第五報 寒雲


 ソンルグレ補佐官に深々と頭を下げて宰相室を退室した後、俺は本宮を出て魔術塔に向かった。今日は大幅に遅刻だがそれどころではない。仕事なんかよりも遥かに大事な用件だ。


 魔術師自体、数が少ないため俺には魔術師の知り合いはまず居ない。特に魔術院幹部となると顔と名前も一致しない。


 しかし一人だけ知っている奴が居る。この人物には何となく頼りたくなかったが、愛しいカトリーヌのためなら背に腹は代えられない。


 魔術塔など来るのは初めてである。王宮でも北側にひっそりと位置しているその塔は人気ひとけもなくてしーんと静まり返っていた。すれ違った若い魔術師にその知り合いの居場所を聞くと、案内してくれると言うのでついて行った。


 彼女に連れられて入った執務室では何人かの魔術師が山と積まれた書物の中で働いていた。その中にお目当ての人物を見つける。声を掛けると訪ねてきた俺を見て彼は満面の笑顔になった。


「やあ、麗しのティエリー君よ、どうしたの? わざわざ俺に会いたくて仕事中に来るわけないよね、さては厄介事にでも巻き込まれたのかな?」


 流石に鋭い、当たらずとも遠からずだ。というより、俺の名前に余計な形容詞つけるんじゃねぇよ。


「モルターニュさんにお願いがあるのですが……少しお時間いただけますか?」


「まあここではなんだから、隣の会議室にでも移動しようか」



***



 ベンジャミン・モルターニュは俺よりも二つか三つ年上の魔術師である。俺がまだ新人の頃、王宮本宮の職員用図書館である日声を掛けられた。俺は政治に関する本を手に取っていた。


「その本、君が読み終わったら俺も借りたいなあ」


「あ、私は構いませんよ。お先にどうぞ」


「あ、いいの? じゃあ遠慮なく先に読ませてもらおうかな。一週間くらいで返しに来るよ」


 それ以来何回か図書館で顔を合わせ、その度に休憩室や時には飲み屋にまで移動して議論を交わし合う間柄になった。主に政治、王政の是非などについてお互い熱く語っていたものだった。


 何回かモルターニュと過ごすうちに、彼には俺に対して議論仲間以上の気持ちがあることは薄々感じていた。しかし、向こうから何も仕掛けてこない限り俺は避ける理由もなかった。


 初めて出来た魔術師の知り合いだったし、気まずい関係にならない限りは付き合いを続けていきたかった。何よりも彼の視点から展開される政治論に耳を傾け、他愛ないことで議論を交わし合うのは純粋に楽しかったのだ。



***



 俺はモルターニュに隣の小部屋に連れていかれ、彼が扉を閉めるなり俺は切り出した。


「魔術師であるモルターニュさんを見込んで頼み事があるのです。ある目的のために魔法具を作って下さいませんか?」


「ほう?」


「身につけているだけで痴漢や強姦魔に襲われない、襲われたとしても被害から身を守れる、そんな魔法具はありませんか?」


「そうかぁ、君も苦労しているんだなぁ。そんな輩に狙われているだなんて君の屈辱は如何ばかりと考えると俺もツラい。慰めが必要なら俺はいつでもいいぞ」


 まずい、俺の説明不足だった。何だかとんでもない誤解を招いている。


「いや、モルターニュさん、それは違うのです。私ではなく、後輩の女性のことで……」


「まあなぁ、痴漢の気持ちも良く分かるけどな……」


 いや、分かるな! 俺の全身を見ながら舌舐めずり始めんじゃねぇ、コラ、人の話を聞け!


 そしてモルターニュの誤解を解くのにしばらくかかってしまった。


「そうか、そう言うことだったか。で、ティエリー君よ、俺がそんな魔法具を君に調達してあげる見返りに何を差し出してくれるのかなぁ?」


「も、もちろん私も魔法具はとても貴重なものだとは理解しています」


「だったら、ねぇ?」


 俺は身の危険を感じた。モルターニュのニヤニヤ笑いは止まらない。そして彼は俺に一歩近付いて胸の辺りに手を這わせてきたのだった。おい、調子に乗って触るんじゃねぇよ、と後ずさりして叫びたいのを辛うじてこらえた。


 頭の中ではカトリーヌの貞操と俺のそれが秤にかけられていた。究極の二択のようだが、どちらが重要かと言われれば答えは明白だ。


「分かりましたよ……彼女の安全は何にも変えられません。魔法具、お願いします」


「へぇ、そこまで本気ってわけ? 何か羨ましいなあ。じゃあ遠慮なくいっただきまーす」


 えっ、今ここで? ってアンタ仕事中だろーが? 俺にも心と体の準備ってものが……なんて慌てまくっていたところ……モルターニュの顔が近づいてきて、俺は唇を奪われてしまった。


「ああ、ティエリィィー……はぁあぁ……」


 そんな声で人の名前呼ぶんじゃねぇよ! 俺は思わず身を固くした。しかも俺の腰や尻の辺りまで、妙にいやらしい手つきで触ってきやがった。


 オイ、太腿が俺の股に割り込んできてねぇか、アソコに当たるっつーの! 腰が引けた俺だが、ぐっと引き寄せられてしまった。益々当たってるんですケド!


「えっ、あぅ……」


 ていうか、俺まで何ちゅう声出してるんだ!


「ごちそうさま♡」


 はぁ? モルターニュの唇も手も既に離れていて、彼は楽しそうに俺を眺めている。


「えっと、その……」


「この続きはないのかって? うーん、俺もさあ、無理矢理ヤる趣味なんてないよ。それに十代や二十代前半の頃ならともかく、この歳になるとね、愛のない行為に及んで性的欲求は満たされても何か虚しさばかりが募るんだよねー」


 だったらキスもすんじゃねぇよ、と声に出しては言えなかった。


「そ、そうですか……」


「まあ、君の覚悟がどの程度か分かっただけでも満足だよー。可愛いお尻も触れたことだし」


 俺を試したのか、絶対こいつ面白がっているな……男とのファーストキス、しかもベロチューは奪われてしまったが、処女は守り抜けたようだ。


 ケ〇マ〇コ処女だって出来ればカトリーヌのためにとっておきたかったからな。はいそこ、ツッコミとかいらないから。これを読んでいるということは閲覧警報を受けた覚悟の上の読者だろう、苦情も一切受け付けていない。


「じゃ、じゃあお願いした魔法具の件は……」


「うん、そうだねぇー、でも俺ね実は古代魔文字の研究が主な専門で魔法具は詳しくないんだよ」


 は? 専門外ってどういうことだ! 舌まで突っ込んできたくせに約束が違うじゃねぇか!




***ひとこと***

ティエリーさん、今度はすんなりと頼み事を聞いてもらえず、うって変わって苦戦しています。愛しいカトリーヌのためならこんな試練もなんのその!?

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