第六報 初雪


「そ、そんな、貴方ね……」


 モルターニュのニヤけた面をぶん殴ってやりたかったが、まだまだぐっと我慢だ。


「だからさ、君には適任者を紹介するよ」


 人任せかよ、俺と一線を越えなかったからって手抜きをする気か? 俺は相談する相手を間違えたのだろうか……


「だったら最初からその方に会わせて下されば……」


「まあそう言うなって。折角君がわざわざ魔術院まで訪ねてきてくれたのにつれないなぁ」


「いえ、ですから……」


 モルターニュは再び俺に近付いてきやがった。こ、こらえるんだ、俺。


「これ以上ないくらい強力な魔法具が作れる、サンレオナール王宮魔術院最強のお方だ。君が一人アポ無しで訪れてもあっという間に魔術塔からつまみ出されて、まず会わせてもらえない」


 それってもしかして魔術院トップのテネーブル総裁のことだろうか、コイツを殴らなくて良かった。


 そして俺はモルターニュに案内されて魔術塔のもっと上の階のある部屋に向かった。


「失礼します、ベンジャミン・モルターニュです」


「どうぞお入りください」


 返ってきたのは女性の声だった。その研究室の真ん中には大きな実験台があり、色とりどりの石や液体の入った瓶が所狭しと並べられていた。


 声の女性は奥の机で書物を読んでいるところだった。灰色のローブを来た彼女はモルターニュの姿を見て立ち上がり、微笑んでこちらに向かって来る。


「ビアンカ様、おはようございます」


「おはよう、ベン。あら、そちらの方は?」


 透き通るような白い肌、見事な銀髪のその女性をこんなに間近で見たのは初めてだった。ビアンカ・テネーブル公爵夫人、魔術院の最高権力者テネーブル総裁の夫人である。彼女自身も魔術師でとても珍しい白魔術の使い手なのだ。


「こちらは……」


「ビアンカ、一体誰だこの男は?」


 ビアンカ様に俺を紹介しようとモルターニュが口を開いたところ、俺達の背後にいきなり誰かが現れた。思わず悲鳴を上げそうになったが、振り向いて全身黒ずくめのローブを着た長身の男性の姿を見た途端、彼があまりに大物すぎて声にならなかった。


 それはジャン=クロード・テネーブル総裁その人だった。これが瞬間移動というものなのか……


「まあクロード、貴方は会議中ではないのですか?」


「いや、まだ始まっていない。どうせ俺がここに来ていることは皆知っているだろうから、どうしても俺が必要になったら誰かが呼びに来るさ」


 総裁はその黒い瞳で俺をギロリと睨んだ。


「全くもうしょうがないですね……ごめんなさいね、えっと……」


「総裁、ビアンカ様、こちら司法院所属の文官ティエリー・ガニョン君です」


「初めまして、お忙しいところお邪魔しております」


「ビアンカ・テネーブルです」


「ジャン=クロード・テネーブルだ」


「奥の部屋に行きましょうか?」


 俺達は隣の間に通された。こちらはすっきりと片付いていて、小会議室と言ったところだろう。


 モルターニュが手短に用件を述べてくれた。


「ガニョン君がですね、どうしても防御系魔法具が必要なのです」


 小僧、何で文官のお前がここにいるんだ、とでも言いたげな視線を先程からテネーブル総裁からビシバシと感じていた。いきなり総裁夫人の執務室に連れていかれ、総裁まで登場したので俺はビビっていた。圧倒されながらも俺は事情を説明した。


 ビアンカ様は俺の話を聞きながら顔をしかめていた。


「まあ、そんなことがあったのですか。お可哀そうに……カトリーヌさんの心の傷を早く癒すためにも……そうですね、分かりました。アナさんにも相談してみましょう。ベン、彼女を呼んできて下さいますか?」


かしこまりました」


 モルターニュはそのアナさんとやらを連れてくるために退席した。


「そんなけしからん奴がどうして王宮に職を得ているんだ?」


「私も疑問に思いました。そいつは昨晩とりあえず騎士団の牢に入れられましたが、どのくらいの罪になるかは……」


「よし、任せておけ。俺からも圧力かけておいてやる」


「ありがとうございます」


 泣く子も黙る鬼の総裁と言われている彼が、会議をサボってまでなぜここに居るのか知らない。いきなり現れた見ず知らずの俺も最初は睨まれたが、話にもちゃんと耳を傾けてくれて、あの下衆をなんとかするのに協力してくれると言う。




 その時である、今度は黒いローブを着た小柄な女性が俺の目の前に突然現れた。先程の総裁登場で肝は据わっていた。もうハ〇ポタだろうが名前を言ってはいけないあの人だろうが、何が出てきても俺は驚かないぞ。


「ビアンカさま、大事な用事って何ですか? あ、クロードさまもお早うございます」


「アナさん、こちらティエリー・ガニョンさんです」


「あら初めまして、アナ=ニコル・ルクレールでございます。お名前だけは存じておりますわ。ガニョンさんご兄弟には息子たちがお世話になっております」


 彼女が苗字を名乗ったから思い出した。この女性も魔術院幹部で侯爵夫人である。彼女の夫は確か騎士団のお偉いさんで、長男はギヨーム・ルクレールという名の文官だ。ギヨームは去年の新人で、母親に良く似ている。


「はい、ギヨームさんとは若手文官の集まりなどでご一緒させてもらっています」


「次男のアンリは父親の影響もありますが、マキシムさんに憧れて騎士を目指すようになったのですよ」


 次男の方は知らなかった。うちの弟なんぞが彼の進路を決定するきっかけ……責任重大だな……




「クロード、いくらなんでもそろそろ会議に行かないと駄目ですわよ」


「うん、ビアンカ。じゃあまたね」


 そして総裁は自分の妻の顎に手をそえてしっかりちゃっかり口付けると、そこで一瞬にして消え去ったのだった。噂では泣く子も黙る鬼の総裁と言われている人が、赤の他人の前でデレッと奥さんに『じゃあまたね♡』なんて言ってブチューとかましてくれたよな……


「えっと……失礼いたしました」


 俺の視線を感じたのかビアンカ様は少々赤くなってうつむいている。この場景に慣れているのであろうアナ様はニコニコしているだけだ。俺もカトリーヌとだったらいくつになってもこのくらいラブラブイチャイチャ出来る自信だけはあるぞ。


「あ、いえ……ご夫婦仲がおよろしいのですね……」


「まあいやだわ、ガニョンさんったら」




***ひとこと***

『うちの弟なんぞが彼の進路を決定するきっかけ……責任重大だな……』

マキシムに憧れて騎士になることを決めたアンリ君のことをティエリーさんはこのように思っています。ええ、アンリがあんな子になった責任は大きいですよ、マキシム!


ところでクロードさまは年を重ねても相変わらずです。

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