第三報 木枯し
俺がそのクソジョゼ野郎に一発蹴りを入れると彼はあっけなくそこにのびてしまった。
ガタガタと震えている可哀そうなカトリーヌに手を差し伸べて立たせた。思わず抱きしめたかったが、男に襲われた直後だ、俺がこれ以上触るのも良くないかとためらわれた。
「大丈夫? あそこで別れず、君を宿舎まで送っていけば良かったかなと思って追いかけてみればこんなことになっていて……」
「あ、ありがとうございました、ガニョンさん」
どうして俺は先程宿舎に帰るという彼女を一人で行かせてしまったのだろうか……彼女の危機には間に合ったものの、現れるのが少々遅すぎた。
「怪我はない? 医療塔に行く?」
「いえ、大丈夫です」
強がって涙をこらえているカトリーヌは見ていられなかった。俺は何も言えなくなってしまう。
「可哀そうに……宿舎まで送っていくよ。歩ける?」
「はい……」
宿舎まででなく必要ならば部屋の前まででも、部屋の中まででも送って行ってもいい。カトリーヌが安心して眠れるように手を握っていてもいい。もちろん泣き止むまで胸を貸して背中を撫でていてもいい。
下心がないとは言えない。大いにある。しかし今日のところは手と背中以外には決して触れない。いや、あとは髪の毛と頬くらいなら触れてもいいだろうか……それから軽くキスくらいも……それからちょ、ちょっとだけ抱きしめてその豊かな胸の感触を、た、確かめるくらいなら……
実際のところ女子職員用宿舎は完全男子禁制で、俺は入口までしかカトリーヌを送って行けなかった。宿舎の扉は彼女の後ろで俺を締め出すようにして閉じてしまった。
そこにぼけっとつっ立って妄想していてもしょうがない。俺は早速行動に出た。
犯行現場にはまだあのけしからんクソ男が転がっていた。半分意識が戻りかけていたのか、
怒りに駆られてもう数発殴る蹴るの暴行を加えそうだったが、殺してしまいそうなので止めた。このうじ虫をいくら痛めつけたところでカトリーヌの精神的な苦痛には及ばない。俺がここで犯罪者になっては彼女も悲しむだろうと思った。
それに時間の無駄だ。すぐに東宮の騎士団に向かった。あいつが所属する護衛班を統括しているのが騎士団だからだ。休憩時間中か勤務中か知らないが、王宮内で事件を起こしたからにはそれ相応の処分が必要である。
しかし、被害者カトリーヌの名前を出さずに何とか事を運びたい。どの部署に行けばいいか分からなかったのですれ違った若い騎士に尋ねた。丁度彼は勤務中で今晩の宿直当番だと言う。
「そんなけしからん人間でもこの寒空に転がしておくわけにはいきませんね。護衛の方は宿直もおりませんから、とりあえず今晩は牢にぶちこんでおきましょう」
理解ある奴で良かった。俺のこの高級文官服も効いたと言える。同じく宿直の同僚と二人で奴を牢に連れて行くそうだった。彼にジョゼの居場所を教え、後は任せて俺は帰宅した。もうその時間にはどの院の部署も閉まっていて、今晩王宮で俺が出来ることはもうなかったからだ。
帰宅してすぐに弟のマキシムの部屋へ向かった。彼は王宮で騎士として働いている。
「マックス、ちょっといいか? 話がある」
「兄上、今お帰りですか。どうなさったのですか?」
「護衛の兵士の人事を
「何ですか、いきなり。話なら飯を食いながらしましょうよ」
「父上にも母上にもあまり聞かれたくない」
「何か厄介事にでも巻き込まれているのですか、兄上?」
人聞きが悪いことを言うんじゃねぇ、厄介事を起こしたのはあの下衆野郎だ。
「今はまだ詳しいことは話せん」
「採用は人事ですね。護衛団内部での配置換え、異動は騎士団です」
「例えば勤務態度に問題がある護衛兵の解雇、左遷は?」
「直属の班長の一任か、護衛団長か、それは場合にもよるでしょうが……勤務中の護衛兵が問題を起こしたのであれば、念のためそいつの所属班長と人事院両方に苦情報告書を提出するのがいいでしょうね」
「そうか。悪いな、マックス。借りはいつか必ず返す」
「はい? そんな借りってほどでも……大袈裟ですね、兄上」
この情報提供のことでなく、あの不埒な悪党をすぐに倒せた借りのことだ。カトリーヌの俺に対する印象も、仕事が出来る文官のガニョンさんから、仕事も出来て愛する女性を守れる腕もあるカッコいいガニョンさん♡に上がったと信じたい。
子供の頃はコイツに喧嘩でどうしても勝てなくて悔しい思いばかりしていた。騎士志望の弟なんていらねえ、なんて考えていたが、今になって感謝感激雨嵐だ。
翌朝俺はいつもよりずっと早めに王宮に着いた。奴の所属する護衛班の班長はまだ出勤していなかったが、苦情報告用紙を手に入れた。後で人事院にも寄って同じものを手に入れるつもりだった。とりあえず書類は後でもいい。
次に本宮の宰相室を訪ねた。上を目指す文官はコネと人脈があってなんぼのものだ。使えるものは何でも使う。まず、俺の持ちうる最強の人脈から当たることにした。
カトリーヌにあんな思いはもう絶対にさせたくない。彼女の為なら誰にだって頭を下げてやる。
彼が朝型だと俺は知っており、もう出勤しているとは思ったが、俺に会ってくれるかどうかは分からなかった。幸いにも突然約束もないのに訪れた俺をアントワーヌ・ソンルグレ補佐官はにこやかに迎え入れてくれた。
「これはこれは、珍しい人がやってきたね」
「朝早くから突然お邪魔して申し訳ありません。いくつか個人的なお願いがあるのですが……聞いていただけるでしょうか」
「言ってごらん」
「まず一番重要なことから申します。ある人物の素行調査をしたいので、優秀な調査員、諜報員を紹介していただきたいのです」
「どうしてそんなことを私に頼みに来たのかな?」
「補佐官は、以前弟を始め私の家族のことをお調べになっていましたね。私達について家族や親しい人物しか知り得ないような事までご存じでした」
「良く覚えているね」
彼は穏やかな微笑みを崩さない。
***ひとこと***
カトリーヌの知らない所で色々と暗躍するティエリーさんです。下心だけのスケベでは決してないのです!
そしてティエリーさんがあのアントワーヌ君を頼ったということは……
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