第七報 六花
ビアンカ様はアナ様にかいつまんで事情を説明してくれた。
「アナさん、ガニョンさんはね、暗い夜道で暴漢に襲われる危険から愛する女性を守れる魔法具の製作をして欲しいそうよ」
愛する女性には違いないが、カトリーヌにはただの職場の先輩としてしか見られていないのが悲しい限りだ。
「まあ、女性の敵が王宮内をうろついているだなんて!」
「そうですわ! こんなこと二度と起こしてはいけません!」
二人の女性は怒りを露わにしていた。そこで瞬間移動ができないモルターニュが戻ってきた。男性よりも女性魔術師に訴えるのが得策だと彼はそこまで計算していたのだろうか。
「お気の毒に……ガニョンさんもさぞかし悔しい思いをされたことでしょう。私も微力ながら魔術具製作に協力させていただきますわ」
「出来上がるまで数日いただけますか? 完成したらご連絡しますわ」
「お二人共、ありがとうございます」
俺は深く頭を下げて部屋を出た。女性魔術師二人は魔法石がいいか、素材がどうこうと熱く語り合っていた。
魔術塔の階段を下りながらモルターニュにももう一度礼を言った。
「何もかもモルターニュさんのお陰です。私みたいな一介の文官がすぐにはお目にかかれない方々に会わせていただいて、本当にありがとうございました」
「こういうのはな、女性に訴えるのが一番効くと思ったんだよね。ビアンカ様に近付く男はまず扉を叩く前にあの総裁につまみ出されるからな。俺は安全な男だと総裁に認識されてからはもうすっかり彼女の茶飲み友達よ」
女性にとっては安全だが男には危険なこの男と細々と付き合い続けてきて良かったと思った。
「いつまで経っても奥方をそこまで愛していらっしゃる総裁の気持ちも良く分かります」
「やっぱり俺に初めてを捧げたくなったか? いや、俺が受けでも良いよ。実は俺リバで、そっちの方がイイんだ。君だって責めの方が抵抗も少ないのじゃない?」
「は、はい?」
抵抗があるとか少ないとかの問題じゃなくて!
つい数秒前まではこいつ相手のベロチューで受けた屈辱を埋め合わせてもなお余りある収穫を得たと思っていたが……調子に乗るんじゃねぇよ!
とにかくアンタの嗜好なんて知りたくもねえし! ていうか俺はその手の用語は全然分からん……ということにしておこう。
「冗談だよ、俺も君と気まずくなりたくないしね。これからも仲良くしてくれよ」
「ははは……私も全く同じ気持ちです」
なんだかどぅっと疲れた。とりあえず魔術塔を出てすぐに手洗いに駆け込んでうがいをし、口の周りも綺麗に洗った。
用事は全て済んだので昼前に出勤した。昨晩あんなことがあったので休むとばかり思っていたカトリーヌは何と今朝も仕事に出てきていた。席に着くと一番に彼女を呼んだ。
「クロトーさん、ちょっと」
「は、はいっ……」
彼女はビクッとして飛び上がっている。俺は驚かせてしまったようだ。そんなつもりはなかったのに……
「先日のこの書類についてなのだけど……」
彼女は慌てて席を立ち、俺のところへ来た。
「クロトーさん、今朝は無理して出勤しなくてもよかったのに……」
俺の席は皆と少し離れているから小声で話している限り周りにはまず聞こえない。青ざめた顔の彼女が今朝どんな思いで出勤してきたか考えると俺は心が張り裂けそうだった。
「そんな、休むだなんてとんでもないですわ。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「でも……頬も腫れているじゃないか、もしかしてあいつに殴られたの? 今からでも医療塔に行く?」
唇の横から頬にかけて少し腫れているのが分かった。あまり目立たないが俺には分かる。
「……こんなこと、何でもありません」
もっと俺を頼ってくれ、そんなに強がるんじゃないと言いたい。
「そう……私に出来ることがあったら何でもいいから言って。遠慮しなくていいから」
これは気休めでも何でもない。君のためなら何でも出来る。男と熱烈なキスだって出来たのだ。一度は尻の穴も犠牲にする覚悟までしたのだ。
『出来ること何でもしてくれるのですか? でしたらあの男の感触を忘れられるようにティエリーさんの身体で上書きしてください』でもいいし『あの場に通りがかった責任を取ってお嫁に貰って下さい!』でも何でもいい!
任せてくれ! 一度上書きしたらそのまま保存だ、もう俺なしでは生きられない体になるぞ。そして手に手を取り合って婚姻許可証を申請しに行こう!
しかしカトリーヌは力なく微笑んで頭を下げただけだった。
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで充分です」
彼女の苦悩の顔も大いにそそるが、そんな表情をさせることになった昨夜の事件を考えるとはらわたが煮えくり返る。
ソンルグレ補佐官からはジョゼ・シュイナールに関する報告書が数日後に届いた。たったこれだけの時間でどうやってここまで調べ上げたのかというくらい詳しい内容だった。
彼はカトリーヌが学生時代に下宿していた親戚の家の息子だったのだ。近所では有名なゴロツキだそうだ。カトリーヌの両親にしてみれば他人の家や一人暮らしよりも親戚の方が安心だったのだろう。
貴族学院はその名の通り貴族の子女が通うところで、経済的にゆとりのある学生が通うという前提だから宿舎などないのである。
確かにカトリーヌの成績だったら王都の貴族学院に通う価値はあった。
彼女がその家に下宿していた数年間辛い思いをしていたと考えるといたたまれない。ジョゼの両親は薄々ドラ息子の行状を知っていたようであるが、親の言うことを聞くようなジョゼでもなかったし彼らにまで暴力を振るっていたと言う。
カトリーヌはしょっ中貴族学院近くの宿屋兼食堂や友人宅に避難していたとのことだった。可哀そうな彼女が宿舎住まいなのも、何となく男性に対して距離を置こうとしているのも頷けた。
補佐官の文によると、あの後被害者カトリーヌからの訴えもないのでジョゼは一旦釈放された。しかし、勤務に戻ったその日に別の問題を起こして即免職、左遷になったとのことだった。
『何だかね、本宮一階広間でいきなり叫びだして腰の短剣を抜いて振り回し始めたらしい。幻覚でも見たのかな。そんな奴が免職されて街に放りだされたら街の治安が悪くなるだけだから、丁度空きがあった牢獄の看守の職を与えておいた』
それを読んだ俺はうすら寒さを覚えた。優秀な調査員を抱えるソンルグレ補佐官に相談した俺は間違ってはいなかった。これ以上ない強い味方だ。しかし、彼を敵に回すとどうなるかはジョゼの野郎がいい例だ。奴ははめられたに違いない。
***ひとこと***
後半はカトリーヌ編「第二報 みぞれ」と被る部分ですね。二人は全く同じことを考えているのですが、ティエリーにそんなことを思われているとは露知らないカトリーヌでした。
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