第四報 慈雨


 俺が就職したばかりの六年前のことだ。全部署が集まる交流会で初めて俺はアントワーヌ・ソンルグレ補佐官に話し掛けられたのである。


 新人の俺にとってはエリート集団である宰相室の、しかも補佐官だなんて雲の上の人だ。彼は公私ともに変わった経歴を持っているので文官の間では有名人でもある。俺はいつになく緊張した。


「うちの息子がマキシム君にいつもお世話になっているね」


 俺は弟の交友関係などまず知らなかった。十代の男兄弟なんてまずそんなものだろ、学校でホニャララちゃんと仲良くってぇ、なんて家で話すのは女子だけだ。


「えっ、息子さんと弟が親しくさせていただいているですか? 恥ずかしながら存じませんでした」


「ナタニエルは出自のせいで学院でも色々苦労していてね……彼自身のせいではないのに良くいじめに遭っていたから。正義感の強いマキシム君の目にはそれが理不尽に映ったのだろうね。科も学年も違うのに仲良くしてもらっているのはうちのナタニエルの方だよ」


 ナタニエル君は魔術科で学んでいるそうだ。補佐官とナタニエル君は血は繋がっていない。奥方の連れ子なのだ。なさぬ仲の子である息子さんと補佐官の絆を感じられ、微笑ましかった。仕事がバリバリ出来る高級文官のトップクラスに居る人でも一人の親なのだ、なんて身近に思えたものだった。




 俺も就職してからは高級文官として機会があれば懇親会や研究会には顔を出すようにしていた。その度にソンルグレ補佐官には声を掛けられるようになっていた。


 ただの挨拶だけの時のこともあれば、俺の発表についての意見を述べられたり、質問されたり、ということもあった。


 別に俺だけが特別扱いされていたとも思えないが、若手文官の一人として認識されているという自覚はあった。




 四年くらい前のことだろうか、再び何かの交流会で補佐官から驚きの事実を教えられた。


「マキシム君がねぇ、うちの長女の周りをウロチョロし始めたのだよ。何だか父親としては非常に気になる」


「えっ!」


 俺は絶句した。しがない伯爵家の次男であるマキシムが侯爵令嬢、しかも王妃の姪にあたる女性にちょっかいを……頭を抱えたくなった。いつもアイツが軽い気持ちで付き合っている女どもとは違うだろーが。


「どうやら本人達は想い合っているようなのだけど、お互い素直になれなくていつも口喧嘩をしていてねぇ」


「そうですか……」


 俺にそう言われても、なんて返せばいいのか分からない。補佐官は面白がるようにしてつづけた。


「マキシム君がナタニエルと友人付き合いをするようになってから、私も彼のことは一通り調べさせてもらった。噂と違って案外真面目なところもあるよね、彼。君の弟だけあって」


「お子さんと付き合う人間は皆身元調査をされるのですか?」


 少々言い過ぎたか、でも向こうの方だぞ、言い出したのは。


「私も一人の親だからね。親バカぶりを他所でさらすなといつも妻に言われている。まあ君だって返答に困るよねぇ」


 そんな感じではぐらかされて俺達の会話はそこで終わったのだった。



***



 今でも弟のマキシムはナタニエル君をだしにしてソンルグレ家をちょくちょく訪れているようである。案外あいつも補佐官の長女ローズさんに本気なのかもしれないが……




 俺は正直に昨晩起こったことを話すことにした。カトリーヌを被害者として公の場に引っ張り出したくないことも補佐官に伝えた。


「どうやら彼女とその護衛シュイナールは以前からの知り合いみたいなのです。見た感じ、叩けばいくらでも埃が出そうな人間です。ですから昨晩の事件を表沙汰にせずに、彼女の名前が被害者として公表されないように、昨夜起こったことを彼女が思い出すことのないように、シュイナールの免職もしくは左遷が出来る材料を探りたいのです。申し訳ありません、こんな事で補佐官のお手を煩わせるのはどうかと二の足を踏んだのですが、やはり貴方に最初にお尋ねしてみようと、こうして朝早くからお邪魔している次第です」


 ソンルグレ補佐官は俺が話している間、表情はあまり変えなかった。俺が話し終わると彼は窓の外をちらりと見、まるで誰かに合図をするが如く二度手を打った。そして懐かしそうにこう言ったのだ。


「昔を思い出すよ。私も若い頃はね、最愛の女性をどうやって守って救い出そうか必死で足掻いていた」


 それは彼の奥方のことだとすぐに分かった。補佐官の年上の奥方が意に染まない結婚で最初に嫁いだ相手は芥子栽培などの重罪を犯していたのだった。


 うちの弟が仲良くしているナタニエル君は彼女と最初の夫との間に出来た子供だ。


 まだ十代だった補佐官が数年かけて独自で調査をし、その結婚相手を告発したことはサンレオナール王宮では有名な話である。


 もしカトリーヌが望まない誰かに嫁がされたとしたら……俺は正気を保っていられるだろうか……


「事情はよく分かったよ、ガニョン君。私の調査員にその男の事を調べさせよう。当たり障りのない用件は王宮内便で連絡し合えばいいかな? 機密事項は君の自宅に文をやるよ」


「本当ですか? ありがとうございます、補佐官」


「他にも何かあるのかな、例えば王宮内の屋外通路に灯りをもっと設置するとか?」


 参った。この人には敵わない。


「正にその通りです。土木建設院か宮内院か、どちらに要請すればいいでしょうか?」


「そうだね、王宮内の整備だから宮内院だね。今度の定例議会で提案してみるよ。昨夜の事件も、もう少し通路が明るければ防げたかもしれないしね」


「重ね重ねありがとうございます」


「ただこの件は予算も下りないといけないし、冬の間は屋外での設置工事はまず進まないから、実現するとしても来年の春以降になるね」


「それは十分承知しております。お時間を取っていただいた上に、何から何までお世話になって……感謝のしようもありません」


「お安い御用だよ、将来私の方が君に助けてもらうこともあるかもしれないしね」


 俺は深く頭を下げながら、この俺がまさか補佐官に個人的に何か役に立つことなんてまずないだろうと思っていた。とにかく、思い切ってソンルグレ補佐官を訪ねたお陰で一気に事が進んだ。




***ひとこと***

流石、次期副宰相アントワーヌ君です。


ティエリーさんはアントワーヌがマキシムや家族のことを調べていると知っていたのですね。

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