、お帰り。どうだった?」


「お父さま、感動致しました。観に行けて本当に良かったですわ」


 補佐官は何故かマキシムまでいることに気付いているが何も言わず、彼まで楽しそうな表情になっている。そりゃあそうだろう、本人達以外は可笑しくてしょうがないのだ。


「ソンルグレ侯爵、私はこれで失礼致します」


「ローズがお世話になったね」


「いいえ、とんでもありません。私の方こそ彼女と一緒に出掛けられて楽しかったです。ほらマックス、帰るぞ」


 マキシムは何も言わず、それでも補佐官に頭を下げて俺について玄関の扉から出た。帰る道中、奴に何か聞かれるかと思ったが、またムスッと黙ったっきりで何も言わない。


 俺なら何でも質問に答えてやるというのに。それから二、三日は家でも弟と全く口をきかなかった、というよりまず顔を合わせることがなかった。




***ひとこと***

全くこのガニョン兄弟二人は何をやっているのでしょうね。

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